第9話 右手
「いや、実に凄惨な事件であったな!」
その鎧甲冑は語ったものである。
「勇敢にも密猟者のアジトを突き止めたその探険者であったが、まさか、
財産であるところの奴隷を全て失うとは! 正に九死に一生である!」
春坂ミシェル。結局最後まで、兜の下の顔を見かったな。
性別も年齢も不詳だが……俺は爺さんだと憶測している。
「我が武勇によって6人は捕縛したものの、まさかまさか、別の6人が
獲物である奴隷を巡り仲間割れを起こしていようとは! しかも爆発
系の魔法まで使う輩が混じっていたのだから、恐ろしい話だ!」
ハーレム男はそこそこの報奨金を得て、他領への航空券まで贈与された。
体のいい追放だ。密猟の違法性を認識した上でその応募に応じ、想定外
の扱いに恐怖して逃げ出しただけだったから。また、都における素行も
眉を顰める類の連続であったらしい。救えない男だ。
「しかし驚くべきは密猟者ども。都近郊にこれほどの規模のアジトを保有
していたとは! だが巡察兵団がその所在を把握したからには、もはや
必滅の定め。街道を行く者よ、領内の治安に安らぎつつ行くがよい!」
俺は公式の記録に載ることなく、予定の行程へと復帰した。社会科見学。
既に馬車はなかったが、歩けばいいだけの話だ。その日の内に町へ到着
して、今は更に北辺の村にまで来ている。明日が報告日だ。
「悪き1例だけを見て、全てを悪し様に断ずるでないぞ? お主の憤りは
私も共感するところだが、制度とは全て何らかの必要に応じてあるのだ」
理屈ではそうだよな。治安任務の騎士が制度を否定できるはずもなし。
俺の気持ちを汲んでなのか、奴隷の2人をあいつから取り上げたのには
驚いた。正式に署名捺印までさせて。あれも柔軟な制度運用かね?
挙句、最後まで戦ってた方の奴隷を従卒として採用するってんだから。
職権乱用なんだか、生計の道の提案なんだか。貧しそうだが大丈夫か?
まぁ、その人いたほうがアジトへの襲撃はスムーズだろうけどね。
「お主と出会ったことは公言せん。聞こえた異名も忘れよう。その方が
お主や、お主に任務を与えた御方に迷惑がかからんだろう。いいな?」
そこまで気を使ってくれるなら、どうして最初に巻き込んだんだか。
まぁ、でも、良かったよな。一緒に馬車を降りて、本当に良かった。
俺は……戦ったぜ、クリス。
そして今度は上手くやれた。助けたいって思って、助けられたんだ。
笑っていてほしいと思う人間を、俺は、死なせずに済ませられた。
悲しいままに終わらせないで、次に笑うチャンスを護れたんだ。
良かった。
何人も殺したし、それは少しも気持ちのいい話じゃないが、しっかりと
背負っていける。だって俺の胸には1つの誇りが灯った。戦士の誇りが。
俺は……笑ってほしい誰かのために、戦うんだ。
割り切ったぜ。俺は聖人君子じゃない。俺の体験する小さな世界の中で
出会った人たち、縁のある人たち、幸せだといいなぁと思うその人たち
だけが、幸せであればいい。我侭な話だが、それが俺の欲望だ。
言ってしまえば簡単だな、この理由は。この心根は。
奴隷が気に食わないのも、赤羽家に敵対する政治勢力に徹底した姿勢で
臨めるのも、突き詰めれば一緒の理由なんだ。俺が笑ってほしいと思う
人間にとって障害だから。邪魔だから。何たる我侭思考だよ。
俺は俺にしかなれない。俺でいるよりない。
ならば、俺の考える幸せの形を、全力で追求してやるまでだ。
アントニオさんが言っていた言葉を思い出す。
『本当の強さとは、魔力や筋力で測るものではない。心だ。精神だ。
逆境に挫けず、苦境に諦めず、悲境に屈せず、地を踏み立ち歩む姿。
それは正に魂の在り様だ。クリスは戦士だった。私は尊敬している』
俺はそこに誇りある生き様を感じる。
誰かに幸せにしてほしいんじゃない。親に愛されなかった俺は、そんな
曖昧で不安定なものなんて欲しくない。貰ったら依存してしまうだろう。
際限なく飲み干して……きっと駄目になる。弱々しく卑怯になる。
自分で幸せになるんだ。
本当の強さを、心の強さを常に求めて、自分らしく誇らしく世界を
歩きたいんだ。心意気だ。俺が俺を誇る在り方だ。カッコいいぜ。
だから、俺は勝手に、縁のある人たちにそれを望むよ。
我侭に気ままにそれを望んで、戦い抜いてやるぞ。誰かが強く在ろうと
することを応援して、笑顔を見たいがために戦う。俺の戦いってコレだ。
利口な日本人を気取るのはもうやめたってことさ。
馬鹿で我武者羅な戦士として、俺は生きていく。
そんなに……長くもないだろうからな。
右手。
ペネロペさんに遊ばれ、俺もターボ効かせるために封魔環を外した右手。
微かな違和感がある。どこぞの厨二病じゃないが、妙にうずく時がある。
昨日見た夢では、この右手は熊の手になっていた。裏闘技で殺して食べ
たやつだな。爪の長い熊の手。リアルな夢。あれは予感だ。確信がある。
俺はやはり化物になっていくようだ。鬼になる、ということだな。
これはもう避けられない。時間の問題だ。我ながら凶悪な鬼になるぞぉ。
殺される気がしない。領内なら赤羽家軍辺りが討伐する羽目になるかな。
その時に浮島にいないことが何よりも大切だ。地上にいないといけない。
理性も何もかもぶっ飛んだ後、俺はそれでも魔石を探している気がする。
それで、魔石様あたりを巣に持ち込んで、探険団に恐れられたりしてな。
もう、いいさ。
そうなった後の死に様は、もう俺の責任じゃないや。考えないよ。
そうなる前に何が出来るかだよな。俺の生き様はそこに懸かってる。
最低限、ベルマリアへの恩返しを達成したいな。
船魔石何個分でカッコがつくか……それともやはり魔石様か……むぅ。
いっそアレだな。悪魔石辺りと全開バトルしたら大返済できるかな?
そんなレア物渡せたら、ベルマリア、驚くし喜ぶだろうなぁ!
きっと赤羽家の力になって、畢竟、より良い社会が実現されていくはず。
適材適所の分業ですよ、先輩。勝手に期待させてもらいますぜ。
さぁ……もう寝よう。
明日は移動日だ。馬車を乗り継いで都を目指さなきゃならない。
走った方が速いけど、何ていうか、それ……人っぽくないしね。
地上に降りたら全部そうなるんだから、今は座席に座ろう。うん。
「あ、寝ますか? おやすみなさいです、テッペイさん」
ベッドに横たわった俺に対して、慌てたように挨拶をする女がいる。
報告書を書いている間はずーっと後ろに控えていて、その癖、俺の
字に興味があるのかチラチラ覗き込んでは「わー」とか「凄い」とか
「ふうこうめい……にょまゆ?」とか呟いてる女。風光明媚だ。
タヌキ耳の女だ。
名前を松村マウイ。晴れて奴隷でなくなったというのに、あちこち包帯
だらけだというのに、俺の助手紛いのことをしている。役には立たない。
「……何を待ってるんですか? 自分の部屋で自由にしてください」
「あの……やっぱり、こっちで寝たら、駄目ですか?」
「駄目です。個室とったんだから、ちゃんと使ってください」
「落ち着かない、です……いつも私は馬小屋とかだったので……」
「胸にくる話はやめてください。ってか、ここだって馬小屋じゃないし。
ベッド1つなんですから……って、床も駄目だよ、何で任せて面だよ。
明日は早いんですから、ほら、自分の部屋に行って行って、ほら」
追い出して扉をしめる。鍵もかける。昨晩は忍び込まれたからな。
くそ。殊勝な人かと思ったら、割とめんどくさい人だぞ。マウイめ。
あの日、治安部隊によって都へと護送され、治療を受けたはずの彼女。
もう会うこともないと思っていたが、翌日、町の宿に訪ねて来やがった。
まだ安静にしているべきだろうに、私打たれ強いんです、とか言って。
どうしても手伝いをさせてくれってしつこいので、日付を区切り、この
社会科見学中だけ助手として雇うことにしたんだ。荷物番をしてくれる
だけでも助かるしね。決して丸っこい獣耳にほだされたわけじゃない。
しかし、まぁ……懐っこいこと懐っこいこと。
あんなことがあったばかりだから気を揉むんだが、何食べても美味しい
って笑うし、何見ても好奇心旺盛だし、ニコニコ笑ってばかりだし。
良かったなぁと思うよ。早くもこんな笑顔を出来て、良かったと思うが。
耳を澄ますまでもなく聞こえるね。扉の前でウロウロしてるね。
仕方無しに扉を開けると……何でそんなに不安げか。そして嬉しげか。
「あの……そのっ」
「いいですよ。ベッド使ってください。俺は床で寝るんで」
「え! 違っ、そんなことはっ」
「どちらかです。こっちのベッドで寝るか、あっちのベッドで寝るか。
どちらかだけです。他はありません。さぁ、どうするどうするどうする」
「う、うぇ、ううう……!」
こっちのベッドで寝ることにしたらしい。何度も躊躇っているが、無視
してあっちの毛布を持ってくる。いい加減めんどいのでマウイを見ずに
床へゴロン。虫がいないだけ、あの裏闘技の寝床よりマシってもんだ。
……怖いんだろうな。
やっぱり、あんなことがあった直後だ。複数の男たちに乱暴される恐怖。
本人の心の呟きからして、出し入れこそなかったものの、汁に塗れ、血
を流して、嘲笑されながら過ごした時間。忘れられるはずがない。
誰か信頼できる人か、医療機関に任せられたらいいんだが……そこでも
彼女が獣人であることが枷となる。手厚い看護を受けられないんだ。
アルメルさんに相談してみよう。何かいい方法を知ってるかもしれない。
折角死なずに済んだんだ。後は自分の足でしっかりと生きていく手段を
見つけてやれたら最高だろう。穏やかな生活が心の傷を癒すと信じる。
誰かを助けるってのは……戦った後の方が大変だな。
戦いなんて一瞬だ。でもそれは不幸を壊すきりで、幸せを作ることは
できない。障害を崩したとして、道を歩み作るのはあくまでも本人だ。
長い日常の中で、繊細に、大胆に、誰かを支えていく力……偉大だ。
クリスがそうであったように、本当の強さとはむしろ殺し合いの外に
あるんだろう。それを助けることこそ、本当に人を助けるってことだ。
……ベルマリアなんだよなぁ、やっぱり。
あの人は超一流の魔法使いであると同時に、為政者であり、多くの民に
幸せへの道を示そうとしている。偉大な人だ。王だ。その存在が嬉しい。
結局、俺はこの世界の始まりから、抜群に凄い人と知り合えていたんだ。
そりゃあ、他の連中は見劣りするよ。自分のために権力を使う連中など。
天才、か。
天才には2種類いるそうだ。先天的か後天的かという分け方だ。
前者は特別な能力を持って生まれ、時にそれは他の常識的能力の欠如も
伴うが、その特技によって他の誰も成し得なかった仕事をしてのける。
後者は平凡に生まれるも、その時代に希求される何かのために、時代の
要請によって非凡な仕事へと人生を投じた人のことだ。偉業を達成する。
ベルマリアは、もしかしたらどちらをも兼ね備えた真の天才なのかも
しれない。日本の知識、三色、赤羽家の嫡子、カリスマ、そして強靭な
精神力。それら全てが相乗効果を発揮して、きっと世界を揺るがせる。
……地上へ降りた後に。
境海の透明度が高いある日に、見上げた先に浮島の影が見えたとして、
そこにベルマリアの活躍する社会があるのだとしたら、素敵なことだ。
頑張ろう。俺は俺に出来ることで、遮二無二頑張ろう。最後まで。
そしていつか、誰かに無要でも拾って貰えたらいいな。あれは残るしね。
朝、起きた。
ベッドは空だった。
すぐ隣に毛布に包まって幸せそうに眠るマウイがいる。
「ご、ごめんなさいぃ……だって、だってぇっ」
ガン無視して朝食を食べに行く。
このタヌキ娘に、今朝はどんな美味い物をお見舞いしてやろうか。