第7話 馬鹿
斡旋所近くの安宿で一泊し、社会科見学3日目の始まりだ。
昨晩はとても有意義な時間を過ごした。ファルコとハイナーは俺を
探険者として鍛えると約束してくれたんだ。自分で言うのも何だが
腕っ節は凄いからね。戦力としても荷物持ちとしても働ける。
まぁ、俺は任務中だし、向こうもしばらくは探険に出る必要がない。
先の話ではある。しかし展望が開けたことが素直に嬉しい。
さて、今日からは外壁の外へ出てみるぞ。
街の暗黒面というか、裏道の奥というか、そっちの見学もするつもり
だったんだが取りやめたんだ。奴隷市場も見るべきだと思ったんだが、
当面は関わらない方が無難だろう。俺の精神衛生上の問題じゃない。
曲者の正体がわかるまでは、そんな場所へ出向くのは鴨ネギだからだ。
昨晩も今朝も周囲に不審な気配は感じられないが、少なくとも1人を
逃がしてるんだ。他に仲間がいるにしろいないにしろ、まだ安全って訳
にはいかないだろう。政治的背景があるなら尚更だ。
危険についてはさして不安はないが、トラブルを助長するのも馬鹿な話。
自分1人で責任が取れないことはやらない。囮作戦とかならやるけども。
そんな連絡も無し、今は社会科見学を続けるよりない。次は外。
土御門領は結構な広さがあって、この都の他にも町や村が幾つも散在し
ている。軍の砦も要所要所にあり、その目的は領内の治安維持と防衛だ。
魔物はいなくとも、盗賊も出れば、他島から侵攻されることもある。
とりあえず都から一番近い町へ向かおうと思う。そこまでは乗合馬車が
出ているからだ。都を徒歩で出ることで目立ちたくない。
乗り場のある門近くは埃っぽく喧騒としていた。どうやら青果類が運ば
れてきてるらしい。荷馬車一杯の野菜はどこぞの村の総出か仲介業者か。
個人が台車や籠で運び込んでもいるようだ。朝市でもあるのかな?
ここかな? 都へ上がるのを上りとして、出て行く下りはガッラガラだ。
屋根もない待合には俺の他に1人しかいない。時間帯のせいかな?
ただ……さ。
その、俺以外の約1名が、何かとんでもない存在感を放っております。
騎士なんだろうね。全体として古ぼけてはいるものの、マントやら甲冑
やらは上物だ。盾も長剣も立派な物だ。うん。いや、そうなんだけどさ。
何でこの人、そんなフル装備でベンチに座ってるの?
だってフルフェイス系の兜もがっちり装備だよ?
髪色どころか性別も年齢もわかんないよ。ガラガラの理由の一端を見た
思いだよ。明らかに格好がおかしい。そういうの戦場で着ればよくね?
せめて馬上で着ててよ。何で平和な馬車の待合でそれだよ。
とりあえず、その人とは違うベンチに座る。重みでベンチ壊れそうだし。
視線もわからないから、居心地が悪いことこの上ない。ぬーんって感じ。
「おはようございます」
とりあえず挨拶して頭だけは下げておいた。はい、無反応でございます。
さっきっから微動だにしない。置物……じゃないよなぁ?
しばらくして2頭引き8人乗りの馬車がやってきた。馬は道産子系の
逞しい奴だ。御者は1人で客席は木製。一応の屋根がある。密閉性は
皆無だから、まぁ、遠距離用じゃないってことだよな。
乗っていいようなので腰を上げ、そして、ふと気付いた。中腰のまま
鎧甲冑を観察し、近づき、そっと耳を澄ましてみた。
「ぐぅー……すぴー……ぐぅー……」
「寝てんのかい!」
「う、うきょっ!?」
しまった、ついついツッコミを入れてしまった。鎧甲冑がガシャンと
音を立ててビクッとした。変な表現だが、そうとしか言いようもない。
「あ、あのー、馬車来ましたけど?」
「お、おお、これはかたじけない。乗るとしよう乗るとしよう」
声もくぐもってて、やっぱり中身が想像つかない。体格も中肉中背だし。
まぁ、いいけど。よくもまぁ、そんな暑苦しい格好でいられるもんだ。
結局、馬車は俺と鎧甲冑とを乗せたきりで出発することとなった。
何と言うか、左右のバランスをとるために俺の座る位置が決まる。
向かい合いだ。そうしないと車輪が軋む気がするんだよ。
「戦士かね?」
「もどきです」
突然に話しかけられた。またぞろ寝てると思ったのだが。出発しても
兜を外さない……というか、もうそういう生き物だと認識しよう。
「武器も鎧もなく、丸腰で、どこへ行こうというのかね」
「特に当てもありません。そちらこそ随分と物々しいですが?」
「常在戦場が信条である。西端砦へ赴任するのだ」
「それはまた……遠いですね」
浮島を巡る攻防は幾つかの種類や段階がある。圧倒的な航空戦力がある
ならば都を急襲して終わりだが、対空設備が充実していたり、制空権を
確保できないとなると、上陸戦になるんだ。砦はそれを防衛する。
西端砦はその名の通り、土御門領の西の端にある砦だ。都からそこまで
行くには、穀倉地帯と森と丘陵とを越えて行く必要がある。辺境だな。
「遠いな。それゆえに防衛の難しい拠点でもある。腕が鳴る思いだ」
「頼もしいですね。頑張ってください」
「ふ……お主は殿のための戦士ではないらしいな」
「……もどき、ですから」
お互い、名乗りもせずに何を話しているのやら。この鎧甲冑、どこかの
家中の者だろうか。それとも貴族の直臣だろうか。西端砦の防衛担当は
どこの豪族だったか……少なくとも赤羽家じゃない。
赤羽家軍。
それは土御門領にとって最大最強の戦力であり、専ら攻撃目的に派遣
される獰猛な軍勢だ。航空戦においても上陸戦においても無類の強さ
を誇る。当主ジルベルトもさることながら、ベルマリアの武威が強烈だ。
防衛に関しては特にこれといった武名のある豪族はない。上陸させずに
空で叩くのが土御門の弓取りだ。それを可能とするのが赤羽家軍の存在。
ちなみに内政に関しては青嶋家が最も強い発言力を持っている。多くの
公共事業を計画・指揮して、領内の生産部門の長といった風だ。だから
か、最大の消費である軍事部門の長たる赤羽家と反目することが多い。
そういや、あの飛行女は緑谷って名乗ってたな。有名どころの豪族か?
緑谷……緑谷……みどりたに? あ、はい、はいはいはいはい!
商人連合だ!
正確には、商人連合を保護してその支持を受ける大豪族だよ、緑谷家!
領内随一の金持ちじゃん! 文化事業のスポンサーもやってる家だ!
はぁ……アレが緑谷の人間か。凄いな。凄い変態だな、おい。
そして俺も大概だ。領内の有力豪族とビシバシ面識ができていく。
軍事の赤羽、内政の青嶋、商業の緑谷。あとは農業か? 何だかなぁ。
「しかし、お主ほどの者が当てもなくとは……勿体無い話よな」
「恐縮です」
筋肉は雄弁であります。押忍。そっちは鎧で見えないけどね。
「仕官するつもりはないのかね?」
「はい、全くもって」
「忠誠を捧げるに足る人物を見出していないのかね?」
「いえ……俺が仕官できる器じゃないからですよ」
主に体質的な意味で。維持費がとってもかかりますよ?
戦力的には闘技場三種で無敗って程度です。でも稀に魔物を食べます。
「そうか。では傭兵かな? その腕っ節なら稼げよう」
「人と戦うのは怖いので、地上で魔物を相手にしようと考えてます」
「はっはは、面白いことを言う男だ。ならば私が怖いとでも?」
「ええ、怖いですね。こうして楽しくお話しできる人と争うことになった
なら……想像するだけで恐怖ですよ」
とと、ちょっと失礼な言い方になっちゃったかな? 鎧甲冑がだんまり
になっちゃったよ。せめて動いてくれ。置物みたいだから。
「……ふむ。お主は馬鹿になれない馬鹿、ということか」
「……すいません、ちょっと言ってる意味がわかんないです」
「物事は何事も分別が大事なのだ。目の前に五目焼き飯があるとして、
闇雲に食べようとするから緑玉豆も口に入れてしまう。あれはマズイ。
より分けて、食べたいように食べれば美味しい食事となるのだ」
ええと……やばい、本当に何言ってるのかわからない。なぜ焼き飯?
「む。さてはお主、豆好きか。何とも物好きなことだ……」
「はぁ……好き嫌いはないですけども」
「ならば迷わずとも良かろうに。もそっと我侭に気ままに食べてみろ。
戦いなど所詮は相手次第だ。そこに如何なる貴賎もあろうはずがない。
こだわるべきは生き様だろう。それは己の心意気で決まるからな」
おい……この……鎧甲冑。
何か今、物凄いことをさらっと言わなかったか? 豆はともかくとして。
戦いは相対的ってことか? それに対して心意気は絶対的ってことか?
つまり……物事を分けて考えろってことなのか?
多くを綯い交ぜにして思い悩むんじゃなく、それはそれ、これはこれと
選り分けて、それぞれに決断を下していけってことなのか?
戦い……俺が戦う理由は明らかじゃないが、躊躇う理由は1つある。
人命を奪いがたいことだ。誰かの命を断つことは簡単にできることじゃ
ない。それが平気でできるなら平成の日本で大学生なんてしてやいない。
誰にだって両親がいる。祖父母がいる。その悲しみを想像してしまう。
あ、そうか……そうだよな。
要は想像力の問題なんだ。生々しい物により躊躇してしまうだけのこと。
作れないものは壊しがたい。命に限った話じゃない。霜柱だってそうさ。
子供の頃は無心に踏みつけたが、高校くらいになると、どうにも躊躇う。
結局、それだけの話なのか。ゴチャゴチャした理由なんて後付けじゃん。
俺なんかが俺のために壊しちゃっていいのかなーって気持ちだ。ははは。
「なまじっか学問などを修めると、人間が怖くなると聞くな。古来、英雄
とは恐れ知らずの蛮勇から生じることが多い。それは真の勇者とは言え
まいが、今も戦士の文盲を尊ぶ地域があると聞くぞ?」
「頭でっかちは、臆病になりますか」
「決断を下しにくくなるのであろう。良いことだと思うが、いざという時
には踏ん切りをつけねばな。そこは馬鹿になって、後でまた悩めばいい」
おい。ちょっと、この、鎧甲冑ってば、おいおい。
何だよ、何でこんなに輝いて見えるんだよ。居眠りで古ぼけなのに。
明らかに左遷っぽいのに。持ち馬もなさそうなのに。眩しいくらいだ。
……って、違う!
本当に眩しいぞ!? うぉい!? 光ってる、目ぇ光ってるって!!
兜の奥からサーチライトみたく目ビーム出てるって!! ひ、人か!?
わ、しかも立ち上がった。こっち近づいて……あ、よろめいた。おい。
でもこっち来た。変なロボットみたい! ガシっと座席掴んだ!
「誰かが……襲われている!」
「え!?」
壁とかない馬車だから、そうか、俺越しに外を見ていたのか。その光る
目は魔法だな。光属性の視覚強化魔法だ。望遠鏡のような効果がある。
「御者よ、止まれい! 我らは降りるぞ!」
「えっ!?」
「治安の乱れを捨て置けようか! 行くぞ! いざ! いざ!」
「え、ええええ!?」
今かよ、今がいざって時なのかよ!? ば、馬鹿になる時なのか!?
早ぇよ、確かに常在戦場だよ! わかったから手離せって、降りるよ!
社会科見学3日目の行程は、早くも予定が崩壊したのだった。