第4話 追跡
「え? それは勿論、血が原料ですよー。他に何があるんですぅ?」
あっけらかんと言ってくれるよ、ペネロペさん。最後にやれやれと
馬鹿にしたように首まで振って。だから筋肉は、とか付け加えて。
俺たちは眠るゾフィーの部屋を後にして、精霊祭殿へ向かっている。
頻繁な睡眠も薬剤の影響だ。魔力の減退スピードが増せば、それだけ
身体が不活性化し、安静状態が望ましくなる。俺もよく知る現象だ。
「じゃあ、もしかして、祭殿で血を集めてたりするんですか?」
「血売りは卑しくも歴史ある仕事ですぅ。祭殿では髪色からお値段を
査定して買い取りをしてますよー? 貴方のは駄目ですねぇ」
「じゃ、じゃあ、ゾフィーちゃんのも買い取ってるんですか?」
「属性調整薬が高価なのでー、そこを割引く形で毎度ありですぅ」
ペネロペさんがわざわざ出向いて作業することからも、あの治療が高度
かつ高価なものであることが知れる。あの宿の最も見晴らしがいい部屋
を長期で賃貸していることも併せて、相当の金額が予想されるぞ。
ゾフィーちゃんの父親とはどんな人なのだろうか。話から察するに、
俺と同じく筋肉を信奉するタフガイっぽいが。会ってみたいもんだ。
「何でついてくるんですぅ? 熊と人とに恋愛は成立しないですー」
「まだ言うか。違いますよ、祭殿に用があるんです」
「私にとって貴方は用無しですぅ」
「だからアンタは関係ないっつってんだろ。あ、案内とかしてくれます?」
「嫌ですー」
「ですよねー」
適当に不毛な会話を投げ捨てつつ、道すがらの景色を観察していく。
表通りに見えるものは多くが健康的で明るい類の生活風景だ。場所に
よって表情の違いはあるが、基本的には欧州旅行で見たものに近い。
ただ……何というか、所々に和風なテイストがあるのが不思議だ。
看板の文字が日本語なのは今更だが、アルファベットが一切見られない
からレタリングがどうしてもアレに似る。大相撲の番付的な肉太文字に。
ひらがなはそうでもないが、漢字はインパクト出すとアレなんだなぁ。
そういや外来語もあまり聞かない。飛行女はハーレムって言ってたが。
屋台の構造も日本で見るあの形に似ているし、酒場の玄関に赤提灯が
飾ってあったのには驚いた。石材や木材に混じって、竹製品も見受け
られたりする。それが何とも奇妙な雰囲気を醸しているんだ。
闘技場でも「ジュード」とかいう言葉が出たしなぁ……言葉以外にも
日本に類似した何かがあるのかもしれない。ベルマリアやその曾祖母
が元日本人だというのと関係があるのかもしれない。
そういや歴史的には転生者が幾人が存在したって言ってたっけ。
全部が日本人だったのかな? いや、一部でも日本人がいたなら、
その人が文化に影響を残したとしてもおかしくはないか。
……とまぁ、人が真面目に社会科見学をしているというのに。
「あれー? 橋渡らないと祭殿に行けませんけど、来ないんですかぁ?」
「はい。ちょっと別の用事思い出しました。行ってください」
「そーなんですか? ではー」
街を巡る用水路には石組の橋が幾つも架かっている。西洋的な橋だね。
その袂で、俺はペネロペさんと別れた。しばらく用水路沿いに歩いて、
適当な所で裏路地に入っていく。うん。やっぱりね。
さっきっから追跡者がいる。気配を殺してても、俺には分かる。
1人ではないようだ。ええと……3人くらいかぁ?
おっと、おあつらえ向きに袋小路だ。これはUターンするしかないな。
うん。だから振り向く。咄嗟に隠れたつもりだろうが、甘い甘過ぎる。
それゴミ箱だし。幾らなんでも姿を隠しきれるはずもなし。
「おい、誰だ。用があるなら聞くぞ」
マントの下でさり気なく重心を整えながら、声をかけた。逃げるならば
追いかけて捕まえてやるぞ。丁度いい。立体的に追いつめてやるぞぉ?
「す、すいません……あの……」
「あら?」
何だよ何だよ、誰かと思えばタヌキ耳娘だよ。あのハーレムパーティの。
どうしたい、そんなに怯えちゃって。また暴力でも振るわれたのか?
出てきた場所が場所ってのもあるが、随分と汚れて見えるが。
「で? どうしたんです? 俺に用ですか?」
「あ、はい。お聞きしたいことがあって、その……」
「だったら普通に声かけたらいいでしょうに。何者かと思いましたよ」
「ご、ごめんなさい! その、お、お邪魔しちゃ悪いかなって」
「違ぇし。あの人相手にそれはねぇし」
何でそうなる。ペネロペさんだぞ? そりゃ見た目は魅力的だけども。
そして察するにまたも命令か。今度はどんな質問を携えてきたのやら。
「あの、あのですね、悪食さんは、赤羽家の家臣なんですよね?」
成程ね。俺という人間の素性を調べてからの再質問なわけね。
「厳密にはどうだか知りませんが、御厄介にはなってます」
「ええと、それで、赤羽家の探険について、その、予定とかを聞けたらと」
「はぁ?」
「あ、あの、赤羽家って探険用の船も持ってて、たくさん探険してるって」
慌てたように言い募る様子に、段々とその意図がわかってきた。
はいはいはい、そういうことね。そりゃ斡旋所じゃ意味なかったろうね。
探険者の話を個別に聞きたいだろうし、俺の素性を知れば喰いつくわな。
ベルマリアだ。
どうやらあの奴隷ハーレム男、ベルマリアの私設探険団に参加する目的
でこの浮島に来たようだ。立身出世の手段としてなのか、それともベル
マリア個人に対する興味関心が動機なのか、定かじゃないが。
そういや、全く探険に出てないんだよな、ベルマリア。この1年間以上。
助けて貰った俺が言うのも何だが、ジンエルンも眉を潜めていた探険癖。
暇さえあればあの航空船で地上へ降りていたそうだが。
周囲は喜んでいたし、俺はそもそも探険に出かけていく姿を見たことが
ないし、とりたてて気にしてもいなかった。けどまぁ、アレか。そこに
チャンスを見出してた探険者もいるってことなのかな。
「俺の知る限りじゃ、探険に行くって話は聞きませんねぇ」
「えと、今後もずっと……ですか?」
「それはわかりませんが、何かそれどころじゃない雰囲気はありますね」
そう、探検がベルマリアの趣味だとしても、今はそれどころじゃない。
どうやら軍事的な動きが近々あるようなんだ。正式な配下でもないし、
そもそも軍属でもない俺なので、詳細を知ることはできないが。
調練がね、とても殺気立ってる。ギアが何段階か違ってきてるんだ。
先日は模造船まで引っ張り出してきてた。怒号も飛ぶわ飛ぶわ。
もしかしなくても、戦争があるんじゃないか?
航空船で軍事行動って、その舞台が地上でなければ天空、もしくは別の
浮島ってことになる。防衛か侵攻か。いずれにせよそれは戦争だろう。
「そうですか……わかりました。その、ありがとうございました」
「いえいえ、ご期待の情報でなくてすいません」
「えっ、そ、そんなことないです、その、えと!」
すっかり落胆した様子に同情を禁じ得ない。また殴られるかもしれない。
あの男にとっては吉報じゃないだろうからな。癇癪起こしてドカンって。
……やっぱり認め難いなぁ、奴隷制ってのは。畜生が。
例えばこれが日本なら、暴力を振るう男と別れられない女なら、俺は
そいつにあまり同情しない。多くの困難はあるものの、勇気をもって
行動することで道が開けるからだ。法が男の暴力を罪とするだろう。
そうしないで苦しむのは弱さだと感じる。乗り越えるべき弱さだと。
なぜなら、生まれつき強い人間なんていないと考えているからだ。
誰だって弱い。強く在ろうとすることで、初めて、強くなるんだ。
弱さに胡坐をかく奴を俺は好きになれない。それは怠惰だと思う。
ましてや、自分は弱いと主張することで保護や配慮を求める奴は嫌いだ。
弱さは免罪符じゃないと思うからだ。もっと頑張ろうよと言いたい。
けど、ここは日本じゃない。身分制と奴隷制とが法的に成立している。
この人があの男に逆らって自らを護ろうとしたなら、罪に問われるのは
むしろこの人なんだ。強く在ろうとすることを社会が邪魔している。
理由は簡単だ。奴隷だから。以上終わり。
いや、この人の場合は獣人だからという理由までついてくるか。
社会が個人の尊厳を否定している。弱いままであることを強要している。
そして誰かが増長するんだ。権力の上に胡坐をかく誰かが。偉そうに。
嫌いだな……本当に嫌いだ。この不快感だけはどうにもならない。
俺の中の譲れない部分を、奴隷という言葉が逆撫でしつづけている。
「……何なら、俺が出向いて答えましょうか?」
「えっ、いえ、そんな、大丈夫です。ごめんなさい。ありがとうでした!」
走り去っていくその姿を、見えなくなるまで見送る。よし、大丈夫か。
減っていない。残る2つの気配は彼女を追っていかなかった。
「ほら、出てこいよ! 出てこないならここで全裸になるぞ!」
冗談半分に言ってやる。答えはないが、ははは、物音が立ったぞ?
出てこい出てこい、何でも相手してやるぞ。俺は今、気が立ってるんだ。
突然、視界が黒く染まった。
いや違う、暗闇の魔法だ! 特定範囲を闇で覆う魔法……ならば!
俺は暗闇自体に噛みついた。ペネロペさんの水を破ったなら、闇でも!
やはりそうだ。あっという間に散り消える闇。戻る視界。そして。
黒衣に黒覆面の……忍者かよ……何者かが俺に迫ってきているのを発見。
手には細身のナイフ。刺突目的だな。しかし目に見えて動揺しているぜ。
闇に乗じて刺そうってんだろうが、残念だったなぁ、おい。
「おらよ!」
ナイフ持つ右手首を左手で掴み、覆面の顔を右手で掴み、大外刈り。
勢いのままに後頭部を石畳に打ちつけてやる。めっちゃ手加減してな。
意識飛ばせたかな? 念のため両膝で身動きを封じつつ、周囲を警戒。
ふーむ……もう1人は逃げ……てないな。そこだ!
ナイフを取り、物陰へ鋭く投擲した。キッカさん仕込みのナイフ投げだ。
石壁に刺さった音がした。あるぇ? 外したか? 逃げ去ったようだ。
ま、いいか。1人捕まえたし。
組み伏せた奴は完全に失神しているようだ。覆面をはぎ取ってみる。
芥子色の髪からして雷属性か。細面の若い男。ふむ。知らない顔だ。
黒ずくめで、気配を殺して追跡……物盗りにしちゃ奇妙な格好だし。
嫌な予感がする。こいつ、隠密とか忍者とか、そういう類じゃね?
そうなるとアレか? 秘密を守るために舌噛んだりする系か?
とりあえず覆面で猿ぐつわしてー。黒衣裂いて手も足も縛ってー。
でもって更にのけぞるように手首と足首をつないでー。目隠しもしてー。
おっと木の棒発見。こりゃいい。電撃とか出されたら痛いしね。
はい、一丁上がり。
木に結わいつけたこいつを肩にかついで歩いたら……どん引きかな?
明らかに獲物だし。獲物の扱いだしコレ。でも理に適ってるし。
そしてもって、コレ、どうしたもんだろう? どこに引き渡そう?
警備兵に手渡すのが筋なんだろうが。俺を俺と知って狙ってきたなら、
キッカさんやベルマリアに引き渡した方がいい気もする。
ふぅむ?
とりあえずナイフも持っていこうと思って見に行くと、そこには。
血痕と黒衣の切れ端。ああ、刺さってはいたのか。貫いたんだな。
血の量的には大した傷でもなさそうだが、いよいよ玄人っぽいぞ?
どうしたもんだかなぁ……全く。
平穏な日が1日としてない社会科見学とか、どういうんだ。もう。