第3話 健康
扉の鍵をしっかりと確認して、と。
新鮮な朝日を窓辺にて浴びる。
穏やかな風にレースのカーテンが音もなくフワリと膨らみ、俺の
頬や腕をくすぐったく撫でていく。空気が甘い。小鳥の囀りを聞く。
満喫しよう。だってここはお高いお部屋。
空飛ぶ美人に追われて駆けた昨日、俺はガックリと疲れ果てた。
心身ともにやられた。奮い立つものをことごとくそぎ落とされた。
公園のベンチに座り込み、時を忘れて池を眺めていたほどだ。
仕切りなおしって訳じゃないが、早寝と早起きを決意した夕暮れ。
とにかく飯を食おうと思って入ったレストランがね、誤算だった。
遅いったらねぇの、料理出てくるのが。
公園に近いそこそこお洒落なお店だったんだけどね、まー遅いのなんの。
下手にお任せコースとかにしちゃったもんだから、軽い軟禁だったよ。
しかも……大して美味くない。
一見したところ皿の無駄遣いという感じだった。丼にしてしまえ。
屋台とかで済ませばよかったんだ。でも、座って茶が飲みたくてさ?
それに、気持ちはもう街から離れてたっていうか、浮島全体を広く見て
回ろうって気になってたから、料理食べ納め的な自棄もあったんだよ。
そんなわけで、食べ終わった頃には寝床探しも困る時間帯。
どうしたもんかと思えば、この店は2階3階が宿になってるという。
うん。罠だよね。いい部屋だけど高いしね。商魂逞しいって素敵。
これも変わらない真実って奴だ。最後に笑うのは商人、ってね。
商売はいつだって国家の枠組みを越えていくんだ。良くも悪くも。
3階からの展望は公園を広く見渡せる。
この朝の風景にすら、飲み物の屋台が出ているのを確認できる。
ペットの毛玉状生物……あれ何て動物だ……の散歩をしている人もいる。
よーし……着るか!
俺は清々しい気持ちでベッドの上の服を、中でも最初にはくべき1枚を
手に取った。パンツだ。うむ……1日で1番勇壮な気分になる瞬間だな。
朝食を食べるべく部屋から出て、いきなり変な再会を果たした。
「わわ、貴方はぁ」
「おお、貴方は……ペネロペさん」
薄藍色の髪をした女性で、精霊祭殿の神官だ。俺に過剰な封魔処置を
してくれた人であり、俺を水の魔法で溺死させようとした人でもある。
他方、ベルマリアの火炎から俺を護った水属性の肉盾でもあるな。
そんな彼女が、階段前のホールで蓋つきのお盆を持って立っていた。
神官服ではあるけれど……白黒の服だし、何ともメイドっぽい佇まい。
ここの朝食って部屋食じゃないよな? 何やってんだろう?
「テッポーさんでしたっけー? 赤羽家から追放されたんですかぁ?」
「テッペイですし任務中です。そっちこそ何やってんです?」
悪意があったら挑発的発言だと思うが、この人のはいわゆる天然だ。
更には自然体で俺を生死の境へ押しやるんだから、始末に終えない。
「私も仕事中ですー。朝食持ってきたら、患者さんまだ寝ててー」
「患者さん? 神官ってやっぱり回復魔法が使えるんですか!?」
「カイフク魔法ぉ? 何ですかそれー??」
違うかぁ……違うのかー!
魔法全般を座学で教わる中、いわゆるHP回復系の魔法がないことには
随分とガッカリしたんだ。だって物凄く便利じゃん。怪我や病気がすぐ
治るなんて素敵すぎる。果ては蘇生なんてできたら、そりゃもう奇跡。
医療技術という意味では、この世界のレベルは日本の戦国時代程度じゃ
なかろうか。解体新書以前というか、腹開いて手術なんて全く無い。
消毒液や包帯の類はあるが、体内については服薬メインだ。
それは人間が常に発魔していることと深い関係にある。
俺が知る常識に比べ、ここの人間は免疫力や回復力がとても強いんだ。
魔力にはそれ自体に生命活性化の力がある上、精霊と契約することで
その加護として健康状態が向上するのだそうだ。伝聞。羨ましいですね。
要はアレだ。精霊も魔力を献上してくる者に死なれちゃ困るんだろう。
だから内科的な異常には発魔を調整する形で対処するんだ。一時的でも
発魔量を底上げして、体内を活性化しつつ加護を強めるとか。
……俗っぽい話ではあるが、魔力の献上量と加護の強さは比例関係だ。
日々の献上量が加護の強度を、累積した献上量が加護の段階を決める。
例えば火属性の2人がいるとして、火炎の攻撃魔法を使うとする。
強度が強ければ火力が増す。同じ魔法を使っても威力が違うのだ。
段階が高ければ使える魔法が高度になる。低い方が火球を投げつける
一方で、高い方は炎の津波や竜巻を発生させたりするわけだ。
だから、発魔量が高い人間の優位性は絶対的なんだ。
嫌な言い方になるが、ベルマリアとジンエルンの差は日々絶望的に開く。
片や火霊に上限MAXを、雷霊と氷霊にも莫大な魔力を献上する毎日。
片や風霊にごく少量の魔力を献上するだけ。健康も維持できない毎日。
先天的な才能が待ったなしに格差を広げる世界だ。色で視認させつつ。
社会が身分制であることと無関係じゃないよな……この仕組みは。
ま、何にせよ、俺はそれでいったら最下層の最底辺になるわけだ。
だって精霊に相手にされなかったしー? 封魔したら白髪だしー?
服薬してるのは、発魔補強どころか魔力補充の霊薬なんだから。
……考えてみりゃ、霊薬ってどうやって製造してるんだろ。
ペネロペさんは水属性だし、そういった魔法が使えるんだろうか。
「さっきから私のこと見つめてますけどー」
おっとと、またやってしまった。これ悪い癖だよな。
考え事が連鎖してくと目の前のことが見えなくなる。
「私、貴方は好みじゃないですぅ」
「はぁ!?」
「中性的な美少年が好きなのでー、その体格はちょっと気持ち悪いですぅ」
「ざけんな。筋肉舐めんな。ってか、アンタの好みとかどうでもよすぎる」
「力ずくで口説いても気持ち悪いだけですぅ」
「勘違いすんな。っつーか人の筋肉をツンツンしてバッチィ的顔すんな」
マイ・マッスルを馬鹿にされたので、ちょっと荒らぶってしまった。
それでも「気持ち悪い」を連呼しやがる。引けねぇ。譲れない戦いだ。
「女の子みたいな男の子がいいんですぅ。宝石細工の芸術なんですぅ」
「だったら女でいいじゃん。男は男ならではの魅力、例えば筋肉とか……」
「私、女の子でもベルマリア様ならいいですぅ」
「マジか!! っていうか俺の筋肉論全然聞いてねぇ!?」
とまぁギャアギャアと騒いでしまったので、全然気付いてなかった。
さっきから俺たちを観察している子がいたんだよ。扉を少し開けて。
撫子色の瞳が澄明な美しさでキラキラ光ってる。クスクスと笑い声。
「あ、ゾフィーさん、起きたんですかー」
「はい、楽しく見てました!」
ぴょこっと出てきたのは随分と小さい女の子だ。10歳くらいか。
瞳と同じで嘘みたいに綺麗な髪色だ。フリルの服もあってフランス人形
のようだが……服色が黒ってのが妙に迫力がある。白ならいいのに。
っていうか、おい……何だあれ?
その子の後ろにうかがい見れるその部屋は、真っ暗だ。完全な闇だよ。
朝だぞ? しかも晴天だ。窓が無いのか、何かで光を遮断しているのか。
そもそもどうやって、その中で物を見る? 生活できる?
「ほらほら、駄目ですよー。部屋に戻らないとぉ」
「わかってます。けど、1つハッキリとさせておきます!」
ゾフィーと呼ばれたその子。仁王立ちでズバッとペネロペさんを指差す。
ちっちゃい手だなぁ、おい。しかし口から発せられたのは真理の言霊。
「筋肉は……正義です!!」
「だよねっ!!」
「えっ、ええぇぇええ!?」
「でね、アタシは思ったの。筋肉の逞しさは心の逞しさだって」
「わかる、わかるよ、ゾフィーちゃん。筋力は精神力だよね!」
「うんうん、流石はお兄ちゃん。素敵な筋肉してるもん!」
ゾフィーちゃんの部屋で朝食を一緒しております。下から持参しました。
朝っぱらから真っ暗な部屋で、小さな灯りを囲んで……怪談みたいだが。
ペネロペ? ああ、あの敗北者なら隅で医療器具の調整をやってるよ。
チラチラと恨みがましい涙目が俺に向けられるが、知ったことじゃない。
ゾフィーちゃんとの楽しい時間は、今朝、俺の物となったのだ。
「お兄ちゃんはいつ筋肉の素晴らしさに気付いたの?」
「んー、軍事調練に参加して3ヶ月目くらいかなぁ。たまたま肌着だけで
鏡を覗いたら、そこに頼り甲斐のある男がいたんだよね。ま、俺だけど」
「わー! 見たい! 見せて見せて!」
「んー、しょうがないなあ」
上半身裸になって、グイグイとポージングしてあげる俺。いいお兄さん。
正面から胸を張って両腕力こぶ! 斜めに構えて腕は腹、胸筋強調!!
ちなみに頭には手ぬぐい巻いてます。目立つと飛行女来るかもだし。
「あ、あのー……薬剤の調整、終わったんですけどぉ」
「ありがとう、お姉ちゃん! じゃあ、もう1回聞くけど……筋肉は?」
「え、えとっ、そのっ」
「「正義!!」」
声を揃えて断言する俺とゾフィーちゃん。
俺はポージングで。ゾフィーちゃんは左手を腰、右手で彼方を指差して。
ペネロペさん涙目。うぷぷ。効いてる効いてる。この技5回目だしね。
それでも寄ってきて体育座りする辺り、なかなかに根性のある人だ。
どうしてもゾフィーちゃんと会話したいらしい。しょうがないなぁ。
「いいですかー、ゾフィーさん。やたら裸になる男はぁ、変態なのです」
「そんなことないよ? お父さんもよく裸になるし」
「えっ、あ、それは……お父さんならいいのです。この男は駄目ですぅ」
「そんなことないよ? お兄ちゃんも素敵な裸だし」
「え、ええー……」
お茶をすすりつつ、楽しそうに離すゾフィーちゃんを眺める。
必死に俺を貶めようとするペネロペさんも、それはそれで楽しそうだ。
やはり彼女も、この子が元気であることが嬉しいのだろう。
小さなゾフィーは、大変な病気を患っている。
他に類を見ない奇病だ。初めて聞いた症状。暗闇の中にいる理由。
彼女は優れた才能を持って産まれた子だ。3歳の時にそれが分かって、
5歳時と7歳時に契約をすると決まったそうだ。つまりは二色の才だ。
ところが今、彼女は髪と目の色を同じくして生きている。
どうやら、光の精霊に愛され過ぎたらしい。
5歳時に光の精霊と契約したまではよかった。だが、7歳時にもう1つ
契約を重ねようとしたところ、できない。他の精霊が来るべきところを
またも光の精霊がやってくる。独占されてしまった形だ。
これは問題だ。何故なら1種の精霊へ献上できる魔力量には上限がある。
そしてその上限は彼女の発魔量を下回っている。過充魔してしまうのだ。
しかも、だ。体内の光の属性力が強過ぎて、通常の獣化すら見込めない。
光だ。光そのものに成ってしまうのだ。それは精霊獣をも超えた大変化。
彼女の肉体は髪の毛の1本に至るまでが光に変化して消えてしまうのだ。
根本的な解決方法は1つしかない。封魔だ。発魔を阻害するしかない。
だが、未成年者への封魔は内臓の未発達など多くの弊害を生むらしい。
ならば……成長するまで、何とか変化を食い止めるしかない。
それが、今行われている治療だそうだ。
部屋の隅に設置されている怪しげな装置。これはある種の人工透析器。
ゾフィーちゃんの血液から魔力を漉し取ると同時に、その光の属性力を
減退すべく闇の属性力を流し込んでいる。幼い身体に負荷をかけつつ。
ゾフィーちゃんの細く小さな腕には、今も針が刺さっていて、管が伸び
ている。彼女と装置とをつないでいる。それは生命線そのものなんだ。
暗闇で過ごすのも、服が黒いのも、全てが光の属性力への対抗処置。
俺は笑顔で話し、ペネロペさんをおちょくりながら、慄いていた。
気付いてしまったんだ。わかってしまったんだ。1つの疑問の答えが。
俺が飲む霊薬の正体は……原材料は……きっとコレなんだ、と。
彼女のものを含む、多くの血液から生成されるものなんだ、と。
確証はなかった。
けれど……それは間違いなく、真実という的を射抜いていたんだ。