第2話 散歩
えーと……ええーっとぉ?
一悶着も終わり、喧騒がうねるような噴水広場の風景の中で。
随分と美人でカッコいいレギーナとやらが、じいっと俺を見ている。
届けられたグラスにも果物にも目もくれず、じいっと俺を見ている。
この人、今、何て言った? 聞き間違いだよな? 流石にな?
「すいません、よく聞こえませんでした。もう一回言って貰えますか?」
「そうか? ならば敢えて、もう一歩踏み込んで言おう!」
すっと立ち上がり、左手を腰に、右手の平を俺に向けて。
「私のハーレムに来てくれ、悪食!!」
えーと……ハーレムって、あのハーレム? この場合だと逆ハーレム?
いや、いやいやいや、それはないだろう。ないない。わるわけがない。
きっとアレだ、違うハーレムだ。もっと語源的というか、違う意味だよ。
「あの……どういう意味です?」
「私の性奴隷になってほしいという意味だ!」
「正式な奴隷、という意味における……?」
「これ以上を白昼で言わせるとは、流石に悪食、期待通りだ。敢えて先を
言おうじゃないか。私の性的な遊戯の相手になって欲しいのだよ!」
無言で席を立ち、恐怖の目を隠しつつ、通りの方へと歩いていく。
やばい。この人やばい。だいぶ俺の理解を超えてる。無理。怖い。
「悪食が奴隷でないことは承知している。難しい頼みであることも!」
ついてくる。この人ついてくるよ。何だこれ。何なんだこれ。
「だが、勘違いしないでほしい。私は奴隷に愛をもって接しているぞ?
さっきの男性と一緒にしないでほしい。あれは奴隷相手でなければ
まともに女性とも話せない類。私相手には声も出せていなかった!」
いや、それはアンタが魔法で遮ってたからだろ。
……とツッコミたいが、それ以上に相手にしたくない。怖い。
っていうかもう走ってしまおうか。速足では速度が足りない。
「全てを用意してみせよう! 何でも希望の通りに叶えてみせよう!
だから悪食よ、君のその逞しい肉体を私の所有とさせてくれ!」
「お、お断りだ、馬鹿野郎!」
走る! もう駄目だ、怖い怖すぎる。理屈じゃない。本能が告げている。
このレギーナとかいう女は危険だ! ど……童貞の敵う相手じゃない!
自慢じゃないが、俺は走るのが速い。物凄く速くなったんだ。
キッカさんの訓練の賜物だな。瞬発力と持久力のバランスに優れた
筋肉を作ってくれた。これぞ戦闘のための筋肉。握力だけじゃない。
そして戦闘訓練で磨き上げたこの体術と動体視力。
通行人を避けて走るなんてお茶の子さいさいってもんだぜ。
「君は赤羽ベルマリアの所有物ではないのだろう?」
「ぎゃあああああ!?」
速ぇえええ!! この女、足速ぇえええ!! っていうかその走り方!
上半身全然ぶれない! 足だけ超速く動いてる! 怖い超怖いヤバい!
あ、髪の毛とか全く動いてない。そうか、魔法か!
風の抵抗もなけりゃ、風が後押しもするわ、そら速いわっ!!
「それに、私は彼女と仲良しだからね。気兼ねはいらないだろう?」
「お、俺の意志だぃ! 俺が嫌だから嫌なんだっ!」
「なんと! それは私だから嫌なのか? ならば自己紹介の時間と機会を
設けようではないか! それが公平というものだろう? そうしよう!」
「ふざけんな!」
「真面目だとも。いっそ試しに一夜を共にするのもいいな!」
「えっ!? そ、それは…………ぷっ、ぷじゃけるなぁっ!!」
おりゃあっ! 力任せに地を蹴り、壁で弾みをつけて、屋根まで跳ぶ!
駄目だ、やっぱり無理だ、この女には勝てる気がしない……ひぃっ!?
余裕で追ってきやがった! やれやれみたいな顔して……飛行してる!
「ずるいぞ! 飛ぶとかずるいぞ!」
「ふふふ……いい女とはずるいものさ。そして幸福のために飛ぶ!」
「意味わかんねぇし!!」
屋根から屋根へ、煙突へ、壁へと立体的に高速機動して逃れるけども。
そら飛ぶ方が速いよね! 普通に速いよね! しかもそれだけでなく!
絶えず耳元に言葉が届くんですけど! ハーレムの良さとか色々と!
商業区画を眼下にして、小売りの店や客足を視界に流しつつ。
「私のハーレムは庭園を含む1つの家屋敷で成っていて、とても雅だ!」
という情報を聞く。布、薬、武器、雑貨……色々な店が見られる。
工業区画を眼下にして、鍛冶や木工の作業を視界に流しつつ。
「専用の楽団もいるし、食事も一級品だ。個室も勿論用意しよう!」
という情報を聞く。魔法があるからか設備は小規模で済むようだ。
全体として、通りに面した辺りは明るく活気がある。細い路地の奥は
相対的に静かで、ガーデニングに溢れた場所もあれば、雑然としていて
物騒な雰囲気の場所もある。どこも変わらぬ人の街の形だ。
「外出については立場上、多少の制限がつくが……退屈はさせないとも!
先任奴隷として天使の如き愛らしさの幼き姉弟もいる。どちらも達者な
芸を幾つももっているし、私の不在時には好きに遊んでくれていい!」
何という社会科見学。思わず眦に涙が浮かんだのは仕方ないと思う。
どうして俺は、こんな位置から、こんなふざけた副音声付きで……!
しかも初日だぞ!? まだ1日目だってのに、何でこんなことに……。
「これほどに躍動的な肉体が他にあろうか……やはり君に決めた!」
「くそっ、しつこいっ、しつこいっ」
「心が躍るよ! 悪食! 君こそが私の破瓜の相手にふさわしい!」
「はあっ!?」
思わず足を踏み外した。何つったこの女。ここまで破廉恥な攻めをして
おきながら破瓜とか言わなかったか? 処女かよ! 処女でこれかよ!
っつか、どーゆーハーレムだよ! 何やってるハーレムなんだよ!!
「君は何か誤解しているようだが、何も入れたり出したりするばかりが
性の遊戯ではないのだよ? まぁ、君にはそれを担当してもらうが」
「か、勝手に決めんなっ!」
空中で体をひねって着地する。ここは街を囲う外壁に近い公園だ。
大きな池もある。水は随分と綺麗で、表闘技の疑問の答えを見た思いだ。
浮島だから降雨量も地下水も当てにならないはずだが……魔法だろうか。
周囲で憩っていた人たちがビックリしている。悪いことをしてしまった。
いっそのこと外壁の外まで移動してしまえばよかった。それも任務。
浮島は何も街や城だけが浮いているわけじゃない。
森林や丘陵を含む広大な領土そのものが浮いているんだ。
社会科見学としては、そういった場所を散策してくることも含まれる。
「素晴らしい散歩だった! さぁ、次は私の屋敷へ参ろうではないか!」
「飛んでたろ! そして屋敷にも行かないから!」
「何故だ? 断るにしてもまずは見て、聞いて、考えるのが筋だろう?」
「どこの世界に、奴隷に誘われて頷く馬鹿がいるってんだ!」
叩きつけた言葉に、レギーナは不思議そうに首を傾げた。
「困窮した者に身売りを打診するのは、至極普通の事だと思うが?」
そうだ……そういう所じゃないか、ここは。
生活保護がない社会だし、過充魔の危険がつきまとう世界だ。
富貴へ奴隷として買われることは……生活保障の意味合いもあるのか。
「まぁ、君は困窮していないからね。そこが私にはむしろ悩ましい所だ。
いっそ困窮していたり、誰かの奴隷であったりしていてくれたなら、
話が早くて助かるのだが。しかし情熱をもって乗り越えてみせるさ!」
……いや、しかしどこまでいっても、奴隷は奴隷だ。
裏闘技を思い出せばいい。あそこでは命など何の価値も持たなかった。
花火のように、一瞬の興を満たすためだけに消費されていく命だった。
命って……何なんだ?
それが尊いものであると信じることは、間違っているのか?
人命の中の序列を嫌う俺は、広い意味では、生命の中で人命を頂点だと
決定してもいる。これはどうなんだ? これも人間のさもしさなのか?
そもそも生と死とは「素晴らしい。実に素敵な尻だ!」ぎゃあああ!!
「アンタ何してんだっ!!」
「何やら遠くを見つめて固まったのでな。少々尻を撫でていた!」
「満足げに言うんじゃねええぇええ!!」
駄目だ、本当に駄目だ、こいつは俺の勝てる相手じゃない!
さりとてベルマリアに泣きつくのもどうなんだ……馬鹿過ぎる……!
こうなったら、もう、アレをやるしかないか……不本意だが。
俺は全身の力を抜き、ため息などついて、静かに頭を下げた。
「け、検討してみますので、考えるための時間を下さい」
「おお?」
「現在遂行中の任務もありますので、お宅への訪問についても、準備が
整いません。熱意は大変ありがたく頂戴いたしましたので、一先ずは
ここまでにして頂き、しかるべき日に改めてお話しする機会を設けて」
詭弁だ。
誤魔化しだ。高度に政治的手法だ。前向きに、とは絶対に言わないが!
バイトでクレーム対応した時ののらりくらりペコペコを思い出すんだ!
若干の譲歩を含む小さな着地点を示して、ひたすらに言葉を重ねていく。
言質を取られないよう注意しつつ、ふわふわと、饒舌に不誠実に……!
「ふむ」
腕を組み、それから顎に指を当てたりするレギーナ。怖い女。
初めはキョトンとしていたが、その内に微笑を浮かべ、頷いた。
通じたか? ちゃ、着地してくれるか? 次に何言うか予想できねぇ!
「大体わかった。君はやはり興味深いことこの上ない男だな、悪食」
「きょ、恐縮です」
「では1週間後に屋敷へ訪ねて来たまえ! 赤羽へも話は通しておく」
「えっ!?」
「ふっふっふ、大丈夫。茶会ということにしておくよ。とりあえずね!」
「お……お心遣い、感謝します」
ど、どうして任務が1週間だと知っていやがる……言質取られちまった。
想定よりも譲歩の度合いが大きいぞ、まずい、お宅訪問確定じゃんかよ。
しかも話を通すて。赤羽家だぞ? 気軽に通らないだろうに、何者だよ。
「2つほど忠告しよう! 私のハーレム候補生たる君にね」
「……」
機嫌良さそうだな、おい。ノリノリだよ。こっちはゲンナリだよ。
得意げに人差し指なんて立てちゃって、何を言い出すやら。
「1つ、酒の勢いでつまらない喧嘩はしないこと」
「え!?」
「戦士の価値は敵が決める。下らない敵をいちいち相手にしていると、
君の戦士としての風格が損なわれる。気をつけることだね!」
これは……何と……何という正論。空を飛びハーレムを誘うその口で。
確かにあの時、俺は酒のせいかひどく好戦的な気分になっていた。
あのまま喧嘩になったなら……きちんと手加減ができただろうか?
この女は、レギーナは、それを察して止めてくれたのか?
わざわざ名乗って、その場の責任を被ってくれたのか?
「1つ、早く理由を見つけること。戦うための理由をね」
「……は?」
「強さを追求する武人ならいざ知らず、戦士は己の為には戦わないものだ。
命を賭けて命を奪う理由。迷う自分を決断させる理由。必要になるよ?」
思いもかけないその言葉。
理由……戦う理由だって? 俺が? 戦士たる俺が戦う理由?
「万の言葉を一撃で滅してしまうのが戦いだ。失われる多くを思い患って
いたなら戦えない。割り切らなくてはならない。君は……童貞だね?」
誰をも一瞬で魅了するようなウインクをして、レギーナは踵を返した。
そのままスタスタと歩き去っていく姿はスタイリッシュで美しい。
俺は、見ていた。
呆けたように、それを見ていた。
……最後の関係なくね!? どういう流れ!?




