第9話 戦士
「どうやら、君には魔法が効きにくいらしい」
距離をおいて仁王立ちのまま、アントニオさんが話している。
身にまとう気配がさっきまでの闘士とまるで違う。修羅の佇まいだ。
蔑ろにされた命のぶつかるあの場所で……鍛造され、研磨された命。
「その上、物理的に極めて強固だ。非常識な戦士と言っていいだろう」
話しながら、次第に戦意を高めているようだ。かかる圧で察知できる。
身体中に力を張り巡らせている。弓矢を引き絞っているかのようだ。
「魔法の素質が戦士の格を決める人間社会の中で……異質な存在だ。
それは定石が通じないという点で極めて有利だ。強い。それだけで」
重心を落としたな。両の拳を握りしめ、腰に溜める姿勢をとった。
来るつもりか。空気が張り詰めていくのがわかる。この人は強い。
「そしてそれは、私も同じこと。行くぞ!」
巨体が一瞬で肉迫した。凄まじい突進力。豪拳が繰り出され……止まる。
俺の目の前に大きな光る拳が静止している。風圧が髪をそよがせた。
「戦意無くして、何故、ここに居る。高橋テッペイよ」
「……」
「君は戦士だ。戦わねばならん。戦って、戦って、戦い果てねばならん」
「……」
「それをせぬのは、君が臆病だからだ。怠惰だからだ。無気力だからだ。
傷つくことを誰かのせいにして、楽しいか?」
拳が開いて顔をつかんだ。ギリギリと握力で頭蓋をきしませる。
足が地を離れた。しかし宙吊りとまではいかない。俺は無要を離さない。
「全部が全部……クリスが悪いという態度だ」
「!?」
力任せに投げ飛ばされた。相変わらず凄いパワーだ。無要ごとだぞ。
そして……聞き捨てならないことを言いやがった。もう1回言ってみろ。
誰が……この俺が……クリスをどうしたって?
「鋭い眼光だ。腑抜けても思い当たる節はあるようだな」
「何の……ことだ」
「クリスの死は自分の責任。だから自分は死ぬべきである……その考えは、
自分が死ぬのはクリスが死んでしまったせいだ、という意味に等しい」
「違う!!」
「違わん。戦士がその命の責任を放棄するなど……ましてや誰かのせいに
して投げ出すなど……恥を知れ。死者を辱めるな」
何かを叫びながら、俺はこのうるさい大男へ襲い掛かった。殴りつける。
腕でガードされたが、それごと振り切る……いない。いなされたのか。
腹部に激しい衝撃。光る拳が腹にめり込んでいる。身体の芯に響く。
次いで後頭部を叩き落とされたようだ。思わず地に手をついたところへ、
光るサッカーボールキックが迫る。俺は吹き飛び、地を転がった。
視界には黒い鉄塊。無要。
こいつを置き去りに襲い掛かって、元の位置へ戻されたのか。
「クリスは小さな戦士だった」
くそ、まだ何かしゃべる気か、この野郎。無要に手をかけて……やめる。
駄目だ、このハゲは拳で痛い目に合わせてやる。爆発させちゃ意味ない。
「とある商家の生まれでな。赤羽家に出入りしていたが、それを笠にきて
下民相手に阿漕な商売をしていたそうだ。嫡子による家中改革によって
両親は罪人となり、資産も没収されたが……兄と幼い妹がいてな」
クリス……のことか。その生い立ちか。何故、今、そんなことを。
「あとはよくある話だ。たつきの道が成り立たず、借金に塗れた3人は、
身売りをするまでに追い込まれた。クリスが自ら身を売ったそうだ。
女の方が高く売れる上、幼い妹を養育するには兄の方が適していると」
あの医務室でのクリスを思い出した。泣きながら言い募っていたクリス。
大事なもののために、形振り構わずに、死ぬまで働くと言っていた。
それが……兄と幼い妹の生活が……お前の大事なものだったのか?
それを護ることがお前の戦いだったのか? 奴隷としての日々が。
そんなお前を……俺は……。
「本当の強さとは、魔力や筋力で測るものではない。心だ。精神だ。
逆境に挫けず、苦境に諦めず、悲境に屈せず、地を踏み立ち歩む姿。
それは正に魂の在り様だ。クリスは戦士だった。私は尊敬している」
俺は……ほんの軽い気持ちで……奴隷を1人解放して欲しいと望んだ。
クリスが奴隷であることに驚き、それが不幸だと哀れみ、ついでにと
口にしたんだ。本当に軽い思いつきで。クリスの気も知らないで。
鬼と戦う羽目になって、それがクリスよりも不幸で哀れだと思って、
だから先にこっちに望みを使おうと思い直した。簡単に。自分勝手に。
俺は……本当に……何て馬鹿だったんだろう。
一緒じゃないか。
俺の物の見方は、判断の仕方は……仮面たちのそれとどう違う!
比べようもない命を、その取捨選択を、勝手気ままにくり返して。
話すでも寄りそうでもなく、権力の行使を前提にして、納得して。
その癖、失敗したら被害者面で不貞腐れているのか、俺は!!
「君は戦士だ。高橋テッペイ。君は戦士でなければならん」
「……俺は」
「戦士だ。私がそれを知る。クリスもまた君を戦士と認めていた。ゆえに
君は戦士なのだ、高橋テッペイ。戦士は戦わねばならん。立つのだ」
立ち上がった。青い青い空の下で、アントニオさんが巨人のように居る。
自分の体重と身長を思う。地を踏みしめる。対抗しなければならない。
拳を握れ。重心を軸足の親指の付け根にかけろ。顎引け、口引き締めて。
背筋を伸ばせ。下半身は砦の如く。上半身は柔らかに、しなやかにして。
走る。そして激突。
全力で体術と格闘術とを発揮するが、どれも及ばない。強い。この人は。
純粋な腕力ではどうやら俺の方が上回っているようだが、魔法がある。
光る拳、光る脚、そして光る体表。この光の正体がわかってきた。
バリヤーだ、これは。
拳や脚にあってはそれを鋼鉄の強度に変貌させる。武器としての光。
体表。俺の攻撃が当たるその時に、その部位が光るのだが、それは鎧。
命中箇所を即座に部分的に強化している。防御の光。やはり鋼鉄の強度。
そして、速い。体重移動が迅速で無駄がないんだ。洗練の極みだ。
体術だけをみたらキッカさんすら超えている。魔法の力なしにこの速度。
「おらぁっ!」「ぬぅん!」
拳と拳がぶつかり合う。押し負けるのは俺だ。その意味するところは。
体重の差と、それを活かすパンチの仕方だ。何という技術だ。これは。
当たる瞬間、アントニオさんの拳は静止しているんだ。
それが返って、全体重を拳に乗せることになっているのか。
打ち抜こうと放った俺の拳が、阻まれる。阻まれれば体重差が物を言う。
強い。本当に強い。
貰う打撃の1つ1つは今むしろ心地よく、負ける気はまるでしない。
だが、勝てる気もしない。このまま永遠に決着が着かない気がする。
楽しいじゃないか。清々しいじゃないか。何だこの気持ちは。
俺は今、確かに生きている。自分の足で立ち、自分の拳で戦っている。
技と技のぶつかり合いが、駆け引きの夢中が、どこまでも気持ちいい。
互いに骨を砕く拳骨を応酬しているというのに、何かが潔い。
俺は……生きてる。まだ生きてるんだ。
全身の躍動がそれを感じさせてやまない。
生きているなら、俺は、戦わなくちゃいけない。
俺は俺のことを屑だと思っているが、この人が、クリスが戦士だと言う。
クリスに至っては、どういう訳か、俺をカッコいいと言った。覚えてる。
あの時も泣いていた。クリス。お前の目には俺はどう映っていたんだ?
……その命の最後の視界に、クリスの終わりに、俺は居た。そこに居た。
ならば……俺はクリスにとってのカッコいい戦士でいなくちゃならない。
これは責任だ。もう俺への評価を変えられないクリス。ならば義務だ。
俺は戦士だ。
今、俺はそれを自覚したぞ。
戦わなくちゃいけない。俺はここで戦うんだ。もう日本なんて知るか!
「そこまで!!」
響き渡る声。打ち鳴らされる鐘と太鼓。
俺の拳をアントニオさんが受け流そうとした形で、戦いは停止された。
お互いに滝のような汗だ。高揚か打撲か、全身が赤みを帯びている。
随分と荒い息遣いだな、アントニオさん。俺は平気だ。若さかな?
「規定の時間を越えたゆえ、引き分けとする。両者とも見事であった!」
この声はオクタヴィアか。仮面なしの姿。ここでも仕切ってるのか。
アントニオさんが傅いたので、それを真似る。行儀なんて簡単なことだ。
何某かの口上を聞き流しながら、自分の足を見る。白砂利を踏む足を。
影なんてあやふやな物じゃない。俺と地とを結んでいるのはこの足だ。
全身の筋肉を活性化させ続けている熱量、これも自前だ。俺なんだ。
ここで、生きていくんだ。
そんな当たり前の事を、今、しっかりと思う。
クリス、名も知らぬ奴隷の子、そして……鬼。
俺は馬鹿なりに戦士としてこの世界を生きていくと決めた。覚悟した。
責めるも呪うも全て自由さ。俺は忘れないけれど、先へは行くから。
戦い続けることを3人に誓うよ。
ごめん……そして……ありがとう。絶対に忘れないよ……。
「何とも波乱万丈な話だな、おい。俺の予想を遥かに超えてるぞ」
「あ、ははは……」
ベルマリアの呆れ顔にも笑うしかない。誰が予想できるんだ、あれを。
夢にも思わなかったアレやコレ。生と死の舞踏。暗きと明るき。
ここは赤羽屋敷の2階休憩室。初めて入ったが……素敵な部屋だなぁ。
調度品のいちいちが清楚で、窓から風が気持ちよく通り抜けていく。
正面には赤羽の敷地を見渡せる。左手はあの大きなテラスに繋がる。
視界の全てが綺麗なもので満ちている。
その最たるものはベルマリアだ。改めてその美しさに感じ入る。凄い。
中身がおっさんなのに、それがどうでもいいくらいに、見惚れてしまう。
今回のことでその理由もわかった。見た目だけじゃなかったんだ。
ベルマリアの生き方が、その魂の在り様が、堪らなく美しいんだ。
彼女は何ら逃げていない。誇り高く、雄々しく、凛として、生きている。
日本のことを誰とも共有できなくたって、己の信じるところのものを、
その出自の責務を全うしつつ推進しているんだ。大きい人なんだ。
アルメルさんやキッカさん、他にもたくさんの人が彼女に惹かれている。
わかるよ。この人は多くの戦士を率いて未踏の地を進む王だ。王の器だ。
そんな彼女に多くの恩義を受けた俺は、一体、何が出来るだろうか?
「な、何だよ。何でそんなにじっと見るんだ……?」
「綺麗ですね、先輩って」
「なっ!?」
ガチャンと音を立ててティーカップが落ちる……のを受け止める。熱っ。
急に立とうとするから、茶卓に膝をぶつけるんだよ。全くもう。
ベルマリアは時々こういう抜けたところがある。急に叫んだりするし。
「す、すまん……しかし素早かったな、今のは」
「戦士として覚醒しました。スキルアップです」
「はは、言うじゃないか。考えてみりゃ、三冠王だしなぁ」
「へ?」
「そうだろ? 闘技場の表、裏、上と3種とも制覇して来たんだから」
「……上は引き分けでしたよ」
「負けてなきゃ、それは勝ちと一緒なんだよ。大体においてはな」
ニヤリと笑う。男臭いその笑い方は、出会った頃も今も、魅力的だ。
俺をつま先から頭までしげしげと観察して、笑みを深めた。
「頼もしくなったもんだ」
「だといいのですが」
俺はちゃんと笑みを返せたろうか。
ベルマリアの瞳の金色が、髪の赤色が、俺に連想させるものがある。
強くなりたい。
強くなりたい。
多くの思いを呼吸しながら、俺はそう願い、そう望んでいた。