第1話 死闘
空が綺麗だなぁ。
人生ってのは何がどう転ぶが皆目見当がつかない。
気付けば蜂に運ばれてたり、見惚れた美姫の中身が昭和男だったり。
白髪になったり、毎日死にかけたり、細マッチョに肉体改造されたり。
何もかもが俺のちっぽけな想像力を超えていく。
いつだって呆然とするよりなくて、ただただ、上を見る。
この1年間、見上げる空だけは、どこまでも青く広くありつづけた。
……何やってんだろう、俺。
直径30メートルくらいの、円形の舞台。周囲は水堀になってる。
そこそこ深いらしい。ここ重要。そこそこ深いんだ、その水堀は。
目の前には何かつるっぱげの横綱みたいな人がいます。超笑顔で。
「いやぁ、君、優勝おめでとう! 見事な勝利ではないか!」
「はぁ……どうも」
肉々しい手で握手され、もう片方の手でパンパンと肩を叩かれた。
ウワーッと歓声が上がったようだ。かなり笑い混じりだけども。
ここは土御門領唯一の闘技場だ。
キッカさんの指示を受け、俺はここへやってきた。無論、戦うためだ。
闘技場というと剣闘奴隷によるデス・オア・ダイの残酷物語を想像して
たんだが、領内治世は文治のお国柄、そんな血生臭い所ではなかった。
だって、俺が参加したのって、魔法どころか武器も禁止だもの。
何ていうのかな……おらが村の大おしくら饅頭大会っていうかさ?
素人相撲バトルロワイヤル? アイドルでない水上体育大会?
とにかく周りの奴を場外へ、水ん中へ落として、残れば勝ちという。
ノリ的には琵琶湖にお手製飛行機で飛び立つのと似てるかもしんない。
ガチの奴もいれば、華麗に落水すること狙いの奴もいて。爆笑連発。
……俺? ガチに決まってんだろ!!
この1年でそりゃあ身体は鍛わったよ? けど水泳訓練なんてないし!
水堀、係員とかいないし! つーか何で皆泳げるの? 常識なの!?
そらもう必死だよ、ガチだよ、俺だけ命懸けだもんよ。
使える物は何でも使って生き残ったよ、結果だけが全てなんだよ!
基本的に押し合い圧し合いには参加しない。ドッチボールの基本。
ひたすら逃げた。避けた。勿論のこと這いつくばって。当然でしょ。
柔道における亀だよ。移動は匍匐。二足歩行とか何それ美味しいの?
たまに気絶した奴とか見つけたら、被る。俺の人肉アーマーだよ。
人数少なくなってきたら、この舞台でただ一箇所、安全な場所に退避。
この横綱、つまりは審判の上に。
背に隠れるくらいじゃ笑顔で戻されちゃうからな、肩車だよ肩車。
父ちゃん助けてーってな具合に、その極太の首に手足でしがみ付き。
髪無しには苦戦したし、掴む藁にしちゃ汗と肉でブヨグチョだったが。
物凄いパワーでひっぺがされそうになっても、必死に抵抗したんだ。
そしたら、途中からは笑うばかりで許してくれたんだ。超嬉しかった。
正直、震えて半べそだったからね、俺。最大のピエロだよね。うん。
最後の方は、何か疲れきった奴が2、3人いたから、普通に倒した。
伊達にキッカさんの打ち込み人形やってたわけじゃない。あの人って
速い上に上手いからね。こう、合気道的というか、人の力を利用する。
それをちょっと真似して、ポイポイっとお堀ダイブしてもらった。
めっちゃ舐めてかかられたしね。そらそうだけどね。怯えてたしね。
油断のままに負けてもらいました。はい。そんで、優勝ですよ。
「さあ、では特別試合の始まりである! この私が相手するぞぉ!」
「……えっ!?」
空見てたら、何かとんでもない言葉が聞こえてきたんですけど!
え、え、何、どういうこと!? 会場中が大盛り上がりですけど!?
「もう私の上に逃げても駄目だぞぉ、そのまま投げてしまうぞ!」
ちょ、おま、殺す気か? 死ぬぞ、そんなことしたら死んでしまうよ?
わかってない、わかってないよ、その笑顔はわかってない笑顔だよ!
逃げ……られない! この横綱速い! きもい! でかい蟹みたい!
くそ、凄いフットワークだ……これ絶対逃がさないつもりだ。
腕も太いし長ぇなあ、もう! マジで横綱みたいじゃねーか!
「さぁ、行くぞぉ!」
「う……うおおおお!?」
何てこった、がっぷりと組んじまった! こんなに体格差あんのに!
腰を落として耐えるしかないが……そんなもん百も承知って感じだ。
ぐ……くそ……これ体重差やばいぞ? 筋力差も、そして技術差も!
だんだんと首を下げられていく。首相撲かよ、畜生、潰される。
潰した上で持ち上げて、放り投げる気だな? せめて寄り切りなら!
こうなったら……先手必勝だ、駄目元で攻めるしかない。
力の方向は単純明快だ。上から下。本当は叩き込みたいが、まず無理。
それならもう、巻き込むしかない! あれだ! ドラゴンスクリュー!
いやいや、ありゃ脚だ。腕なら、ええと、何だっけ? くそ、ままよ!
「おぉ……りゃあ!!」
右腕に抱きつくようにして身を投げ出して……あれ!? これ違う!
身体ひねる方向間違えた……外側じゃなくて、もろに懐入っちゃった!
いや、でも、横綱が体勢崩してないか!? こ、このまま……!!
「らああああ!!」
「うおおお!?」
な、投げた……というか、崩したというか……とにかく離れたぞ!
中学ん時の体育教師に感謝だな、こりゃ。袖なんたら腰っぽかった!
よし、とりあえず距離を開けて、作戦を……あ!?
何だこの手は、うわ、足首掴まれてるんですけど!
「わーっはっはっはぁ!」
「ぎゃああああ」
逆さ釣りにされたぁっ! なんつーパワーだこの人! 人か!?
「やーるではないか、君! まさかジュードを使ってくるとは!」
「……はぁ!?」
今何て言った? この横綱……柔道とか言わなかったか!?
天地逆さまで、息の吹きかかる距離にある、スキンヘッドのその顔。
あ、目が鴇色だ。ピンク系だから光属性だ。だから何だという状況。
「ではお返しだ。喰らえ、私の大回転飛翔を!」
せ、世界が……回る……こ、これが大回転飛翔……って。
「ジャイアントスイングじゃんかああぁぁぁ……!」
飛ぶ。落ちる。水。ぬるい水中へ。
ああ……ほら、沈んでく……いつもこうなんだ……くそぉ。
またなのか、このまま、底へ。
急速に狭くなっていく視界の、その最後の中心に、見えたものがある。
何だろう、あの肌色の魚雷みたいなのは…………横綱じゃん。
助けに来るくらいなら、投げんなし。これだから泳げる奴はk/
「わっはっは! まさか泳げないとは珍しい! わっはっは!」
「情けねぇの。大人なのに。逃げてばっかだったしよ」
闘技場のバックヤードにある医務室。タイル張りで冷えた部屋で。
無髪横綱もといアントニオさんが豪快に笑ってる。聞こえるギリギリの
音量で悪態ついてやがるガキんちょはクリスだ。
俺は生還したんだ。あの水中から。
おぼろげに腹パン喰らったのを覚えている。何という乱暴な治療。
水を吐き、そのまま猟師の獲物の如く運ばれたんだ。優勝者なのに。
溺れたことによる心痛か、治療の一撃による腹痛かはわからないが。
ウンウンうなされて目覚めたところ、薄汚れた格好の子供が介抱して
くれていた。お礼を言ったら唾を吐かれた。まる。
「……水に嫌われる性質でして」
「わはは! 君は行動だけでなく言動も愉快だな!」
「水のせいかよ。どんだけ言い訳がましいんだよ」
く……何だこのデカブツ・コツブは。どういうコンビだ。
頭撫でられるのと同時に針を刺されてる気分だ。うう。
「さて、愉快な君ではあるのだが、残念な知らせがある!」
「はぁ……」
「今回、優勝者の君に対しては、どこからもお声掛かりがなかったのだ!
残念ではあろうが、これもままあること! 次も頑張ってほしい!」
「卑怯で情けねぇ戦い方すっからだ。当然だ、間抜け」
「…………はぁ?」
ちょっと話が見えない。お声掛かりって何のことだ? 残念って?
2人の様子からすると俺は気の毒な人のようだが……あ、賞金とかって
出ないのかな? それが貰えないってことか?
「何、不思議そうな顔してんだ。あの戦い方を見てお前を欲しがる組織が
あるとでも思ってたのか? 間抜けな上に阿呆か、あんた」
「いやいや、私を投げたのは見事だったではないか」
「お優しいのは分かりますが、拳豪、あれは偶然のように見えました」
「偶然だけでは私を崩せんとも。お歴々にもそれが分かればなあ!」
うーん……話の流れからして、あれか? スカウトとかいたのかな?
何の? もしかしてプロの水上体育大会選手とかがいるんだろうか。
アントニオさんはそこでのチャンピオン? 拳豪ってカッコいいな。
「いっそ私が青嶋様に紹介してみようか!」
「おやめ下さい。どんな戦地で臆病者の使い道があるというのです」
「はぁ??」
戦地に派遣されたはずが、まだ戦地じゃない的なお話が聞こえてくる。
思わず変な声を上げてしまった俺と、訝しげなお2人と。
変に凍りついた空気に耐え切れず、俺は素直に頭を下げたのだった。
「すいません、1から説明して貰えないでしょうか?」
アントニオさんに驚かれながら、笑われながら。
クリスに呆れられながら、馬鹿にされながら。
俺が聞いた色々は、俺自身のアホっぷりを俺に痛感させたのだった。
結論から言おう。俺は間違えた。
ここはやっぱり血生臭い所で、いわゆる剣闘は行われているんだ。
ただしそれは素人が飛び入り参加できるようなお気軽なもんじゃない。
死人上等の刀剣社交場は、登録制のクローズドフィールドってことだ。
大まかに言って、ここでは3種類の戦いがあるらしい。
1つに、豪族を初め力ある家門を後見とした戦士たちが参加する戦い。
「上闘技」と呼ばれるそれは、時に各家の名誉や確執も絡む世界だ。
その為、むしろ死人は少ない。各々の背景がそれを厭うからだ。
1つに、剣奴養成所に所属する剣闘奴隷たちが参加する戦い。
「裏闘技」と呼ばれるそれは、命のやり取りを見世物にする地獄だ。
特権階級のみが観戦できるもので、魔物との戦闘すら組まれるという。
1つに、誰でも自由に参加でき、観戦できる、大衆娯楽としての戦い。
「闘技」或いは「表闘技」と呼ばれるそれが、つまりさっきの大会だ。
死人なんて以ての外。家族で楽しめる常設のお祭会場というものだ。
「まぁ、遊びっちゃ遊びだけどよ、そこに立身出世の機会もあるんだ」
と、呆れ過ぎてうつ伏せ及び頬杖になったクリスがのたまう。
「私設探険団の連中や、各家門の人間が見てっかんな。見込みのある奴ぁ
勧誘されるんだ。上手くすりゃ下民でも伸し上がれる場所なのさ」
「へぇー、なるほど」
「……まぁ、頻繁にあることじゃないけどよ。しかも、あんたは白髪だ。
声は掛かりにくいだろうぜ。その上、あの戦い方じゃあ、お察しだ」
ふーむ……ある程度理解した。そして確信する。俺は間違えたと。
何かおかしいとは思ったんだ。ここへ来る時、ベルマリアから渡された
印章があったんだ。それを見せれば登録できるって話だったのよ。
俺、もしかしなくても、上闘技に参加すべきだったんじゃね?
でもさ、俺、屋敷の外って全然出てなかったし?
ウロウロと道に迷う中で、ちょっとだけど心細くなってたし?
着いたら「参加希望者はここに並んで下さーい」って叫んでたし?
長い列に何となく並んでしまう小市民気質とでも言いましょーか。
怒られるかもしれない。
ベルマリアは笑ってくれる気がする。でもキッカさんは怒る気がする。
怒鳴りはしない。きっと笑顔で百叩きされる。遂に死ぬかもしれない。
「い、今からでも、登録とかってできますかね?」
「何だ? あんた、まさか後見人がいるってのか?」
「そういうことになるんじゃないかな……印章持たされたし」
「馬鹿か、そういうことに決まってんだろ、そりゃ!」
やっぱり。
確信と共に背筋に一筋の冷や汗。まずいんじゃね?
いや、でも、登録さえ出来ればまだ大丈夫だろ、うん!
「おお、流石は私を投げた男! して、どこの家の後見なのだ?」
「赤羽家です」
「はぁああっ!?」「な、なんと!!」
クリスが座椅子から転げ落ちた。アントニオさんが跳び上がった。
凄いネームバリューだ、赤羽家。流石は領内の武門筆頭ということか。
「あ、あの冷酷無比な魔女んとこの家人かよ、あんた!」
……悪名高い、とも言ってたなぁ。そういや。
その時、俺たちは3人とも引きつった顔をしていたんだろうな。
それぞれに違った、それぞれに深刻な事情を抱えて、戦慄を覚えて。
まぁ、俺の事情が一番下らなかったと思う。俺1人で済む話だし。
残酷が迫ってきていた。
何となく察していたから、屋敷から出ないでいたのかもしれない。
自分の視界を限定して、認識を敢えて狭めることで、避けていたんだ。
こっちの社会の生々しい現実を。当初から感じていた違和感を。
中だって楽だったわけじゃないんだ。けど、どうにかなった。
外は……世界は、どうにかなるもんじゃなかった。地獄だったんだ。
俺は、あの闘技場の水堀の大会を、後に幸せな思い出として懐かしむ
ことになる。それと知らず……俺はただ、焦っていた。小さな器量で。