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第九章 過去 「どうして?」 「意味など、ない」

 コトネ・アゲハは観察する。隣に歩く飄々とした少年を。

 掴みどころがない、まるで風のような男だ、とコトネは思った。それと同時に、やはり信用できないとも。

 トウジョウカズキは、何かを隠している。

 時折垣間見せる表情に、影が含まれているのを見逃すコトネではなかった。何も考えていない愚者かと思えば、老衰した仙人を思わせることもある。

 

 最初はただの阿呆だと思っていた。異世界人だかなんだか知らないが、胸をいやらしい目で凝視する様などそこらの魔族と変わらない。

 だが、気付けば彼は周囲からとても注目を集めている。悪い意味でも、良い意味でも。

 一体、何が彼を際立たせているのだろうか。コトネ自身も、東城一輝に対して何かを感じている。それは確かなのだが。

 特に入れ込んでいるのはエイミーだ。コトネはエイミーと東城一輝の決闘を見ていないので、その時何があったのかは噂でしか知らない。

 問題は東城一輝が大怪我を負ったあの一件だろう。あれ以来、エイミーの態度はガラリと一変した。

 

 あの時何かがあったのだ。それは間違いない。恐らくは、エイミーが報告したこと以上の事態が。

 ふと、コトネは過去を回想する。

 コトネは天涯孤独の身だった。物心ついた頃より家族は誰一人として居らず、気が付けば軍にいた。

 それ自体は珍しいことではない。丁度卑徒との戦争が激化していた時期でもあるし、両親が戦争に行ったきり帰ってこないということは多々あることだった。

 しかし――コトネは違った。


 彼女はスラムの出身だ。軍に拾われる前から、毎日が血みどろの日々だった。生きるためならば何でもする、そんな世界だ。

 コトネはまだ幸運な方だった。生まれつき魔力量の多かった彼女には暴力という選択肢が存在し、体を売るような真似はせずに済んだ。

 次第に感情は凍りつき、何かを考えるということが億劫になっていく。ただただ機械仕掛けの人形のように、奪って殺して貪るだけの毎日。

 

 エイミーと出会い、彼女に惨敗してそのまま軍に無理やり入らされなければ、今のコトネはなかっただろう。

 エイミーとの出会いがコトネを変えた。そして東城一輝との出会いが、エイミーを変えた。

 ではどうして――東城一輝の中に宿る昏い闇が、昔の自分と被って見えるのか。

 コトネは考える。この男の正体を暴き出してやらねばならない、と。その虚ろな光を取り出してみなければ、東城一輝を信用することはできない。


 そのための企みは既に動いている。グローリアまで出張ってきたのは予想外だったが、ここから先は計画通りに事が運ぶだろう。

 もし東城一輝が昔のコトネと同じなら――下卑た本性を隠したケダモノならば。その時は斬って捨てる覚悟まで胸に秘めて。

 

 ――ああ、そうか。

 コトネはようやく、東城一輝に対して感じていた《何か》について思い至った。

 ――この人は、私と似ているんだ。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 私は隣を歩くコトネを観察していた。いや、正しくは凝視していた。

 ただ歩くだけでたゆんたゆんと揺れる、その豊満な胸を。

「ううむ」

 素晴らしい。マーベラス。これほどの一品はそうそうお目にかかれるものではない。

 是非とも触ってみたいものだが、コトネに一切の隙はない。しかも露骨に警戒されているときた。これでは手を伸ばした瞬間切り落とされるのがオチであろう。


「……トウジョウカズキ。質問が、ある」

「何かね?」

「……あなたのいた世界について、聞かせて」


 コトネはそう言うと、私を見上げた。私よりも頭二つは小さい彼女だが、なんとも凄まじい威圧感だ。

 探られているのは分かっていたが、そう来たか。私の過去など掘り起こして楽しいものはない。

 過去――過去など――

「……どう、したの?」

「いや、何でもない。何でも……ないさ」

 

 震えを抑え込む。私もまだまだ臆病者だ。この程度のことで過去に怯えるなどと。

 コトネの視線がさらに強まる。臓腑すら突き抜けて、私の奥底を見破ろうとする観察眼。

 ここで答えに窮していてはならない。私は意識して明るい声を出すよう努めた。


「そうだな、私のいた世界は――いや、国はひどく平和だった。争いがないわけではない。それでも、人々が明日に怯えながら暮らすことはほとんどない。そんな世界だ」

「……だったら、あなたはどうして」

 どうして――そんな目をしているの?

 そう問われた気がした。実際に口に出したわけではない。ただ、そう感じただけのこと。だが間違いではないという奇妙な確信だけがある。

 なんという皮肉か。日本の平和な暮らしこそが、私の異質さを浮き彫りにするなどと。

 私はこちらの世界の方が、よっぽど性に合っているということなのだろう。


 ようするに、私は薄汚い屑なのだ。元いた世界に適合できなかった爪弾きもの。許されざる大罪人。

 だからこうして、コトネから詰問されている。私の醜い願望を曝け出せと、狼に追い立てられる羊のように。

「私は、罪を犯した」

 気付けば、私は呟いていた。まるで懺悔するように。

「……そう。あなたも、私と同じなのね」

「だからそんな目をしているのか――かね?」


 私が自嘲すると、コトネは薄らと唇を吊り上げた。

「……そうね。だから、私はあなたが嫌い。まるで鏡を見ているようで、どうしようもなく苛立つから」

「それは困った。君のような可憐な乙女から嫌われてしまうとは、一生の不覚だ」

「……変なの。こんなのと同じだなんて、鳥肌が立ちそう」

 

 随分な言われようだった。それも致し方あるまい。同族嫌悪ともなれば、そう簡単には払拭できないだろう。

 私がどうしたものかと目頭を揉みほぐしながら考えていると、

「……じゃあ、話はこれでおしまい。さようなら」

 そう言い残して、コトネの姿が一瞬で消え去った。

 なんなんだ、一体。わざわざこんなところまで連れてきて――こんな、ところ?

 

 そこは都市の外れで、ひどく治安が悪いから近寄るなと言い含められていた場所だった。いかにもスラムといった雰囲気。

 コトネに誘導されるようにして、この地までたどり着いてしまったのか。

 私はとても厭な予感がした。そしてこういう場合の厭な予感とは、どうにも当たってしまうもの。


「おう、そこのニイチャンよ……ここは俺たちのナワバリだぜ?」

 路地裏から現れた四人の魔族。どいつもこいつもガラが悪く、見るからにゴロツキといった風情だ。

 厭な予感、的中。

「へへ、いい身なりしてんじゃねぇか。なあ、そりゃ俺たちに対するあてつけかよ?」

「あーあ、ムカつくよなぁ……俺たちはこんな生活してるってのによぉ」

 

 口々に悪態をつくゴロツキたち。背後からさらに二人現れ、逃げ道を塞がれる。

 眷属の襲撃騒ぎに、都市はお祭り状態。それは鬱憤も溜まるというものだろう。

 だからその溜めこんだエネルギーの矛先がどこに向かうのかも、考えるまでもなくわかってしまう。

「……オイ、なんだその面はよォ!」

 

 私の平然とした態度が気にくわなかったのか、ゴロツキの一人が私の鳩尾を蹴りあげた。

「ぐっ、ふ――!」

 恐らく鉄板入りの靴底だろう、《魔障壁》を張っていない私はくの字に折れるしかない。

 次いで、膝蹴りが私の顎を打った。平衡感覚を失い、情けなくも地面に倒れ伏す。

「んだよ、コイツ。たいしたことねーな」

 

 芋虫のように地に這いつくばる私を、ゴロツキたちはニヤニヤと眺めていた。面白い玩具を手に入れた子供のようだ。

 そこからはただのリンチだった。

 殴られ、蹴られ、踏みつぶされる。髪を掴んで引き起こされる。唾を吐きかけられる。まるでサンドバッグだ。 

 だが、私は何の抵抗もしなかった。全身を痛めつけられても、文句の一つも言わずされるがまま。

 魔力によって自動修復される私は、皮肉なことに意識が飛ぶこともない。骨が折れても、口から血を吐こうとも、私は黙って受け入れていた。

 

 ああ、なんとも懐かしい。この痛み、この屈辱。蹂躙され、人としてのプライドを滅茶苦茶にされる感覚。

 視界が霞む。鼻が折れてしまったのか呼吸がし辛い。背筋がチリチリと焼けるようだ。

 無抵抗な私に、ようやく彼らは飽きを感じ始めてきたらしい。金目の物を奪おうと、私の服をまさぐりだして――

 

 やめろ。やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ人間よやめろやめろやめろやめろやめろ欲深くやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろあれやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろお願いやめろやめろやめろやめろやめてやめてやめてやめてやめて――


「……どう、して?」

 悲痛な声。どうして、どうして、どうして。

 その言葉はいけない。なぜなら、欲望に理由などないのだから。

 そんなことを聞いたところで意味などない。無意味。あまりにも、無意味だ。


「……どうして、なの?」

 コトネだった。

 震えている。

 私と、同じように――


「……どうしてっ!」

 コトネは刀を抜き、ゴロツキたちに迫った。そこには洗練された技術も何もない。ただ子供が感情にまかせて得物を振り回しているのと同じだった。

 しかしその鬼気迫る気配に恐れをなしたのか、ゴロツキたちは蜘蛛の子を散らすようにして逃げ去って行った。

「や、やべえ魔王軍だ!」

「なんでこんなところにっ!?」

 

 おこぼれを狙っていたハイエナ連中もまた引っ込んでいく。辺りには傷だらけの私と、私よりも苦痛の表情を浮かべるコトネだけが取り残された。

「……やあ。みっともないところを、見せてしまったね」

「……あなた、どうして」

 またそれか。その問いに対する答えを私は持ち合わせていない。

 なんという無様か。私はだらしなく壁に上半身を預け、ようやく深い息を吐いた。


「君が無事でよかった。だから、そんな顔をしないでくれ」

「なにを――っ! なにを白々しい! 私が、私があなたをハメたのよ? 分かっているはずでしょう!?」

 コトネは泣いていた。恐らくは、自分が涙を流していることすら自覚してはいまい。

 激情か、涙か、あるいは――私と同じ理由で震えながら、彼女は捲し立てる。


「なのにどうしてそんなことを言うの? どうして抵抗しなかったのよ、あなたなら触れることすらなく蹴散らせるはずでしょう!?」

「……いいや、それは無理だ。そんな力は、ない」

「嘘、よ……あなたなんでしょう? 昨日も、エイミーの時も、全部あなたがやったんでしょう!? だから私は試そうとして、なのにどうして――」


「ないのだ。ゴロツキたち相手に振るわなければならない力など。私は持ち合わせてはいない」

 彼女の声を遮って、私は淡々と告げた。私はやりたいことをやる。やりたくないことは、やらない。

 それだけのことだ。

 

 コトネはついに声を上げて泣き出した。今の彼女は《蒼の隊》隊長のコトネ・アゲハではなく、ただのか弱い少女だった。

 私に掴みかかるようにして、コトネが迫る。そのまま泣きじゃくりながら、私の胸を叩いた。

 昔の私と同じだ。矮小な餓鬼と、か弱い少女――なんだ、結構似合いじゃないか。

 私は黙って彼女の頭を撫でた。それは親が子をあやすようなものではなく、ただの傷を舐めあいに他ならなかった。

 

「ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい……! 私が、私があなたを……! 許して、ごめんなさい……」

 少女の慟哭は、傷よりも私の胸を痛めた。

 私は妹の姿を思い出していた。私と彼女に違いがあるとすれば、それは守るべきものがあったか、なかったかという点だろう。

 私には支えがあり、彼女は独りだった。より強いのは彼女の方だ。しかし、強いからこそ折れればそう易々と立ち直れない。 

 

 人は、支えがなくても生きられる。しかしそれでは休むことは出来ない。羽を休める止まり木が必要なのだ。

 こうして私の胸を掻き毟るコトネにとって、寄りかかれる支柱になれればいいと。そう思って、私は黙って胸を貸していた。

 今の彼女には仲間がいる。ともに支え合う仲間が。しかしこうして弱さを剥き出しにできるような関係ではないだろう。

 だから、一方的に体重をかければいい。私は支えて見せよう。なに、軽いものだ。


 私のトラウマは、コトネのトラウマをも刺激したのだろう。私もまた感じていたのだ。

 この少女は、いつも心の中で怯えていたのだと。


「泣き止めとは言わない。好きなだけ泣けばいい。私と君は鏡写しの存在だ。君が泣いてくれれば、私はみっともなく泣き喚かずに済む」

「……みっともないとか、言うなぁ……」

 憎まれ口が戻ってきた。良いことだ。

 私はコトネのさらさらとした綺麗な髪を撫で続けた。妹にそうしたように。私が、そうしていたように。

 

 次第に落ち着いてきたコトネは、私に治療魔法を施し始めた。私に抱き着いて離れようとしないまま。

 ……しかし、その、なんだ。先ほどまでのシリアスな雰囲気はどこへやら、彼女の豊満な胸が押し付けられて気が気でない。

 しかもいい匂いがする。体温の低い体が冷たくて抱き心地最高。このまま揉みくちゃにしてしまいたい。

 私は理性を総動員して耐えた。私は紳士私は紳士。コトネは妹コトネは妹。今手を出したら何もかも台無しになる!

 


「……ごめんなさい。本当に。どうしたら、許してくれる?」

 コトネは潤んだ目で私を見上げた。自責の念が彼女を戒めている。

 そうだ、彼女は罰を欲している。私を罠に嵌めた罰を。

 ならばその呪縛から解き放ってやるのが私の役目だ。決して不埒な思いを抱いているわけではない。断じて違う。

 故に、私は告げるのだ。魔法の言葉を。


「では今後――私のことはお兄ちゃんと呼ぶように」

 人間よ、欲深くあれ。

 

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