第七章 眷属 「平らげるわよ」 「食い散らかせ」 「……歯ごたえ、なさそう」
卑徒、ないし卑徒の眷属との戦闘は、少数精鋭で行うのが原則である。
眷属たちもまた眷属を増やす力を有しているため、大部隊での戦闘ではねずみ算式に眷属が増えてしまう可能性があるからだ。
よって、都市外周の警備を行っていたエイミー率いる《紅の隊》は、すぐさま迎撃の体制に入っていた。
出現した卑徒の眷属は四体。卑徒の姿がないとはいえ、油断できる数ではない。
エイミーは空を飛ぶ大鷲のような眷属に狙いを定めた。他の三体は《黒の隊》、《蒼の隊》に任せ、一番厄介な飛行型を真っ先に処理すべく疾走。
「サーシャ、マルコ! 射って! アレはあたしたちが平らげる!」
指示を飛ばすエイミーに、部下たちは瞬時に呼応した。蛇頭のサーシャ、蜥蜴男のマルコが弓を構える。
流星のように放たれた矢に火が灯った。魔力によって燃え盛る矢じりが眷属の右翼に命中。苦しげな悲鳴を上げる眷属だが、それだけで失墜するような怪物ではなかった。
燃える翼を意に介さず、滑空しながら鋭い爪牙を剥き出しにして襲い掛かる。
エイミーは空を掴むかの如く手を伸ばした。魔力を集中させ、握り潰すようにして爆破。
「堕、ち、ろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
爆炎と共に飛び散る血臭。右翼が消し飛び、血の雨を降らせる。今度こそ翼を失った眷属が、惨めに地へと落下していく。
紅に染まる視界を払うようにして、エイミーが檄を飛ばす。
「敵を包囲撃滅する! 今夜はチキンよ、豪勢に行こうじゃないの!」
《紅の隊》が獲物を仕留めんとその本性を現していく。これは正しく狩りであり、一方的な戦いだった。
傷が再生する暇すら与えず大鷲の眷属を取り囲む。しかし、それでも油断は禁物だ。ここで眷属が増えるような無様を晒しては竜の血を受け継ぐ者の名折れである。
眷属との戦いは少数精鋭。さらに言えば、直接対峙するのは隊長格だけというのが鉄則だ。他の隊員は極力サポートに回り、隊長たちが直接眷属を叩く。
故に、その掟に則りエイミーが一歩前へ。まともに視線を合わせれば発狂しかねないであろう眷属の眼光を苦ともせず、魔力を滾らせる。
なんだか最近調子がいいと、エイミーは感じる。あの森での一件以来、魔力量が跳ね上がっているのだ。
(カズキのおかげ、かな)
恐怖はない。いつもならば喝を入れなければ動かない体も、緊張に震えることもない。生まれ変わったかのような心地を、エイミーは味わっていた。
エイミーが右腕を振り下ろすと同時、《紅の隊》たちは魔術を発動。燃え盛る紅蓮の業火が、眷属へと降り注ぐ。
こと火力に関して《紅の隊》に並ぶものはない。眷属が魔力で相殺しようと咆えるが、それは文字通り焼け石に水でしかなかった。
そしてさらにエイミーが地を蹴り業火の中へと突っ込んでいく。竜族の末裔たるエイミーは、魔力で生み出された炎に焼かれることはない。
「はぁあああああああああああっ――!!」
炎を纏い疾駆するエイミーの蹴りが眷属の頭部へと吸い込まれる。砲弾を思わせる一撃で、眷属の目が焦点を失った。
力を失い地へと倒れ伏す眷属へ、宙で回転したエイミーの踵落としが炸裂する。
正にギロチン。断頭台の処刑人が、生へしがみ付くことを許すはずもなく。死神に誘われるようにして、眷属は灰となって消えて行った。
お調子者揃いの《紅の隊》の隊員たちから歓声と野次が沸くが、エイミーは自分の力を噛み締めていた。
いける。やはり眷属如きに引けはとらない。あの時のような醜態を二度と繰り返さないと心に誓い、己を鼓舞した。
「アンタたち、まだ終わってないのよ! 気を引き締めなさい。私が指揮する以上、一匹も逃がすもんですか!」
それがさらに隊員たちを調子付かせるのだと気付くはずもなく、エイミーたちは次の獲物へとその舌を伸ばし始めたのだった。
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一方テオドール率いる《黒の隊》は、飛行型の眷属が落下していくのを確認すると、先行する一体に目標を移した。
随一の速度を持つ彼らの行動はとにかく疾い。特に森林地帯は獣人たちの得意とする絶好の狩場である。
六本の腕を持つ、巨大な猿のような眷属を捉えると、《黒の隊》は散開。セオリー通り、隊員たちがサポートに回る形だ。
「さあ狩りの時間だ! 貴様らの牙で、爪で、刃で――八つ裂きにしろ食い散らかせ! 速い者勝ちだ猛れよ貴様らぁ!」
「了解であります! 隊長、自分の食い意地を舐めてもらっては困るであります!」
「構わん、やれ! 骨すら残らずしゃぶりつくせ!」
鬼神のように咆えるテオドール。魂を揺るがすその猛りに士気は最高潮に達し、彼らの肉体を躍らせる。
「では――いただくであります!」
真っ先に突貫したのはミラージュだった。柔軟な筋肉が、関節が、骨が魔力により増強され、爆発的な速度を生み出す。
対する眷属の反応も速かった。疾走するミラージュを視認するや否や、丸太のような六本の豪腕が振るわれる。
しかし、その拳がミラージュを捉えることはなかった。蜃気楼のように掻き消えたミラージュは眷属の腕を蹴り跳躍。その眉間に鋼鉄製のガントレットによる一撃を叩き込む。
その姿が再度消失した次の瞬間には、眷属の後頭部へと右ストレート。だがそれでも眷属は沈まない。
手ごたえを感じ取る暇もなく、ミラージュは空を蹴り眷属のリーチ外へと脱出する。魔力を固め足場とし、変幻自在の多角攻撃を行うのが彼女の戦闘スタイルである。
まるで蚊トンボでも払うように、眷属の右上腕が弧を描く。音速を超えるミラージュに直撃するはずもなく、無様に空を切るのみ。
大きく距離を取ったミラージュの隙間を埋めるようにして、包囲していた隊員たちが木々を蹴って現れた。
持ち前の速度を活かし、すれ違いざまに一撃を加えすぐさま離脱。猿の眷属は攻撃は当たらないことに苛立ち、さらに大振りになっていく。
正しく獲物を追い立てる狩人のそれである。統制された動きに一切の無駄はなく、眷属はただ翻弄され哀れに踊る。
だが眷属とて魔族の敵。大した疼痛を感じた様子もなく、浅い傷は瞬く間に修復していく。このままでは千日手であろう。
――もっとも、彼がいなければの話であるが。
「退け、貴様らよくやった。後は俺が引き受ける」
黒き狼は背負っていた大斧を構え、魔力を凝縮。鎧の如き筋肉がさらに膨張し、禍々しい気を放つ。
眷属は脅威を感じ取ったのか、狙いをテオドールに定めたようだった。耳障りな甲高い声を上げて迫る眷属だが、それはあまりにも遅すぎたといえよう。
「……せめて安らかに逝くがいい」
凄まじい勢いで投擲された大斧が宙を舞う。テオドールの身の丈ほどもある大斧は防御しようと交差された眷属の腕を易々と粉砕し、眷属の脳天に突き刺さった。
「――――――――――ッ!!」
それでも。眷属は、倒れない。脳天を裂かれながらも、血走った眼でテオドールを見据え拳を振るう。
「隊長殿、美味しいところは譲るであります!」
眷属の拳を横なぎに弾き飛ばしたミラージュがニヤリと笑う。
テオドールは部下が道を開いてくれると信じて疑わなかった様子で跳躍し、眷属の脳天に突き刺さった大斧を引き抜く。
そして大上段に振り上げると、狂戦士は力任せに振りぬいた。
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
脳天から股までを一刀両断。二つに裂けた巨体がついに力を失い、粒子となって消えていく。
テオドールは大斧を担ぎなおす。勝利の雄たけびを上げるにはまだ早い。
「行くぞ貴様ら! こんなもので満腹とは言うまいな!」
「まだまだ食い足りないであります隊長殿! ご馳走が向こうからやって来るなんて大盤振る舞い、見逃す手はないでありますよ!」
「よく言ったミラージュ! 奴らの奢りだ、たらふくになるまで食って食って喰いまくれ!」
咆哮を上げながら、黒の猟犬たちは疾走する。まだ見ぬ獲物を求めて。
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他の隊に遅れる形で現着した《蒼の隊》は、既に三体目の眷属との戦闘に入っていた。
やはり巨大な体躯に、ブヨブヨとした皮膚と葡萄のような背嚢を持つ蛙の形をした眷属であった。二歩脚で歩くだけで毒素をまき散らしているようで、周囲の木々が次々と枯れ果てていく。
「……歯ごたえ、なさそう」
億劫げに呟いたのは隊長であるコトネ。眷属を前にしても揺るぎ無いその姿に、部下たちが奮い立つ。
コトネが腰から氷刀《霙》を抜刀すると、その冷気に眷属が素早く反応した。口腔から腐臭を放つ液体を吐き出してくる。
難なく回避したコトネだが、着弾した地面が異臭とともに溶けていく。次なる酸液を放つべく大口を開ける眷属に対して、隊員たちが魔術を飛ばした。
だが、眷属の口腔から伸びた舌が鞭のようにしなり、魔術を打ち落とす。さらに獰猛に隊員たちを狙う舌に向かって、コトネはすぐさま駆けた。
抜刀しただけで大気を凍らせる魔刀が閃く。魔術を蹴散らすほどの硬度、強度を持つ舌を、まるでバターのように軽々と切断。
「……汚い。早く、終わらせよう」
コトネが《霙》を構え直した。蒼白く輝くその刀身に一切の曇りはなく、蛙の酸液もまた付着していない。
眷属は切断された舌が回復しないことに焦りを感じているようで、わずかに後退する。
コトネの持つ《霙》は斬ったものを凍らせる魔刀である。故に傷口は血の一滴も流すことなく凍りつき、また再生能力も封じられる。
しかも、傷口からさらに侵食するようにして氷が広がっていく。コトネの魔力が切れない限り、いずれは全身氷漬けになるまで止まらない呪いだった。
眷属は呪いを悟った様子で、自分から舌を切り離した。そして四つ這いになると、背中を大きく震わせる。
「隊長、何か来ます!」
「……うん、気持ち悪いね」
まるで緊張感のないコトネだが、実際は膨れ上がる魔力に眉根を寄せていた。
させぬとばかりに氷の刃が飛翔し眷属の頭部を両断するが、それでも魔力の波動は止まらない。
コトネが失策だったと理解するとほぼ同時、蛙型の眷属の背中から飛び出してくる数多の影。
「なるほど……そっちが本体」
背嚢は卵だったのだ。卵を食い破って生まれた小さな蛙たちが、この巨体を操っていたのである。
次々と現れた小さな蛙たちが一斉に襲い掛かる。酸液を纏っているため、触れれば骨まで溶解してしまうだろう。
しかし《蒼の隊》が取り乱すことはなかった。彼らは特に冷静沈着、かつ山のように不動の心を持っている。
無論のことそれだけではない。彼らの隊長であるコトネの姿こそが、彼らの冷静さを保っているのだ。
コトネはまるで焦ることなく、蛙の群れを悉く切り伏せていく。
その様は踊っているかのよう。鮮麗なる美の化身による、死の舞踏だった。
あまりにも流麗。あまりにも華麗。隊員たちが見惚れるほどの舞いに、蛙ごとき為すすべもない。
もっとも、だからといって呆けていられるほど隊員たちも愚かではなかった。我先にと死の剣舞に加わるべく殺到し、蛙たちを氷漬けにしていく。
それは正に一種の舞台。繰り広げられる殺戮劇に観客はいないが、壇上で踊れれば彼らは満足なのだ。
だが、やがて幕は下りる。辺り一面に氷華が咲き誇り、戦闘の凄まじさを物語っていた。
「……ふう、疲れた」
などと言いつつも、コトネは汗ひとつかいていない。いつもの飄々とした物言いのまま、次の眷属に向かおうとして。
『コトネ、聞こえる!? マズイことになったわ、急いで街に戻って!』
切羽詰まったエイミーからの念話に従いつつ、状況を確認する。
『……なにが、あったの?」
『やられた! 四体目は分裂型よ、すごい数になって眷属が都市に迫ってる!』
思わず舌打ちしながら、コトネはさらに速度を上げた。恐らくは《黒の隊》でも間に合うまい。都市の警備にあたっている《紫の隊》がどこまで踏ん張れるかが肝だ。
いや、あるいは――。
コトネは脳裏をよぎった可能性を瞬時に切り捨てた。
――何が救世主か。エイミーは随分と入れ込んでいるようだが、あれは間違いなくただの助平だ。エイミーの恋に関しては応援するが、戦力として期待するようなことはない。
コトネ自身も、確かに東城一輝に対して思うところはあった。なにより魔王様が絶対の信頼を置いているのだ。
何かある、とは思うものの、確証は得られない。そして確証が得られないからこそ、信用するわけにはいかない。
だが。
彼女の予感は、ついに現実のものとなった。
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「……嘘」
茫然とした呟きが零れた。目の前の光景が信じられない、とばかりに。
コトネに遅れる形で到着したエイミー、テオドールも言葉にこそしていないが同じ気持ちだっただろう。
全滅。
あるいは壊滅。四体目の眷属は分裂を繰り返し、ついにその数は三十を優に超えていた。
それほどの数の眷属が、一体残さず粒子となって消えていく。まるで天から流星でも降ってきたかのような圧倒的暴力の痕跡。
これほどの破壊を短時間で行えるのは、現状魔王クラスの魔族だけだ。
ならば魔王自ら手を下したのか。否である。リーネは城から離れていないとエディから報告があったし、彼女が出陣するなら魔力で感知できる。
――では、誰が?
その答えに、彼らは薄々感づいてはいた。しかし誰も口にしない。できない。
そこに響き渡る嘲笑。あどけない幼子の声でありながらも、確かな毒を含んだものだった。
「妾の所業に何か不満でもあるのかのう? ええ、諸君や。揃いも揃って間抜け面を晒しおって。情けないとは思わぬのか?」
紫色のドレスはフリルにまみれ、まだ年端もいかないような外見の彼女に人形のじみた可愛らしさを与えている。
同じく紫色の傘を差し、綺麗に切りそろえられたセミロングの髪は透けるようなプラチナブロンド。
一見すると幼い少女だが、その身に纏う雰囲気は狡猾なる魔女のそれ。唇を三日月に歪めてクスクスとあざ笑う様はどこか妖艶なものさえ感じさせる。
「グローリア……貴様、どういうつもりだ。これを貴様がやったとでも?」
「そう言ったのが聞こえなかったかの? 妾を見くびってもらっては困るのう、狼の坊や。よもや妾の実力を忘れたわけではあるまい」
低く唸るテオドールに、少女――《紫の隊》隊長、グローリアは慇懃に答える。
次いで、彼女が差していた傘から荒々しい声が響いた。
『あぁ? テメこらテオちゃんよー。この俺様がこんなチンケな眷属なんぞにやられるわけねーだろボケカス。去勢すんぞオイ』
「やめよグロリアス、下品じゃぞ。妾の気品を損なうような口を利くでないわ」
喋る魔具にしてグローリアの武器でもあるグロリアスの物言いに、テオドールは不快感を隠しもせず牙を剥いた。
「フン……別に、貴様らの実力を疑っているわけではない。実際、貴様らは強い。それは確かだ。だが納得いかんな」
「ほう、どうしてじゃ?」
「今は何時だ。言ってみろヴァンピーナ。貴様はその傘がなければ日中外を出歩くことすら出来んだろうが」
『……ケケ、なかなか痛いところを突いてくれるじゃねーかワンちゃんよ』
グローリアは吸血鬼である。彼女は実力こそ飛び抜けてはいるものの、夜でなければ真の力を発揮できないという制約がある。
だからこそグローリアは緊急事態においても、その姿を現す機会は限られてくる。今回も、副隊長のエディが都市の警備を仕切っているのはそのためだ。
そもそもここにグローリアが一人でやって来ること自体がきな臭いと、テオドールは言い捨てる。
「では、一体誰がやってのけたのかのう? 嗚呼、愉快愉快――これほど心躍るのはいつぶりかの」
グローリアは空を見上げた。曇天が涙を流しそうな気配を潜めて、世界を暗く染めている。
テオドールも、コトネも、エイミーも言葉はない。
深まる疑念の中、とうとう空は泣き出し始めていた。