後日談
燦々と降り注ぐ日光の下、城塞都市はいつもの活気を取り戻していた。
長かった戦いもついに終わり、平穏な暮らしが戻ってきたのである。
リーネが再び魔王に就いたことで魔族たちは一つに団結し、復興に力を注ぐことができたのだ。
とはいえ、闘いの傷跡は未だ癒えてはいない。
それは土地や街もそうであるし、魔族もそうだ。生活拠点が広がれば様々な軋轢が生まれるのは当然のこと。
けれど、本質では何も変わっていない。かつてカズキが評したように、魔族たちは諦めずに今日を生きている。
魔王の間にて公務を行っていたリーネは一つ伸びをすると、思わずため息を吐いた。
「――あれからもう三年、ですか」
時が経つのは早いものだ。終戦から三年、彼女には気の休まる日などほとんどなかったと言っていい。
それこそ、一度は死んだと思われていたリーネが生きていたと分かった時の魔族たちの反応は凄まじいもので、彼女はプレッシャーに押しつぶされないか不安になったほどである。
(魔王復活だの不死鳥だの、散々な言われようでしたからね……もっとも、民に真実を告げるわけにもいきませんが)
知らぬが仏、ではないにせよ、知らない方がいいこともある。
正確には秘匿しているといった方がいいのかもしれないが。
最後の卑徒がどうなったのか――それを知るものは、必要最低限でいいのだ。
眠気に霞む頭をどうにか動かしながら書類を片付けていると、アンヌが紅茶を運んでくる。
「お疲れ様です、魔王様。っと、お体には気を使って下さいとあれほど言ったではないですか! ほら、クマができてますよ魔王様!」
「え……本当ですか? いけないいけない、明日は大事な日ですのに」
慌てて鏡に向かうリーネを横目で見ながら、アンヌはニヤニヤと意地汚い笑みを浮かべた。
「おやおや魔王様……そうですよねー、明日は大事な日ですもんねー、みっともない姿は見せられませんよねー」
「ちょ、ちょっとアンヌ! いえ、別にそういうつもりではなくてですね……!」
必死に言い訳をしようとするリーネだが、その態度が既に語るに落ちている。
最初の内は魔王付きのメイドに任命され、生まれたての小鹿のように震えていたアンヌも今となっては魔王をおちょくるだけの余裕をもっていた。
三年という月日が彼女を変えたのだろう。クレスにも劣らない仕事ぶりを発揮するアンヌを見て、リーネは内心で微笑んでいた。
しかし、それにかけても最近のアンヌの魔王弄りは輪にかけて酷くなっていた。
リーネはそれを喜ぶべきなのか悩みつつも、生来の腹黒さを発揮する。
「では、アンヌ。今日はあなたも一緒にいらっしゃい。ところで、寝癖がとれていませんよ?」
「えっ……? いやあのそれはっ、わわわ、私なんかが付いて行っていいんでしょうか!?」
アンヌはこういう反撃に慣れてはいないようだった。しかしそれでも最後には頷いた辺り、本当に強くなっている。
リーネは満足げに紅茶を口に含むと、もう一度伸びをした。
「さあ、張り切って終わらせないといけませんね。明日までに少しでも仮眠をしてクマを取らないと……!」
「あはは……頑張って下さい、魔王様」
多分終わらないだろうなぁ、というアンヌの呟きは、空に溶けて消えて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――はぁ!」
「――ふん!」
轟音。直剣と大斧が交わる剣戟は次第に苛烈さを増していく。
振り下ろされた大斧を半身になって回避し、反転して回し蹴りを放つエイミー。
大斧での防御は間に合わないと判断したのか、テオドールは大斧から手を離すと魔力で強化した右腕でガードする。
そして、エイミーが次撃を放つよりも一瞬早く、黒狼の足が大斧を蹴り上げた。
空を舞う巨大な戦斧。すかさず空いた左腕で掴んだテオドールが一閃する。
が。
「……させない」
飛翔してくる絶対零度。氷の刃がテオドールの一閃を防ぎ、エイミーは炎を爆発させ視界を奪いながら後退。
しかし、そう簡単に逃してくれるはずもなく――高速回転するグロリアスを持ったグローリアが、エイミーへと迫った。
「くはははははっ! 美味しい所は全て妾が戴きじゃ! テオドールよ、お主はそこで愛しのエイミーがズブっといくところを眺めているのじゃな!」
「黙っていろグローリア! この淫乱吸血鬼め、貴様はそもそも俺とチームのはずだろうが!」
何年経っても犬猿の仲は変わらないのか、同チームでありながら獲物を奪い合う二人。
もっとも、お互いに名前で呼び合うようになったのは進歩といえるだろう。
しかし、その程度の連携ではチーム戦で勝つことは難しい。
「……エイミー、モテモテ。私も混ぜて」
短く呟いたコトネが疾駆。氷刀《霙》でグロリアスを氷漬けにするべく一閃する。
『おっとぉ! そいつを喰らうわけにはいかねぇなぁ!』
高速回転していたグロリアスが展開、強力な対魔力防御力を持つグロリアスの前には、いかに《霙》とはいえど歯が立たない。
舌打ちを零しながらグロリアスを蹴って跳躍したコトネ。全員が距離を取り、油断なく得物を構えて――
昼時を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
「あら、もうそんな時間なのね……ふう、ここまでにしましょうか」
と、エイミー。グローリアもそれに続く。
「そうじゃな。これ以上続けては妾たちの大勝利に終わってしまうからのう……明日という大切な日を、惨めな気分で過ごしたくはなかろうて」
その言葉にピクンと猫のように反応したのはコトネだった。
「……それは、聞き捨てならない。どう考えても、勝ってたのは私たちの方」
「さてな。煽るのはよせグローリア、飯の時間だ。それに、貴様とて明日を大切な日だと思っているのだろう?」
テオドールが諌める。するとグローリアは僅かに頬を染めながら、まあの、と短く返した。
そう、明日は魔族たちにとって大切な日なのである。
――明日は、救世主の日と呼ばれている。
トウジョウカズキの、命日である。
翌日。リーネたち一行はそわそわと落ち着かない雰囲気の中、魔王の間に集まっていた。
リーネの他には、エイミー、コトネ、グローリア、テオドールといういつもの面子と、メイドのアンヌの姿がある。
「皆さん、準備はいいですか? 忘れ物はありませんね? トイレには行きましたか?」
などと確認をしつつも、当の本人が一番慌てていることに気付いていないリーネであった。
苦笑いしたアンヌが言う。
「大丈夫ですよ、魔王様。なんだか、おかげで私がかえって落ち着いてきたくらいですから」
「い、いえ。わたしだって落ち着いてますとも。よし――では、行きますよ!」
床に敷き詰められた魔法陣が起動。城に備えられた《召喚器》の補助を借りて、卑徒の神殿へと転移する。
景色が歪む。空間が歪む。世界が歪む。捻じ曲げられて圧縮されて変換されてまた膨張していく不思議な感覚。
さほど距離が離れていないせいか、転移は一瞬だった。
いまだ大森林の上空に浮かんでいる卑徒の神殿は、トウジョウカズキの墓として崇められている。
リーネとしては複雑な心境だった。
「う……転移の術って、こんなに酔うものなんですね……」
口元を押さえながら、青い顔をするアンヌ。慣れていないせいだろう、今にも嘔吐しそうな有様だ。
「た、大変! ほら、早く横になって!」
エイミーが介抱し、コトネが治癒魔術をかける。こういうときの連携はお手の物だ。
するとようやくアンヌは楽になったようで、ご迷惑をおかけしましたと頭を下げた。
「うう……帰りも転移するんですよね……」
などとぼやくアンヌを尻目に、一行は奥の部屋へと進んでいく。
大広間を抜け、果てしなく長い廊下へ。どこを見回しても純白、純白、純白――しかし、どこか優しい印象を与えてくる色だった。
一行の足が止まる。目前には七人の翼を持つ天使たちの意匠が施されている。
扉に彫られた天使たちと目が合う――こともなく、リーネは静かに扉を開いた。
その空間の中央には、棺に似た巨大な装置が鎮座している。
リーネはゆっくりとそれに近づくと、透明な棺の中にいた男が目を覚ました。
「お久しぶりです、カズキ――調子はいかがですか?」
『久しぶりだな、リーネ――君のおかげで、最高の気分だよ』
トウジョウカズキは、幸せそうに微笑んでみせた。
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私ことトウジョウカズキがどうして生きているのか――まずは、それについて説明しなければならないだろう。
単刀直入に答えだけを述べるならば、呪いによるものだ。
私の弟、卑徒グリド・グリドの残した呪いである。
『呪いを、残しておいたぞ……兄弟……は、はは……地獄に、行くのは、私一人、だ――』
奴は、最期の瞬間にそう言ったのだ。
恐らく卑徒になった私が死のうとするのを見越してのものだろう。
私になりたがっていた奴は、私を卑徒にすることに成功した。ならば、自分の代わりにと私を生かそうとする思考も頷ける。
加えて、リーンが話していた、卑徒アモン・アモン――即ち、私の父も原因の一端だ。
リーンは、アモン・アモンが自殺しようとして失敗したといっていた。
そして、それが彼の能力によるものであろうとも。
つまり、アモン・アモンの能力は不死、あるいは自傷行為の無効化であったと推察できる。
父の息子であるからか、あるいは同じく息子であるグリド・グリドからの呪いだからか――とにかく、私は父のように自殺に失敗したのだ。
なんという道化っぷりだろう。
あれだけ壮大な自殺を図っておきながら、格好いいセリフを吐いておきながら生き恥を晒すなどと。
数日後に目を覚ました時の絶望感といったら、それはもう筆舌にし難い。
しかも父と同じだというのが実に笑わせる。そんなところまで似なくて結構だ。
――まあ、なんにせよ生き残ってしまった私の処遇は、魔王であるリーネに委ねられた。
そして、かつてリーンが封印されていた棺の欠片を拾い集め、こうして再構築したわけだ。
私は卑徒としての力ごと、ここで眠っている。魔力は常に神殿の維持に使っているため、間違っても暴発することはない。
果たして、これが正しかったのかは分からない。だが、誰も私を殺してくれなかった以上、こうするしかなかったのも事実。
さらに言えば、私がこうして目覚めるのは一年に一度のことだ。
そう、私の命日――ということになっている――である。
しかも救世主の日とかいう名前がつけられた、休日の日なのだとか。
……あれだけ救世主にはなりたくないと言っていたのに、この仕打ち。
もしかするとリーネのささやかな復讐ではないかと思っている私なのだった。
「む。何故わたしを睨むのですか? 何か言いたいことがあればどうぞ」
と、リーネ。こいつ、絶対に分かって言っているな。
『……いいや、何でもない。それでそっちの様子はどうだね、復興は順調か?」
「ええ、順調ですよ。もちろん問題は頻発しますし、民の不満を解消できているとは到底思えません。ですが、確実に一歩ずつ前に進んでいるのは確かです」
それを聞いた私は安堵の息を吐くと、ニヤリと口角を吊り上らせた。
『そうか、それを聞けてよかった。さて、では前置きはこのくらいにしよう。早速で悪いのだが――イチャイチャしようではないかね!』
おっと、テオドールは除くぞ。
私はリーネ、エイミー、コトネ、グローリア、そして珍しく一緒に来ているアンヌに目をやる。
すると、何故だか呆れられている気配がした。一体何がおかしいというのか。
「いや、まあ……そういう約束も、してましたけどね?」
頭を抱えるリーネ。
そう、そうなのだ。
今日はめでたい(?)救世主の日である。私を封印する際、一年に一度は起こすという取り決めをしたのだが。
私は声高らかに主張したのだ。
その日は、その日だけは――ここを、私のハーレム王国にするのだと!
つまり、今の私は眠って起きたら美女に囲まれてイチャイチャできるという最高のニートライフを送っているのだ!
『くくく、嫌とは言わせんぞ? なにせそういう約束だったのだからな! さあ、一年間妄想を膨らませた私の煩悩を解消してもらおうか!』
もう一度、やれやれと溜息を吐く皆の衆。何故だ。
テオドールだけはいつものようにそそくさと独りで帰り、修行をしているらしい。
哀れ、テオドール。
しかし、その修行は私に勝つくらい強くなるためだという。頑張れテオドール。
「……もう、仕方ありませんね。妻としては複雑ですが、まあ良しとしましょう。本当は、本当はっ、よろしくないんですけどねっ!」
と、ヤケクソ気味に叫ぶリーネ。エイミーとコトネは去年のことを思い出したのか、頬を朱に染めた。
「て、手加減してよねカズキ……去年はすっごく恥ずかしかったんだからね!」
「……エイミー、多分無駄。カズキの鼻の下、伸びてるし」
一方、グローリアが一番顔を真っ赤にしていた。彼女は意外とこういう類のものに耐性がない。
というよりは、責めるのはいいが受けに回ると弱い典型だった。
「ま、またあのような趣向を……? ええい、酒を持って来るのじゃ酒を! 酔わねばやってられん!」
それを聞いたアンヌはニヤニヤと笑う。
「あららグローリア様、お酒を飲まなくてももう真っ赤ですよ?」
アンヌは胆力が強いのか、はたまた満更でもないのか、もしくは初参戦で油断しているのか――割と余裕そうである。
ふむ、去年は何をしたんだったか。
確か水着を着させて、魔術で簡易プールを使って遊ばせたような気がする。
さあて、今年は何をしてもらおうか。
私は恐らく不老の存在で、魔族の寿命は非常に長い。一年という時間など、すぐにまた来るものだが。
例えそれでも、私にはこの一日がかけがえのない日常なのだ。
だからこそ、思う存分に楽しむ義務がある! そう、これは使命なのだ!
私の要求に恥じらう美少女たちを眺めながら、思う。
私はこの棺から出られない。もう一生出ることはないだろう。
彼女たちと触れ合えることもない。棺越しにしか、言葉を交わすことは叶わない。
けれど、それでもいい。一度は死んだこの身、こうして生きていられるだけで満足である。
私は、彼女たちの笑顔が見れればそれでいい。
だからこそ、今日もこうしてセクハラまがいの要求を続けるのだ。
何故なら、今の私はもはや魔人ではなく、ただの性欲魔人なのだから。
人間よ――欲深くあれ!
Fin
ご愛読ありがとうございました。
ここまでお付き合い下さった読者の皆様、本当にありがとうございます。
「グリード ~性欲魔人、魔人になる~」は、これにて完結となります。
どうかまた次回作でお会いしましょう。




