第四十三章 魔人 「アナタを、愛しています――だから、生きて」 「オマエを、愛している――だから、お別れだ」
魔王死亡――その報は正に天地を揺るがすまでの衝撃を魔族たちに与えた。
魔族たちの象徴であり絶対不変の存在であったはずの魔王が崩れたとなれば、彼らにとっては生きる基盤を失ったも同然である。
卑徒の王、ルシフ・ルシフを討伐し、ついに卑徒の恐怖から解放されたという事実すら霞んでしまうほどに。
魔王城は半ば混乱の最中にあった。リーネはまだ未婚であり子もいなかったため、魔王に連なる血族は途絶えてしまったことになる。
リーンに子がいたかどうかは定かではないが、今更確かめようもない。
となれば血筋に関係なく次なる魔王を選定しなくてはならないが、その選定を誰がするのか、どういった基準で行うのか、まったく見当もつかないといった現状だ。
それに、魔王とは代々伝わる召喚の禁術を持つ者として絶大なる権力を得ていたのである。
今や《召喚器》は魔王城のものだけになり、禁術も失われてしまった。次なる魔王を選ぶ余地があるのかどうかすら危ぶまれる。
問題はそれだけではなかった。いや、むしろ絶望的な状況といえた。
救世主として卑徒の王を打倒した異世界人、トウジョウカズキが新たなる卑徒となり、魔王を名乗っているというのだ。
「……それは、本当なのね?」
エイミーは泣きじゃくるアンヌの背中を優しく撫でながら問うた。
「……はい。私、見たんです……カズキ様が、魔王様に――」
そこまで言って、アンヌは顔を伏せてしまう。
その肩は小刻みに震えており、込み上がってくる何かを押さえつけるようであった。
エイミーは周囲の魔族たちに向けて首を横に振った。
コトネ、テオドール、グローリアの三名がそれに頷く。アンヌのただならぬ様子から、何があったのかは想像できた。
さらに言えば、彼女たちはカズキが卑徒になるその瞬間を見ていたのだ。
その後の言動を鑑みれば、カズキの行動にも辻褄が合う。
考えうる限り最悪の展開だと言えた。味方にすれば頼もしいが、敵になればこれほど恐ろしい者もそうはいまい。
トウジョウカズキはこちらの手の内を完全に把握している上に、卑徒の力まで身に着けている。ルシフ・ルシフすら圧倒した力を。
暴走か、あるいは自らの意志かは定かではない。しかしアンヌの話によると、彼は至って普段通りの様子だったという。
その両肩に、純白の翼があるという違いを除けば。
「……どうして、カズキが」
ぼそりとコトネが呟いた。その思いは誰もが抱いているものだった。
本当に彼が魔王を殺したのか――目撃者がいる以上、信じないわけにもいかない。
しかし不自然は点は多々あった。何故目撃者であるアンヌを殺さなかったのか。
その余裕がなかったわけではないだろう。事実として魔王の間に闘争の跡は見られず、非常に綺麗なものだった。
リーネもまた魔王の名を継ぐ者であり、卑徒に匹敵する力を持つ。例えカズキが彼女を圧倒したとしても、争いの痕跡は必ず残るはずなのだ。
そして、最後の疑問。そもそも何故カズキがリーネを殺す必要があったのか、である。
新たなる魔王になると宣言したのは事実だが、どうして突然そんなことを言い出したのか。
思考を巡らせるエイミーたちだが、答えには辿り着けない。
重い沈黙を切り裂いたのはテオドールだった。
「埒が明かんな。ここで唸っていても現実は変わらんだろう、とにかく混乱を鎮めるのが先決ではないのか?」
「ふむ、どうやってじゃ? 魔王不在という現実もまた変わらんのじゃぞ。混乱を鎮めるといっても、その具体策がなければ――」
と、その時。グローリアの言葉を途切れさせたのは、慌てて駆け込んできた一人の兵士だった。
「た、大変です! ひ、卑徒の神殿が――この都市に迫ってきています!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
卑徒の神殿は、その威容をほぼ半減させていた。
崩壊を無理やり魔力で補強したような有様で、今となっては朽ち果てた廃墟を思わせる。
しかし、その神殿が城塞都市に迫っているとなれば黙って見ているわけにもいかなかった。
「あれって……堕ちてきてる、わけじゃないわよね」
と、エイミー。同じく茫然と上空を見上げるコトネが答えた。
「……高度は、落ちてる。でもゆっくりこっちに移動しながら……不時着する、みたいに」
さながら翼を傷めた鳥の魔族のようだ。しかし、あれはそんな生易しいものではない。
あれほどの大質量が墜落すればどれだけの被害が出るか想像もつかない。
しかし、彼女たちには確信じみた予感があった。
あれは落ちてきているのではない、と。
まるで子供が巨大な玩具を自慢するような無垢。もしくは、己の富を誇示したがる大人の悪辣。
その二つを兼ね備えた願望が透けて見えるようだ。
つまり、誘っているのである。こちらへ来い、お前たちの標的はここにいるぞ、と。
それを証明するかのように、神殿は都市の手前――大森林の上空にて停止した。
こんなことをしでかす人物は一人しか該当しない。
「カズキ、貴様なのか……いや、そうなのだろうな。いつだってお前は、こういう無茶をやらかす男だったよ」
テオドールは回想するように目を閉じた。友との決別を誓うように。
神殿から侵食するように這い出てくる魔力は、確かにトウジョウカズキのものに相違ない。
もはや疑いの余地すらなかった。あの中にいるのは彼女たちの仲間であり、そして最強最悪の卑徒なのだ。
グローリアは愛傘を広げると、耐えきれないとばかりに口角を吊り上げた。
「く、くく……まったく、飽きぬ男よなぁお主は。道化の心意気というものを忘れぬその魂、実に見事じゃ。じゃが、妾に――魔王様に喧嘩を売った罪は重いがの」
『クケケケケ、あのクソ餓鬼が立派になったもんじゃねえか! こいつは一発、祝砲をお見舞いしてやらにゃいかんだろうがよ!』
そういうや否や、高台から飛び降りて大森林へと向かうグローリア。
「ちょ、ちょっと!? どこへ――って決まってるか。どうするつもりよグローリア!」
エイミーが静止するべく後に続く。数秒遅れて、コトネとテオドールもまた跳躍した。
「どうするじゃと? そんなもの決まっておるじゃろう、あの阿呆にお灸を据えてやるのじゃよ。後のことはそれから考えれば良い。少なくとも今はアレをなんとかせねば、妾たちは前にも後ろにも進めんのじゃ。違うかの?」
違わない。そんなことは誰もが分かっていることだった。
魔王が殺されたのならば、主君の仇討をするのが部下の定め。ここで忠誠を見せつけなくて何が部隊長か。
ようやく彼女たちの心から迷いが消えた。トウジョウカズキを敵として認識したのだ。
勝てる確率はほぼゼロに近いだろう。
しかし勝算がないわけではなかった。ルシフ・ルシフを仕留める際に使った魔力は相当のものであるはずであったし、魔王とて簡単にやられるはずがない。
加えて、この神殿である。魔力で崩壊を押しとどめながらここまで移動してきたのだから、その消費魔力は膨大なはずだった。
例え勝てなくとも、トウジョウカズキの真意を確かめるチャンスはここしかないと全員が理解していた。
テオドールは不敵に笑い、新しく調達した大斧を担いだ。
「カズキには散々してやられたからな……ようやくその借りを返すことができそうだ。それに、ミラージュの葬式には奴にも顔を出してもらう。そうでなければ、あいつが悲しむだろうからな」
それは、自分に言い聞かせるような物言いであった。一種の自己暗示ともいえよう。
狂戦士とはいえ、かつての仲間と戦うことに何も感じないかと言われれば否である。
だからといって立ち止まる彼ではなかった。障害がどのようなものであれ、粉砕して進むのが彼の矜持なのだから。
エイミーとコトネは、同じ気持ちだったのだろう。声をそろえて、短く呟いた。
「……あの、馬鹿」
紅、蒼、黒、紫――四人の隊長たちは、《強欲》の卑徒を打倒すべく神殿内部へと侵入した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
神殿内部でまどろんでいた私は、結界が侵入者を探知したことで目を覚ました。
「……来たか」
ついに、この時が。
侵入者の数は四。十中八九、彼女たちで間違いない。
彼女たちなら必ず来ると信じていた。それはこれまでの経験であり信頼から来る感情である。
なんという皮肉だろう。敵となった今でさえ、私はこれほどまでに彼女たちを信じているのだ。
「それも、もはやこれまで……か。これが正真正銘、最後の闘いになるだろうからな」
私はルシフ・ルシフのいた王の間を後にする。ここは崩壊が激しすぎる。おあつらえ向きとは言い難い。
大広間に出ると、ぽっかりと空いた天井から懐かしい空気が運ばれてきた。
大森林の――そして、城塞都市のあの繁雑とした空気だ。
何もかもが懐かしいと感じてしまうのは、私の精神が人間とはかけ離れてしまったせいだろうか。
それほどの時は流れていないはずだというのにな。
卑徒は恐らく不老だ。罪を形として留めるという機能である以上、罪が劣化しないならばその姿形が変わることもない。
ならば、この懐かしさは永劫を生きる者としての業なのだろう。
空を見上げる。屍のように青白い月が、こちらを見下ろしていた。
今宵決着は着くだろう。魔族と卑徒の、血みどろの戦いの決着が。
それを特等席で見られるというのだ、嬉しかろう?
ああ、そうか。
この懐かしさの正体が分かったような気がした。
月はこっちの世界でも代わり映えしないらしい。地球から見るそれとそっくりだ。
ふと沸いた郷愁の念を振り払うと同時、最後の結界が破られたのを感知する。
そうだ、来るがいい。
ここには番人も大層なトラップも存在しない。ラストステージとしては拍子抜けのダンジョンだ。
ただし、イベント戦にだけは付き合ってもらうがね。
ゆっくりと息を吐き、思考を切り替えていく。
私は《強欲》の卑徒。非情にして無情のラスボスだ。
さあ、愛しき君たちよ。どうか君たちが、欲深くあらんことを。
その刹那――扉が蹴破られる重低音と共に、現れる四つの影。
わざわざ確認するまでもない。エイミー、コトネ、テオドール、そしてグローリアだ。
私は芝居がかった口調と仕草で彼女らを挑発してみせる。
「ようこそ諸君、勇気ある君たちを歓迎しよう――新たなる魔王となったこの私に対して剣を向ける意味、分かっているのだろう?」
一斉に殺気が集中する。おお、怖い怖い。
両肩の翼を広げると、彼女たちが戦闘態勢に入るのが分かった。しかし、その構えにはどこか迷いが垣間見える。
フン、まったく甘いな君たちは。それでは勝てる戦も勝てぬというもの。
エイミーが一歩前へ。油断なく剣をこちらに向けながら問うてくる。
「カズキ、どうして魔王様を殺したの!? あなたが心まで卑徒になってしまったというのなら、容赦はできない……!」
「容赦できない、ではなく容赦しないと言うべきだよエイミー。さらに付け加えるならば――そんなに悠長に構えていては、死ぬぞ?」
「それは、どういう――ッ!?」
私は生ぬるい言葉を吐くエイミーに向かって突貫。掌から生えた漆黒の魔力剣を振るう。
「くっ……! カズキ、あなたはもう、敵なのね……」
「そうだと言っている。それとも、新魔王に忠誠を誓えるのかね?」
「冗談。そんなこと、できるわけないでしょう!」
魔力剣が受け流される。そして放たれる鎌のようなエイミーの蹴りが私の顎を捉えた。
いやはや、なかなかに効くではないか。そうでなくてはならない。
空中で回転しながら着地すると、目前にはコトネのアイスブルーの瞳が迫っていた。
「……魔王様の仇、そして、カズキを止めるため。その命、ここで頂く」
氷刀《霙》が三閃。蛇のような滑らかな軌道を描くそれらは、狙った獲物を逃さない獰猛な牙だ。
縦、横、そして袈裟――逃げ場を塞ぐようにほぼ同時に迫る剣戟。
《霙》の呪いを考えれば、打ち合いになるのは避けなければならない。私は全てを紙一重で回避すると、雷撃を放散し距離を取る。
横合いから飛翔してきた闇の槍を魔力剣で打ち払う。
グローリアの忌々しげな舌打ちを耳にしながら、私は哄笑した。
「どうしたどうした、君たちの目の前にいるのは《強欲》の卑徒に他ならないのだがね。随分とまあ手ぬるいではないか。よもや手加減などとは言うまいな?」
「ほざけ! 妾に血を吸わせることもなく卑徒に堕ちるとは何事じゃカズキ!」
叫び声は、しかし私の胸に響くことはない。
私の胸中を占めるのは、ただ一つの感情のみ。
――殺せ。
――殺せ。
――殺せ!
「余計なことを考えるなグローリア。こいつはもうカズキじゃない、卑徒だ。これまでだって、俺たちは仲間を犠牲にしてきた。そうだろうが!」
テオドールが爆発的な速度で突貫。大斧が私の頭を掠め去って行く。
私はそれを肯定してみせた。
「そうとも、眷属とて元魔族だ。眷属は殺せて卑徒は殺せないという道理などなかろう。私たちは、クレスだってそうして殺してきたのだからな!」
私は雷速で足払いを放つ。テオドールの巨体が軽々と宙を舞い、その無防備な腹に黒雷の槍を――
ブチかます前に、エイミーの火炎を纏った蹴りに妨害された。
彼女の瞳から零れた何かはすぐさま蒸発して消えてしまう。私はその何かについて考えることを放棄。
再びグローリアが放った黒槍の群れを回避しざま、テオドールとコトネに牽制の雷を繰り出す。
例え一対四という状況であれど、私が優勢なのは変わらない。卑徒になる前でさえ、私は彼女たちを圧倒していたのだ。
しかし、そろそろ気付くはずだ。
もしも私が万全であるならば、とうに決着はついていてもおかしくないことに。
ルシフ・ルシフすら容易く退けた私の力――本来ならばそれだけの戦力差がありながらも、こうしてほぼ互角に戦えていることに。
「……やっぱり。カズキは万全じゃない。私たちの勝ち目だって、まだある。でも――これ、って」
コトネが氷刃を飛ばしながら、疑問符を浮かべた。
それに答えたのはグローリア。グロリアスをくるくると回転させながら、眉根を寄せた。
「ああ、お主の思っている通りじゃろうな。こやつ、どうにも解せんのう。何を企んでおるのじゃ?」
ふむ、流石に聡いな。
だがこの戦いが始まった時点で、私の計画は揺るがない。
踏み込んできたテオドールの大斧を受け流しつつ、グローリアの魔術を相殺。
コトネとエイミーの同時攻撃を二刀の魔力剣でいなし――きれない。
私の魔力は神殿の維持と、とある事に大部分を割いていた。残存魔力量では、彼女たちを同時に相手取るのが関の山だ。
エイミーの蹴りが眉間を掠め、コトネの《霙》が私の左腕を切り裂く。
すぐさま呪いが発動。氷漬けにしようと迫る呪いを断つべく、自ら左腕を切断する。
「く……やはりその呪いは厄介だな。だがお見事と言っておこうか。このまま行けば、私を倒せるやもしれんぞ?」
切断した左腕を掲げながら挑発してみせる。私はさぞ悪役じみた笑いを浮かべているのだろう。
――殺せ。
――殺せ。
――殺せ!
私を――殺せ!
そうすれば、私の悲願は成就して――
「――そこまでです。まったく、本当に演技が下手ですねアナタは。もう見ていられません、計画は中止です。いいですね?」
鈴を転がしたような音色。私がこの世界に来て初めて聞いた、美しい女の声だった。
濡れ鴉を思わせる艶やかな長い黒髪に、同じく吸い込まれそうなほど深い黒瞳。潤いを帯びた淡い唇。余りにも整った顔立ちは一種の芸術を思わせる。
いや、彼女の美貌の前では、どのような美辞麗句を並べたところで役者不足も甚だしい。
突如として現れた闖入者。姉に似た凛とした出で立ちを見間違うものなどいないだろう。
それは、まぎれもなく――前魔王、リーネに他ならなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
わたしは突き刺さる視線を感じながら、カズキに向き直りました。
わたし――つまり、死んだはずの前魔王、リーネが生きていることに驚きを隠せない四人の隊長たち。
一方のカズキはわたしを強く睨み付けています。何故出てきたのか、という表情がありありと浮かんでいました。
「……何故だ、何故出てきたリーネ! もう少しで上手くいくはずだったのだ! それを――」
ええ、やはりアナタはそういうのでしょうね。
でもわたしには無理でした。この選択がこの上なく愚かしいものだと分かっていても、です。
「ど、どうして魔王様が……い、生きて……?」
「……そんな、嘘……」
エイミーとコトネの驚愕の声。テオドールやグローリアも、声にこそ出さないものの同じ気持ちのよう。
わたしは努めて落ち着いた態度で彼女たちに言いました。
「心配かけてごめんなさい、皆。本当ならばカズキの言う通り、全てが上手くいくはずだったのに、わたしが壊してしまう羽目になってしまいました。そのお詫びといってはなんですが、事のあらましを説明しましょう」
私は茫然自失とする彼女たちと歯軋りの音を響かせるカズキを眺めながら語りだしました。
そもそもの発端は、ご覧のとおりカズキが卑徒になってしまったことです。
彼は自らが卑徒に堕ちる覚悟をしていました。そうしなければルシフ・ルシフを討てないであろうことも。
そこで、彼は己が卑徒になってしまった時のための計画を用意していました。
卑徒がこの世に残っていれば、必ず禍根を残すと考えたカズキは――自己をこの世から消すための策を練っていたのです。
まず一つ目。これはわたしの姉、リーンと交わしていた「約束」です。
これは、戦いが終わった後に卑徒になってしまったカズキをリーンが討ち倒すというもの。
卑徒を呼び出してしまった責任をとりたい姉は、この提案を呑みました。そして、カズキを殺す代わりに自らも殺される約束をしたのです。
二人が自殺という手段をとらなかったのは、対外的な問題でしょう。
卑徒が自殺したとしても、どうしても不安はつきまとう。これまでのように、卑徒は魔族によって討たれたという確たる証拠を欲したのです。
しかし、この計画は姉の死によって瓦解しました。
カズキ一人では、やはり自ら命を絶つしかなくなってしまいますからね。
そして発動したのが第二計画――あなたたち隊長格四人に、悪鬼と化した卑徒が討ち取られるというシナリオです。
けれどこの計画には懸念要素が存在しました。あなたたちが果たしてカズキを殺せるのか、という問題が。
そこで、カズキとわたしは一計をうちました。
カズキは欲望に支配され新魔王となるために魔王を殺すと宣言し、わたしは彼に殺されてしまう――というフリをしたのです。
そうなれば、いくらあなたたちでもカズキと戦わざるを得ませんからね。
カズキの演技はどうにも下手糞でしたが、アンヌの協力もあり、あなたたちはまんまと騙されてしまったというわけです。
ここまでが、事のあらまし。
要するにあなたたちは――カズキの壮大な自殺劇に巻き込まれていたのですよ。
他殺でなければ魔族の勝利にならないという理由だけで、信頼する仲間たちを裏切ったフリをして殺されようとしたのです。
本当に――馬鹿ですね、アナタは。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
語り終えたリーネは、私――トウジョウカズキに向かって淡く微笑んだ。
余計なことを、一体何を考えているんだオマエは。
一度は協力しておいて、あと少しで台無しにするなどと。これでは私が滑稽な道化ではないか。
あと、演技が下手糞で悪かったな。
だが、もはや関係ない。演技であろうとなかろうと、私は魔族にとっては絶対なる悪なのだ。
故に滅びねばならない。それも魔族たちの手によってだ。
そんな私の想いも空しく、エイミーたちは戦意を喪失したかのように立ち尽くしている。
拳を握りしめたエイミーが叫ぶようにして言った。
「だってそれじゃあ……カズキは、カズキはあたしたちに殺されるつもりで戦っていたっていうの!?」
そうだ。その通りだ。
それこそが残された唯一の手段であり方法だった。だというのに、何故だ。
私はリーネを睨み付けるが、彼女は怯まない。それどころかこちらに歩み寄ってくる。
動けなかった。そのゆっくりとした歩みから逃れるのは簡単だったはずなのに、どうしてか体が言うことを聞いてくれない。
私の頬に手を当て寄りかかった彼女の瞳は淡く潤んでいた。
「わたしは愚かです……前魔王たるこのわたしが、あなたの生存を望んでいるなどと。まったく皮肉ですね――この世界の者ではなく、卑徒になったあなたが一番魔族のことを想っていて、魔王だったわたしが魔族の望みに反している。ええ、きっと一番馬鹿なのはわたしなのでしょうね」
なにを――何を言っているんだオマエは。
「馬鹿な、私を生かすだと……!? 有り得ん、それだけは断じて! 私は卑徒になったのだ、眷属になったクレスは殺せて私は殺せないとでも言うのか! 卑徒になったラースは殺せて、私は殺せないと!?」
私の言葉に、リーネははっきりと頷いて見せた。
「そうです、アナタはまだ卑徒に呑まれていない。まだトウジョウカズキでいられているじゃありませんか。そんなアナタを魔族のためだからと言って殺すのは、あまりに不憫ではないですか。あまりに、報われないではないですか」
甘い。甘すぎる。そんな認識でよくもまあ今まで魔族を率いてきたものだ。
確かに私は自我を保てているが、それがいつまでも続く保証などない。私が暴走すれば全てが終わりなのだ。
「私のことなどどうでもいい……! 救世主など最初からいなかった、卑徒を討ち滅ぼしたのは魔族たち――これでめでたく終幕だ! オマエは魔王だろう、何故今更になって躊躇する必要がある!」
絶叫する。しかし、エイミーもコトネもグローリアもテオドールも、皆一様に顔を伏せている。
そこにはさきほどまでの殺意はない。ただ悲痛な表情を浮かべ、こちらを見つめていた。
リーネは愛おしそうに私を頬を撫でると、小さく囁いた。
「わたしは、魔王ではないただのわたしは――アナタに生きていて欲しいんです。何故躊躇するのかって、そんなの決まっているじゃありませんか。わたしをただの女にしたのは、アナタなんですから」
そして、すうと息を吸って。
細い腕を一杯に広げ、私を抱きしめるリーネ。嗚咽交じりの声は、神殿内に不思議と響いた。
「……わたしを、未亡人にするつもりですかっ!」
一瞬、空気が凍った。
「…………え?」
四人から反射的に声が漏れる。リーネが発した言葉の意味を咀嚼しようとしているらしい。
私は狼狽えながら、泣き続けるリーネに対して弁解を試みた。
「い、いやだからそれは何度も謝ったではないかね!? それでもいいと言ったのはオマエだろう!」
「いいわけないじゃないですか! アナタは何を言ってるんですか! あんなのただの方便です、夫の無茶難題に耐えるいい妻を演出しようとしただけです!」
「相変わらず腹黒いなオマエは!?」
などと不毛なやりとりとしていると、四人を代表したかのようにエイミーが手を挙げて問うた。
「あ、あのー……夫とか妻って……そういえば、さっきからアナタとかオマエとか呼び合って……あの、そのう、それって、つまり――」
そう、あの時。
魔王の間にて、卑徒になった私がリーネを殺す――というフリをしたあの時の一部始終は、こんな感じだったのである。
――リーネは両手を広げ、私を受け入れるかのような姿勢を取る。
――では、どうぞ。わたしの心の準備は、とっくに出来ていましたから。
――そうか、ならばいい。
――私は彼女の元へと足を進めて、止めの言葉を口にした。
――私は――――――君を愛している。結婚しよう、リーネ。
――そして。
――私は、リーネ・アストラプスィテを――殺した。
そう、殺したのだ。必殺の殺し文句によって彼女を殺し、リーネ・アストラプスィテは死んだ。
そして――彼女はリーネ・トウジョウ・アストラプスィテになったのである。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」
悲鳴めいた絶叫が響く。あの時覗いていたメイドのアンヌもだいたいこんな反応だった。
彼女にも事情を説明して演技に協力してもらい、エイミーたちにリーネが殺されたと伝える役目を与えたのだが。
あいつ、絶対に笑ってたな。きっと報告するときにも笑っていたのだろう。笑いをこらえながら顔を伏せて報告している様がありありと浮かんでくる。
まあ、そんなこんなで。
私たちは、結婚していたのだった。
そうして私は新たなる魔王となり、神殿でエイミーたちを待ち受ける準備をしていたのだ。
ちなみに魔力の使い道は神殿の維持と、もう一つ――リーネの魔力隠蔽である。陰身の魔術の強化版といったところか。
リーネは私の人質として掴まっていた、というシナリオだったのだが、それももうご破算だ。
あれだけ魔王として魔族のことを考えていたリーネが、私一人のために魔族を危険に晒す選択をしようとしている。
結局のところ、私の認識が甘かったのだろう。
私は愛を欲していた。
けれど、私はこんなにも愛されているではないか。
「――だが。それは駄目だ、リーネ」
私はそう呟いてリーネを突き飛ばす。同時に魔力剣を創造し、自らの首に押し付けた。
許してくれとは言わない。そんな資格はどこにもない。けれど、オマエが女になるというのなら、私が魔王にならねばならないだろう。
私は愛されることが出来た。それ以上に求めることなどない。私はもう、とっくに救われていたのだ。
ここで死ぬことこそが私の役目であり使命。結局自殺という手段にはなってしまうが、ここに魔王と四隊長がいるなら問題はあるまい。
追い詰められた卑徒が最後に自分で命を絶った――そういう筋書きにすればいい。
「ダメよそんなの……カズキッ!」
エイミーまでもが涙で顔を歪めながら私を止めようと叫ぶ。
コトネは沈黙を選んだようだった。しかし、一見無表情なその顔が止めてと言っているのが分かる。分かってしまう。
一方、グローリアとテオドールは冷静だった。私の魔力剣を吹き飛ばすべく、魔力を練っている。
「馬鹿な真似はよせ、カズキ。貴様が狂ったならその時は遠慮なく俺が殺してやる。だからまだ死ぬときではないだろうが!」
「死ぬならせめて妾に血を吸わせてから死ぬのじゃな。まあもっとも、妾は好物はとっておくタチでの。妾がお主の血を吸うのは、残念ながらあと千年は先かのう?」
なんだ、君たちまで私を止めようと言うのか。それは都合がよすぎるというものだろう。
私たちは卑徒を殺すために数多くの犠牲を払ってきたのだ。これまでの闘いで死んだ者たちにどう顔向けしたらいいという。
首にかかる魔力剣の圧を強めた。後はこのまま突き刺せば全てが終わる。
リーネが私に向けて手を伸ばす。まるで、届かない世界に思いを馳せるように。
「カズキ――わたしもアナタを愛しています! だから、だからわたしと一緒に生きて――」
私は目を閉じ、首を横に振った。
「リーネ――私もオマエを愛している。だから、ここでお別れだ」
どうか、魔族たちに祝福と平穏があらんことを。
リーネ、オマエなら大丈夫だ。きっと魔族を復興できるさ。魔王に相応しいのはオマエしかいないんだ、責任を押し付けて逝く私を恨んでも構わない。
ああ、だから――そんなに泣かないでくれ。私は、君たちの笑顔を守れたのならばそれでいいんだ。
しかし、どうやらそれも無理な相談らしい。とはいえこれも自業自得か。私は女を泣かせるような最低な男なのだから。
さあ――最後の卑徒よ。今度こそ、真の決着をつける時が来たようだ。
「さよなら、皆――せめて君たちが笑って過ごせる世界になることを、祈っている」
そう言い残して。
私は、魔力剣を己の首に突きたてた――




