第四十一章 傲慢 「汝、その大罪を――」
扉を抜けると、見るもおぞましい空間が広がっていた。
赤黒い、ブヨブヨとした臓腑のような物体が周囲を覆っている。奥の壁からせり出している棒状の《それ》は、召喚に使われる召喚器の亜種に違いない。
息をすることすら憚られるほどの圧迫感。凄まじい腐臭に体が腐っていきそうだ。
ここから先は、絶望しかない。
「――来たなヒューマン。実にいい顔をしている、我々の仲間となるに相応しい相貌だ。歓迎しよう、同胞よ」
そして、玉座に鎮座するは卑徒の王――ルシフ・ルシフ。
《傲慢》の名に恥じぬ慇懃な態度でこちらを見下してくる。それだけで耐えられないほどの重圧。
一体、こいつはどれほどの力を持っているというのか。
今まで相手取ってきた卑徒など比ではない。正に最強にして唯一の絶対存在だ。
ドクン、と。もう一つの心臓のように震える卑徒の羽根。果たしてその鼓動は歓喜か畏怖か。
どちらにせよ私に残された選択肢は一つしかない。卑徒を打倒する――その一点のみ。
人間よ、欲深くあれ。
やりたいことをやりたいように、やり遂げる時がついに来た。
私は巨大な魔力剣を形成して、奴に突き付ける。
「貴様の同胞になるつもりなど毛頭ないね。私は貴様を殺しに来たのだ、ルシフ・ルシフ――同じ異端者同士、ここで仲良く朽ち果てようではないか」
私の声を号令にするようにして、仲間たちもまた一斉に構える。
エイミー、コトネ、テオドール、グローリア、そしてリーン。彼女たちがいれば負けることなどない。たとえどれだけ敵が強大であろうとも、私たちは退くわけにはいかないのだ。
卑徒が残る一体になったということは、即ち《傲慢》が起動するということ。
もう賽は投げられた。奴が動く以上、これから先はどちらかが滅ぶ以外の道は有り得ない。
私たちの強烈な殺気を受けて、傲慢の卑徒が立ち上がった。
六枚羽が優雅に広がり、神々しい荘厳さを放っている。卑徒の王たるに相応しい威容であった。
ルシフ・ルシフはひどく不思議そうに私を見た。
「……それは、つまり俺と戦うということか。分からないなヒューマン、俺と共に歩む以外の選択肢など君にはないように思えるのだが」
心底わけが分からないという風情だ。本当に私が奴の仲間になるとでも思っていたのか。
いや、思っていたのだろう。ルシフ・ルシフの戸惑いは本物だ。
私は理解する。
ああ、こいつは駄目だ。
卑徒ルシフ・ルシフは《傲慢》であるが故に人の心というものを理解できない。
自分だけが絶対不変の摂理にして真理であると信じているのだ。
ことここに至って、対話など不必要だった。私たちに必要なのは交わす言葉ではなく交える刃でなくてはならない。
「貴様にかける言葉はたった一つだけだ、ルシフ・ルシフ――――貴様は、ここで死ね」
故に、一方的に宣言する。
「……いいだろう、君もすぐに理解してくれるはずだ。我らの力が、どれだけ優れているかを」
あくまで余裕を崩さないルシフ・ルシフ。かかってこいと厚顔不遜に仁王立ちしている。
身を絞るような恐怖を抑え込む。奴はただ立っているだけだというのに、それだけでこちらを圧倒していた。
だが――それがどうした。
私はやりたいことやる。それだけだ!
「う、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
咆えた。恐怖ごと振り払うようにして、卑徒ルシフ・ルシフに魔力大剣を叩き込む。
渾身の一撃であったそれは、まるで挨拶でもするかのように掲げられた掌で容易く防がれた。
「……なんだ、こんなものではないだろう? もう少し本気を出せヒューマン。それでは俺には届かん」
私の一撃は薄皮一枚剥ぐことすらできなかった。ルシフ・ルシフの持つ魔力量が、私を凌駕しているということだろう。
それを考慮しても度を越しているとしか形容できない。ラース・ラースの暴走状態の魔力でさえ、これほどの肉体強化は為し得ないはずだ。
だというのに、ルシフ・ルシフは息をするかのように私の一撃を防いで見せた。
「くっ……!」
背後からの援護射撃に助けられ、なんとか距離を取る。
通常の攻撃では効果が薄い。狙うとすれば、あのいかにも大仰な六枚の羽だろう。
しかし、そう易々と背後を見せる相手でもあるまい。状況は正に絶望的といえた。
そして、さらに鼓動を早める体内の羽根。グリド・グリドの残した呪いが、確実にこの身を蝕んでいる。
胸を強く握りしめる。やはり、いざとなれば使わざるを得ないだろう。
遅かれ早かれ、卑徒になるのならば――
「カズキッ、ボサっとするな!」
テオドールが叫んだ。エイミー、コトネも同時にルシフ・ルシフへと斬りかかる。
が、やはり届かない。三人の連携攻撃をもってしても、卑徒の王は赤子をあやすかのようにいなしてしまう。
「残念ながら君たちには我らの仲間になる素質はなさそうだ……ヒューマン、君の眷属にするといい」
「ふざけるな……! 誰がそんな真似をするものか! 消え失せろルシフ・ルシフ!」
グローリア、リーンとともに魔術を放つ。ルシフ・ルシフはやれやれとばかりに腕を振るう。
すると、闇の極光が弾けた。たったそれだけの動作で、私たちの魔術が霧散。同時に凄まじい魔力圧が巻き起こり、ルシフ・ルシフに斬りかかった三人ごと吹き飛ばした。
「が、はっ……!」
壁に叩き付けられた三人の呼気が漏れる。隊長格である彼女たちをもってしても、卑徒の王に一太刀も浴びせることすらできないというのか。
「化物め……!」
思わず呟かずにはいられなかった。圧倒的なまでの暴虐の塊は、ただ存在するだけで我々を押しつぶす。
私は弾かれるように距離を詰める。このまま彼女たちに致命的な隙を晒し続けさせるわけにはいかない。
感情の籠らぬ目でこちらを睥睨するルシフ・ルシフ。雷の散弾をまき散らし、奴の視界を塞ぐと同時に魔力大剣を振り下ろす。
ルシフ・ルシフはさきほどのように腕で振り払いによる迎撃を行ってきた。
それは読めている。同じ手を二度くらいはしない。
フェイントである魔力大剣を解除。奴の振り払いから生じる魔力圧を利用するようにして受け流し、旋回して背部の羽を狙う。
ルシフ・ルシフはこちらの動きに対応できていない。神速で生み出した魔力大剣による横凪ぎの一閃は、確実に卑徒の羽を捉えていた。
が――
「あまり俺を失望させてくれるな、それでは落第だぞヒューマン。小細工など俺には通じん」
一瞬、私は何が起こったのか知覚することさえできなかった。
明らかに対処できる猶予などなかったにもかかわらず、私の剣は届くことはなく。
因果応報とばかりに吹き飛ばされる。ただ魔力の波動を飛ばしただけの、魔術とも呼べない程度の代物だった。
そこから感じ取れるのは明確な手加減だ。壊れてしまわないように慎重に遊ぶ玩具のよう。
要するに、舐められている。
どうやらそこまでしても私を卑徒にしたいらしい。だが、既にこの身には卑徒の羽根が埋め込まれてしまっている。
グリド・グリドの時のような戦法はもはや通じまい。ルシフ・ルシフは私たちを完全に無力化してからでも十分に羽根を埋め込むことが出来るのだから。
だが、ふと疑問が生じる。奴は何故かその場から動くことはなかった。その気になれば隙だらけの私たちを三回は圧殺できただろうに。
そこに勝利への鍵があるような気がしてならない。
何だ、何がある?
《傲慢》であるが故に、一歩も歩くことすらなく容易に打倒し得るという余裕か。
あるいは、背部の羽を晒さないようにしているのか。
だが、どれも違う予感がする。もっと即物的で重要な何か、が――
「あれ、か……?」
私はルシフ・ルシフの背後に聳える《召喚器》を茫然と見据えた。
奴はあれを守護するかのように動かない。そうだ、そもそも《傲慢》といえども、卑徒の存続に拘るこの男が出張ってこなかったのには理由があるはずだ。
それはあの《召喚器》のせいではないだろうか。
その思考ごと切り裂くようにして、光刃が飛来。高密度の魔力を注ぎ込まれた光の刃は、《魔障壁》程度の防御力ではどうにもならない。
「くっ……!」
魔力を放出し、右方に飛ぶようにして回避――いや、駄目だ!
後ろにはリーンがいる。封印解放直後で本調子ではない彼女は、この一撃を避けれない。
私が何をしようとしているのかを察したリーンが悲痛な叫びをあげた。
「馬鹿がっ! よせ、わたしに構うんじゃない! わたしなんかのために――やめろぉおおおおおおお!」
リーンと光刃の間に割り込み、魔力大剣を最大展開。刹那の後、凄まじい衝撃が私を襲った。
歯を食いしばる。光刃は防いだが、まだその威力を損なったわけではない。
魔力大剣に光刃が徐々に食い込むのを感じながら、ニヤリと笑って見せる。
「見くびるなよリーン……この程度で根を上げるほど柔ではないし、だいたい約束したではないか。よもや魔王の姉ともあろうものが、約束を違えるのではなかろうな?」
約束――そう、約束だ。
私はリーネとも約束したのだ。必ず帰ると。
だから、こんなところで死ぬわけにはいかない。これ以上、誰かを犠牲にするわけにはいかないのだ!
「お、ぉおおおおおおおぁあああああああああああああああっ!」
一閃。光刃を断ち切り、振り抜いた。高密度の魔力は霧散し、完全に無力化する。
背後でリーンがやれ馬鹿だの愚か者だのと罵倒を浴びせてくるが無視。まったく、姉妹そろって感情表現が苦手とは難儀なものだ。
ルシフ・ルシフが喜悦の色を浮かべた。まるで私がこうすることを読んで、それを期待していたかのような態度。
「素晴らしい……仲間のためならば身を削ることをも厭わないその胆力、感心に値する。俺は君のような卑徒を欲していたのだ。俺のような《傲慢》は王には相応しいかもしれん、だが卑徒を統べるという意味でなら、より相応しいのは君だろう」
両腕を広げ、私を迎えるように微笑むルシフ・ルシフ。
私は吐き捨てるように言った。
「何が卑徒を統べるだ、馬鹿馬鹿しい! 私は理解したぞルシフ・ルシフ――貴様の本性、その真なる願いを!」
私の考えは恐らく正しい。数々の状況証拠が、それを物語っている。
卑徒が何故魔王であるリーネを狙わなかったのか。
何故リーンを卑徒にせず、殺すこともなく封印したのか。
その答えは、奴の背後にある。
「――貴様は、元の世界に帰りたかったのだろう?」
刹那、空気が凍りついた。
時間が止まったかのような静寂の後、ルシフ・ルシフが静かに顔を上げた。
「……そうだ。俺はこのふざけた世界からの脱却を望んでいた。もっとも、希望は皆無に等しかったがな」
結局のところ、ルシフ・ルシフも私と同じく孤独からの脱却を望んでいたのだろう。
卑徒を増やすために殺戮を繰り返しながらも、ずっと元の世界に帰る機会を窺っていたのだ。
《召喚器》が異世界と異世界を繋ぐ臍の緒だというのならば、確かに破壊されるわけにはいかないのも道理というもの。
また、召喚術を使用できるリーネとリーンは何としてでも生け捕りにしなくてはならなかったということだ。
ルシフ・ルシフはくつくつと自嘲するように笑う。
「世界から追放された大罪人である俺たちが元の世界に戻れるとすれば、これしか方法は残されていなかった……だが、この神殿にある《召喚器》は出来損ないだ。片方だけでは機能し得ない。両方が揃うことでようやく真の《召喚器》足り得る。だからこそ俺たちは魔王城の《召喚器》を狙っていた――そこに現れたのがトウジョウカズキ、君だったのだよ。だが君がこの世界に召喚されたことで、魔王城の《召喚器》は閉じてしまった。再びこじ開けるには君を殺すか、あるいは人間でなくしてしまえばいい」
故に、卑徒は私を執拗に狙い、ラース・ラース以外の卑徒は不用意に魔王城に攻め入ることはなかったのか。
万が一にもリーネや《召喚器》が傷つけば、元の世界に帰る手段は永遠に失われてしまう。
「そして君は我々卑徒となるに相応しい資格を持っていた――つまり、大罪を背負う咎人だ。ヒューマン、今からでも遅くはない、俺と一緒に来る気はないか? 俺と共に、俺の世界で存分に《強欲》を振るうといい」
卑徒の王が手を差し伸べてくる。
それは甘い蜜のような誘いだった。掛け替えのない親友に対するような姿勢で、ルシフ・ルシフは見つめてくる。
私は口角を吊り上げて、その手を振り払うように魔力大剣を一閃する。
「お断りだ、ボッチ野郎――貴様はそんなだから、誰にも理解されずに独りなのだ。独りで帰るのが怖いのか臆病者め。だったらそこで一生蹲っていろ」
それに、何より――
「――私はまだ、ハーレム王国を作っていないのだ! そんな状態で帰るもクソもあるわけがなかろうが戯けが!」
高らかに謳う。私は強欲であり、貪欲なのだ。
人間よ、欲深くあれ。
私の言葉を決定的な亀裂だと理解したのか、ルシフ・ルシフは静かに頭を振った。
「そうか、では残念だが殺すしかあるまい。同胞か、元の世界か――究極の二者択一だ。まったく、どうしてこうも世界とやらは理不尽なのだろうな」
ふと、下らない思考が頭をよぎる。
迷子の子供が同じ仲間に裏切られたとしたら、きっとこんな顔をするのだろうなと。
けれど、決定的な違いがある。
奴はずっと独りで。
私には仲間がいる。
私は仲間たちが体勢を立て直すのを見届けると、再び魔力大剣を構えた。
「――安心しろ、きっちりと故郷に送り返してやる。《傲慢》の卑徒よ、貴様の居場所はここではない!」
「――そうか、それは重畳。是非とも、この俺を孤独から脱却させてくれヒューマン!」
終局は加速する。
終わりへと踏み出すようにして、私たちは再び交差した。




