第二十五章 接吻 「いいのか?」 「――嫌よ」
「カズキ、ちょっと相談があるんだけど……」
そう言ってノックもせずに部屋に上がりこんできたのはエイミーである。
「ふむ、何かね? 残念ながら胸を大きくする方法に関しては心当たりがないのだが」
「違うわよっ! って、ちょ、何で裸なの!?」
勝手に入ってきて勝手に赤くなるとはまた変な奴め。そもそも裸といっても上半身だけだ。
掌で顔を覆っているようで、指の隙間からバッチリ見られていた。私の裸など面白くもないと思うのだが。
「これはあれだな、責任とやらを取ってもらわねば困る。なにせ婿入り前の男の裸を見られてしまったのだからな」
「せ、せせせ責任!? ど、どうやってとればいいの? 結婚……もしかして結婚?」
いや、それは飛躍しすぎだろう。
「そうだな……結婚とまではいかないが、私の裸を見たからにはエイミーの裸も見せてもらうのが道理ではないかね? これなら平等だしお互いに恥ずかしくないぞ」
と、冗談交じりに言ったつもりだったが、何故かエイミーはぽっと顔を赤らめるばかり。
何だその反応は。少しはおかしいと思わないのか。
「そ、そうよね……カズキの裸を見ちゃったんだし、ここは私も裸になるべき――ってそんなわけないでしょうが!」
「うむ。そんなわけないな。よかったよかった」
本気にされたらどうしようかと。ラッキースケベではなく自分の意思で脱がせたいのだ。混乱に乗じるやり口は好みではない。
気を取り直したエイミーは咳払いを一つ。しかしその顔は茹で上がったように赤いまま。
「そ、その……ね? か、勘違いしないで聞いてほしいんだけど……」
「それは勘違いしろという前振りかね。知らずにテンプレ台詞を吐いてみせるとは、なかなかどうしてツンデレの才能がありそうだな」
茶々を入れるときつく睨まれたので黙っておく。
すると、エイミーはとんでもないことを言い出した。
「あ、あたしと……キ、キキキ……キス、して欲しいの!」
――うん?
疑問符が頭の上で乱舞する。キスといっても魚のことではなかろう。そもそもこちらの世界に鱚がいるのかは知らないが。
となるとキスとは接吻のことであるらしい。既に一度彼女とはキスをしたことがあるが、あれは緊急時の特例というやつだ。
故に、お互いにノーカウント扱いだと思ってあえて触れずにいた。
そんなエイミーが、頬を朱に染めて俯き加減でキスをねだっている。
私の部屋。二人きり。そんな単語が掠めて沈黙が降りる。この娘っ子は今の状況をはたして理解しているのだろうか。
「エイミー、それは――」
尋ねようと口を開くと、慌てた様子のエイミーに遮られた。
「いや違うのよ? べ、べつにいやらしい意味とかそういうんじゃなくて、ただ単にカズキの魔力を分けてもらえないかなって……ほ、ほらあたし病み上がりだし? そんなんで卑徒との戦いにはついていけないだろうし? だから変な意味じゃなくて、あの時みたくしてくれればいいの」
あの時、というのはギュスターヴの一件のことだろう。
有耶無耶にしていたのは私の不徳のなすところだが、いざ面と向かって言われるとさすがに動揺を隠せない。
「少し落ち着きたまえエイミー。もちろん私とて合意の上でキスが出来るならそうしたい。相手がエイミーならなおさらだ。しかし、君は強くなるためにキスしろというのだろう? 緊急時ならともかく、好きでもない男に易々と唇を許すんじゃない」
私は諭すように言った。恐らく、彼女は卑徒との戦闘で敗北したことに焦っているのだろう。
だからこそこんな無茶苦茶な願いを通しに来たのだ。
さらに俯いてしまったエイミーの感情は読めない。だが、耳が紅潮しているような気がするのだが勘違いだろうか。
彼女は唇をぎゅっと結ぶと、奥底から搾り出すようにして言った。
「だ、だから――好きでもない男に頼んだりしないわよっ、この馬鹿!」
数秒、思考が停止した。
再び稼働した頭はいまいち正常に働き出してくれない。
もしかしてもしかすると、私は今告白されていたりするのだろうか。
誰が?
エイミーが。
誰に?
私に。
「ちょ、ちょっと。そこで黙らないでよ……ねえ、なんとか言ってったら」
不安そうにこちらを見据えてくる。まるで捨てられた子犬のようだ。
「あー、いや、その、だな。まあその、アレがアレでアレなわけで、つまり……」
いかん。思考がまとまっていない。支離滅裂だ。
しかし、それも当然というもの。
何を隠そう、私は童貞なのだ!
非処女だけど。
私は誰にも愛されなかった。愛されていても拒絶された。
だから貪欲に自分から求めることはあっても、他人から求められたことはついぞない。
ああくそ、顔が熱い。柄にもなく照れ臭くてどうしようもない。ええいこの期に及んで何を純情ぶっているのだ私は。
攻めるのはいいが攻められるのは性分ではない。受けに回るとこうも亀のように縮こまってしまうとは情けなくなってくる。
それでも、これは私が望んだものだ。私が願い、そして欲したものなのだ。
据え膳喰わぬほど落ちぶれてたまるか。決意を秘めた私は、呆とこちらを見上げるエイミーの肩を強く掴んだ。
「……っ!」
覚悟が伝わったのか、ゆっくりと彼女の瞼が閉じていく。そして、ほんの少しだけ緊張に震えている淡い唇が突き出された。
だが、まだ伝えなくてはならないことがある。私は深く息を吸うと、彼女に告げた。
「君も知っているとは思うが、私は強欲者だ。これは呪いのようなものでね、今更切り離せない。だからこの先――私は君だけを愛することは出来ないだろう。欲深く他の者にも手を出すかもしれない。君はそれでもいいのか。こんな屑を好きになったことを後悔しないか。私のことを、愛し続けてくれるのか?」
愛して欲しい。愛して欲しい。愛して欲しい。溢れ出す自我。
自分でも最低で最悪だと思う。女の敵だ。もし第三者の立場だったなら殴りかかっていてもおかしくない。
それでも。それでも私は、欲深くあると誓ったのだ。
エイミーの瞼が開いていく。強い光を宿す瞳に、思わず吸い込まれそうになった。
返答は、とても簡潔に。
「――嫌よ」
否定の言葉と共に、エイミーの顔が接近。
唇と唇が、重なる。
二度目のキスは――蕩けるような、灼熱の味がした。
「んっ――」
吐息は甘美なる調べとなって脳を犯す。天にも昇る悦楽にずっと浸っていたくなる、
「は、ぁ……」
永遠にも似た時間は、しかし数秒のことだったのだろう。
唇を離したエイミーは、顔から湯気が出そうなほどに赤くなり、ペロリと舌を出した。
「嫌に決まってるじゃないそんなの。本当はカズキのことを独占したい、あたしだけを見て欲しい。それが女ってものよ、当然でしょう。でも、それが無理だからって諦めたりもしないけどね。アンタがどうしようもなくスケベで女好きで救いがないのはよーく知ってるから、目を瞑ってあげるだけよ」
「……目、開けていたではないか」
「そ、それはカズキがなかなか手を出さないからでしょうが! それに、やっぱり待ってばかりいるのは性に合わないって思ったのよ!」
奇しくも、ファーストキスの時と同じ構図。
しかし今はあの時とは違う。何もかもが違い過ぎている。
人間よ、欲深くあれ。
「もう一度……いいか?」
「もう……仕方ないわね」
仕方ないといいつつも、満更でもない様子だ。そうまでして意地を張るところもまた可愛らしい。
今度は目を閉じて、恋人同士のようなキスを――
「あ、あわわ……!」
――しようとした寸前で、ミラージュが扉の隙間からこちらを見ていることに気が付いた。
弾かれるように飛び退いた私たちは、あわあわと手を振りながら弁解する。
「い、いやあのね? こ、これは違うのよそういうんじゃなくて!」
「そ、そうだそうだとも。違う違う。これはあれだ、ちょっとしたスキンシップというかだな!」
ミラージュは顎に手を当ててしばらく考えた後、納得言ったという風に得心顔になった。
「どうぞ、続けて下さいであります!」
「「続けられるかぁ!」」
私たちは、綺麗にそろった声で叫んだのだった。




