第十三章 救済 「救いとは?」 「生物にやがて訪れる、平等にして不変なるモノのこと」
私は激痛によって目覚めた。全身が焼けるように熱く、意識が朦朧としている。
「ここ、は……?」
なんとか声を搾り出してから、見知らぬ天井が視界に広がっていることに気付いた。
木製の建造物であるらしい。山奥の山荘といった風情だが、私はそのベッドで眠っていたようだ。
「あら……? 目が覚めましたか?」
と、可憐な声が耳朶を叩いた。激痛を堪えて首を捻らせると、私と同じくらいの年の少女がこちらを覗き込んでいた。
黄緑色の肌に肩まで伸びた茶髪。頭頂に綺麗な桃色の花が咲いているところを見ると、植物系の魔族のようだ。
いまだに状況が呑み込めていない私に、彼女はニッコリと微笑んだ。
「あ、まだ動かないで下さいね。それはもう酷い怪我だったんですから……でも、今は大分治ってきてます。凄い魔力なんですね」
彼女はそう言うと、私の額に当てられたタオルを取り換える。彼女が看病してくれたということだろう。
私はようやく現状を理解し始めていた。そうだ、私は卑徒の神殿から落ちて、そこから転移魔術を使ったのだ。
だが距離が足らなかったか、もしくは転移座標を間違えたようで大森林の外れに転移し、そこで意識を失ったのである。
「君、は……?」
「私はラティラ。あなたのお名前は?」
「私は……東城一輝、だ。助けてくれて、ありがとう。君は命の恩人だ」
どれだけ感謝してもし足りないほどだ。あのまま倒れていたら、ろくに抵抗も出来ず眷属どもに殺されていただろう。
今思い返すだけでも恐ろしい。よくもまああの状況から命を拾ったものだ。
六体目の卑徒に、棺の女。この情報を早く伝えなくてはと思うのだが、意思に反して体は動いてはくれなかった。
テレパシーを送ろうとしてはみたものの、残存魔力が傷の再生に使われているせいで徒労に終わる。傷が癒えるまでは安静にしておくしかない。
「ラティラ……私はどれくらい眠っていた?」
「ええと、二日です。でも、普通なら死んでいてもおかしくなかったっておじい様は仰っていましたから。無事に目を覚ましてくれて本当に良かったです」
心が洗われるような笑みだった。それだけで傷が治ってしまいそうなほどに。
「すまない、ここは何処なのか教えてくれないか。城塞都市ではないようだが……」
「はい、ここはブテール村といいます。この村は大森林の外に位置しますから、カーラコルムとは少し遠いですね」
ふむ、なるほど。私は運よく村の近くに転移したらしい。我ながら呆れた悪運である。
しかし、彼女たちは何故城塞都市ではなく村に住んでいるのだろうか。難民で城塞都市に受け入れられなかったという可能性はあるが、しっくりこない。
勿論、カーラコルムとてキャパシティはギリギリだろう。スラムのような場所もあるし、卑徒も現れた以上は安全であるとも言い難いのだが。
私の疑問を読み取ったのか、ラティラは浸み込ませるように胸に手を当てた。
「私たちは――救済を待っているんです」
救済。それはどういう意味なのだろう。この村にいれば、救いが訪れるとでもいうのか。
だが、彼女の表情はどう見ても晴れやかとは言えなかった。どこか後ろ暗いところでもあるのかもしれない。
救済とやらが彼女を曇らせているのは間違いないだろう。その矛盾を問いただしたかったが、私の瞼がゆっくりと幕を下ろしていく。
「おやすみなさい、カズキさん。どうかよい夢を」
ラティラの優しげな声と共に、心を落ち着かせる花の香りが漂う。
急速な睡魔に襲われ、私の意識は再び闇に落ちて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私の体が完全に回復したのは、それから二日後のことだった。
とはいえ傷の回復に魔力を費やしたので、真の意味での完全には程遠い。おかげで賢者モードが抜けなくて困りものだ。
せっかくラティラと二人、同棲生活のような暮らしをしていたというのに全くエロい気分にならないのである。
くそう、何で毎回毎回こんななのだ私は。もう少し飴が欲しいところだ。
そんな考えが頭をよぎるが、すぐに打ち消される。私は前を行くラティラの尻から目を逸らした。
ブテール村は、村というよりは小さな集落といった趣であった。お世辞にも生活の質は高いとは言えないし、眷属に襲われればひとたまりもないだろう。
もっとも、こういった集落はここだけではあるまい。全ての魔族がカーラコルムに集っているわけではないのだから。
やはり卑徒の力は脅威だ。救世主になりたいわけではない。しかし卑徒を倒すことによってこの村にも平和が訪れるなら、そうしたいと切に思う。
私の力などたかが知れている。それは先の闘いで思い知らされたが、それでも諦めない決意が私の中に生まれていた。
と、ラティラが振り返って私の顔を覗き込んできた。
「何か難しいことを考えているでしょう。カズキさんはなんだか不思議な方ですね。どこか別の国から来たみたいです」
その言葉にドキリとする。女の勘というやつは何故こうも鋭いのだろうか。
私は誤魔化すように笑った。
「ああいや、君の尻が魅力的過ぎてね。思わず宇宙とは何かという問いを真剣に考え込んでいたのだ」
「もう、やめて下さい! わけの分からないことばっかり言って……ちゃんとついてきて下さいよ!」
頬を膨らませて怒りを表現する彼女の後ろをしっかり付いていく。いつぞやのリーネとはぐれた時のことを思い出す光景だった。
動けるようになった私はせめてもの恩返しにと、薬草を摘むのを手伝う約束をしたのだ。
私のために薬草を惜しげもなく使ってくれたのだし、これくらいの仕事をしなければむしろ罰が当たるというもの。
魔力もほとんど残っていないので卑徒や眷属に感知される心配はない。それでも眷属はあちこちに散らばっているようなので、用心は必要だろう。
ラティラの足取りに迷いはない。付近の森もそこまで深くはなさそうだった。
この手伝いが終われば城塞都市に戻らなければならないだろう。惜しくはあるが、あまりリーネたちを心配させたくはない。
「ねえカズキさん、私……」
ラティラが何かを言いかけて止めた。今にも泣き出しそうな空を見上げて、悲しそうに笑う。
彼女は天真爛漫のようで、時折陰りのある顔を見せることがあった。
「どうしたのだね? 手を繋ぎたいとか腕を組みたいというのなら大歓迎だが」
そう言うと、ラティラはくすくすと笑った。
「いえ、違いますよ。唐突ですみませんけど……カズキさんは、死についてどう思いますか?」
死。私にとって、死とはやがて訪れるものではなく自ら放棄するものだ。やりたいことをやれなくなった時、私という存在は死に至るだろう。
私の死生観などその程度のものだ。大層な考えがあるわけではない。
ラティラは漫然と歩を進めながら続けた。
「私は、死を救いだと思っています。少なくともそう教わりました。死とは解放であり肉体からの脱却なのだと。でも本当にそれが正しいのか、私にはよく分かりません」
彼女は儚げに呟いた。今にも消えてしまいそうな錯覚を受けるほどに。
「私はそうは思わないな」
「どうしてですか?」
「死とはただの終わりでありそれ以上でも以下でもない。生の果てに死があるのだ。だから死という結果を目指して生きるのは、間違っている。ただの餓鬼の戯言に過ぎないがね」
私の言葉に、ラティラは静かに頷く。それが肯定だったのか否定だったのか判断のつかぬまま、目的地に到着してしまった。
綺麗な湖のほとりに、お目当ての薬草は群生していた。私たちは手分けして薬草をバスケットに摘んでいく。
それにしても、さっきの問答は何だったのだろうか。教わったと言っていたのだから、宗教か何かの教えだとは思うが。
死を語るラティラの瞳には、諦観の色が濃かった。私の嫌いな、諦めの色彩だ。
そして同時に死神の影がチラつく。まるで外灯に惹かれる蛾のように、死に引き寄せられているのだ。
「さて、どうしたものか……」
できれば彼女を城塞都市に連れて行きたいところだが、そうもいかないだろう。彼女が首を縦に振るとは思えない。
「――きゃぁああああああああああああああああああっ!?」
私が頭を抱えていると、耳を劈くような悲鳴が響き渡った。
まさか。嫌な予感が脳裏をよぎる。
「ラティラ! 一体どうし、」
慌てて駆けつけた私の目に飛び込んできたのは、巨大な鰐を思わせる眷属がラティラに襲い掛かっている光景だった。
私は瞬時に魔力をかき集めた。既に枯れ果てた搾りかすをさらにさらに凝縮させ、黒の雷を発生させる。
全身が沸騰しそうだ。限界を超えた魔力行使に視界がブラックアウト。神経が焼き切れるような痛みが襲う。
それが、どうした!
私は既に狙いを定めていた右手から雷の槍を放つ。肉の焦げる臭いと轟音が、手ごたえを感じさせた。
「ぐっ……!」
体が平衡感覚を失い倒れる。わずかに映し出された視界に、傷一つないラティラの姿を捉えた。
ああ、良かった。間に合うはずのないタイミングだったが、彼女はどうやら無事だったらしい。
あれで眷属を倒せたとは思えなかった。しかし深手を負ったのか再び現れる様子はない。ひとまずは安心してよさそうだった。
「カズキさんっ……!」
ラティラが駆け寄って私を抱き起した。せっかく回復したと思ったらこの有様とは情けない。
痙攣を繰り返す体をなんとか鎮めようとしていると、背後から絶叫にも似た声が聞こえてきた。
「おお……! なんということだ……!」
老齢の男だった。白い髭をたくわえ、両目を驚愕に見開いている。
法衣を思わせる衣装を纏っていることから、恐らくは神官であることが察せられた。
「おじい様? どうしてここに……」
ラティラの茫然自失とした表情。彼女の祖父であるらしい老人は私を一瞥する。
しかし次に降ってきた言葉は、孫娘を救ってくれた礼――ではなく。
「神の御使い様が……! ああなんということだ! なんということをしでかしてくれたのだお前は!」
感謝どころか、呪うような罵倒であった。




