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とある狸の手記

 僕は狸だ。

 名前を”とろわ”という。

 僕は日本に住んでいるから、表記としてはひらがなで”とろわ”と記述するのがいいのだろうけれども、それだと分かり難いのであえてカタカナで、トロワと記させてもらう。

 何故狸がこうしてこちゃこちゃと文を綴っているのかというと、不意に書きたくなったからだ、僕の体験について。

 これを人間が見たらなかなかに粋な書き方の文章だと思ってくれるのではないだろうか。

 主人公が狸で狸の目線から語られるとはなかなかにおもしろいではないか、と。

 僕が思うほど人の世というのは甘くないかもしれないけれど、少なくとも狸界で小説、しかも人間に向けたものを書くのは僕くらいだろう。

 今回は僕の経験した数ある冒険談のうちの一つを、ここに記そうと思う。

 君も狸にでもなった気分で読んでみてくれると幸いだ。


 :


「トロワ、お前、暇をしているんだろう」

 僕はその日急に叔父に呼び出された。

 僕の叔父は古めかしい小さなビルのような建物の一階で、リサイクルショップ兼骨董屋をやっている。

 その店は叔父やその他狐界の重鎮達が切り盛りしているのだ。

 僕がいつものように自分達に割り当てられた部屋で、思索に耽っていると、不意に妹のアンがやってきた。 

 アンから叔父が呼んでいると聞き、僕は骨董屋の方に出てきたというわけだ。

 でっぷりと太った中年男の格好をした叔父は、腹をぷよぷよ震わせながら偉そうにふんぞり返る。

「暇と言えば暇ですけど、忙しいと言えば忙しいです」

 僕は自分の状態を最も的確に表したのだけれど、叔父は不機嫌そうな顔をした。

「どうせ、また何の役にも立たん事でもやっていたのだろう」

 叔父はそう決めてかかる。

 何を言うか、僕は今後の狸界の未来について考えていたのだ。

 狸鍋というものを人間が一〇〇%忘れ去るためには狸一匹一匹が一体どう行動すればよいのだろうという、大変為になる事を考えていたというに。

「お前は捜し物だけは一丁前にできるようだからな。一つ頼まれてくれ」

 その偉そうな態度は人にものを頼む態度か、とどんな狸が見ても思うだろうけれども、僕は果てしなく心が広い。

 このような叔父の態度で怒り出すほど僕は小さな狸ではないのだ。

「何でしょう?」

 僕は笑顔で返事をする。

 すると叔父も表情を少し緩めた。

「お前には今まで、いくつも捜し物を頼んだな」

 叔父は少し遠くを見るような顔をする。

 そう、彼は今まで僕に大層な無理難題を押しつけてきた。

 その様はまるで竹取物語のかぐや姫のようだった。

 さすがに蓬莱の玉の枝なんかを取ってこいとは言わなかったけれども、各地のご当地キャラクターのキーホルダーや根付けをコンプリートしろだの、大王イカを釣ってこいだの、火の玉をつれてこいだの、身の丈3メートルを超える巨大招き猫を持ってこいだの、金の桃を食べさせろだの、嵐を起こす扇を持ってこいだのと何かと言いつけてきた。

 僕はそれを知恵と努力とその他云々を駆使して、クリアしてきたのだ。

 中でも最後の嵐を起こす扇というのが一番ぎりぎり合格ラインだった。

 というのも、そんなもの天狗にでも頼まないと手にはいるはずがない。

 というかあの偏屈な天狗達がそうそうそんなお宝を譲ってくれるはずはないのだ。

 そこで僕は東奔西走し、真っ白な扇ととある犬を連れ帰った。

 真っ白な扇に嵐と書き、叔父が見ている目の前で、眠っている犬をその扇で仰いだ。

 するとその犬がぱっと目を覚ますのだ。

 その犬の名はアラシという。

 叔父の言ったとおり、僕は扇でアラシを起こしたのだ。

 これには叔父も舌を巻いた。

 それから叔父はしばらく何も言ってこなくなった。

 これで僕は叔父の魔の手から逃れられた、今度の事で懲りたか、と思われたのだけれど。

「今度は空飛ぶ畳を調達してきてくれ。捜し物しか能がないお前だ。これくらいやってくれるよな?」


 :


 僕はことごとく仕事というものができなかった。

 昔は僕も叔父の店の手伝いをしていたものだ。

 というのも僕と弟、妹は叔父に養ってもらっているからである。

 なぜ叔父に養ってもらっているのかというと両親は既にあの世へ旅立ってしまっているからだ。

 僕の両親は僕ら兄弟が小さい頃人間に捕まって、狸鍋にされてしまったらしい。

 今の狸の敵は狸鍋を今のご時世好き好んで食べようとする人間と、車等乗り物である。

 もちろん狸だって学習しない訳ではない。

 外を歩く時は念のため、人の姿になるようにしているし、人に変身できない小さな子狸は外を歩かないようにしている。 

 人の姿さえとっていれば、鍋にされる心配もないし、そうそう車にも轢かれない。

 変わり身とは狸達の生きる術である。

 そして僕はその化け術が自分でいうのもなんだけれど、群を抜いてうまかったのだ。

 それはもう小さなものから大きなものまで何にでも変身できた。

 けれど、それ以外の生きていく術はさっぱりだった。

 人間の姿はとれるけれど、生きていくための掃除や料理や裁縫なんかは何一つ、全くと言っていいほどできないし、計算ごとも大の苦手だった。

 こうやって文章を書く事くらいはできるのだけれど、狸が文章をいくら書けても飯は食えない。

 僕は仕事もできず、ただ叔父さんに養ってもらうほかなかった。

 もし僕が店に出る事になると、会計係をやれば計算を間違え、店は赤字の手前まで真っ逆様、店の掃除をやれば、品物が木っ端微塵に砕け、仕入れに行けば、見る目がなくガラクタばかり集めてきてしまう。

 叔父はほとほと呆れ果てた。

 そして最後に頼んだ仕事が捜し物だったのだ。

 最初は難題を押しつける訳でなく、品物の一つとして仕入れてきた指輪を落としたから探してきてくれ、というものだった。

 その後もお使いめいた事や、叔父が望む品物を見つけてくるような、時には難しいけれど、こなすのに頭を悩ますようなものを頼んでくる事はなかった。

 そして、あるときから、僕がどんなものでも片端から見つけてくる事に味を占めた叔父は、僕に無理難題を押しつけてくるようになったのだ。

 今まではどうにかこなしてきたけれど、今回ばかりは途方に暮れた。

 空飛ぶ畳?

 そんなものどこからどう探してくればいいというのだ。

 

 :


 僕は探し人”とろわ”として各界で有名だった。

 狸界ではもちろんのこと、狐界、人間界、更には妖怪達も僕を訪ねてきた。

 僕は叔父だけでなく、いろんなモノ達の捜し物を捜索して回った。

 そのおかげで様々な収集品もでき、人脈も広がった。

 このきっかけをくれた叔父に感謝をしていないというわけではないけれど、何もせずにぐうたらしているのだって僕は大好きだった。

 まぁ、ぐうたらするのが嫌いな人はいないだろう。

 できることなら僕は畳の上で転がって、のうのうと寝て暮らしていたかった。

 しかし、そのようなわがままは今更言えない。

 話を戻すが、僕は先ほど述べたように色々と収集品ができた。

 しかしそれらは僕の使っている部屋に置いておくわけにはいかなかった。

 というのも、そこは弟と妹と僕の3匹共同で使っている部屋だからだ。

 今弟と妹は社会勉強のため、高校生に化けて学校に通っている。

 ちなみに狸が人間界の学校に行くという掟やぶりの事を最初にやらかしたのは僕だ。

 僕は転校生として、高校に潜り込んだ事がある。

 学費や教材費などの費用は、捜し物をした報酬や収集品を売ったお金賄ったのである。

 僕はすっかり学校生活をエンジョイし、そこから、人間でいう中学生ほどの歳になった狸の子供達はそれぞれ人間界の学校に通う事となった。

 つまり僕は狸界の歴史を変えた偉大なる狸なわけだが、叔父はそんな僕を目の敵にした。

 何かにつけては僕に対して、悪口にしか聞こえないような事を言い、皮肉を浴びせた。

 僕だけならまだしも妹や弟にもそのような暴言を吐き、僕は怒り心頭に達した。

 それから僕は弟妹に対して何か言われる度に仕返しとして、いたずらを仕掛けた。

 叔父が風呂に入ろうとしていると知れば、隙をついて湯を水に変え、僕の収集品の一つである本物そっくりな蛇のおもちゃをこっそり投げつけ、夜中叔父の部屋に忍び込み、老婆の姿に化けて叔父の上に一晩乗っかっていた事もあった。

 偉大なる狸を怒らせるとこのような事になるのだ。

 叔父もしばしこういった仕返しが続くと、どういう行動をとれば報いが返ってくるか学習したようで、我が弟妹達に対する暴言はなくなった。

 しかし僕に対する攻撃が止む事はなく、心の広い僕はそれを全て受け止め、努力を重ねた。

 偉大な狸は心が広くなくてはならぬ。

 しかしながら叔父は最終的に言葉だけでなく、無理な捜し物で僕を責め立てた。

 いくら僕が偉大であれ、仕事をしておらず、家賃・食費等何も払っていないのであれば、ただの居候である。

 居候は捜し物の一つくらいしてあげなければ申し訳なく思った。

 そして僕は健気にも空飛ぶ畳を探す努力を始めた。

 これぞまさにお涙頂戴の物語の始まりである。


 :


「空飛ぶ畳? そんなものあるわけないだろう。おまえの叔父はどこかおかしいのか?」

 僕は叔父のいる骨董屋を離れ、海へ向かった。

 骨董屋の前は商店街のような大きめの通りとなっており、人通りも多く、八百屋、肉屋、魚屋という夢のトライアングルがすぐ近くにある、にぎやかな場所だった。

 そんな所で僕の美しい毛並みを晒せば瞬時に人だかりができ、どこかへ連れ去られるに違いなかったので、僕は人間の姿に化けた。

 しかし僕はこの通りに多く出没する一般にオバサンと呼ばれる連中が苦手であった。

 可愛らしい子供の姿に化けた弟と妹がそのオバサン共に群がられているのを見かけた事がある。

 そんな時僕はかわゆい弟達を助けてやりたいながらも言いしれない悪寒が走り、そそくさとその場を逃げ出すのであった。

 そしてそんな僕は今時芸人でもしていないような見事なまでのさらさらマッシュルームヘアに、黒いハイネックに白い長ズボンという、日の照りつける地獄のような暑さの夏なのに大層暑苦しい格好をしていた。

 しかし僕は汗を全くかかない。

 なぜなら普段の毛皮と厚い皮に比べて人間の着る服は大層薄かったからだ。

 こんなもの僕のような偉大な狸には屁でもない。

 しかし、オバサン連中は気持ち悪いものでも見るような目で僕を見る。

 きっと僕がこのような格好をしていながら汗一つかかず涼しい顔をしているのが、不思議でたまらないのだろう。

 決して不気味に思われているわけではない。

 僕は偉大な狸である、人間とは違うのだ。

 僕はさりげなくそれをアピールするため、さっき述べたような姿に変わり、町を闊歩するのである。

 そして今僕は通りを抜けた先の海、その浜に建つ廃墟のようなボロ家の中にいた。

「いやいや、田中氏。この世の中、僕たちのように人間が知らない生物が存在している以上、人間が知らない物もまだまだ沢山あるという事だよ。その中に空飛ぶ畳があっても何ら不思議はない」

 僕の前には机を挟んで、若いながらも冴えない風貌の人間の男、田中太郎氏と、金髪に浴衣というミスマッチファッションを惜しげもなく展開する不可思議な天狗、烏丸カラスマ氏が鎮座していた。

「確かに僕は空飛ぶ畳というものを知っている」

 烏丸氏は遠くを見るような目つきで顎をさすりながら言った。

「本当ですか?」

「いや、しかし」

 僕が身を乗り出すと烏丸氏は顔をしかめる。 

「しかし?」

「僕が知っているのは厳密に言えば畳ではなく、座敷だ」

「なんと!」

 畳ではなく、座敷とは。

 座敷は畳の集まりだからあながち間違ってはいないけれど。

「いや、ちょっと待ってくれないか、お二方」

 そこで、異常に汗をかいた田中氏が口を挟んだ。

 夏だから暑いのは当然だけれど、彼の汗のかきようは半端でない。

「いいかい、どうやったら座敷が空を飛ぶというんだ。そんなのどう考えたってあり得ないじゃないか!」

 田中氏は真っ赤な顔で、ばしんと机を叩いた。

 何をそんなに怒っているのか僕には分からない。

 烏丸氏もきょとんとした表情をしている。

「さっきも言ったじゃないか、田中君。世の中人間が知らないものは沢山あるのだ。ここは黙って受け入れる方が賢明だよ」

「そんなもの! 見てみないと信じられません!」

 そこで烏丸氏は盛大に溜息をつき、ちらりと僕に目配せをした。

「ならトロワ君。君の愛車を彼に見せてあげたまえ」

「分かりました。彼女を連れてきます」

 僕はさっと席を立ち駆けだした。

 田中氏がぼんやりと口を開け、僕を見送る。

 僕は走った。

 我が愛機、マリリンを連れてくるために。


 :


 僕は夏のある日、偶然出かけたゴミ集積場で彼女と出会った。

 捜し物は僕の仕事であり、趣味でもあった。

 今日も何か掘り出し物がないかと、町の外れをしばらく行った先の、人気のない寂れた空き地に僕はやってきた。

 当時は歩くほかにそこへ行く交通手段はなかったため、遠いその地に向かうのは億劫だったが、何もやる事がなく、時間のある午後はそこで有意義な時間を過ごす事を決めていたのだ。

 僕に仕事の依頼をしょっちゅうしに来る常連の一人はゴミあさりが趣味なのかと僕をからかうが、僕の趣味をゴミあさりなどと言うとは心外である。

 僕の高尚な趣味は誰からも理解してもらえないのが悲しいところだ。

 そして、いつものように渦高く積まれた資源の山を物色していたとき、僕の目は山の隙間からにょっと飛び出したハンドルを捉えた。

 車の運転席についているようなハンドルの先は、何が眠っているのか物の影で全く見えない。

 僕は何かこのハンドルに運命を感じ、周りを覆う物をどうにかよけ始めた。

 この作業は思ったより重労働で、多くの労力と時間を有した。

 しかし僕は諦めなかった。

 もし、このハンドルの先がちっぽけな何の変哲もないおもちゃの車だったら?などという事を考えなかったわけではないが、不思議と、このハンドルの先は僕が今まで見た事もないような物に違いないと感じた。

 僕はその勘を信じ、働き続けたのである。

 暖かな昼下がり、この地にやってきたというに、ガラクタを取り終えたとき、空は橙に染まっていた。

 汚れた手を偶然見つけた雑巾で拭い、僕は、その姿を白日の下に晒したハンドルの先を見た。

 それは不思議な事に染み穴、ほつれたところが一つもない座布団であった。 

 埃や土を被って薄汚れてはいたものの、致命的な傷は何もない。

 僕はその悠然たる姿を見て、心高鳴った。

 きっと彼女は僕に出会うため、この地に赴いたのだ。

 しかし、心ない人間の手によって、彼女は小汚いガラクタと共に埋もれてしまったのだろう。

 普段はこの地を資源の山と賞する僕だったがその時だけは、彼女以外はガラクタにしか見えなかった。

 これこそ、僕とマリリンの出会いである。 


 :


 僕は海岸沿いをしばし行った先にある林の中に隠れ家を持っている。

 林の中には木で作られた小さな小屋が建っており、誰かの物置のようだったそこは、僕が訪れた時は既に物がほとんど置かれていなかった。

 きっともう誰も使っていないのだろう、と踏んだ僕は自分に許可を取り、ありがたくその小屋を使わせてもらう事にした。

 仕事として掃除をする時は絶対と言っていいほどの確率で何度も失敗するのだけれど、責任が全て自分に返ってくるとなると不思議と失敗をしなかった。

 そしてどうにか綺麗になった小屋の中に僕は収集品類を詰め込んだのだ。

 そして、その中の一段と飾りたてられたスペース、ほかとは違って命一杯壁や床を磨き、美しく仕上げた一角に彼女は悠然と座っている。

 入り口に程近い場所で彼女はいつも僕の帰りを待っているのだ。

 本当は家に連れ帰りたいところだが、僕と弟妹の部屋に彼女をもてなす場所がない。

 野晒しなどもっての他である。

 それに彼女の存在を叔父に知られては些かならず面倒だ。

 叔父の事である、彼女の存在を知った途端何かと理由を付けて彼女を連れ去ろうとするに決まっている。

 僕は無駄な争いは好まない。

 だから僕は涙を呑んで彼女と別居生活を送っているのだ。

「やぁ、元気にしていたかい?」

 僕は彼女に一声かけ、連れだって外へ出た。

「今日も頼むよ、マリリン」

 僕は彼女に身を任せ、一路田中氏と烏丸氏の待つ民宿へ飛び立った。


 :


「信じられん」

「が、信じるほかない」

 田中氏の言葉を烏丸氏が引き継いだ。

 田中氏はもう呆然と頷くほかないようである。

 僕が田中氏達の待つ建物に戻ると、さっきまで3人で集まっていた部屋の窓が開け放たれているのが確認できた。

 きっと烏丸氏が気を利かせてくれたに違いない。 

 僕はその窓から田中氏の目前へマリリン共々参上仕ることにした。

 僕が身を引くとマリリンはふわりと高度を上げ、十分な高さまできたところで、今度は前に身を傾ける。

 すると次第にマリリンのスピードが上がった。

 そして僕はカーテン揺らめく一室に突入し、田中氏の度肝を抜いたわけである。

「田中君。世の中空飛ぶ絨毯、空飛ぶ座布団があるなら空飛ぶ畳や空飛ぶ座敷があっても不思議はなかろう?」

 烏丸氏がニヤリと笑った。


 :


「お、おい、これはどうやって飛んでるんだ?座布団にハンドルが生えただけじゃないか! 落ちたりしないのか!」

「これとは何だ! 彼女はマリリンだ! そんな口の聞き方をすると彼女の機嫌を損ねるぞ!」

 田中氏の失礼な発言に僕は早口で応酬した。

 僕と烏丸氏、田中氏の3人は今、町の上空を飛んでいる。

 烏丸氏の話によれば、町から程近い山の中にある小さな神社、その中の座敷が、例の空飛ぶ座敷だというのだ。

 昔烏丸氏が噂だてらに聞いた話で、実際に確認した事はないそうなのだが、行ってみる価値はあるだろうという事で、僕らは急ぎそこへ向かっている。

 烏丸氏はそこまでの案内、田中氏は烏丸氏が連れていこうと提案したため、一緒に来ていた。

 田中氏は一週間程前この地にやってきた大学生である。

 そしてひょんなことからさっきまで僕らがいた海岸のボロ家で妖怪向け民宿を経営する事になった。

 僕はそんな彼の下で働くようぬらりひょんの爺様に言われたのだけど、僕が働くとろくな事にならないのは自覚済みだったため余計な事はしなかった。

 ちなみに彼の民宿の一人目の客が烏丸氏である。

 彼以外は今のところ客が来る気配は全くないので、田中氏は烏丸氏に付きっきりなのだ。

 田中氏の仕事は客の面倒を見る事だけだからである。

「こ、この、ま、まりりんさんに気まぐれなところとかはないのかい?」

 田中氏はしどろもどろにそう聞いてきた。

 彼にも少しは礼儀という物があったようである。

「いや、彼女は至って誠実な女性だ。一度決めた事はきちんとやりきる、芯の強い女性だ」

「そ、そうか」

 田中氏はまだ腑に落ちないような表情をしていたが、それ以上は何も聞いてこず、ハンドルにしがみつくようにして、彼女を運転していた。

 ちなみに狸である僕は上空をいかに羽ばたいていたのかというと、九官鳥の姿を借りていた。

 これなら少しは喋る事ができる。

 ちなみに烏丸氏は天狗なので、どういう仕組みなのかは定かでないが、僕らの前を寝そべるように、漂うように飛んでいた。

「例の社はもう少しだ。それまで二人ともがんばりたまえ」

 この中で疲労が見えないのは烏丸氏だけだった。

 僕は九官鳥に化けた事が間違いだったのか、既にスタミナが切れそうである。

 田中氏は慣れないマリリンの運転で疲労困憊のようだ。

 帰りは少し方法を変えねばならぬやも。

「そういえば、神社に例の畳があるという話だったが、それがあったらどうするんだ?」

 不意に田中氏が口を開いた。

「そりゃ・・・・・・あ」

 僕は田中氏の言わんとする事を即座に察する。

「神社の物を勝手に持ち出していいのか?」

 そうである。

 神社の物を持ち出すなど罰当たりにも程がある。

 しかも今回僕らが隙あらば奪おうとしているのは畳ではないか。

 神社から畳を取り上げてみたまえ、一体どんな天罰が下るか分かったものではない。

「しかし、そうは言ってもだ」

 そこで口を開いたのは烏丸氏。

 彼はまるで畳の上に寝そべるかのような格好で口を動かす。

 顔が空の方を向いているので、まるで僕らじゃなく雲にでも話しかけているようだ。

「他に手がかりはない。神社の物を持って帰れはしなくとも何かいい事があるかも」

 烏丸氏は何もなくてもとりあえずお参りをして帰ろうと言った。

 その神社は正直者の願いを必ず叶えてくれるという。

 それならば安心である。

 この純真無垢、聖人君子のような僕であれば、参った途端願いは叶うであろう。

「そうか、まぁ、ここまで来て引き返すのもな」

 下を見れば、既に僕らは森の領域に入っていた。

 振り返ればそこに我が町の姿が小さく見える。

 思ったより短い時間に遠くまで来たようだ。

「そろそろ山頂付近か・・・・・・」

 先頭を行っていた烏丸氏が僕らの横に並んだ。

 目を細め前方を見やる烏丸氏。

 僕も九官鳥の、あまりよいとは思えない目を瞬かせた。

 すると少し先にぼんやりと建物が見える。

「あれは鳥居か?」

 田中氏が前方を指さした。

 ようやくゴールが見えたようだ。

 こうなれば俄然やる気が出てくる。

 僕はその地に一番降り立とうと、羽に力を入れた。


 :


 疲れ果てた僕は、懐かしき地面の上へ思い切り横たわった。

 体も一番落ち着く狸の姿へと戻す。 

 そうして地面に横たわる僕の近くで、ざざっと何かが地面を踏む音がした。

 きっと烏丸氏や田中氏、マリリンがここへ降り立った音だろう。

 僕は砂などがつくのを気にせず、ゴロリと転がりうつ伏せになった。

 顔だけを持ち上げると、そこには大きな鳥居がそびえ立っている。

 その鳥居の奥には石畳が続き、道の先には古ぼけた社の姿があった。  

「さて、トロワ君。いつまでも寝ている場合じゃないぞ」

 転がっている僕の横を烏丸氏、その後ろを田中氏が歩いていく。

 僕はまだこうやって父なる大地と触れあっていたかったが、仕方がない。

 僕はのっそりと起き上がり、いつもの人の姿をとった。

「あ、おまえ戻ったのか」

 やってきた僕を田中氏が少し驚いたように見る。

 まだ田中氏は僕がいろんなものに化けることに対し、慣れていない。

 まぁ、出会って間もないし、それも仕方がないことか。

 石畳の両脇にはにょきにょきと木が生え、枝が歩く者のすぐそばまで迫ってきている。

 雑草も生え放題生えており、ここには長い間人が訪れていないのだろう。

 この社を管理する者はもういないのだろうか。

「どうする? お参りを先にするか、それとも、社の中に侵入するのが先か」

 烏丸氏がニヒルな笑みを口元に浮かべ言った。

 侵入とはなかなかに冒険心をかき立てるようなことを言う。

 ただ、一人田中氏だけはむっつりとしていた。

「侵入とは人聞きの悪い。なんかあったらどうするんだ」

「そうだな、じゃぁ、君は罰が当たらないようにお参りするのがよかろう。僕は空飛ぶ畳が手にはいるよう願ってから作戦を開始する」

「じゃぁ、お参りをしてからミッション開始か。リーダー」

「うむ」

 僕と烏丸氏はなんだか妙な盛り上がりを感じた。

 これから僕らが行うのは神社の中から空飛ぶ畳を回収するミッションであり、リーダーがこのトロワである。

 烏丸氏が僕の右腕、田中氏は臆病な下っ端隊員ということでいこうではないか。

 僕ら3人は社の前に設置されている、壊れそうな賽銭箱の前に並んで立った。

 賽銭箱の奥には社の入り口がある。

 入り口の襖を開ければ、その先に例の畳があるのだろうか。

 田中氏はポケットから100円玉を取り出し、烏丸氏は縁起がいいからと5円玉を取り出し、僕は烏丸氏の上をいき、ありったけの5円玉、全部で9枚を取り出した。

 僕らはそろって小銭を投げ入れ、目を閉じて祈る。

 今後様々なことが万事うまくいきますように、と。

 そして目を開けると、目の前の壊れかけの賽銭箱が心なしか綺麗になっているように見えた。

 これは気のせいだろうか?

「ではリーダー。いざ!」

 烏丸氏の声に僕は深々と頷き、田中氏は深々と溜息をついた。

 僕は賽銭箱の横をまわり、社への小さな階段に足をかける。

 扉に鍵はかかっていないようだ。

 襖の前に僕は仁王立ちした。

 その両脇に烏丸氏と田中氏が立つ。

 障子が所々破け、風雨に晒されたその襖は立て付けが悪そうではあるが、開けるには苦労しなさそうだ。

 お札のようなものも張られていないし、なにやら封印が施されたような物々しい跡もない。

 僕は襖に手をかけた。

 後ろでは烏丸氏と田中氏が固唾をのんで見守っているのであろう、視線を感じる。

 僕は両腕に思いきり力を込め、一気に襖を左右に開いた。

 思ったより襖を開けるのに力はいらなかったようで、勢いよく戸は滑り、ぱんっ、といい音をたてた。

 そして僕らの目の前には今まで放っておかれたとは思えないほど綺麗な色をした畳の姿が。

 美しい正方形を形作るその地は素晴らしきかな四畳半であった。

 四畳半の奥には板張りの小さなスペースがあり、そこには大きな円鏡が一枚奉られているだけである。

 ほかには飾りっ気も何もなく、壁にも天井にも床にも何もない。

 しかしたった一枚の鏡には異常なまでの存在感があった。

「これは入っていいものか・・・・・・」

 珍しく烏丸氏が後込みした。

 田中氏は言うまでもなく仏頂面である。

「不安なら君達二人はここにいたまえ。僕には使命がある。プライドがある。偉大な狸としての誇りがある」

 我ながらかっちょいい台詞をはいたと思った。

 しかし、かっこつけるだけではいけない。

 僕は思わずにやけそうになってしまった顔を引き締め、一歩踏み出した。

 足が畳に触れる。

 僕はその勢いのまま畳へと乗り上げた。

 キッと前を、鏡を見据える。

 途端音を立てて襖が閉まった。

 烏丸氏と田中氏が僕の名を呼ぶのが聞こえた。

 やはりここには人ならざる者がいるようである。

 ならば僕は偉大なる狸として真っ向から勝負するまで!

 僕は後ろを振り返らなかった。

 ずんずんと前へ進む。

 鏡へ向かう。

 そして僕は鏡の前に立ち、それを見上げた。

 いつの間にか僕の姿は狸へと戻っていた。

「あなたはだぁれ?」

 不意に背後から小さな人間の女の子の声がした。

 振り返るとそこには淡い光を放つ着物姿の女の子が座っていた。

 しかし変なところがある。

 光っているという時点で相当変であるが、彼女の大きさがおかしかった。

 彼女の見た目は5歳くらいの女の子なのだが、狸である僕が2本足で立ったくらいのサイズしかない。

 光っているだけで透けているわけではないから彼女は幽霊ではないだろう。

 なら何か妖怪の類であろうか。

「他人の名を聞くのであればまず自分から名乗るのが礼儀であろう」 

 僕はどこかの小説やらなんやらで見聞きした台詞をそのまま用いた。

 別に僕は名を名乗る順ぐらいで腹を立てたりしないから普段はこのようなことは言わない。

「あたしの名前? そんなもの忘れた」

 どれだけ忘れっぽいのだ。

「でも、あたしは座敷童子っていうらしいよ。今年の初めここにきた頭の大きなじいちゃんが、あたしのことをそう呼んだの」

 頭の大きなじいちゃん?

 少し心当たりがあるが、今気にするべきはそれではない。

「君は座敷童子というのか」

 確か座敷童子のいる家は繁栄すると聞いたことがあるがこの神社は衰退の一途を辿ってはいまいか。

 大丈夫なのか、この子は。

「君の名前は?」

 彼女は鼻にしわを寄せる僕の顔を覗き込んだ。

「あぁ、僕はトロワという。見てのとおり狸だ」

「ふぅん、変な名前」

「僕がつけたのではない」

 変な名前だと言われてもこの名前を付けたのは今は亡き我が両親である。

 変だというなら星になった親に言ってくれたまえ。

「それで君は何でここにきたの? この中には普通は入っちゃいけないんだよ。君けむくじゃらだし」

 けむくじゃらは関係あるのか。

 いや、そんなことはいい。

 彼女はこの神社のなんなのだ。

 守り神か何かか?

「君こそ一体ここで何をしている?」

「あたし? ・・・・・・人にものを尋ねるときはまず自分から答えたまえ」

 彼女は一旦何か言いかけた口をつぐみ、いたずらを思いついたような顔でそう言った。

 今度はこちらから何か情報を漏らさねばならんな。

 小奴、なかなかやりおるぞ。

「僕は空飛ぶ畳を入手するべくこの地に赴いた。君、何か知っているか」

 ならば、こう切り込んでみてはどうだ。

 これで自分のことを少し漏らしつつ、相手に情報を求められる。

「あぁ、空飛ぶ畳はこれ。まぁ正しく言えば空飛ぶ四畳半」

「やはりか!」

 思った通り今僕らが向かい合って座っている畳こそ、僕が捜し求めている空飛ぶ畳、いや座敷、うんにゃ四畳半であったのだ。

 しかしどうやって持ち出そう?

「これが目的なの?」

 女の子が無表情で聞く。

 彼女の顔からはなにも受け取れない。

 さっきまで笑顔を湛えていた顔だけあって、甚だ不気味である。

 しかしここで嘘をつくわけにもいくまい。

 彼女はきっとこの畳に憑いているのだ。

 彼女の許可なくしては僕がこの畳を持ち出すことなど不可能であろう。 

「うむ」

 僕は彼女の顔を正面から見据え頷いた。

 二人の間に流れる不気味な沈黙。

 彼女は無表情のまま。

 どうなるのだ、僕の身に何か起こるというのか。

 いつの間にか気絶していて、気づけば鍋の具になっているという悲劇的な最後を迎えることになるのか?

 僕の脳内は自らが墜ちていく様がありありと浮かんだ。

 が、しかし僕の目の前の彼女は予想外の行動にでた。

「わかった! あたしは一生あなたについていく!」

 彼女は急に僕をぬいぐるみのように抱きしめたのだ。

 僕は目を白黒させた。

 彼女のついていく! という言葉が、憑いていく、という意味のように感じた。

「ど、どういうことだい?」

 思い切り抱きすくめられ、僕は息も絶え絶えにどうにか聞いた。

 すると彼女がふっと腕の力を弱める。

 見上げると、彼女が不思議そうな顔で僕を見ていた。

「だって、あなた始終ご縁がありますように、って、お願いしたでしょ?」

「ぬん?」

 僕がお願いしたのは万事物事がうまくいくように、ということであって、断じて座敷童子に一生つきまとわれますように、ではない。

「あなた5円玉を9枚入れたでしょ?」

 確かにそうだ。

 5円玉は縁起がいいと聞いたから僕はそのとき持っていた5円を全て賽銭箱に入れた。

 確かその5円の枚数は彼女の言うとおり9枚。

「9かける5を九九で言うと、くご、しじゅうご。つまり5円玉9枚で、しじゅうごえん、始終ご縁がありますように、って意味になるわけ」

 僕は驚愕した。

 何の気なしに偶然持っていた5円玉を賽銭箱に投げ入れてみたのだが、僕の入れた5円玉達にそんな意味があったとは。

 これが通常の神社に参ったのであれば相当な縁起物であろうが、今の場合は相当迷惑な縁を結ばれそうである。

「あたしはこの地にきてからずっと持ち主を捜していたの。たまにはこの神社に戻ってこないといけないと思うけど、あなたとはずっと一緒ね!」

 とても可愛らしい屈託のない笑顔を浮かべる彼女だが、僕は鼻にしわが寄る一方である。

「さぁ、トロワ! どこに行こうか?」

 僕には彼女を拒む権利はないようである。

 口を挟む隙を与えてくれない。

 いや、しかし、僕が畳を探していた理由だけはきちんと伝えねばなるまい。

「さぁ、早く指示を・・・・・・」

「少し話を聞いてくれ!」

 僕は普段使わない大声を出し、少し声が上ずってしまった。

 彼女はそんな僕を見てきょとんとした顔で見る。

 僕は彼女の反応を見るのが少し怖かった。

 だから俯き、彼女の表情を見ないようにして口を開いた。

「僕が空飛ぶ畳を探していたのは君を捜してきてくれと僕の叔父に頼まれたからだ。僕が君をほしがった訳じゃない」

 居心地の悪い沈黙が降りた。

 彼女は何も言わない。

 身じろぎ一つしない。

 僕はずっと俯いたままに固まっていたが、顔を上げた。

 そして僕は息を呑んだ。

 さっきまで幼い少女の姿をしていた彼女が大人の姿へと変貌していたからだ。

 相変わらず淡く光るその姿は何とも美しかった。

 彼女は俯き、長い睫が白い肌に影を落とす。 

「ごめんなさい、あなたの話も聞かず。でも、私はあなたに運命を感じたの。あなたこそ私の持ち主にふさわしいと」

 彼女は淡々と話した。

 あまりにも長い間この地で過ごしていた。

 昔は座敷童子、子供の姿をして何もかも新鮮で楽しかった。

 でも、月日は流れて、彼女の住むこの神社は寂れ、ほとんど人も寄りつかない。

 彼女の持ち主であった神社の持ち主もいつからか来なくなった。

 そして彼女は長い長い時をかけ、大人になったという。

 彼女ははらはらと涙をこぼした。

「私は前の持ち主、この神社の主には運命を感じておりました。だから彼の元に留まったのです。幾度となく彼の危機を救い、また彼も私を守ってくださいました」

 しかし、ある日ぱったりその人は来なくなり、神社はどんどん荒れていったという。

「我が主がいた頃は幾度となく私を欲しいという人がここを訪れました。しかし運命を感じるような人はいなかった」

 そこで彼女は僕を見据えた。

 いかん、なにやら心臓がおかしな動きをしている。

 胸の中で小人が暴れている!

「でも、ここであなたに出会ったのです。どうか私を外に連れ出してください。新たな主の命でなければ私はこの地から出ることができないのです」

 女性を泣かせてはいけない。

 叔父が言った言葉の中で唯一共感できたことである。

 叔父は生まれてこの方女性を泣かせたことがないと言った。

 それは叔父に女性を泣かせるようなことをしでかす度胸がないせいであろうが、しかし、今の僕にはにっくき叔父に敗北したような感があった。

 これは偉大なる狸である僕の誇りが許さない。

 女性を泣かせるとは何事ぞ。

 叔父のわがままなぞどのようにもなる。

 今は彼女を救うこと、それだけを考えるべきだ。

「もう泣くでない。僕がそなたの主となろうぞ」

 僕は少しふらつきながらも2本足で立ち上がり、彼女に前足を差し出した。

 狸の姿で2足歩行をしようとすれば体に負担がかかるのだが、格好をつけるためである。

 僕はええかっこしいであった。

 そして彼女はふっと顔を上げ、美しい笑顔を浮かべた。

 僕の鼻のしわが伸びる。

 伸びすぎというほど伸びる。

 そして彼女は僕の手を取った。

「ありがとう」

 そして僕が、瞬きをした次の瞬間には彼女は子供に戻っていた。 

「それでは君の家へと行こうぞ。君の叔父上のことは私がどうにかして上げようではないか。大船に乗ったつもりでどーんと構えていたまえ!」

 彼女がそう言うが早いか地面が揺れた。

 見ると四畳半がうごうごしている。

 彼女の姿について何か言う間もなく、四畳半は宙に浮いた。

 ふらふらと危なっかしく座敷は揺れ、僕は彼女に捕まった。

 彼女以外にこの一間に捕まるものはなかったのである。

 僕は彼女の腕の中でぷるぷると震えるしかなかった。

「いざ!」

 彼女は腕を振りあげ、四畳半は勢いよく飛び出した。

 社の障子を突き破り大空へと舞い上がる畳。

 僕は彼女に抱えられ、呆然と夏の澄んだ空を見上げるほかなかった。

 遠くにセミの声が聞こえる。

 おや、セミの声に混じって何か人の声のようなものが聞こえる。

 なんか忘れているような気がするなぁ。

 僕がどこかへ飛んでいってしまった記憶を拾い集めていると、人の声がはっきりしてきた。

「トロワく〜ん!これは一体どういうことか〜!」

「説明をもと〜む!」

 これはなんだか懐かしい声だ。

 僕は三拍の間を置き、全てを思い出した。

 はっと顔を上げれば、畳の横を着物を着た金髪の男と、ハンドルの生えた座布団に乗った人間の男が飛んでいるのが見えたのである。


 :


「ほぉ、トロワよ、よくやった。本当に空飛ぶ畳を持ってくるとは」

 叔父達の営む骨董屋のあるビルの裏手、そこには家を一軒建てられそうなほどの広さがある、大きめの空き地があった。

 僕らはそこに降り立ち、叔父が、運がいいのか悪いのかその場に居合わせたのである。

「トロワ、何をぼーっとしておる。早くそこからおりんか」

 叔父は少女の姿をした座敷童子には全く触れず、僕を指さした。

 田中氏のことや烏丸氏のことは叔父も知っていたから何も言わないのはわかる。

 しかし、彼女のことに触れないのは何かおかしくないか?

 僕は内心首を傾げながらも畳から地面に降りた。

 それと同時に僕だけ狸の格好をしているのが癪に障ったので、人間の姿に化ける。

「ほぉ、なかなかにいいものだ」

 叔父はもみ手をしながら畳に近寄る。

 僕は複雑な心境でその場面を見た。

 不意に叔父が田中氏に視線を向ける。

 いや、叔父が見たのは田中氏ではない、田中氏が今まで乗っていた、マリリンだ。

 叔父は値踏みをするような嫌らしい目でマリリンを見るだけ見て、何も言わず視線を外した。

 僕も畳へと視線を戻す。

 さっきと変わらず四畳半の上に座り込む彼女は僕にウインクをして見せた。

 任せろ、ということか?

 そして彼女から発している光が不意に強くなった。

 次の瞬間には光が弱まり、彼女がまた大人の姿になっているのが見えた。

 彼女は自分の見た目年齢を自由に操ることができるのだろうか?

「おぉ、あなたは?」

 不意に叔父が大声を上げた。

 見ると烏丸氏も田中氏も驚いている。

 そういえば、田中氏にも烏丸氏にも子供の姿の彼女にはちゃんと反応していたのに、叔父には反応がなかった。

 もしかして叔父には子供の姿の彼女が見えていなかったのではないだろうか?

 彼女の意志で姿を見えたり見えなくしたりできるのか、それとも見る人によるのか。

 わからないが、大人の姿になれば叔父にもわかるようだった。

 そして子供の姿が見えていた人には大人の姿も見えるようである。

「私はこの座敷です」

 彼女は艶やかな声で言った。

 今僕のいる地点からは叔父の後ろ姿しか見えないが、きっと今叔父の鼻の下はだらしなく伸びていることであろう。

「そうかそうか、わしが新しい主人になってやる」

 叔父は偉そうな口調で言った。

 僕に対するときとほとんど態度が変わっていない。

 きっと僕が畳を乗りこなせたもんだから自分も乗ることができるに決まっている、そう思いこんでいるのだ。

 彼女はそのような甘いものではない。

 もっとよくわからない生き物だ。

 叔父などの手に負えるものか。

 僕にだって彼女が一体何なのかよくわからないというのに。

 今になっては彼女の話さえ本当だったのかどうか分からない。

 ただ、新しい主人がいないとあの神社から抜け出せない、といったのは本当だったようだ。

 実際社から出た後の彼女は生き生きとして、本当に楽しそうだった。

 そして叔父の言葉を受け、彼女は口元を着物の裾で隠し、くすくすと笑い始めた。

 最初叔父は、それが自分が主になったことが嬉しくて彼女が笑っているのだと思い、贅肉がたっぷりついた腹をぷるぷると振るわせ、一緒に笑っていた。

 しかし、彼女の笑いはそのような穏やかな笑いでは収まらなかった。

 彼女の笑いの勢いは収まらず、だんだんと肩を震わせ始め、ついには声を上げて笑い始めた。

 もう口を隠すようなことはせず、彼女は盛大に笑う。

 叔父は化け物でも見るようなおびえた様子で一歩後ずさった。

 彼女の笑いに何か友好的でないものを感じたのだろう。

 そして彼女はひとしきり笑った後不意に真顔になった。

「おまえに私の主となる資格はない!」

 彼女の声は凛と響いた。

 そしてその声の一拍後、僕の背後、叔父の骨董屋であり、僕らの住む家でもある古ビルの方から、何かが盛大に壊れるような音がした。

 食器が割れたような音や、ガラスの割れるような音。

「ま、まさか?!」

 叔父が悲痛な声を上げた。

 裏返ったその声は空しく辺りに響き、叔父はどすどすと建物の方に駆けていく。

 僕は建物の中へ慌てて駆け込む、叔父を目で追った。

 やがて叔父の姿が見えなくなり、僕は後ろを振り返った。

 そこには既に少女の姿へと戻った彼女が変わらず四畳半に座り込んでいる。

「叔父に何をしたんだい?」

 僕が恐る恐る聞くと彼女はにっと笑った。

「制裁」

 彼女は小首を傾げ、ウインクまでして見せたのである。


 :


 四畳半は些かサイズが大きく、自室に持っていくことはままならなかったため、田中氏の営む民宿に運び込んだ。

 入り口近くに四畳半の小さな部屋があったため、そこの畳をよけ、その座敷をはめたのである。

 小さな部屋には大きな窓がついており、いつでも座敷は発進可能だ。

「田中氏はともかく、烏丸氏は信頼のおける人物だ。何かあったら彼に言うといい」

「わかった!」

 田中氏は相変わらずむっつりとしていたが、彼女が来たことに対しては意外とまんざらでもなさそうな顔をしていた。

「新たな住人は座敷童子か。この民宿が彼女の力で繁盛するといいねぇ」

 烏丸氏がにこにこと言う。

「僕はあなただけで一杯一杯だ」

 田中氏が盛大にため息をついた。

「なぁに、僕は毎日ここに来る。心配はいらないさ」

 僕が田中氏の肩に手を置くと彼は邪険に払いのけた。

「えぇい、腹が減ったぞ! 夕飯じゃ!」と田中氏は大股で去っていく。

「そんじゃ今日はごちそうになって帰ることにしよう」

 僕は些か腹が減り、叔父と顔を突き合わせて夕食をとることには気が進まなかったため、ここで飯を食べさせてもらうことにする。

「おぉ、そうしたまえ」

 烏丸氏がニコニコといい、僕らが移動しようとすると背後に何かの気配を感じた。

「そんじゃ私も」

 振り返れば彼女が四畳半を離れて立っていた。

「君、あの座敷の外にも出られるのか!」

 てっきりあの一間でしか行動できないのだと思っていたが彼女は今板間の上に立っている。

「畳のある建物内は自由に歩けるの」

 気づけば彼女は人の女の子ほどの大きさをしている。

 最初二人きりだった時はあんなに小さかったというのに。

 彼女についての謎は深まるばかりだ。

 今宵は彼女の身の上話でも聞くことにしようか。

 どうも今はうちに帰れそうにない。

 さっき叔父とは一緒に飯を食えないと言ったが、後で座敷童子に聞いた話によると、彼女が叔父にした制裁というのは、叔父が大事にしていた私物の骨董品ベスト3を破壊したとのことだった。

 どうも叔父はあくどい商売をしていたそうである。

 なぜ叔父があくどいことをしていた、という事が分かるのか、と聞いても彼女は曖昧に微笑むだけであった。

 

 今後僕は探し屋家業の傍ら彼女に振り回されていくのであろう。

 しかし忙しいことは嫌いではない。

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