王妃が仕事をしていたら、悪役令嬢ものは始まらない──全員まともなら普通の国家
これだけ悪役令嬢を生み出してきた私は、時々思うことがある。
作品の感想欄では、よくこうした言葉をいただく。
「マジでこの王家の業務分担、どうなっているんだ?」
「この国、上から下までド無能しかいなくない?」
「王子がクソすぎる」
「頭がお花畑すぎるでしょう」
ごもっともである。
国王が王太子をきちんと監督していれば、王妃が王太子妃教育の内容と進捗を確認していれば、宰相や側近が職務を果たしていれば、夜会の最中に突然、婚約者を断罪するような事態にはならない。
証拠は事前に調査される。
婚約の解消は、両家と王家による正式な協議で進められる。
王太子妃候補へ、本来は王宮の官僚や使用人が行うべき仕事が際限なく流されることもない。
働きすぎて倒れる前に、誰かが止める。
悪役令嬢は悪役にされず、公開断罪も起こらず、婚約破棄によって国が傾くこともない。
つまり、全員がまともに仕事をしていたなら、そこには普通の国家運営があるだけだ。
そして普通の国家は、悪役令嬢ものの舞台として、あまりにも物語が始まらない。
悪役令嬢ものにおける「有能な令嬢」と「無能な王家」は、別々の設定ではない。
同じ業務分担の破綻を、反対側から見たものなのだと思う。
王家が無能だから、令嬢が有能なのではない。
王家が仕事をしないから、令嬢が有能にならざるを得ない。
国王は決裁しない。
王妃は教育を任せきりにする。
宰相は王家の問題へ口を出さない。
側近は王太子の機嫌を取り、官僚は「王太子妃候補の仕事だから」と書類を回す。
一人ひとりは、自分の担当ではないと思っている。
あるいは、自分が動かなくても誰かが処理すると思っている。
そして実際に処理するのが、悪役令嬢である。
誰も確認しないから確認する。
誰も調整しないから調整する。
誰も責任を取らないから、失敗しないよう先回りする。
止まれば国が回らないから、倒れるまで働く。
彼女の有能さは、国家が健全である証拠ではない。
本来は複数の部署と役職で分担すべき仕事が、未婚の令嬢1人へ集中している異常の証拠でもある。
そして令嬢が完璧に処理すればするほど、周囲は仕事を覚えない。
彼女が先回りして失敗を防ぐから、王太子は自分の判断が何を引き起こすのか知らない。
問題が表面化しないから、国王も王妃も制度を改めない。
国家の無能が令嬢の有能を生み、令嬢の有能が国家の無能を温存する。
そうして完成した構造から令嬢だけを抜けば、翌日から国が傾く。
彼女が特別な魔法を使っていたからではない。
国家が国家として担うべき仕事を、彼女1人に預けていたからである。
ただ、読者さんは「王家が無能だった」で終わらせてはくれない。
なぜ、そこまで無能になったのか。
なぜ、有能な令嬢1人へ仕事が集まったのか。
誰が最初にそれを許し、誰が見て見ぬふりをしたのか。
王太子が頭のお花畑なら、
「国王と王妃は、どういう教育をしてきたのか」
令嬢が王宮の実務を握っているなら、
「正式な官僚機構は何をしているのか」
令嬢が倒れるまで働いているなら、
「両親も教育係も侍女も、誰も負担を把握していなかったのか」
公開断罪が成立したなら、
「事前調査も警備も議事進行も、全部素通りしたのか」
と、物語の後ろにある原因を突いてくる。
これは読者さんが細かすぎるのではない。
物語の中で令嬢の有能さを具体的に書けば書くほど、その仕事を本来担うべき人間の不在も見えてしまうからだ。
帳簿を確認する令嬢を書けば、会計官は何をしているのかとなる。
外交文書を整える令嬢を書けば、外務を担う官僚はどこにいるのかとなる。
王太子の予定を管理し、派閥を調整し、領地経営まで支える令嬢を書けば、王家も側近も実家も、なぜそれを当然としているのかとなる。
読者さんは、令嬢の有能さを疑っているのではない。
その有能さが必要になった国家の構造を見ている。
感想で尋ねられれば、作者としては作品世界の中にある事情を考えて答える。
王妃にも事情があった。
国王が育児と教育を任せきりにしていた。
王太子を諫める側近が排除されていた。
令嬢の実家も、娘が王家から重用されていると喜んでいた。
本人も期待へ応えようとして、仕事を抱え込んだ。
なるべく筋の通る原因を探す。
しかし、そのさらに奥にある制作上の答えは、
そうなっていなければ、この話は始まらなかったから。
である。
王妃が早い段階で王太子を叱り、国王が婚約者への負担を確認し、宰相が業務分担を是正し、令嬢の両親が娘を休ませていたら、公開断罪の日まで問題は残らない。
だからといって、感想へ、
「正直、そうしないと話にならないのです」
とは答えられない。
それを言ってしまえば、読者さんが作品世界を真面目に考え、登場人物の過去や国家の仕組みを読み取ってくれたことへ、作者が外側から蓋をすることになる。
分かっています。
私も、この国の業務分担はおかしいと思っています。
しかし全員が適切に仕事をした瞬間、この短編は消滅します。
作者の胸中では、だいたいそのようなことになっている。
ただ最近は、あえてそのあたりの事情まで説明しない構成にすることが増えた。
なぜ王妃は止めなかったのか。
なぜ国王は息子を放置していたのか。
なぜ宰相も側近も、令嬢1人へ仕事が集中する状況を見過ごしたのか。
以前なら、読者さんに疑問を残さないよう、本文のどこかへ理由を書いていた。
王妃は病床にあった。
国王は政務を王太子へ任せ、報告だけを受けていた。
諫言した側近は遠ざけられ、残った者は王太子の機嫌を取る者ばかりだった。
令嬢の実家も、娘が王家から重用されているのだと喜んでいた。
そうした事情を置けば、国家と令嬢が現在の形になった経緯は説明できる。
しかし、説明すればするほど、読者さんが考える余地はなくなる。
そこで最近は、原因をすべて明かさず、起きた結果と、そこへ至った痕跡だけを置くことがある。
すると、感想欄がたいへん賑やかになる。
「王妃も同じように仕事を押しつけられて、すでに壊れた後なのでは」
「国王は息子が無能だと認めたくなくて、令嬢に補佐させ続けたのでは」
「官僚たちは令嬢へ仕事を押しつけたというより、彼女が先回りしすぎて仕事を奪われたのかもしれない」
「実家も王家も、彼女が倒れない限り問題だと思っていなかったのでしょう」
同じ本文を読んでいるはずなのに、読者さんによって見えている過去が違う。
王家の怠慢を見る人もいる。
親から子へ続く教育の失敗を見る人もいる。
令嬢自身の抱え込み癖を見る人もいる。
誰か1人の悪意ではなく、全員が少しずつ判断を誤った結果だと考える人もいる。
そこはもう、感想というより、それぞれの考察発表会である。
しかも、作者が考えていなかった原因まで出てくる。
「なるほど、その可能性もあるのか」と、書いた本人が感想欄で納得することさえある。
もちろん、何も考えず説明を省けば、単なる設定不足になる。
本文には、考察できるだけの痕跡が必要だ。
令嬢の仕事量。
王太子の言動。
国王と王妃の不在。
周囲が彼女の働きを当然としている様子。
彼女がいなくなった直後に起きる混乱。
答えそのものは書かなくても、答えへ至る材料は置いておかなければならない。
説明しないことと、設定していないことは違う。
以前、私はテンプレートについて、読者と作者のあいだで共有された「共通言語」になっていると書いた。
婚約破棄。
公開断罪。
有能な令嬢と、彼女の価値を理解しない王太子。
令嬢が去ったあとで立ち行かなくなる王家。
これらはすでに、最初からすべて説明しなくても、読者さんが意味を補える構文になっている。
だから作者が省略した部分を、読者さんは自分の中にある知識や経験で埋めて読む。
ただ、実際に悪役令嬢ものを書き続けて分かったのは、読者さんが補うのは、もはや省略された出来事だけではないということだった。
王妃はなぜ止めなかったのか。
国王はなぜ息子を放置したのか。
官僚はなぜ令嬢へ仕事を集めたのか。
その国家は、どうして今日まで存続できたのか。
本文に書かれていない制度や過去まで、読者さんは痕跡から組み立て始める。
省略された物語を補完するだけでなく、その物語が成立した原因まで考える。
以前は、それを「共同編集」と書いた。
今はもう少し実感を込めて言える。
悪役令嬢ものにおいては、本文が終わったあと、感想欄で国家設定の共同編集が始まる。
一方で、いわゆる王道の「ざまぁ」を目的とした物語では、そのあたりは薄く説明されることが多い。
王太子は婚約者の働きを理解していなかった。
国王と王妃は息子を甘やかしていた。
側近たちは王太子へ追従し、官僚たちは令嬢へ仕事を押しつけていた。
それだけ分かれば、物語を進めるには十分である。
なぜ王家全体がそこまで無能になったのか。
なぜ何年ものあいだ、誰も業務分担を是正しなかったのか。
その国家が、どうして今まで滅びずに存続できたのか。
そこまで掘り下げる前に、王太子は廃嫡され、王家は没落し、国は傾く。
ストレートに、痛快に、そして早急に滅される。
その種の物語で読者さんが見たいのは、組織が腐敗した歴史の詳細ではない。
不当に扱われた令嬢が救われ、彼女を粗末にした者たちが、相応の報いを受ける瞬間である。
そこで王家の教育制度や官僚機構を何千字もかけて説明すれば、爽快感の前に物語が立ち止まってしまう。
だから説明は薄くていい。
王家は無能だった。
令嬢は有能だった。
その価値を見誤った。
そして滅びた。
ざまぁとしては、それで完成している。
いわゆる王道のざまぁは、ほかの作者さんがすでにたくさん、痛快に、鮮やかに描いている。
だから私は、そこを真正面から書くことはあまりしてこなかった。
王子が断罪される瞬間より、その王子をそこまで放置した王家を見る。
令嬢が去って国が滅びる結末より、令嬢1人が去っただけで滅びる業務分担を見る。
婚約破棄そのものより、その翌日に誰の予定表が真っ白になり、誰の机へ書類が積まれるのかを見る。
無能な王太子を倒すのではなく、なぜその無能が王太子として今日まで育ってしまったのかを考える。
正面には、もう十分に面白い物語がある。
ならば私は、その少し横や、後ろや、終わったあとの場所から書いてみようと思った。
正面から見れば、悪役令嬢が断罪される物語である。
少し斜めから見れば、国家の業務分担が破綻している物語になる。
反対側から見れば、1人の令嬢へ依存しながら、その価値を誰も理解していなかった組織の物語になる。
さらに少し離れて見れば、全員がそれぞれ自分の役目を果たしていれば、そもそも何も起こらなかった物語でもある。
私はたぶん、悪役令嬢そのものよりも、悪役令嬢を生み出してしまった周囲の構造を書くことが多い。
そして、その構造をすべて説明せずに置いておくと、読者さんがそれぞれ別の角度から覗き込んでくれる。
だから感想欄では、王妃の責任が問われ、国王の教育方針が検証され、官僚機構の存在が疑われ、令嬢の実家まで事情聴取される。
私は斜めから書いたつもりなのに、読者さんはさらに別の斜めから見ている。
その結果、本文より感想欄の方が、国家の全体像に詳しくなることさえある。
そんなことを考えながら、王家の業務分担だの、教育体制だの、国家の構造だのを延々と斜めから見てきた。
ところが先日、ついに、
「細かいことはいい。とりあえず殴らせろ」
という悪役令嬢まで、うちの子に加わってしまった。
制度も帳簿も後回し。
王家がなぜここまで無能になったのかも、誰が王太子を甘やかしたのかも、ひとまずどうでもいい。
目の前に腹立たしい相手がいる。
ならば殴る。
ついに私も、斜めから見続けた末に、一周して正面へ戻ってきたのかもしれない。
――と言いたいところなのだが、この令嬢、断罪の場ではきっちり正論無双まで始める。
相手の発言の矛盾を拾い、証拠の不備を指摘し、責任の所在を整理し、逃げ道を1つずつ潰したうえで、最後に殴る。
細かいことはいいと言いながら、細かいところを誰より正確に見ている。
理屈を放棄した脳筋ではない。
理屈では完全に勝ったので、あとは物理でも勝たせろという、妙に高性能な悪役令嬢である。
どうやら私は、王道のざまぁへ戻ったのではなかった。
正論と拳を両方装備した、変にハイグレードな令嬢を生み出しただけだった。
そして、存外、理由づけは薄い方が受けがいいことも分かった。
王太子は愚かだった。
令嬢を軽んじた。
正論で叩き潰され、最後には殴られた。
それだけで話は速く進み、読者さんも迷わず楽しめる。
国家がなぜそこまで歪んだのか。
王妃は何をしていたのか。
側近や官僚は、どうして誰も止めなかったのか。
そこを細かく説明しなくても、いや、説明しないからこそ、勢いを失わずに読めることがある。
分かってはいる。
分かってはいるのだが、私の性質上、どうしても考えてしまう。
この仕事は本来誰の担当なのか。
なぜ令嬢だけが処理しているのか。
王子がここまで育つまで、周囲の大人は何をしていたのか。
この国は、昨日までどうやって存続していたのか。
これは、おそらく私が普段、介護現場で働いていることとも無関係ではない。
誰か1人が先回りして仕事を抱えれば、その日は回る。
本来なら複数人で分担すべき仕事も、その人が処理してしまえば、表面上は何も問題が起きていないように見える。
しかし、回ってしまったことで、人員不足も業務分担の破綻も表面化しない。
そして、その人が休むか、辞めるか、倒れた日に、初めて組織全体が慌てる。
そういう光景を現実で見ていると、物語の中でも、
「有能な令嬢が、すべて処理していました」
だけでは終われなくなる。
なぜ彼女が処理しなければならなかったのか。
彼女が処理している間、本来の担当者は何をしていたのか。
そして彼女がいなくなったあと、誰がその仕事を引き継ぐのか。
どうしても、そこまで考えてしまう。
薄くていいと分かっているのに、隙間を見ると理由を入れたくなる。
帳簿を置きたくなる。
担当者を決めたくなる。
引き継ぎ手順まで考えたくなる。
たぶん私は、細かいことはいいから殴らせろと思いながら、その拳が届くまでの業務フローを確認してしまう作者なのだ。
夜勤明けです。
今日はビールです。安いやつ。
明日は日勤+遅番で12時間勤務なのに、寝ないでこんなものを書いています。
こうでもして頭の中に溜まったものを外へ出しておかないと、余裕のなさを利用者さんへ向けてしまいそうなので、今のうちに抜いております。
ついでに、ストックも1本、一緒に上げておきます。
酔うとこんなもんです。
そしてローソンの牛塩ホルモンが美味しいです(^q^)




