人生劇
掲載日:2026/04/24
人生は劇なのだろうか?
私は果たして劇の主演なのだろうか?
はたまたただの脇役なのだろうか?
私という人物は主演をやらない脇役なのだろうか。
誰も彼もが人生の主役は自身だと主張しておきながら、実態は集団やルールを優先している状態だ。
これは主役なのだろうか?
確実に選択し集団のルールを選んでいたのなら主役だろう。
しかし、そうでない人が多いのも事実だ。
考える事を放棄し従う事が正しさだと誤認する。
従わない奴は、はぶかれ拒絶されるか、従う輪に無理やり押し込められるだけだ。
こう考えている私も誰かを自身のルールに従わせようとしているに過ぎないかもしれない。
誰かの犠牲誰かの妥協の上に立つのは己のみ。
やはり全ての人は自分の人生の主役だ。
犠牲の上に立つからには、相応の覚悟と責任を持たなければ、犠牲を無駄にしてしまう。
そうか、劇は誰も無駄にはしない、誰でも必要とされる役がある。
私が主役を略奪してしまうのならば、無駄ではない主役という意志を続ける。
私が私であるために。
そして同時に私は犠牲でもあり続ける、生きるために。




