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第1話 走れ、走馬灯(キネマスコープ)

真空管の溜息

 1.  泥舟に乗った男たち


 昭和二十八年九月。内幸町の東京放送局(NHK)から目と鼻の先、新橋の雑居ビルに間借りした「日本民間テレビ(JMT)」の廊下は、常に怒号とタバコの煙で満ちていた。    


 工藤誠は、重い16ミリ映写機を担ぎ、狭い階段を駆け上がっていた。

「邪魔だ、どけ!」  

 背後から鋭い声が飛ぶ。

 振り向くと、自分と同じJMTの腕章を巻いた男が、涼しい顔で誠を追い抜いていった。  

 佐伯航太。  

 誠と同時期に採用された男だが、素性は正反対だ。

 誠が映画の撮影所上がりの叩き上げなのに対し、佐伯は帝大出の元新聞記者。

 テレビを「情報の伝達手段」と割り切り、感情を排して計算高く動く男だった。

「工藤、そんな旧式の機械を担いでるから遅れるんだ。これからは情報の速さこそが価値になる。無駄なカット割りにこだわる映画ごっこは、今のうちに卒業しておけ」  

 佐伯は眼鏡の奥の目を細め、誠を冷ややかに一瞥して報道フロアへと消えた。

 誠は奥歯を噛み締めた。

「映画ごっこ……だと?」  

 誠にとって、は命だ。

 光と影が織りなす一瞬の美しさが、茶の間の誰かの心を揺さぶると信じている。

 だが、今の現場にそんな情緒を解する余裕など微塵もなかった。


 2.  「怪物」の洗礼


 誠が所属する制作一課の主、黒岩大吾ディレクターは、スタジオの隅で不機嫌そうにパイプを燻らせていた。  

 かつて映画界で「鬼の黒岩」と恐れられ、大喧嘩の末にこの泥舟(テレビ局)に流れ着いた伝説の男だ。

「おい、誠。今日の生ドラマ『晩餐のあとで』の台本、書き直したぞ。読んどけ」  

 渡された藁半紙は、書き殴った赤ペンで原型を留めていなかった。

「……黒岩さん、これ、ラストシーンが全然違います! ヒロインが窓の外を見るんじゃなくて、カメラを凝視するんですか?」

「そうだ。映画なら風景を見せればいい。だがな、テレビは『視線』だ。四角い箱の中から、お茶の間を睨みつけるんだよ。視聴者と目を合わせる。それがテレビの暴力性だ」

 黒岩の目は、血走っていた。

 この男は、テレビという新しい怪物の正体を、誰よりも早く掴もうと足掻いている。

「いいか、誠。今日は生放送だ。VTRなんて魔法はねえ。一度始まったら、俺たちは神様に祈るしかねえんだ」


 3.  魔の時間、19時30分


 本番が始まった。  

 小さなスタジオには、主演女優の香里奈と、相手役の青年貴族に扮した若手俳優が立っている。  

 誠は三番カメラのアシスタントとして、ケーブルを捌きながら、黒岩の演出を必死に追った。    

 ドラマは順調に進んでいた。

 だが、クライマックスまであと三分というところで、最悪の事態が起きた。  

 照明の一角から「パン!」という乾いた破裂音が響いたのだ。  

 過酷な熱に耐えかねた電球が砕け散り、主演女優の顔に当たるべき「メインライト」が消えた。

「サブ(副調整室)から指示! 三番カメラ、もっと寄れ! 暗い顔を逆光で誤魔化せ!」  

 インカムから絶望的な声が届く。

 だが、寄れば寄るほどノイズが走り、映像は見るに堪えないものになる。  

 隣で報道の速報原稿を整理していた佐伯が、サブの窓越しに冷たく呟くのが見えた。

「……放送事故だな。テストパターンに切り替えて、音楽を流すべきだ」

 黒岩がマイクを掴み、吠えた。

「ふざけるな! 誠! お前の足元にあるレフ板(反射板)を持て! 床に這いつくばって、隣のライトの光を拾って香里奈の目にぶち込め!」

「えっ……でも、僕が映り込みます!」

「映らなきゃいいんだよ! ギリギリのキワまで攻めろ! 泥棒みたいに忍び寄れ!」


 4.  執念の「逆光」


 誠は動いた。

 カメラの三脚の下を潜り、ケーブルの山を飛び越え、舞台セットの裏側に滑り込む。  

 手にした銀色のレフ板を、床スレスレの角度で調整する。  

 熱い。

 ライトの熱が、反射して誠の顔を焼く。    

 ファインダーの中の香里奈の瞳に、小さな光の点が宿った。  

 黒岩が指示した「カメラへの凝視」。

 ライトが消えたことで、皮肉にもヒロインの周囲は深い闇に包まれ、その瞳の輝きだけが異様な凄みを帯びて浮かび上がった。  

(いける……これだ!)  

 誠は腕を震わせながら、ミリ単位で角度を保った。

 セットの陰、カメラの死角。

 そこに誠は、文字通り「テレビの裏方」として消えた。    

 香里奈がカメラのレンズを真っ直ぐに見つめ、最後の一言を放つ。

「……さよなら。明日も、ここで会いましょう」    

 カットが掛かった瞬間、スタジオにいた全員が、熱気に浮かされたような溜息をついた。


 5.  砂嵐の向こう側


 放送終了後、撤収作業が続くスタジオで、誠は汗まみれのまま床に座り込んでいた。  

 佐伯が通りかかり、足を止めた。

「……運が良かったな、工藤。あんなのは技術じゃない、ただの悪足掻きだ」

「技術じゃないかもしれない。でも、佐伯さん。あの瞬間、テレビの前の誰かは、今の香里奈さんと目が合ったはずだ」  

 佐伯は何も答えず、足早に去っていった。

 その背中には、彼なりの焦燥が見えた。

 黒岩が誠の肩を、脂ぎった手で叩いた。

「誠、今日のは『画』になってた。だがな、明日はもっと酷いことが起きる。それがテレビだ」    

 誠は、電源の落ちた受像機の黒い画面を見つめた。  

 そこには、疲れ果てた自分の顔が、薄らと映っている。    


 昭和二十八年、秋。  

 テレビという怪物は、まだ産声を上げたばかりだ。  

 工藤誠の本当の戦いは、ここから始まる。

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