第9黒 復讐対象:元勇者パーティの魔導士ウィザー
ヴァルディスを離れた夜。
月は雲に隠れ、街道は黒い絹の帯のように静まり返っていた。
リィナ、シルフィ、カイゼルの三人は、音を殺して進んでいた。
馬も使わず、ただ影の中を滑るように歩く。
「次は……あの女ね。」
リィナは歩みを止めず、低く呟いた。
脳裏に浮かぶのは、オルフェンの書斎で見つけた封筒の中身。
細密に記された住所。魔導通信の記録。
王国魔法協会の内部構造の簡略図。
すべてが一本の線で繋がっていた。
――ウィザー=アルヴァレン。
かつて背中を預けた仲間の名。
リィナの赤い瞳が、わずかに細められる。
「影が……騒いでますよぉ。」
シルフィが耳元で囁く。
「この街……嫌な気配が多いですねぇ。隠してるつもりでも、全部見えてますよぉ。」
リィナは短く頷く。
「ここに住む者も、奴らと変わらない……」
赤い瞳が周囲を走査する。
窓に残る魔力の残滓。
警備兵の巡回の間隔。そして通行人の表情。
すべてが情報となり、頭の中で組み上がっていく。
やがて街の中央に、巨大な塔が姿を現した。
王国魔法協会の象徴。夜空に突き刺さる白い塔。
青と白の旗がはためき、結界の淡い光が外壁を覆っている。
だが、その輝きはリィナの目にはただの檻にしか見えなかった。
「……この塔にいるですねぇ。上級魔導士が。」
シルフィが影の中から呟く。
「警備は厳重。巡回も多い。けど……影の通り道は残ってますよぉ。」
カイゼルは上空に浮かび、結界の波動を解析していた。
「ほう……多重防御か。
外壁結界、警戒感知、魔力識別……なかなか用心深い。」
口元が愉快そうに歪む。
「だが、綻びはある。天才というのは往々にして、己の力を過信するものだからな。」
その後、三人は街の各所で情報を集めた。
酒場の隅。露店の裏。
路地裏の手引き屋。
断片だった噂が次第に輪郭を持ち始める。
「……昨夜も協会に戻ったらしいぜ。」
「研究室に籠りっぱなしだとよ。」
「詠唱なしで魔法を使う研究とか……正気じゃねえ。」
そしてウィザーが協会内で秘密裏に魔法を研究していること、
日常的に魔力結界を張り、魔法障壁で侵入者を防いでいることを確認する。
リィナの瞳に冷たい笑みが浮かぶ。
「……知りたいことは、全部分かったわ。」
そのときだった。
夜の街を歩く彼女たちの背後で、微かな足音が混じる。
一定の距離を保ち、決して近づかない影。
シルフィの声が闇の中から響く。
「……あの小男、怪しいですよぉ。」
リィナは振り向かない。
「魔法協会に売る気ですねぇ。
さっきから記録を書き続けてます。」
小男は袋を抱えながら、必死に尾行していた。
(やっぱりだ……黒のカサブランカ……!)
額に汗が滲むが、口元は歪んでいる。
(これだけの大物の情報……一生遊んで暮らせるぞ……!)
その瞬間。
「…そこの男、止まりなさい。」
氷のような声。
小男の背筋が凍る。
振り返った瞬間、赤い瞳と目が合った。
「ちっ……バレた!」
彼は一目散に走り出す。
急いで負うリィナ達だが入り組んだ路地に加え、
相手は土地勘もあり中々捕らえることが出来ない。
「面倒だな……殺すか?」
カイゼルが冷たく言う。
「だめよ。」
リィナは即答した。
「ここはアイツらの縄張り。騒ぎは避けたいわ。」
「だが…逃げられてたら元も子もないだろう?」
――その時。
路地の闇が裂けるように、複数の影が現れた。
黒衣の集団が音も無く小男を包囲する。
「――心配無用。情報は渡させぬ。」
小男は膝が震え、その場に崩れ落ちた。
取り囲まれた恐怖で声が裏返る。
「お、おい、待て!俺はただの住人だ!」
「我々はレジスタンス……残念だが既に調べはついている。
お前を放っておけば、あの連中に情報が渡る。」
リーダー格の人物が静かに続ける。
「や、やめろ……!」
小男は袋を抱え、必死に後退する。
だが、黒衣の影が左右から迫り、逃げ場は完全に塞がれていた。
「く、くそ……どうすれば……!」
リィナは一歩踏み出し、冷たい声で問いかける。
「お前が魔法協会について知ってる情報、全部吐きなさい。そうしたら命だけは助けてあげる。」
小男は必死に抵抗するも、影に覆われた路地では逃げ場はない。
「……わ、わかった……!」
小男は怯えきって座り込み、震える声で告白を続けた。
「そ、その……ウィザー……魔法協会の大魔導士とは……
繋がっている貴族がいるんです……研究に資金を出していて……
研究内容にも詳しい……」
リィナは微動だにせず、赤い瞳を鋭く光らせる。
「……名前は?。」
小男は顔を歪め、恐怖で言葉を絞り出す。
「オルベール……オルベール=カインハート子爵です……!」
その名を聞いた瞬間、リィナの体に冷たい血が流れるような感覚が走る。
目の奥で怒りが赤く燃え上がり、呼吸は浅く、剣を握る手に力が入り、微かに指先が震える。
「……オルベール……」
吐き捨てる声は、憎悪の塊だった。
「……あの時、私を裏切った……あのクズか……」
闇の魔装がざわめき、暗黒紋章が血のように光る。
影が周囲に広がり、街角の闇がさらに深く沈む。
リィナは振り返らず、低く冷たく言い放つ。
「……次に会うとき、オルベール……あんたの全てを奪う。」
その言葉は、決意ではなく――確定した未来を示しているようだった。
リーダー格の人物が思わず息を呑む。
「……その怒り、只者ではないな。」
小男は顔面蒼白、袋を抱きしめたまま、唇を噛みしめ震える。
リィナの赤い瞳が、夜の街の闇に深く沈む。
復讐は、もう止まらない。
まずはウィザーに手を貸す裏切り者――オルベール=カインハート子爵。
その後は貴方よ。――ウィザー=アルヴァレン。
――貴方はそう簡単には殺さない。じっくり地獄に落としてやるわ。
闇の中で、黒百合の影が静かに歩き出す。
その足音を聞いた者は――誰もいなかった。




