第8黒 黒百合は慈悲を知らない
館の奥。
オルフェン=グレイスナー子爵は部屋の中央に立たされ、
壁際には剣や闇の魔力が影のように揺れる。
「……まさか、ここまで……」
声が震え、汗が額を伝う。
リィナはゆっくり歩み寄る。
金色の髪の一部が闇に溶け、赤い瞳が冷徹に光る。
剣はまだ鞘に収められたまま。
だが、その気配だけで子爵の心臓は跳ね上がる。
「“黒のカサブランカ”……」
子爵は声にならない呻き。
その名が、皮膚の奥まで刺さる。
「……あなたも知っているでしょ?
私が誰を許さず、誰を回収するか。」
リィナの声は低く、氷のように冷たい。
空気が張り詰める。
子爵は無意識に後ずさる。
「……最後に、何か言いたいことはあるかしら?」
その瞳の奥に、赤い炎が揺れる。
「ま、待て……!金ならいくらでも出す!
爵位も!領地も!何でもくれてやる!!」
子爵は必死に叫ぶ。
その声は醜く裏返り、かつての威厳は微塵も残っていない。
「俺を殺せば……王国が黙っていないぞ!
お前も追われる身になる!それでもいいのか!?」
必死の脅し。
だが、その言葉の直後。
部屋の空気が、ふっと歪んだ。
闇の奥から、低く愉悦を含んだ笑い声が響く。
「――くくくっ……それは脅しのつもりか?。」
影が蠢き、闇が凝縮していく。
そこから現れたのは、黒衣の男。
鋭い金の瞳を細め、口元に傲慢な笑みを浮かべる。
カイゼル=ダークロード。
子爵の顔が、完全に血の気を失う。
「ま、魔王……!?
な、なぜ……ここに……!」
カイゼルはゆっくり歩み出る。
その一歩ごとに、空気が重く沈む。
「元だがな。まぁ、そんなことはどうでもいいか…。
お前程度の命で、国が動くと思っているのか?」
カイゼルが鼻で笑う。
「お前の地位?財産?
そんなもの……俺の力の前では無に等しい。」
子爵の喉から、掠れた悲鳴が漏れる。
カイゼルはさらに近づき、見下ろした。
「まだ理解していないようだな。
お前はもう、“助かるかどうか”を交渉する立場ではない。」
低く、冷酷な声。
「――お前は既に、俺たちの手の上だ。」
その言葉は、魂を直接締め上げるように重かった。
子爵は崩れ落ち、床に額を打ちつける。
「た、助けてくれ……!
俺は命令に従っただけだ!
本当に悪いのは……あの魔導士だ!!」
必死の責任転嫁。
カイゼルは、ゆっくりと目を細める。
「ふん、ここまで来ても、まだ他人に罪を押し付けるとは。
最後まで滑稽な生き物だ。」
そして、囁くように告げた。
「地獄に堕ちる覚悟はできているか?」
その瞬間、子爵の精神が音を立てて崩れた。
「いやだ……いやだぁぁぁああ!!」
リィナは静かに剣を抜き、闇の魔力を刃に流す。
ダーク・リベリオンの刃身に、暗黒の紋章が浮かび上がる。
血のように赤く、怒りと復讐心に応じて光が揺れる。
「痛みは……理解しても、慈悲はない。」
子爵の目の前で、刃が振り下ろされる――。
だが、斬撃は彼の肉体には触れず、魂だけを縛るように、剣の紋章が光を放った。
「う、うあああああっ!」
彼の身体は震え、床に這いつくばる。
幻影のように、森や街で自分が奪った人々の絶叫と恐怖が、子爵の視界に同時に押し寄せる。
カイゼルが低く呟く。
「お前のその汚れた魂ごと縛り上げてあげてやろう…。」
影が彼を締め上げ、動きを奪う。
「これでお前は……すべてを失う。」
リィナの声が重なる。
「能力も、地位も……そして――命を。」
子爵は叫び、何度も首を振るが、幻影は消えない。
そして、最後の瞬間――
「……最後に私の名を、胸に刻み。闇に落ちてゆけ。」
剣身が光と闇の極致で揺れ、オルフェンの意識が闇に吸い込まれる。
呻き声も、断末魔も消え
館に残ったのは、冷たい闇と赤い瞳の残像だけだった。
カイゼルは静かに鼻を鳴らす。
「ふん……実につまらん最期だ。
だが――」
ちらりとリィナを見る。
「お前の憎しみは、まだ燃えているようだな。
それでこそ面白い。」
シルフィの呼び声が聞こえる。
「…何やら興味深いものがありましたよぉ。」
シルフィから一つの封筒が手渡される。
「この封筒で誰かと連絡を取っていたようです。」
封筒には、ヴァルディス王国内で活動している魔導士の名と、移動先の記録が記されている。
「……ようやく見つけたわ。」
赤い瞳に、怒りと復讐の炎が揺れる。
それは、かつて自分を裏切った勇者仲間――
”ウィザー=アルヴァレン”への手掛かりだった。
シルフィは短く呟く。
「……次の獲物というわけですねぇ。」
リィナは静かに剣を収め、館を後にする。
闇の中で、黒百合の恐怖はさらに深まった――。
その背を見送りながら、カイゼルは小さく笑った。
「昔の英雄がここまで冷たくなるとは……
くくくっ…実に、愉快だ。」




