第42黒 それでも、見捨てられなかった
帝国を目指し山岳地帯を歩く。
霧と岩肌に包まれた道なき道を、リィナたちは進んでいた。
足音は殺し、会話は最小限。
「……この尾根を越えれば帝国領ですねぇ」
シルフィが低く囁く。
リィナは頷きながら答える。
「ええ。正面は避ける、接触も極力しない」
「潜入行動、ね」
ヴェルミナが確認する。
「ええ。“今は”ね」
カイゼルが揶揄うように笑う。
「随分と大人しいじゃないか…?」
「目的を見失うほど愚かじゃないだけよ」
リィナが短く返す。
それから数日。
昼は岩陰を伝い、夜は最小限の灯りで野営。
火は小さく、煙は出さない。
食料は干し肉と保存食。
水は山の湧き水を使う。
シルフィが先行し、罠や人の痕跡を確認する。
「……巡回、増えてますねぇ」
ヴェルミナが地面に触れる。
「魔力の残滓……帝国兵。間違いない」
カイゼルが鼻を鳴らす。
「もう“庭”に入ったな」
リィナは空を見上げる。
曇天。
重く、圧し掛かるような空気。
「……待ってなさい。必ず……」
小さく呟く。
山を越えて、霧の薄くなった先に
小さな町が見えた。
だが――様子がおかしい。
「……煙ですねぇ」
シルフィが目を細める。
風に乗って届く、焦げた臭い。
ヴェルミナが低く言う。
「焼いてるわ。……意図的に」
カイゼルは肩をすくめた。
「帝国の日常だ。関わるなよ」
リィナは一瞬だけ視線を向けると
遠く、黒煙が空に伸びている。
泣き声のようなものが、微かに届いた気がした。
「……進むわ」
短く言い、背を向ける。
誰も異論はない。
そのまま歩き出す。
――だが。
数歩進んだところで、足が止まる。
今度ははっきりと聞こえた。
悲鳴だ――子供の声。
焼ける音。
リィナの指先が、わずかに強く握られる。
カイゼルが横目で見る。
「……あまり得策ではないんだがな。」
沈黙。
ほんの一瞬。
そして――
「……分かってる…」
リィナは振り返る。
「……でも予定変更よ」
そのまま駆け出す。
シルフィが微笑む。
「ふふ、やっぱりそうですよねぇ」
町は、地獄だった。
家屋は燃え、通りは崩れ、逃げ場はない。
帝国兵が整然と並び、淡々と命令を飛ばしている。
「区画C、焼却続行!」
「生存者は不要だ、全員処理しろ!」
逃げ惑う人々に、容赦なく火が放たれる。
老人が倒れ、子供が泣き叫び、母親が庇う――
その全てを、炎が呑み込む。
「やめて……!お願い……!」
町人達の懇願すら、無意味。
リィナの目が、静かに細まる。
「……最低ね」
その時――
空気が震えた。
轟音と共に
上空から、巨大な影が降りる。
地面が砕ける。
現れたのは――
鱗に覆われた巨体。
深緑と金の混じる硬質な皮膚。
背には小さな翼。
尾が地面を薙ぎ、建物を崩す。
だが、その身体には――
無数の鎖。
魔法陣が刻まれ、力を縛り、無理やり引き出している。
その瞳は金色。
だが、どこか濁っている。
帝国兵が叫ぶ。
「竜人の出力、安定!」
「魔力供給を維持しろ!」
「町を殲滅させるのだ!!」
ヴェルミナが息を呑む。
「……あれは竜人ね」
カイゼルが低く笑う。
「ほう……珍しいな」
「竜と人の混血。生まれながらに高位の魔力と肉体を持つ種族だ」
シルフィが続ける。
「数も少なくて、基本的には人里に関わらない種族ですよぉ」
「それを……捕らえて使ってるんですねぇ」
目の前で、その竜人が腕を振るう。
その一撃で――
逃げ遅れた人間ごと、建物が粉砕される。
そして次の瞬間。
口から吐き出される炎。
一直線に、逃げる親子へ――
「……っ」
リィナの足が、動いていた。
考えるより先に――
地面を蹴る。
「待て、リィナ!」
カイゼルの声を無視して、飛び込む。
黒い魔力が弾け剣を振るう。
炎を切り裂く。
ギリギリで、親子の前に立つ。
熱が頬を焼く。
「下がって」
短く言う。
その声に、母親は震えながらも子供を抱えて後退する。
リィナはゆっくりと顔を上げる。
竜人と、視線がぶつかる。
その瞳の奥に――
微かに残る“意志”。
だがすぐに、歪む。
「……排除……」
低く、掠れた声。
鎖が軋む、魔法陣が光る。
無理やり動かされていることに気付く。
リィナの目が、冷たくなる。
「……そう」
剣を構える。
「いいわ」
一歩、踏み出す。
「その鎖、全部断ち切ってあげる」




