Asking for It
「私を殺して」
私の口から出た言葉とは思えない。まるで実感が湧かない。滝上幸は黙ったまま私を睨んでいる。こうなるように差し向けたんでしょう?なぜ睨む必要がある。
私は幸を愛している。けれど、それは私じゃない。私の中の別の私だ。私と別の私との境目が混ざり合い、今、自分がどっち側にいるのかすら不明瞭。気持ち悪さは異常で、吐き気すら感じる。ただ、今の私に確かな気持ちが一つだけある。滝上幸が憎い。
「幸。彼と寝たんでしょう」
あの時、和彦さんに抱きついた時の香り。あの匂いには間違いなく幸の香りが残っていた。和彦さんも匂いくらい誤魔化す努力をすれば良いのに。そこまで気が回らないのが彼らしい。いや、もしかしたら気が回らなくなっていたとも言えるのか。
「……カズユ」
「カズヒコ。彼は和彦って名前。カズユキなんて名前じゃない」
言わせたくなかった。私の大切な人を汚した名前で呼んで欲しくなかった。
和彦さん。別れ話になるのは分かっていた。私もその答えを受け入れてしまうのは分かっていたから。だから写真だけ残しておいた。忘れたくないから。もしかしたら、最期に思い出す可能性があるかもって願ったから。
私は和彦さんを愛していたのかもしれない。けど、私に中の別の私がそれを強く否定し受け入れる事が出来なかった。幸の事を考えるように、幸がいれば全て大丈夫なように、別の私は幸で埋まっていた。それがどんどんと強くなっていた。気が付かない内に別の私が私になっていた。
昨日の夜、それに気が付いてしまった。なんで?誰が?なんて考えるまでもない。そんな事をするのは幸しかいない。どうやってそんな事をしたかなんて考えても意味がない。結果が全てで、現に私は幸を愛することになってしまった。今更この気持ちを消す事が出来ない。そう作られてしまったんだから。
私を愛しているからこそ憎かった幸の気持ちが、今なら良く分かる。理解できてしまう程度に今の私は狂っている。きっと今回が初めてじゃない。もしかしたら今までの私の恋愛、その全てに絡んでいるのかも。証拠も理屈もないけれど、今の顔を見れば確信めいたものになる。
そしてもう一つ。幸は仕上げに掛かった。その仕上げが何を指すのか。愛していると憎い。相対しているように見える感情だけど、強烈な依存がそれを可能にした。だけど、それも持って一時的。永遠なんて無理。その証拠に私も幸も壊れきってしまった。勿論、仕向けた幸が分からない事はない。残されるのは死だ。愛も憎も全て包み込んで死ぬ。それが仕上げ。そしてそれは私の願いにもなった。
「ねぇ幸。殺してよ。もうこれ以上壊さないで…」
私が私を殺すように懇願する。
「…うるさい」
ポツリ。幸の口から、そう表現するのが正しいくらいの声を発される。
「…黙ってよ。…さっきからうるさいんだよ。全然違うんだよ。それじゃあ違うの!そんな事も分からないの!?」
ヒステリックに幸が叫ぶ。勢いよく立ち上がり、座っていた椅子が後ろに吹き飛び壁にぶつかる。目には見えないが、幸の周囲が暗くなっているように錯覚する。ネガティブな感情が伝播するかのように空気に質量を持たせ、確かに重くなる。
「雪子は完璧なの!完璧な雪子が死を願うなんて!それは違う!違う!違う!違う!」
涙を溢しながら絶叫して否定を繰り返す。涙で溶けたアイライナーが涙を黒く染める。黒い涙を流し泣き喚く姿は、悪魔を思わせる。そのくらいは思えるくらいに、幸が取り乱すほどに私は冷静になっていった。
「私が完璧なはずがないでしょう。私もあなたも、どこまで行っても欠陥品。完璧なんて程遠い」
「黙れよ!」
幸がバッグから包丁を取り出した。
「雪はこんな事を言わない。雪が言う筈がないんだ。…雪じゃないだ。そうだ。これが雪の筈がない!」
そう一人で勝手に納得し、包丁を私に向ける。色々喚いていたけれど、結局私を殺すことには変わらない。それなら何でもいい。
「幸、おいで」
「あああああああ!」
幸が私に駆け寄る。私は幸を抱きしめる。最初で最後の抱擁。確かにそこには愛があった。私は生まれて初めて、そして最期に、愛し、愛される喜びを知った。
ドスっと腹部に包丁が刺さる。続けて胸、肩に。何度も何度も刺されていく。最初は鈍い痛みが走った気がしたけれど、数回で痛みは遠のき、気の所為にも思えた。喉元に血が溜まっているのか、自然に呻くだけで声も出ない。
力が抜け、その場で倒れ込む。まだ意識が残っているのは冗談かと思ったが、確かに薄れていく感じはあり、ほっとする。ただ時間がゆっくりになっているだけなのだろうか。別に過去の出来事は流れてこなかった。記憶が混濁しているから、脳が何を流せば良いのか迷っているのかしら。
倒れた先の目の前には和彦さんと私が幸せそうに笑っている写真があった。
後悔はある。和彦さんに“愛していた”と伝えたかった。和彦さんにもう一度愛されたかった。謝りたかった。それを出来ない自分が憎い。悔しい。そう思うと涙が一つだけ流れた。
そして私の目は閉じた。
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