She Will Be Loved
She will be lovedは超が付く名曲だ。昔に流行った曲だけど、いつか聞いた他のアルバム曲が頭に残って、それから何度も聴いた曲だ
She will be loved、彼女は愛されるべきだろう。問題はそれが僕とは限らない、というより僕ではない。という意味合いの曲だったはずだ。僕の心はそう勘づいているというのか。
「…お兄さん大丈夫ですか?」
女性が僕に話しかけてくる。先ほどとは違い、おずおずと様子を見る形だ。それほど僕の表情が強張っていたんだろう。考えてみればこんな占いみたいな類で、何を真剣に絶望しているんだ。
「いや、大丈夫ですよ。ちょっと驚いてしまって…」
自分に言い聞かせるように返事をする。大丈夫。少しびっくりしたけれど、名曲を流す自分の心は良い仕事してる。それだけ。曲が意味することなんて普段は気にしないじゃないか。
「うーん。嘘ですね。お兄さんは無理してます。顔も仕草もSOSを全力で表現してます」
仕草?ああ、無意識だったけれど自分の指を抓ってる。これはSOSのサインなのか。昔からの癖だと思っていたけれど、そういえば最近はやっていなかったかもしれない。
「そうそう。指を抓ったり弄ったりするのは不安を感じた時に出る仕草なんですよ。それに、無理に落ち着こうとしている、かもですね。どう?当たってます?」
「…当たってる気がしますね。すごいです。自分でも意識しないと分からないのに…」
「そういうの専門に学んできましたから。意外と自分よりも他人の方が理解しちゃう事もあるんですよ」
彼女の言う通りかもしれない。思えば雪子も無自覚に“コウ”の事を話していた。それを聞いても、そんなつもりはなかったようだし。僕は誤魔化していると決めつけてしまったけれど、本心からそんなつもりじゃなかったんではないか。
「…お兄さん、多分ですけど、今ここにいない女の人を想像してたでしょ。もしかしたらその人が悩みの種?彼女さんだったり?」
「…正解です。本当にすごいですね。これじゃ嘘付きようがない」
「ううん。実はそうだろうなって思っただけ。こんな時間に男の人が1人でバーにいるなんて、大概がナンパ目的でしょう。でもお兄さんそんなタイプじゃないし…。だとすると、彼女さんと喧嘩しちゃったって線が強いかなぁって想像です」
なるほど、鎌かけられてたのか。ズバズバと僕の心を当ててくるから、僕の底の浅さを見透かされているような錯覚を覚えていた。
「良かったら一緒に愚痴りませんか?私も最近はあまり上手くいってないから誰かに聞いて欲しくて。お兄さんさえ良ければですけど…」
僕は心理学なんて高尚な学問には全くの無知であるけれど、この女性の仕草は危険だと、久しぶりに脳内和彦が顔を出す。こんな下から覗き込むように見てくる人なんて、普通はいないだろう?そのくらい分かっているよな?この胸の高鳴りは不安だからだよな?
「…僕で良ければお話しを聞かせてください。それに、僕も女性からの意見も知りたくて」
そう。今まで僕は女性の意見を聞く事が出来なかった。周りにそんな事を聞けるような女性の知り合いなんていない。今回の気持ちが噛み合わない感じも、女性の気持ちが分からなかったからではないか。それを知る為には女性の意見を知らなければいけない気がする。だから、ここはギブアンドテイクの精神で行くべきだろ?そうだろう脳内和彦。脳内和彦からの返事はない。
「良かった!聞いてくれるような男性知り合いがいなくて。頼りにしちゃいますね!」
天真爛漫って表現が合うのか、笑った顔が輝いて見える。さて女性と話した経験がほとんどない僕に、真っ当な意見なんて出来るんだろうか。今は聞き役に徹してみよう。
と思ったのが1時間は前。気付けば再び4,000円の出費が出る事になってしまった。それにしても“サチ”さんの話はとてもユニークで、感情が分かりやすい。女性とはこういう人が多いのだろうか。雪子が自分で感情が乏しいと思うのも無理はないのかもしれない。
ちなみに僕は“カズユキ“と名乗っている。本名を伝えるのは、どこか罪悪感に似た感情があったから。不思議と偽名を使っていると自分とは違う何者かになれた気がして、遠慮なく話す事が出来た。
「カズユキさん、本当に聞くのが上手ですね。彼女さんが羨ましくなっちゃうなぁ」
そう言うと”サチ”さんはグイッと残ったカクテルを飲み干す。もう何杯目だろうか、かなり飲んでいるのは確かだ。止めなくて良いんだろうかと不安になるが、僕からはなんて伝えて良いかなんて分からないから黙っている。
「“サチ”さんの話が面白くて、聞いているだけの身ですが…」
「その聞いてるだけが女子は嬉しいんですよー。別に正論や論理的な回答なんて求めてなくて。ただ話を聞いて、気持ちに寄り添ってくれるだけ。それだけで幸せになれるんです」
そんなもんだろうか。確かに僕も雪子に正論を言ってしまう事が多いかもしれない。だって正しくありたいから。
「だからちゃんと聞いてくれるカズユキさんって、…とても素敵だなって思います。こんなにちゃんと聞いてくれる男性って初めて」
その言葉にはドキッとしてしまう。だって誰かの初めてになれるなんて、そんな名誉な事はほとんどない。それに素敵だなんて。気を抜くと顔がニヤケそうになるのを、必死に抑えつけている。何か言葉を発すれば挙動が不審になるのは想像出来るから黙っている。だって聞き役だし。だけど、少し気まずい無言が訪れてしまった。
「ごめんなさい。変な事を言っちゃいました。…じゃあここで私の話はおしまいにして、次はカズユキさんの番です」
と、あどけない仕草で、僕に話が振られる。正直話す番が回ってくるのは諦めていた為、少し面食らってしまった。さて上手く話せるだろうか。
「実は…」
実に話しやすかった。僕の目を見ながら真剣、時々相槌を打ちながら邪魔をせずに聞いてくれる。だからと言って、抱かせてもらえないなどの性の話を避ける理性は残っている。一歩間違えればセクハラになってしまう。…正直に言えば言ってしまえたら楽だろうなって気持ちもあるんだけど。
「んー。私とは違うタイプの人かも。私だったら彼氏にはもう少し気を使うし。ちょっと冷たいなー」
「女性目線でもやっぱりそう思います?」
「うーん、こんな素敵な彼氏さんがいるのに他の人を優先しちゃうのも、ちょっと気持ちが分からないですし。やっぱ好きな人が1番ですもん」
そうだと思う。それが普通だ。どんなに仲良い友人がいても、好きな人を優先するのが当然だろう。つまり雪子にとって僕は、いまだに恋愛の対象になれていないのだ。分かっていたが、賛同者がいると尚更ショックを受けてしまう。
「あと、その友人を僕は男性だと疑ってるんですが…」
ここが核心だ。だけど怖くて語尾が弱くなる。しっかりしろ。とても大事だ。“コウ”が男か女かで受け入れようが違うだろう。きっと僕の考えすぎなのだろうけれど、やっぱ男の影が見えてしまう。あれだけ綺麗なのに僕だけが言い寄るなんて、なんだかとても都合の良い解釈じゃないか?
「…ちょっと言いにくいなぁ」
「…やっぱりそうですか…」
“サチ”さんからの答えは残酷だった。名言は避けてくれたが、それでもその答え方では雄弁すぎるほどだ。女性から見ても男がいるのが妥当だと、そういう事だ。
「なんだかごめんなさい。でもカズユキさんに落ち度はないと思います。なんてカズユキさんの話しか聞いていないからフェアじゃないんですけど」
慰められようとされるのもとても惨めに思えた。それに想像していた分、想像よりも動揺していない自分がいる。落胆はしているけど。
「だから今日は飲みましょう。大体の嫌な事は飲んで考えないのが1番です。それにカズユキさん、さっきから全然飲んでないでしょ。もう8,000円も取られちゃうんだから、その分は飲まないと勿体無いです」
なんだかとても破滅的な発想だ。飲んで忘れるんじゃなくて、考えないようにするのが“サチ”さんらしく思う。それに確かに勿体無い気がしてきた。いや、むしゃくしゃしてるのかもしれない。そう思い、一気に飲み干してグラスを空ける。
「確かに勿体無い。って言っても弱いんで、そんなに飲めないんですけどね」
と言って、笑って見せる。もちろん自虐的だし乾いた笑いだ。それでも多分結構歳の差があるこの女性の前で、悪戯に心配を掛けてしまうのは恥ずかしい。強がってみせるのも、また大人の対応だ。
「逆にサチさんはすごいですね。そんなに沢山飲んでも酔っ払う気配さえないし、お酒に強いのは羨ましいですよ」
「えー、女で強いのはあんまり褒めてもらえないかも」
と“サチ”さんは笑う。
「それに。実は結構酔っ払ってて…。結構体の中は熱くなっちゃって汗が…」
そう言って胸元を掴んで、無邪気にパタパタと扇ぎだす。見え隠れする谷間と豊かな胸の輪郭につい見入ってしまう。太ってはいないけれど、出るところはしっかり出ていて幼くみえる童顔とのギャップが妙に艶やかに見えてしまう。
「今エッチな事を想像したでしょ」
そう言われて見過ぎていた事に気が付く。“サチ”さんが胸を隠すように腕を交差し、大きい瞳でこちらをじろりと見ていた。
「いや!ええと、その…見慣れないもので…」
言い訳も出来ずにしどろもどろになる。バーテンダーの佐々木さんの目が細くなっている。まさか通報案件だろうか。
「ふふ、冗談ですよ。それにちょっと嬉しい気もしてます。最近は彼から女扱いもされてないから」
「…とても魅力的ですけどね」
僕は何を言っているんだ。
「ありがとう。でも本当ですよ。まず誘われないし。誘っても疲れてるからって言われちゃうし。それってすごく傷付くし、それにすごく寂しい」
僕は気が付いた。“サチ”さんは僕と同じなんだ。恋人から相手にされずに、こんな所で知らない異性と飲んでいる。それは寂しいから。僕も寂しいんだ。
「ごめん、こんなの言われても困っちゃいますよね。カズユキさん、とても優しく聞いてくれるから、つい甘えちゃいました。恥ずかしいから忘れてくださいね」
と、照れ臭く“サチ”さんは笑う。で先ほどまでの笑顔とは違い、どこかぎこちない。無理してるんだろうなと思う。だから僕もちゃんと伝えたほうが良いのではと思った。
「いや、実は僕も同じで。相手にされてないんです。僕が求めようとすると、嫌がられてしまう。やっぱ僕なんかじゃ嫌なんでしょうか。僕がもっとちゃんとリード出来れば違うのでしょうか」
「そんな事ないですよ。カズユキさんは自信が持てないでしょうけど、さっきも言った通りとても優しいですし。それに…私たちなんか相性が良さそうですよね」
“サチ”さんは僕が雪子に言われたいと願っていた言葉を的確にくれる。僕は満たされてしまった。雪子以外の女性にこんな感情を持つことが後ろめたい。このまま一緒にいると良くない。
「ごめんなさい、お互い酔ってるみたいですね。ここらで終わりにしておきましょう」
僕は逃げるように提案した。
「…そうですね。確かにちょっと飲み過ぎたかも」
提案をすんなりと受け入れる“サチ”さん。正直に言えばがっかりした。もし引き留められたら僕は帰れない。だけどそれは良くない事で、これで良かったんだと言い聞かす。
「それじゃあ。また会えたら嬉しいですね」
「どうでしょうね。嬉しいのかな」
お互いにはぐらかしながら誤魔化すような別れの言葉になった。次の約束はなく、多分もう会うこともない。やっぱこれで良かった。
“サチ”さんから会計を済ませ、先に席を立った。僕は敢えて見ようとしなかったけど、きっと“サチ”さんは僕を最後にチラリと見た気がした。それは言外に「意気地なし」と言われたような気もする。反論はない。
ドアが閉まる音を聞き、大体1分が経った。それから僕は会計をした。もしかしたら戻ってきてくれるんじゃないかって期待もした。我ながら醜い。この1分間は諦めの気持ちを作るまでの時間だった。
ドアを開けると、冷えた空気が肺に入る。火照った体が急激に冷やされるのが心地よい。深く息を吸い込み、存分に冷気を味わう。
「カズユキさん」
ドアの陰に“サチ”さんがいる。僕の心臓がボルテージを上げた。
「待っちゃいました。これでサヨナラは名残惜しいって思っちゃって」
そう言いながら、ゆっくりと少し揺れながら僕に近づいてくる。
「もうちょっとだけ。もうちょっとだけ、カズユキさんの
優しさに甘えちゃ駄目ですか?」
“サチ”さんが近づいてくるなか、僕はちっとも動けずにいる。来るのを待っているのだろうか。すぐにこれ以上近づきようがない距離まで来た。お互いの身体が触れ合う。それでも僕はもうほとんど残っていない理性で抗う。
「僕は…やっぱ。ごめんなさい、裏切れないんだ」
雪子に告白した日。あの神秘的な美しさを思い出す。だから僕は絞り出して伝えた。だけど“サチ”さんはにっこり笑って、僕の背中に腕を回す。顔も触れ合いそうな距離で“サチ”さんは言った。
「その人も他の男に抱かれてますよ」
その言葉で呆然とする僕に“サチ”さんは優しくキスをした。その顔はまるで悪魔の様に艶やかだ。思い出した。雪子の最後の言葉は「信じて」だった。今更思い出しても、もう何の意味もなく雪子だけの場所が上書きされていく。
その日、僕は雪子以外の女性を抱いた。




