雨にまつわる喜怒哀楽
【喜】虹
「あ〜ぁあ。せっかく部活も休みなんだし、晴れてたら寄り道でもしながら帰ったのに。マジだりーわ…。」
「ほーんと、髪も跳ねるし雨の日ってヤダよねー。」
昼食の焼きそばパンを食べ終え、曇天から降り注ぐ雨粒が教室の窓を叩くのを見た日向晴樹。後ろ向きに座った椅子を揺らしながら彼が呟けば、隣の雨宮雫からそんな答えが返って来た。
「あー、女子ってよくそう言うよな。湿気でそんな髪のパフォーマンス変わんの?」
「アタシとかアイロンでわざわざ真っ直ぐにしてんの! 湿気たり濡れたりしたら、アイロン取れちゃうに決まってんでしょうが!」
「おいおい、怒らすなよ?晴樹。大体お前は髪短いし元々直毛だから気にしてねーかも知れねーけど。雨でアイロン取れるのは女子だけじゃねーし、髪の量有ったり癖っ毛のヤツは爆発するし。」
「そうそう![[rb:雷斗 > らいと]]は分かってるなぁ…。晴樹はホント、デリカシー無いよね〜。」
「ねー?」と雫と、晴樹の正面で弁当をつつく五十嵐雷斗が、対角線で挟んだ出雲香澄に同意を求める。
真面目な彼女は少し視線を彷徨わせた後、箸を置いて苦笑いして返した。
「え、えっとあの…私は髪が長いから、重みでそんなに跳ねたりしない、かな…?」
「そっかー。出雲さんはアイロンでストレートにしてる勢じゃなかったかー。」
「う、うん…。それに、私は土砂降りじゃなければ、雨好きだし…。」
「そーなんだ? オレは外で遊べなくなるから雨きらーい。」
「確かに日向くんは、雨の日のイメージ無いね…。」
雫や晴人の意見に真面目に返す出雲。
その瞳は窓の外に向けられ、ほんのりと笑みを浮かべている。
「雨が降って静かな部屋とかで本を読むのも、意外と良いものだよ?」
「それ出雲さんらしー!雨の日っておしゃれは難しくなるからそこはやっぱりイヤだけど、アタシも雨の音聞くのは落ち着く〜。」
「よく睡眠導入BGMに使われるよな、雨音。」
「えっ?!雷斗も美雨も裏切り?!」
「いや、俺はそもそも雨嫌いって言ってねーし。」
出雲に理解を示した二人に取り残され、晴樹の視線は彼らを行き来して。最終的にがっくり肩を落とした彼は、椅子の背もたれに乗せた両腕に伏せ、籠った言葉を発する。
「はやく止まねーかなー、雨…。」
「雨止まなくても、カラオケでもボーリングでも映画でも、なんでも行きゃー良いじゃん。」
「んー、でも雨だと気が滅入んだもんよー…。」
ずり、と頭を横向きにずらして、晴樹は出雲を見つめる。
「…出雲さん、放課後の過ごし方のオススメは?」
「えっ?五十嵐くんが言った中だと、カラオケかな…?大声出したら、ストレス発散に良いんじゃない…?」
「なるほど…。おっし、じゃあ出雲さんも一緒にカラオケいこーぜ。雷斗と雫はもちろん参加な!」
「ぅえ?!」
「ちょっと、もちろんって何よ。」
「ホントホント。まーったく、俺らには拒否権なしかよ。」
「だって二人は来てくれんだろ?」
雷斗と雫に拒否されるなんて微塵も考えていない笑みを浮かべる晴樹に、二人は顔を見合わせて溜め息を吐いて笑った。
「仕方ないわねぇ。」
「しゃーねーな、晴樹は。」
「サンキュ!ーーで、出雲さんは?」
未だに目を白黒とさせる出雲は、不安そうに「…良いの?」と首を傾げる。
「私、あまり盛り上がる曲とか知らないし…、一緒に行くと、三人が楽しめないかもよ?」
「いーのいーの、そんなの気にすんなって! いつものメンバーだけじゃ変わり映えしねーし、出雲さんも居たら楽しそうだなって思っただけだから!」
にっかり笑って「なっ!」と晴樹に同意を求められた雷斗は、勢いに押されて吃りつつも首肯した。
「お、おう…。出雲さんが居たら、俺も嬉しいよ…。」
「出雲さん、月9のドラマの主題歌分かる?あれ一緒に歌おうよ!」
全員が歓迎する様子を見せた事にホッとした出雲は、肩から力を抜いて緩んだ笑みを浮かべた。
「うん、それなら合唱部で歌ったから、アルトパートも分かるよ。雨宮さん主旋律で、私はハモリで歌っても良い?」
「そういえば出雲さん合唱部だったね…!? 一緒に歌うのアタシじゃ下手かも…!」
「雨宮さんは合唱コンクールでも上手かったから、心配しなくても大丈夫だよ。それに、カラオケは上手く歌うんじゃなくて、楽しむ物でしょ?」
にこりとした笑みにもう影は無くて。
晴樹と雷斗が頷く。
「それならオレの方が歌上手くねーよ。雷斗だって軽音部だから歌上手いしな。」
「出雲さんの歌、楽しみだわ。晴樹はノリと勢いでカバーするタイプだからなー。」
「なにおう!?」
ふざけて戯れにポカリと叩かれて、雷斗は「痛い痛い」と大袈裟に笑った。
ーー放課後、校舎を出る頃には雲が流れて切れ間が覗き、空には綺麗な虹が架かっていて。
晴樹の要望で買い食いしてから、四人はカラオケへ向かうのだった。
***
【怒】雷鳴
ーー雷鳴が鳴り響く。
時折外から齎される強い光に、男二人の伸びた影が落とされた。
「ふッざけんなよ?!俺が出雲さんの事好きだっての、晴樹知ってたよなァ?!」
ガッ、と勢い良く晴樹の胸倉を掴んで壁に押し付けた雷斗は、その顔を歪めている。ムッとした晴樹が言い返そうとするも、雷斗は掴んだ学生服のシャツを引き寄せて、顔を近付けた。
「ッ最初はお前も、俺が出雲さんを好きだから一緒に遊ぶメンバーに誘ってくれたんだろうとは知ってるさ!
ッそれでも!!」
ギリと強く食いしばられる歯を目の前に、ぼんやりと「こんな筈じゃなかったのにな」と晴樹は思う。
「流石にお前も分かってんだろ?!俺が出雲さんに声を掛けるのを戸惑ってる代わりにお前が彼女を遊びに誘い続けて、彼女が段々お前に見せる様になった笑顔の理由くらいッ!それが一緒に遊んでる俺や雫に向ける顔と違ってる事なんて…ッ」
張り裂けそうな激昂だ。
雷斗が高校に入って同じクラスになった出雲を気になり始めたのなんて、彼自身が自分の恋心に気付いていなかった一年の頃からだと、晴樹は知っていた。
晴樹はいつもお節介で、周りに手を貸す事も多いけれど、それが行き過ぎて裏目に出る事も多々有る。それが今回は、親友の恋路に関してだった、という、ただそれだけだ。
「……オレは“友達”として、出雲さんに声掛けてただけだよ。今だって、そうだ。四人で遊ぶのが楽しかったから、お前や雫と同じ様に接してたつもりだった。だから横恋慕なんてするつもり無かったし、オレが出雲さんをそういう対象として見た訳じゃねーよ。」
静かに言い返せば胸元を掴んでいた手が弛んだので、晴樹は雷斗の手をそっと外してやる。
「告白もされてねーのに、フれる訳じゃねーし。嫌いになった訳じゃねーのに、避けたら不自然だろうが。それならオレは、どうすりゃ良かったんだよ…。」
反論に睨み付けて来ていた視線は落ち、脱力した身体が其処に在る。
晴樹はガシガシと頭を掻いて、深く息を吐いた。
「とりあえず、オレ、しばらくお前らから離れるわ。今は何してもオレ達の仲を拗らせる原因にしかなれねー気がするし。」
黙ったままの親友の肩を軽く二度叩いて、晴樹は教室を後にする。
「その間に告白するなり、気持ちに整理付けるなりしろよ。じゃーまた明日。」
音を立てて閉められた物とは反対の扉の向こうで、二人の会話を聞いてた者が居たとは気付かぬまま。
***
【哀】土砂降り
「……私、二人の仲を壊す気なんて無かったのに…っ」
「うんうん、分かってる。アタシらが待ってるかもなんて考えもせずに話し始めちゃう、アイツらが悪いよ。香澄は何も悪くない悪くない」
女子二人は、「日直で遅くなるから先に帰って欲しい」という晴樹とそれに付き合うという雷斗の言葉で、HR後先に教室を出て雷雨が弱くなるのを待つ間、図書室に行っていたのだ。
スマホで天気予報を確認すれば思ったより早く雷が収まる予報だったので、男子二人が日直を終わらせていたらいつも通り一緒に帰ろうと誘いに戻って来た所、教室に入る直前に雷斗の激昂が耳に届いたのである。
香澄は晴樹に自分の好意を拒否された事よりも、関わる様になってから知った晴樹と雷斗の仲の良さにヒビを入れたのが自分である事の方が、よっぽどショックだった。
それまで特定の友人が居なかった香澄は仲良し三人組の仲に入れて貰えただけで嬉しかったし、その親友という“特別”な関係に憧れを抱いて。仲間に入れてくれた晴樹に、他二人に対してと違う感情を抱いていたのは否定出来ないけれど、現状を壊すつもりも無かったのだ。
先ほど教室を出て行った晴樹は、そもそもあまり周囲を意識する性格では無いので、異なる出入り口で息を潜めていた二人に気付かなかった様だった。けれど、中に居る雷斗は今はどうだか分からないが、視野の広いタイプだ。このまま此処に居ては見付かるだろうと、雫は香澄を促してその手を引き屋上に続く階段へと向かった。
「…ねぇ香澄、晴樹の事、どう思ってる?」
屋上に出る扉前の踊り場で、階段に座るよう促した雫が訊ねた。
「日向くんは、友達。雫と五十嵐くんとも仲良くなったのは、日向くんが誘ってくれたからだから、感謝してる。」
「……じゃあ、雷斗は?」
「五十嵐くんも…友達だと思ってた。あんなに想って貰えるほど、私は良い人間じゃないと思うのに。根暗で、臆病で。なんで好、き…になって貰えたのか分からない、けど…。」
ほんのり、その頬が染まるのを見て、おや?と雫は目を見張った。
「日向くんは、憧れで。誰に対しても自分から積極的に話し掛けて行ける彼が、凄いなって思ってる。
五十嵐くんは、なんて言うか…一緒に居て落ち着く人で。雫や日向くんと居ると元気いっぱいだけど、私と二人で居る時は静かで。私の話す速度に合わせてくれるから…。」
友人達への印象を改めて考えて、香澄は思考を口にして纏めていく。
それを横で聞いていた雫は、考えていた最悪の状況が訪れるのは避けられそうで、ひっそりと息を吐く。
(香澄が本気で晴樹が好きだったら、みんなバラバラになっちゃう所だった…。せっかく仲良くなったのに気不味くなるなんてイヤだったから、何とかなりそうで良かった…。)
香澄は雫にとって、ようやく出来た女子の親友だ。
小学校の頃から活発で男子とばかり遊んでいた雫は、女子の友達の作り方が分からなくて、今まで晴樹と雷斗とばかり遊んでいた。
癖毛がコンプレックスでヘアアイロンだけはしているものの、それ以外のオシャレには疎く、女子の会話に入れない事が多かった。
更に中学時代から女子に人気の出て来た男子二人と居た事によるやっかみも有り、女子の友人が出来辛かったのである。
だから四人の友情が壊れるのを、誰よりも恐れていた。
Prrrrr…
雷が落ち着き、雨音だけが響く踊り場で、着信音が鼓膜を震わせた。
「あ…、五十嵐くんだ…。」
電話を取ったとして、どう返事をすれば良いか分からず、香澄は手に持ったまま鳴り終わるまで操作出来なかった。
「……切れちゃったけど、どうするの?」
雫の質問の間にまたスマホから音が鳴ったけれど、今度はSNSのメッセージだったようで、短い音が鳴る。
「『今、どこ?』って…。五十嵐くんと二人で話さなきゃ、だ、駄目、かな…っ?」
雫の袖に縋り付く香澄は、雷斗が何の為に香澄を探していて、これから何を言われるのか分かってしまい茹るような熱を持った頭をブンブン振った。
「友達に告白されるのが恥ずかしいのは分かるけど…あの二人が仲直りする為にも、香澄はちゃんと雷斗の話を聞いて来て欲しいかな…。」
「ぅぅぅ…そうだった…。なんで五十嵐くん、日向くんに怒っちゃったの…っ!」
ぐりぐりと雫の肩に頭を擦り付ける香澄の頭はパニックだった。
友人さえまともに作って来なかった香澄が、告白されるなんて経験がある筈なんてもちろん無く。どう返答すれば良いかだなんて、分かる筈無いのだ。
それにどちらにしろ、そんな話が出た時点で、何かしらの関係性の変化は避けようも無いのだから。
「ーー香澄が答えるのは、香澄が思ってる事そのままで良いよ。あの二人に仲直りして欲しいからって、わざと雷斗の告白を受け入れるのは違うからさ。」
シュポッ、と軽い音が雫の手からするのを掻き消すように、彼女は告げた。
「ほら立って。じゃないとアタシ先帰るよ、香澄?」
「ま、まって…!」
立ち上がって階段を下り出した雫を追って、香澄も生徒玄関に向かう。
そして屋上から三階、三階と二階の間の踊り場まで下りた所で。
「あっ、居た…!おい雫、あのメッセ何だよ?!」
走ってやって来た雷斗と行き合った。
「えっ、なんで五十嵐くんが此処に…?」
「………其処のお節介女が、メッセ送って来たから。『屋上前の踊り場で、香澄と一緒に居る』って。」
バッ、と横を見た香澄の目に、口角を上げた雫の顔が映る。
「今避けちゃうと、もう向き合えなくなっちゃうよ、香澄。だったら今ちゃんと、雷斗と話しなよ。」
二階の雷斗を通り越して、雫は生徒玄関へと歩を進める。すれ違う時にチラと雷斗に目をやって帰って来た視線に「頑張れ」と口を動かした。
「じゃあまた明日ね、二人とも。」
ヒラリと揺れた手は段々と遠ざかり、香澄の視界から消えて行った。
***
【楽】水溜まり
校舎端の階段はほとんど人が通る事は無く、遠くに雨のせいで屋内筋トレをしている運動部の掛け声が聴こえてくるだけだ。
「…………出雲さん、」
「は、はい…!」
取り残された二人の距離は、雷斗が踊り場まで上る事で縮まる。
階段を上って同じ高さに立った事で、俯いた出雲の顔は雷斗からは見えなくなったけれど、話し掛けたら赤くなった耳が、長い髪の間から覗くのが目に映った。
「雫からのメッセ、居場所の他に『香澄の日向への感情は、憧れ』って書いてあったんだけど、ホント?」
「っ…。」
そもそもそんな事を書くのは、「晴樹との話聞いちゃった」と言ってるのと同義で。
それでも雷斗は其処をつつくより、内容の是非の方が気になった。
「う、うん…、たぶん…? 私もはっきりとそう思ってる訳じゃないし…。友情と恋愛の好きの違いも、私はまだ分からないから…。」
「そっか…。じゃあ、俺にもまだチャンス有るって、思っても良い?」
そっと手をついた膝を曲げる事で半屈みになり、濡羽色のカーテンの先に隠れた表情を覗き込む。
「俺、友達になる前から出雲さんの事、好きだったんだ。もしイヤじゃないなら、付き合って欲しい。断られても、出雲さんの事嫌いになったりしないから。」
中腰からしゃがんで上目遣いになった雷斗に出雲は怯んだ様子を見せたけど、返答を急かされず待ってくれる彼に、ゆっくり深呼吸して向き合った。
「私、さっきも言った通り、恋愛の好きなんて分からない。…けど、それでも五十嵐くんが良いって言うなら…。少しずつでも良いって、私の気持ちを待ってくれるなら…。」
脚の前に下ろされていた手が、ギュッとスカートを握る。
「……よろしく、お願いします…っ」
「ーーーはあああ…。…ありがとう、出雲さん。」
気が抜けてへにゃりと笑み崩れた雷斗の、「こちらこそよろしく」と差し出した手を握った出雲は。
(お、おっきい…。男の子の手だ…!)
記憶にある中で初めて触れた異性の体温に、ドキドキと胸が高鳴るのを感じていた。
ーー翌日。
グループチャットで付き合う事になった報告をしていた二人は、他二人に祝福され。
親友四人組は分裂を回避して、いつも通り、よりも少し親密になって、いつも通りの学校生活に戻るのだった。
昨夜の内に上がった雨は、アスファルトの上に水溜まりを残し。
その表面に綺麗な青空を映していた。