【第1話】ブラック企業で過労死、そして異世界へ
「……ダメだ……限界だ……」
キーボードを叩く手が、もはや自分のものじゃないみたいに重かった。
深夜三時、蛍光灯が容赦なく照りつけるオフィスの中、俺──桐谷蓮はデスクに突っ伏していた。
耳に入るのは、同僚たちのキーボードを打つカチャカチャという音と、時折うめくような咳。
こんな時間に働いてるのが当たり前、むしろ誇らしいとすら思わされるこの職場。
それでも、心も体もとうに限界を超えていた。
「……終わらない……終わらないよ……」
頭がぐらりと揺れた瞬間、視界が真っ白に染まった。
──あれ?
次に目を開けたとき、俺は見知らぬ空間に立っていた。
そこはまるで、雲海の上に立っているかのような、真っ白な世界だった。
暖かい風が頬をなでる。どこからか、鈴の音のような音楽も聞こえる。
「ようこそ、桐谷蓮さん」
突然、目の前に光の粒が集まり、一人の女性が現れた。
金色の髪、慈愛に満ちた微笑み。……まるで絵本に出てくる女神そのものだった。
「え……えっと……ここは……?」
俺は戸惑いながらも問いかける。
女神はふわりと微笑んだ。
「あなたは、亡くなりました」
──ああ、やっぱりか。
「あなたは、長い間、心身を酷使してきましたね。……でも、もう頑張らなくていいんです」
優しい声だった。
だけど、それは同時に、俺がこの世界ではもう生きられないことを意味していた。
不思議と、涙は出なかった。
たぶん、ずっと前から、どこかで覚悟していたんだと思う。
「……で、これからどうなるんですか?」
俺が問うと、女神はふわりと微笑んだ。
「桐谷蓮さんには、第二の人生を差し上げます」
──第二の人生?
「あなたには、別の世界で、もう一度生き直していただきます。
今度は、自由に、心から生きるために」
──異世界転生、ってやつか。
漫画やラノベでよくあるやつ。……まさか自分が当事者になるとは思わなかったけど。
「……そんなこと、本当にできるんですか?」
俺が問うと、女神は小さく頷いた。
「もちろんです。
転生先では、あなたに”特別なスキル”を一つ授けましょう」
「スキル……?」
「はい。新しい世界で生きるための、力です」
女神は優雅に指を鳴らした。
その瞬間、目の前に透明な画面──ステータスウィンドウのようなものが浮かび上がった。
【スキル:奉仕】
──奉仕?
「あの……これ、どんな効果が……?」
俺がたずねると、女神は少し申し訳なさそうな顔をした。
「他人の能力を支援するスキルです。ただし、攻撃力や防御力、魔法の力は、あなた自身にはありません」
──つまり、俺は、戦えない。
「でも、きっと大丈夫。あなたなら、このスキルを活かして、たくさんの人を救えるはずです」
女神はにこりと笑った。
……正直、内心ガッカリだった。
せっかく異世界に行けるなら、剣の達人とか、最強魔法使いとか、そういうチートが欲しかった。
だけど──
(やり直せるなら、それだけで充分だ)
俺はそっと手を握った。
「わかりました。……お願いします」
女神はうれしそうに微笑んだ。
「それでは、素晴らしい第二の人生を」
──そして、俺の意識は再び闇に沈んだ。
次に目を開けたとき、そこは見知らぬ青空の下だった。
広がる草原、流れる川、小さな村のようなものが遠くに見える。
「……ほんとに、異世界だ……」
改めて実感がこみ上げてくる。
よし、まずは生き延びるために、できることを探そう。
そして──
今度こそ、誰にも縛られず、自分の人生を生きてみせる。
俺は小さく拳を握りしめ、最初の一歩を踏み出した。