08 ニオ①
学院の敷地内にある広い中庭で、僕は今日もハンスさんと稽古に勤しんでいた。
「よし、午前の訓練はこのぐらいにしよう」
「は、はい⋯⋯ありがとうございます」
剣を鞘に収めたハンスさんを見て、僕は地面に座り込んだ。
学院に来てから一週間。
ほぼ毎日ハンスさんに剣術を指導してもらっているけれど、ついていくので精いっぱいだ。今も息は切れて視界はぼやけているし、全身から汗が噴き出して止まらない。それに筋肉痛だって酷い。
「ハァ、ハァ。うぅ、体が、痛い⋯⋯」
「ハハハ。そりゃあこれだけ毎日剣を振り回せば当然だ。しかし、やはりエリオン君は凄いな。成長速度も然ることながら、私のしごきについてこれるのは騎士団でもそうはいないよ」
「で、でも、限界です。お腹もペコペコだぁ」
ぐぅー、と煩くなったお腹を押さえると、またハンスさんが笑った。
「じゃあ沢山食べなきゃな。食事も大事なトレーニングだ。いつも通り食堂で好きなだけ食べなさい。ただし、好き嫌いはダメだよ?」
それだけ言うと、ハンスさんは軽い足取りで学院の中に戻っていった。
ハンスさんは本当に凄い人だ。あんなに動き回っても汗一つかいていないし、剣術もお父さんより洗練されている気がする。僕も早く追いつけるようにもっと頑張らないとな。
「でも、その前にまずは腹ごしらえだ。今日は何を食べようかな⋯⋯」
「あっ、いましたわ! エリオン様~!」
昼食のメニューに心を躍らせる僕の元に近づく複数の足音。振り向くと、そこには十数人の女子生徒たちが、手を振りながらこちらへと駆け寄って来ていた。
「エリオン様! 訓練ご苦労様です。今から昼食ですよね? ご一緒にいかが?」
「ちょっと、ずるいわよ! エリオン様。私と一緒に食べましょう!」
「いいえ、私よ!」
「わたくしです!」
などと、僕を囲む女子生徒たちが一斉に騒ぎ始める。入学した日の自己紹介からずっとみんなこの調子だ。
話せる友達ができないかもと不安だったけど、まさかここまで人気になるなんて思いもしなかった。何が原因なのかまるでわからないけど、やっぱりハンスさんが超優等生だと説明したからだろう。いや、間違いない。それしかない。
「えーと、みんないつも来てくれて嬉しいんだけど、ごめんねあまり時間がなくって。付き合わせるのも悪いし、それに今汗凄いから⋯⋯」
汗に濡れた服を鼻に近づけ匂いを嗅ぐ。
自分じゃわからないけど、女性は匂いや身なりに敏感だってムスク姉ちゃんが言っていたし、正直僕だってこのまま近くに居られるのは恥ずかしい。
「そんなことありません! エリオン様に汚いものなど存在しませんわ!」
「そうです! それにエリオン様の汗の匂い私好きですし」
「せっかくなら私たちがお身体を拭いてさしあげましょうか? さぁ、ホラ。服を脱いで⋯⋯」
と、女子生徒全員が何やら興奮気味にジリジリと距離を詰めてくる。
目を血走らせ、鼻息も荒い。善意からの申し出だとは理解しているが、本能的に僕は身の危険を感じていた。
名前に〝様〟を付ける理由も、ここまで親身になってくれる理由も、女子生徒ばかりの理由も何一つわからない。もしかして、これが都会での普通なのだろうか。
僕は目の前に広がる現実から逃れるように、自身を無理やりに納得させようとしたが、やはり何かが違う気がする。少なくとも、服を脱ぐことも、汗を拭いてもらうことも絶対に違う。それだけはわかる。
「気持ちは嬉しいけど、そこまでしてもらう必要はないよ。でも、その、ありがとう」
「エリオン様⋯⋯!」
一先ずお礼を言ってみたけど、全員が頬を赤らめ、うっとりとした表情でこちらを見ている。もはや何をしても意味がないような気がしてきた。
そんな風に僕が慣れない環境に呑まれていると、ひとりの女子生徒が一歩前に足を踏み出した。
「けれどエリオン様。せめて怪我の治療ぐらいはさせてください。これでも私たちは聖女クラスなのですよ?」
「聖女クラス⋯⋯」
そこで僕は初めて彼女たちの胸元に着けられた組章に気が付いた。
天使のような絵が描かれた純白の組章。
そういえば、各クラスの所属を表すために生徒全員が着けているという話だった。確かに彼女たちが身に着けているのは聖女クラスの組章だ。
聖女クラスでは〝女神の加護〟についてを学ぶ。女神の祝福を受けた才能ある人たちにしか使えない特殊な力で、同じように魔力を消費して放つ魔法とは違い、女神の加護は誰も傷つけない。傷を癒したり、身体能力を上げたり、魔物の力を抑えることができる、と昔ムスク姉ちゃんに教えてもらったことがある。
「というわけで治療はお任せください!」
「でもやっぱり悪いよ。魔力を消費するんだよね? まだ午後の授業だってあるのに」
授業外で無理に魔力を消費させるわけにはいかない。そもそも、僕の怪我は傍から見ても軽症だ。何もしなくとも気づいたら治るはずだし、そのためだけに女神の加護で治療してもらうのはなんだか申し訳なく思えた。
「だから僕は大丈夫⋯⋯」
と、僕はやんわりと断ろうとしたが、
「とんでもございませんわ! わたくしたちの力は傷ついた人を癒すためにあるのですよ?」
「だからこれは私たちの使命! 当然のことです!」
「そうですそうです。それに授業のためというのならば、これも大切な練習になります!」
「だから、エリオン様。私たちに体を委ねて⋯⋯」
「さぁ、さぁ⋯⋯!」
などと、彼女たち聖女クラスのみんなは一向に退く気をみせなかった。
優しさも言い分もわかるし、僕が言葉に甘えて治療してもらえばいいだけなのかもしれない。
けど、先ほどから全身が危険信号を発しているのだ。これを受け入れてしまうと大切な何かを失うことになる、と。
僕は話を逸らすための材料を急いで探すことにした。
「あっ、あれ!」
咄嗟に指を差したのは、みんなの後ろにひとりで座っているひとりの女子生徒。
何か気になることがあったわけでも、彼女を知っているわけでもないけど、今はとにかくこの流れを断ち切りたかった。
「彼女ひとりであそこにいるけど、もしかして同じクラスの子?」
「あぁ、あの子」
「そう、ですね。私たちと同じ聖女クラスの子、なのですけど」
どこか気まずそうに声を沈ませた彼女たちは、互いに顔を見合わせた。
明らかに重くなった空気。
流れは間違いなく変わったけど、何かマズいことを聞いてしまったのかもしれない。
「どうしたのみんな?」
「いえ、彼女は少し変わっていて。名前はニオさん。それ以外のことは私たちも知らないの」
「自己紹介の時も名前しか言わなかったのよね。それ以降も私たちから距離を取っているというか⋯⋯距離の縮め方がわからないというか」
「いつもひとりでああやって花を見つめて話しかけているのですわ」
みんなの話を聞いた僕は、再びニオさんの方へと視線を動かした。
確かに、今だって彼女の足元には一輪の花が咲いている。ただしゃがみ込んでいるわけじゃない。何かを話しているみたいだった。
「で、でも決して悪い子じゃありませんわ!」
「そうよ! この前も授業でペアになった時、わからなくて困っていた私を助けてくれたし!」
「それにニオさんは凄いの! 女神の加護をもういくつも習得してるし、特に治療が素晴らしくて⋯⋯」
と、みんなが次々にニオさんの良さを語り出す。
その様子を見ればどれだけみんなが彼女のことを見ているのか、そして本気で彼女を気にかけているのかが伝わった。
「そっか⋯⋯凄い人なんだねニオさんは。それにみんなも」
やっぱり治療をお願いしようかな。
そう言おうとした瞬間、激しい頭痛が僕を襲った。
「ぅ⋯⋯」
いつもの痛みだ。
そして、いつもと同じようにして未来予知が発動した。
しゃがんでいるニオさんに向かって岩石が勢いよく飛来。
反応したニオさんが咄嗟に振り向く。
衝突するニオさんの顔と岩石。
後は⋯⋯辺り一面が赤と悲鳴で埋め尽くされた。
「マズイ⋯⋯!」
未来予知が終わると同時に僕は剣を抜いて走り出していた。
ニオさんとの距離はそこまで離れてはいない。
でも未来予知は見終わった後すぐに、それをなぞる様に同じ光景が繰り広げられる。既に岩石はニオさんへと向かって飛んでいた。
「えっ」
背後からそんな小さな声が聞こえた気がした。
きっと、彼女には何が起きたのかわからなかったのだと思う。いや、きっとこの瞬間では僕以外の誰も状況を理解できていないはずだ。
辛うじてわかったことといえば、僕が剣で謎の岩石を斬り裂いてニオさんを守った、ということぐらいだろう。
ふぅっ、と僕は息を吐いた。
ギリギリだったけど間に合った。まさかこの未来予知が役に立つ日が来るなんて。
「大丈夫?」
剣を鞘に収めて僕は後ろを振り返った。
しゃがんでいたニオさんは困惑するように僕を見上げていたけど、ようやく状況に脳が追いついたのだろう。顔からは段々と色が消えていった。
「どう、して。何、今の」
「岩が飛んできたんだよ。あそこから」
僕の見つめる先には複数人の生徒たちがいた。
多分、魔法使いクラスかな。魔法の練習中に標準がブレたみたいだ。
「魔法⋯⋯私今、死んでた」
「焦ったよ僕も。でも助かって良かった。怪我は無い?」
そっと手を差し伸べる。
ニオさんも手を伸ばし、掴んで立ち上がった。
「うん、無事。ありがとうエリオン君」
「えっ、僕の事知ってるの?」
「この学院で知らない人はいないよ。隣国のイケメン王子様だとか、女神様からの使者だとか。もっぱらの噂だよ?」
全く身に覚えのない情報が一気に脳に流れ込む。
どうしてそんな意味不明な噂が立ってるのだろうか。考えれば考える程に恥ずかしさが込み上げてくる。
顔を手で覆い隠して、悶々とこれからの学院生活を考えていると、突然ニオさんが笑いだした。
「ぷっ、ふふ。アハハ。何その反応。もしかして知らなかったの?」
「し、知らないよ! どうしてこんな人気なのかもわからないのに!」
「えー、そりゃあ人気だよ。エリオン君のファンクラブだってあるし」
「だから何でそんなのがあるんだろ⋯⋯」
意味がわからずに僕が頭を抱えていると、ニオさんがゆっくりと歩き始めた。
「とりあえず助けてくれてありがとう。お礼に昼食でも御馳走させてよ」
「御馳走って⋯⋯そもそも僕はご飯タダみたいだし。それに、やっぱり一応医務室行った方がいいんじゃ。先生に報告だってしなきゃ」
「えぇーいいのいいの。真面目だねエリオン君は。それに私お腹空いちゃった。ほら早く行かないと休憩終わっちゃうよ~」
スキップをしながら学院の中に入っていくニオさんを見て、僕はもうどうでもよくなってしまった。




