05 ヨルゴス
窓の向こう側から賑やかな声が聞こえてくる。
外はもう夜だというのに景色はぼんやりと赤く色づき、太鼓のような音まで鳴り響いていた。
森の魔物が倒されたことを祝う宴だ。
きっと村のみんなが集まって踊りあい、お酒を飲みかわし、笑って村の平穏を喜んでいるのだろう。
でも、僕はその輪に混ざれない。
とてもじゃないけど、家の外へと出る勇気が無かった。
だって、どんな顔をしてみんなに会えばいいのかわからないんだ。いつも通りに話せる気がしない。心の底から笑える気がしない。
僕の頭にあるのは、ハンスさんが話してくれた魔王と勇者についてのことばかりだ。
魔王がこの世界を壊そうとしている。
倒すためには勇者の血を引く僕が強くなって立ち向かうしかない。
信じられないことだけど、何故だか腑に落ちてしまう。
僕はやはり特別なんだ。
日々強くなる力や、有り余る体力と魔力。昼に魔物を倒した時も、今思えば僕は不思議と冷静だった。
どうすれば勝てるのか。何ができて何ができないのか。勝つための道筋が自然と頭の中に思いついて、その通りに身体は動いた。
何よりも、ランサさんを守らなくてはと思った瞬間に、全身から力と勇気が漲ったんだ。まるで最初から誰かを守るために、この肉体が存在していたかのように。
未来予知の能力も勇者の才能なのかもしれない。
お伽話には無かったけど、過去の勇者が同じ能力を持って生まれていたとしても不思議じゃなかった。
思い返して考える程、やっぱり僕はハンスさんの言ったように現代の勇者なんだ。そのために生まれてきたんだ。そう強く思う。
でも、やっぱり僕は怖い。
魔王と戦うのも、負けて世界が終わってしまうのも⋯⋯村から出て行くことも。
みんなもきっと悲しむと思う。
絶対に出て行かないって言ったのに、これじゃあ僕は最低な嘘つきだ。
みんなを悲しませたくはない。僕を信じて優しくしてくれたみんなを裏切りたくはない。やっぱり僕には、勇者になって魔王を倒すなんてそんなこと到底無理だ。
ハァっ、と僕の口から無意識に溜息が出た時、部屋の扉をコンコンとノックする音がした。
「⋯⋯エリオン。少しいいか」
「うん、いいよお父さん」
僕の返事から少し間をおいてガチャリと扉が開いた。
扉から現れたお父さんは一度部屋を軽く見渡した後で、中に入り、僕が座るベッドに腰を下ろした。
ギギギ、とベッドが軋む。
小さな音だ。でも、その音を最後に部屋には沈黙が流れた。
一分か、もしかしたら十分かも。
僕もお父さんも何も話さずに時間が過ぎていった。
「エリオン。すまなかった」
「え⋯⋯」
突然の謝罪に、僕は目を丸くした。
「何の話? 僕、お父さんに謝られることなんて何も⋯⋯」
「お前に勇者のことを黙っていた。ずっと、関係ないと言い聞かせていた。だが、本当はわかっていたんだ。お前が勇者になるということを。そして、こんな日が来るということを」
淡々とお父さんは続ける。
それはいつもと同じお父さんの声なのに、どこか苦しんでいるように聞こえた。
「俺は小さな時から勇者になるように育てられてな。ハンスと同じように、俺の親も魔王が五百年周期で誕生するのではないかと考えていたらしい。いずれ訪れるであろう魔王との戦いに向け、俺は両親に鍛えられた。毎日毎日剣を振るい、肉体を作り上げ、休む暇も無くただ我武者羅に強さを求めた。それが己の役目だと、そう言い聞かせてな」
お父さんは自分のことを話したがらない。だから、どうしてあそこまでお父さんが強いのか、ずっと不思議だった。
僕に剣術を教えてくれたのは他でもないお父さんだ。僕にもしものことがあってはいけないと、お父さんから言い始めたことだった。
足の良くないお父さんは動きこそ少なく、走り回ったり、剣を交えた実践でも自分から仕掛けることはなかった。それでも僕は一度だってお父さんに勝てたことは無い。
強くって、誇らしかった。
そんなお父さんの強さの秘密を、少しだけ理解できた気がする。
「でもな、いくら年月が経っても魔王は現れなかった。それでも念のためにと、俺は親からの勧めで王都の騎士団に入団した。そこなら力もあり勇敢なお前にピッタリだと。腕を磨くにも打ってつけだと。親はまだ諦めていなかったんだろうな。いや、信じてくれていたのかもしれない。俺が魔王を倒すのだと。ハンスとはそこで出会ったんだ」
「そうだったんだ。でも、どうしてお父さんは辞めちゃったの? やっぱり怪我のせい?」
お父さんの右足に自然と視線が動く。
太腿から脹脛にまで走る痛々しい傷跡。一度見せてもらったことがあるけど、それはもう凄まじかった。見ているだけでつい顔を顰めてしまうような、痛みがこっちにまで伝わるような、そういう傷跡だ。
魔物に襲われたんだ、とお父さんは傷跡を見せながら僕に教えてくれた。そのせいで今も歩くことだってままならないんだって。
「あぁ、そうだ。だが、それだけじゃない。昔、任務で魔物の群れと遭遇してな。次々と襲われ喰われていく仲間を前にして、俺は逃げ出してしまったんだ。怖かった。死にたくなかった。無我夢中で走った後で振り返ってみたが、そこにはもう誰も居なかった。その瞬間に気が付いたんだ。俺は騎士にも勇者にもなれない臆病者なのだと。後悔だけが積み重なり、耐えられなくなった俺は自分の手で足を斬り裂いたんだ。俺は懸命に戦った。これは魔物にやられた。そうやって周りを⋯⋯自分を騙すためにな」
お父さんは自分の右足を優しく摩る。けど、その手は小刻みに震えていた。
「俺はその日からもう魔物と戦うことができなくなった。怪我を言い訳に騎士団も辞め、大人しくこの村に帰って来たんだ。親には何て言おう。そんなことを考えていたが、帰った俺を待っていたのは二人の亡骸だった。魔物に襲われて死んだんだ。そうして独りになった俺の心を支えてくれたのが、お前のお母さんだった」
「お母さん⋯⋯」
少しだけ。ほんの少しだけ胸がキュッ、と締め付けられた。
「凄く優しかったんだよね、お母さんは。村のみんながそう言ってた」
「優しかったよ。俺のような男にもアイツは優しかった。ずっと胸に沈んでいた俺の罪も聞いてくれた。一緒に泣いてくれた。そして⋯⋯死んだ。お前を産んですぐに雷に打たれてな。運が悪かったと、村の人たちは慰めたがそれは違う。勇者の血は呪われているんだ。俺は親からそう聞いた。勇者の血を引く者は皆短命であり、その者が愛した人間も呪いによって地獄に誘われると。俺が⋯⋯俺の中に流れる勇者の血がアイツを殺した。仲間を殺し、家族を殺した。何が勇者だ。俺はただの人殺しだ」
激しい怒りの籠った声をお父さんは吐き出した。その怒りの矛先はきっとお父さん自身だ。自分を許せないのだと思う。あれだけ力強くって大きく見えたお父さんの体が、今は何故だか小さく見えた。
「残ったのはお前だけだった。俺は一生懸命にお前を育てたつもりだ。少しでも長生きするように剣の振り方も教えた。だが、そこで気が付いたんだ。お前の才能に。お前の優しさと内から溢れる暖かな光に。直感でわかった。お前が勇者として生まれたことが」
「じゃあ、どうして教えてくれなかったの? そうしたら⋯⋯」
「そうすれば、お前の人生を縛ってしまうと思った。俺と同じようにな。勇者の素質があろうとも、お前には自分で道を決めて欲しかった。俺のように間違った道を歩いて後悔してほしくなんてなかった。呪われた勇者の血なんて知ってほしくなかった。だから黙っていたんだ。お前の悲しむ顔や苦しむ顔なんて見たくない。お前は俺のたったひとりの子供なんだ。⋯⋯お前まで失いたくないエリオン」
お父さんが僕を抱きしめた。
ギュッ、と強く強く抱きしめる。でも、その手はやっぱり震えていた。
「⋯⋯大丈夫だよ。お父さん。ちゃんとわかってるから」
僕は震えるお父さんの背中に手を置いた。
「お父さんが僕を大切に想っているのは十分に伝わってるよ。この村のみんなも優しくって、いろんなことを教えてくれるけど、僕がここまで大きくなれたのはお父さんのお陰なんだよ。強いお父さんの背中を見て、追いかけて、僕は生きてきたんだ。ありがとうお父さん。僕お父さんの子供でいられて、世界で一番幸せだよ!」
「エリオン⋯⋯」
抱きしめた体を離して、お父さんが僕の顔を見た。やつれて疲れたような顔をしている。それに、目には薄っすら涙まで溜まっていた。
初めて見た。お父さんのこんな顔。僕のことを本気で心配してくれていたんだ。ずっと、ずっと、この日が来るまでずっと——。
「僕にとってもお父さんは世界でひとりだけの家族なんだ。だからもう元気出してよ! 僕も、ほら、気になっちゃうし」
「そう、か。ハハ、そうだったな」
お父さんは目に溜まった涙を手で拭うと、真っすぐに僕を見つめて言った。
「エリオン、ありがとうな。こんな俺の子供に生まれてきてくれて。俺を〝父親〟にしてくれて」
「えへへ。どういたしまして! って、面と向かって言われると照れちゃうよ」
「ハハハ。すまんすまん」
照れ臭そうにお父さんが笑う。きっと、僕も同じように笑っているのだろう。⋯⋯そうきっと、笑えているはずだ。
「⋯⋯それじゃあ、僕はもう寝るね」
「宴には行かないのか?」
「うん、ちょっとね⋯⋯」
やっぱりまだみんなにどう言えばいいのかわからない。お父さんの話を聞いて、もう自分で道を決めてしまえばいいって気づいたのに、それでも決心がつかなかった。
村に残れば済む話だ。
ハンスさんだって、僕が魔王を倒しに行くことを本心で望んではいないはずだし、僕にできることなんて何も無い。
「悩んでいるんだろう」
お父さんが僕の肩に優しく手を置く。
「やっぱりわかっちゃうよね」
「お前は嘘が吐けないからな。⋯⋯いいかエリオン。お前がどうして悩んでいるのか、俺にはわかる。村の人たちのことをそこまで本気で思えるのは、間違いなくお前の長所だ。だがな言っただろう? 自分の道は自分で決めるんだ。自分の心に従うんだ。俺はそれがどんな道だろうとも、お前を信じている」
真っすぐな瞳と言葉に、僕の心は揺れた。
何をしたい。
僕が自分の心に問いかけると、体は自然と窓の外を見るように動いた。
「⋯⋯森の魔物はね、凄く凶暴だった。あのままじゃ村の誰かが死んでいたかも。あんな魔物が世界に沢山いるんだ。魔王のせいで魔物が増えて、みんなを困らせている。世界中の人たちが今も泣いている。僕は平和になってほしいんだ。村のみんながこうして笑っているみたいに、世界が笑顔になってほしい」
それが僕の願い。
僕にその願いを叶えるだけの力が本当にあるのかなんてまだ信じられないけど、それでもやりたい。僕はこの世界を救いたいんだ。
「だからね、お父さん⋯⋯」
「あぁ、わかっている。好きに生きろエリオン」
「っ⋯⋯うん!!」
僕はベッドから飛び起きると、その勢いのまま部屋の扉に手を伸ばす。
「ありがとうお父さん! 僕、村のみんなに言ってくる!」
「そうか。無理だけはするなよ。エリオン」
お父さんの言葉に頷くと、僕は軽くなった体を動かして、宴をする村の広場へと走り出した。