04 ハンス
私がルーンデレア王国の王都から離れた辺境の地にある、この小さな村にやってきたのには理由があった。
それは勇者を見つけるため。
二年前に魔王の誕生を確認して以来、王都では様々な取り組みが進められていた。
活性化した魔物に備え防壁を強固にし、近隣の国々と情報を共有し、優秀な人材を見つけ育む。
勿論、これらは取り組みの一部に過ぎない。兎も角、魔王の脅威に対抗すべくルーンデレア王国⋯⋯いや、今や世界が一丸となって協力しつつあった。
だが、魔王の誕生は極秘情報扱いのため、一般人には未だ伝わってはいない。
当然と言えば当然だろう。
魔王を発見してまだ二年。不確かな情報も多いまま国民に知らそうものなら、国中が大混乱に陥るのは火を見るよりも明らかだ。
だからこそ、先ほど挙げた取り組みはあくまで全て秘密裏に行われていることだった。ある程度の変化に国民も気が付いてはいるだろうが、まさかお伽話の魔王がこの世界に生まれた、などという馬鹿げた妄想を膨らます者はいないはずだ。
その証拠に王都は平和そのものであり、今までと何ら変わりない日常が繰り広げられている。
だが、それもあと少しの話だ。
じきに魔王の悪影響が世界を揺るがし、人類にとって最悪の未来が訪れるだろう。
日は沈み、長い夜が来る。
寒く、光が当たることも望めないような絶望がやってくるのかもしれない。
そうならないためにも、一刻も早く魔王を倒さなくては。倒すことのできる優秀な人材を見つけなくては。
国王が危惧し、ルーンデレア王国騎士団の団長である私に勇者を探すように命を出したのは、魔王の誕生が確定した直ぐ後だった。
迅速な判断だ。
私もすぐ様に行動に移し、日常の業務と並行して勇者の捜索に乗り出した。
限られた時間の中、少ない情報から勇者を特定することは困難ではあったが、調査を進める内に以前同じ騎士団に所属していた友人が勇者の末裔であることを突き止めた。
友人の名前はヨルゴス。自分の事を一切語らない男であったため、当然勇者の末裔であることなど友人ながら知る由も無かった。何しろ彼は自身の家名すら偽っていたのだから。
だが、ここまでわかれば話は早い。
ヨルゴスは騎士団に居た頃、魔物によって足を負傷したため既に引退していたが、故郷に戻るという話は最後に聞いていた。
だからこそこうして、私は友人と⋯⋯勇者と出会うべくこの村に訪れたのだ。
「凄いものだな。これは」
村の近くにある森。
そこはとても長閑で居心地が良く、王都に暮らす中で忘れていた自然の美しさを思い出させてくれる。
だが、私が驚きの声を上げたのには別の理由があった。
全長四メートルを超える黒い魔物。
熊のような見た目をしたその魔物は既に絶命しており、大木のように太い生首が胴体と斬り離されて地面に転がっていた。
「これを、十四歳の少年がやったとはね。にわかには信じがたいな」
「でも事実です」
未だ信じられない私に対し、王都から共にこの村を訪れたひとりの女性が答えた。
彼女の名前はムスク。
王都でも名の知れた魔法使いだ。
二十代にして魔法使いとしての実力も申し分なく、その目を引く美貌からファンも多いという。
私とは仕事で幾度か話をするだけの仲であったが、彼女の故郷が目的地ということもあり、今回行動を共にすることとなったのだ。
「確か名前はエリオン君だったかな。彼はこの村では有名なのかい?」
「有名なんてものじゃないですよ! 村の人全員に聞けば全員が笑って彼を誉める。明るく、優しく、腕も立つ。剣術もですが、魔法だって扱えます。なんたって私の可愛い一番弟子ですし!」
ふふん、とどこか自慢げにムスクは胸を張った。
なるほど。
確かに彼女がここまで嬉しそうなのは初めて見る。余程気に入られているようだ。
「魔法の属性は?」
「火属性と光属性を扱えます。光属性何て私も初めてで、教えるのには苦労しましたよ」
「光属性だって⋯⋯?」
再び驚く私にムスクはまた自慢げな笑みを浮かべる。⋯⋯もうその顔は十分だからよして欲しい。
だが、光属性ともなれば仕方がないか。
優秀な魔法使いを管理しているルーンデレア王国でも、光属性を扱える者はただひとりとして存在しない。扱えたのは過去にたったの二人だけだ。
「過去の勇者二人と同じか⋯⋯。となれば魔法の実力もやはり高いのか?」
「ハイ。私が教えたことは直ぐに覚えましたし、もう初級魔法なら簡単に扱えます。しかも凄いのが一度の詠唱で複数魔法を展開できること。ほら、見てくださいよこの死体」
促されるように魔物の死体を見る。
ムスクが指差す先には、焦がされた魔物の黒く硬質な毛皮があった。
「この魔物は肉体も然ることながら、毛皮も硬いと有名です。恐らく初級の魔法じゃ歯が立たない。でも、この焦げ跡を見るに同じ魔法を複数ぶつけています」
「確かに。私はそこまで魔法に詳しくはないが、一度の詠唱でここまで魔法を繰り出すのは稀有だろうね。何度も詠唱して⋯⋯は考えにくいか。この魔物は確か動きも俊敏なはず。本職が魔法使いでもない少年にそんな隙は与えないだろう」
本来、詠唱には時間と体力を消耗する。
詠唱の省略化。複数の魔法を同時に展開するセンスと体力。初級とはいえ全てが高水準だ。
「複数の魔法発動は私でもかなり集中力を消費しますし、並の魔法使いじゃできない人の方が多いですかね」
「だが通じない魔法を放ち続けた理由がわからないな。どう思うムスク」
いくつか予想もできたが、剣しか扱えない私よりも、魔法使いであるムスクに意見を促した方が得策だろう。
彼女も若いながらに幾つもの修羅場を潜り抜けているのだ。魔法においてはルーンデレア王国団長の私よりも優秀なことは疑う余地も無い。
「多分ですが隙を作るため⋯⋯かなと。さっきハンスさんが言ったように、この魔物に攻撃を当てるのは至難の業。だから速度重視の魔法で動きや視界を封じて、その隙に首を斬ったんじゃないでしょうか」
「なるほど。まぁどれも推測だがね。ただ、この首を斬ったのは動かない証拠。本当に凄いな」
私は魔物の切断面にそっ、と手を伸ばす。
綺麗な斬り口だ。
子供の手でこれを斬るとなると相当の力と速度、そして技が必要だ。
「ハンスさんでも無理ですか?」
ニヤニヤと笑ってムスクが近づいてくる。
「これでもルーンデレア王国騎士団の団長だよ。同じように一刀両断するぐらい訳ない」
「ふふ、それはそうですよね」
「だが、彼と同じ年齢で同じ武器を使えとなればそうもいかない。流石に子供に立派な武器は持たせていないだろう。私の戦闘用の物とはわけが違う。やはりエリオン君は天才だ」
「ふふふ。そうでしょうそうでしょう! 天才なのよエリオンは! ふふ」
まるで自分のことのように嬉しそうに笑うムスクは、それこそまるで子供のようだった。
どんな男も眼中にないような冷たい女性⋯⋯と、噂では聞いていたし、実際王都で話した時もそう思っていたが、こんな表情もするのか。またエリオン君に会う楽しみが増えてしまったな。
「それじゃあ私は村の人にも話を聞きつつ、アイツの家でエリオン君の帰りを待つとするよ」
「⋯⋯ハンスさん。ひとついいでしょうか」
「どうしたんだい?」
先ほどと変わり静かな声に、私は振り向く。
目に映るムスクの表情はどこか緊張している様子だった。
「本当にエリオンを王都に連れていくんですか。魔王と戦わせるつもりですか。その、身勝手でバカな発言かもしれませんが、私は反対です。エリオンはこの村が大好きなんです。みんなが大好きなんです。それなのにこの村から連れ出して、しかも魔王と戦わせるなんて、そんなの⋯⋯」
「勇者を見つけて王都に連れてくる。それが私の任務だ。国王の命令だ」
国王の命令。
その意味は王都で働くムスクにも痛いほど理解できているはずだ。
ビクリ、と一瞬体を震わせたムスクは、表情を曇らせ下を向いた。
「⋯⋯そう、ですよね。申し訳ございません、出過ぎた発言でした」
俯きながらもムスクは歩き出す。
重い足取りだ。彼女は本気でエリオン君のことを思っているのだろう。
ここに来てムスクと話した時間は短い。だが、たったそれだけの時間でも彼女の考えや気持ちは十分に伝わっていた。
私は覚悟を決めると、遠ざかろうとしているムスクの背中に向かって言った。
「確かに国王の命令で私はここまで来た。だが、安心してくれムスク。私は無理やり彼を連れて行くような真似はしないよ。全てを話し、道を示し、その上でエリオン君の意思を尊重するつもりだ。大人が現実から目を背け、子供に責任を押し付けるのは間違いだからね」
そうだ。
この任務に就いた時から、私は決めていた。
友人が勇者の血を引く者だとわかった時、私は彼の子供が現代の勇者なのではないかと考えた。
彼とは長い付き合いだが勇者の片鱗を見た事は一度も無い。
才能が無いだとか、弱いだとか、そういうことではない。勇者になるべくして生まれた、そんな心を動かすような優しく大きな光が感じられなかったのだ。
そもそもヨルゴスは足に怪我を負っている。もう十分に戦うことはおろか、走ることだってままならないはずだ。
ならば、同じく勇者の血を引く者が別にいる。
兄弟の可能性もあったが、私は直感的に友人に子供がいるとそう思った。
もし仮にこの直感が正しく、彼の子供が勇者となる者だったなら、どうするのが正解だろう。子供に「お前は選ばれた者だ。世界を救うために命懸けで魔王を倒せ」と、そんなことを言えというのか。
違うだろう。
大人が勝手な理由で子供の未来を決めつけることなどあってはならないんだ。
「それが私の決定だ。最悪魔王は私や他の団員、優秀な大人がどうにかすればいい」
「本気ですか?」
「あぁ」
私はムスクを真っすぐに見つめて頷く。どうやら彼女にも本気であることが伝わったらしく、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「凄く嬉しいです。ハンスさんがエリオンのことそこまで考えてくれているだなんて。あなたならエリオンを任せられる」
「それはどういう意味だい?」
意味がわからず尋ねた私に、ムスクは真剣な表情を作ってみせた。
「その、恐らく何ですがエリオンは⋯⋯いえ、憶測でものを言うのはよくないですよね。申し訳ございません。今のは忘れてください」
「⋯⋯いや、君の言いたいことは何となくわかった。そうだね。もし君の考えた通りになったのなら、私も全力を尽くそう」
「ハイ。お願いします」
ムスクは丁寧に頭を下げた。
その仕草ひとつとってしても、よくわかる。
やはり彼女はエリオン君のことを深く愛しているのだと。
「任せてくれ。それじゃあ今度こそ私は行くよ。君も久しぶりの帰郷なのだろう? ゆっくり体と心を休めてくれ」
それだけ言うと、私はヨルゴスの家に向かうべく歩き出した。