03 魔王と勇者
僕は時折、自分が特別な人間だと思うことがある。
剣術の才能に恵まれ、魔法の才能に恵まれ。
よく村の人は僕が天才だと褒めてくれた。
そう言われると恥ずかしさも込み上げてくるけど、純粋に嬉しいとも思う。
でも、僕が僕自身を特別だと感じるのはそういった才能の話ではない。こう、何というか、直感に近いものだ。
理由なんて無いし、僕の頭がおかしいだけなのかもしれない。ただ気が付くと「僕は他の人とは違うんじゃないか?」なんてくだらないことを考えてしまうんだ。
特に、この頭痛が起きた後は必ず——。
「⋯⋯っ。また頭痛だ」
頭の内側を、鋭く細い針が貫くような痛み。
それは一瞬のことだったけど、僕は今までにこの一瞬を何度も経験してきた。
物心がついた時だったろうか。
僕の意思とは無関係に、頭痛が襲うようになった。
痛みもそこまでではないし、他に身体に異常があるわけでもない。
問題は、この頭痛がただの前触れだということだ。
〝未来予知〟。
これが頭痛の後で必ず起こる、僕が僕を特別だと強く感じる理由だ。
痛みと引き換えに数秒先の未来が見える。
信じられないような特殊能力だけど、今までこの未来予知が外れたことは一度だって無かった。
当然、僕も最初は戸惑ったし怪しんだ。
でも、未来予知は毎回頭痛の後に必ず見えた。そして、その後すぐに同じ光景が目の前で繰り広げられる。
僕がこの能力を信用するのには、そう時間は掛からなかった。
このことを知っているのは僕だけだ。
だって、村のみんなに話したところで信じてもらえるわけがないし、証明することだってできない。
未来予知は気まぐれだ。
僕の意思とは関係なく頭痛は起きる。未来だってほんの少ししか見れない。つまりは役立たずな能力ってわけだ。
現に今だって僕の脳にねじ込まれた映像は、まるで意味のないものだった。
家の客間にお父さんが座っている。
向かい側には⋯⋯知らない男の人?
身に着けているのは鎧かな。でも、あんなにも高価そうな鎧を見たことがない。少なくとも村の人間じゃないのは確かだ。
と、そこで僕の未来予知は終わる。
つまり家の中にはお客さんがいるってことだ。中に入って驚かなくては済むけど⋯⋯うん、やっぱりこの未来予知が役に立つ日は来なさそうだ。
僕はひとり苦笑いを零すと、そのまま家の中に入っていく。
「ただいま」
「あぁ、お帰りエリオン」
部屋の扉を開けると、そこにはやはりお父さんが座っており、向かいには未来予知で見たあの男の人も居た。
「紹介するよ。この人は俺の友人でね」
「ハンスだ。よろしく」
にこやかに笑ってハンスさんが手を差し出した。
優しくて良い人そうだな、というのが第一印象だった。
清潔感のある短い髪。身長も高い。でもスタイルが良いとか、細身の印象は無い。鎧越しにもわかる。広い肩幅に大きく硬そうな手。優しい表情とは裏腹に、素手でも魔物を倒してしまいそうな揺るぎない〝強さ〟が感じられた。
僕は笑顔を作ると、手を握って軽く会釈する。
「僕はエリオンです。こちらこそよろしくお願いします」
「ハハハ。そう畏まらないでくれ。話通り真面目な少年だなエリオン君は」
「えっと、僕の話を?」
「あぁ、この頑固野郎からね」
ハンスさんの視線の先にはお父さんが座っている。
寡黙であまり感情を表に出さないお父さんが、この時は何故か楽し気にハンスさんに言い返した。
「誰が頑固だハンス」
「事実だろう?」
悪戯に笑うハンスさんに、お父さんがヤレヤレと溜息をついた。
「と、話を戻すがね。君が優秀だと言うことは聞いている。剣術は村一番。火属性と光属性の魔法も扱える。そして勇敢で優しく非の打ち所がない⋯⋯と、村の人たち全員が、まるで自分の事のように嬉しそうに話していたよ」
「そ、そうなんですか。ちょっと⋯⋯いや大分恥ずかしいや」
顔が一気に熱くなるのがわかる。
村のみんなにはいつもお礼を言ってもらえているけど、やっぱりこればっかりは慣れない。
「でも僕は普通の人間です。剣術も魔法もまだまだだし。ただ、村のみんなの役に立ちたいだけだから」
「普通の人間、か。エリオン君。君は本当に自分が普通の人間だと思っているのかい? ⋯⋯自分が特別だと感じたことがあるのでは?」
「え⋯⋯」
ハンスさんの言葉に僕は驚いて声が出なかった。
だって、僕が時折考える違和感を、この人は的確に射抜いて来たのだから。
ハンスさんは姿勢を正し座りなおすと、真剣な表情を作って話を始めた。
「エリオン君は魔王と勇者。この二つの存在について知識はあるかな?」
「魔王と勇者⋯⋯?」
予想外の質問に僕は首を傾げてしまう。
魔王と勇者。
この二つの名前は知っているが、どちらもお伽の話だ。世界を壊す力を持つ魔王と、その魔王を打ち倒す特別な力を持つ勇者の話。精々僕が知っていることなんてこの程度だ。
僕がそう言うとハンスさんは頷いた。
「そうだ。君の言うように魔王と勇者はお伽話に登場する存在だ。⋯⋯と、殆どの人がそう思っているが実は違う。魔王と勇者は実在したんだ」
実在した? 魔王と勇者が?
急に何を言い出すのか先ほどからまるで意図が掴めない。けど、ハンスさんが嘘を吐くような人にも思えない。何よりも、彼の表情は真剣そのものだ。
「⋯⋯じゃあ僕が聞いたことのあるお伽話は、過去に起きた実際の出来事だってことですか?」
「あぁ。今から千年前。この世界に強大な力を持つ魔王が誕生した。魔王は多くの魔物を従え村を襲い、土地を腐らせ、人々の命を奪っていった。そんな魔王をたったひとりで打ち破った人間こそ、初代勇者セレーネ・フォスエルピス。女性でありながら、その力は最強に相応しい程と今尚も語り継がれている」
ドクン、と心臓が強く波打つ。
じんわりと手には汗が滲む。
「さらに五百年後。再び魔王は誕生した。同じくして、セレーネの血を受け継いだ二人目の勇者が名乗りを上げる。二代目勇者アントス・フォスエルピス。彼は猛毒を操るとされたひとりの女性と共に魔王を討伐した。初代とは違い剣術は並だったそうだが、強力な魔法を扱えたとされている」
ゴクリ、と唾を飲み込む音が響く。
次に耳に聞こえてきたのは自身の荒く短い呼吸の音。
「二人の勇者はどちらも勇敢で正義感に溢れていた。剣を振るい、魔法を放つ。その勇姿は今もこうして語り継がれている程だ。金色の髪。深紅の瞳。光の魔法。非の打ち所の無い優しさ。これらが勇者と呼ばれた二人の特徴だ。⋯⋯私の言いたいことがわかったかな? エリオン・フォスエルピス君」
「僕が、勇者の末裔⋯⋯?」
信じられない。
そんな話は一度だってお父さんから聞かされたことは無かった。
「信じられないのも無理はない。だが事実だ。千年前、五百年前。君の先祖が勇者として二度魔王を打ち倒した。そして⋯⋯三度目の魔王誕生を迎えてしまった」
そうだ。肝心なのはそこだ。
僕が勇者の末裔だということが事実だとすれば、どうしてわざわざハンスさんがそれを伝えに来たのか。答えは一つだった。
「五百年周期で魔王が誕生している。最悪の可能性だったが、私は国王の命を受けて魔王について密かに調査していた。そして二年前に魔王の誕生を確認した。既に魔王は巨大な城を住処に、数多くの魔物を操り人間界を侵食している。まだ被害は極僅かだが、このままではいずれ人間は滅んでしまうだろう。⋯⋯誰かが倒さない限りはね」
ハンスさんの瞳が静かに揺れる。
「遠回しな話は止めて本題に入ろう。私はルーンデレア王国騎士団のひとりでね。魔王を倒せる勇者の末裔を探していた。それが君だ。村の人たちの話でも十分だったが、この目で見て確信したよ。君こそが現代の勇者であり、魔王を倒すことのできる者だと。どうだろうエリオン君。私と共に王都に来てくれないか? 力を蓄え、技を磨き、魔王を倒すための準備を王都で設けさせてくれ。是非とも君の力を貸して欲しい。この通りだ!」
そう言うと、ハンスさんは勢いよく立ち上がり頭を深々と下げた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 急にそんなこと言われたって! それに、僕が勇者だとか魔王を倒せだとか、そんなの⋯⋯」
無理に決まっている。
だって僕はただの人間だ。
小さな村で生きる、ごく普通の人間だ。
勇者だとか、魔王だとか。そんな普通とはかけ離れた話をされたって、僕にどうしろというのだろうか。
戸惑い、状況が飲み込めない僕は助けを求めるようにお父さんの方を見た。
でも、お父さんは何も言わない。
顔色を変えずに、ただ真っすぐにハンスさんを見つめるだけだった。
「⋯⋯と、一応は言ってみたんだがね」
ゆっくりと顔を上げ、ハンスさんが再び椅子に座りなおした。その顔は先ほどまでの真剣さを取り払い、優しさを多分に含んでいた。
「今の話は全部忘れてもらって結構だ。こういうのはどうも苦手でね」
照れ臭そうにハンスさんは笑う。
「悪かったね。一方的に話を進めてしまって。今話したことは全て紛れも無い事実。でもね、エリオン君。私は何も無理やり君を王都に連れていき、勇者に鍛え、魔王を倒してもらおうなんて思っていないんだ。君はまだ若い。世界の命運を背負うには余りにも小さすぎる。国王の命でここまで来たが、それを盾に君の未来を決めたくはないんだ」
「でも、それだと魔王は⋯⋯!」
「倒せない⋯⋯かもしれない。けど、それは過去の話だ。勇者しか魔王を倒せないなんて決まっているわけでもない。私たち人間は時代と共に進化してきた。優秀な人材だって数多くいる。今の世界ならきっと大丈夫さ」
ハンスさんは立ち上がると傍に置かれていた荷物を片手で持ち、反対側の手を僕の方に伸ばした。
大きな手が僕の頭を優しく撫でる。
「だから安心してくれエリオン君。負うべき責任など何一つないんだ。ただ、それでも君が優秀であることも確かだ。力をどう使うかは君次第。もしも決心がついたのならば私に話してくれ。私も一週間だけこの村に滞在する。だが、少しでも迷いがあるのならば悪いことは言わない。この村に残るべきだ。私ができることは道を示すことだけ。⋯⋯後は自分の心に従うんだ」
優しく微笑むと、ハンスさんは一度お父さんにお辞儀だけしてそのまま家から出て行った。
お父さんはやはり何も言わない。
僕も⋯⋯何も言えなかった。
正直、まだ混乱している。
ハンスさんの言ったことが頭で理解できても、納得することはできなかった。
わからないんだ。
何が正しくて、何がしたいのか。
僕の心が濃い靄で埋め尽くされた時、外では宴を開始する賑やかな合図が聞こえだした。