短編『愛を探す旅』
短編なので文字数は多めです。
その女神は世界に退屈していた。
名前はリキ。
人間の生きる地上の遥か上に広がる天界にて、数多く存在する女神のひとりである。
女神は人間に恵みをもたらす。
無数に存在する世界にて、女神たちは各々与えられた役割を全うし、担当する世界の均衡を常に保ってきた。
リキも例外ではない。
彼女はもうひとりの女神と共に生まれ落ち、同じ世界を与えられた。青く美しい星だ。その星ではどの生物よりも人間が最も力を有していた。
頭が良く、ひとりひとりの力は弱くとも、協力し助け合うことで、人間たちはあっという間に文明を築き上げていった。
争いも無い美しい世界。
リキの与えられた世界は、女神にとってこの上なく上質な物だった。
だが、リキは思う。
何故こうも自分の与えられた世界は退屈なのだ。他の女神たちはもっと右往左往悩みながら世界の均衡を保とうとしているというのに、この世界は何もない。何をしなくとも勝手に平和が積み上げられていく。
とんだハズレくじだ。
リキは毎日毎日欠伸をしながら、退屈な時間を浪費していった。
この気持ちをせめて共感できる相手がいれば、まだリキにも救いはあったのだろう。せめて、同じ世界を見る羽目になった、もうひとりの女神の思考が同じであったのならば——。
「ねぇ、リキ! 凄いよこの世界! こんなにも平和で美しいなんて、私感動しちゃう!」
隣に座るもうひとりの女神。
同じ退屈を味わっているはずの彼女は、いつだって嬉しそうに笑っていた。
「よく飽きないねアイ。見てよボクの顔。眠っちゃいそうだろう?」
「君はいつでもそんな顔でしょ?」
アイは呆れたようにまた笑った。
笑顔の似合う美しい女神だ。
派手な桃色の髪も、整った可愛らしい顔の前では引き立て役にしかならない。全てを包み込むかのような温かさ。そして優しさ。女神の名前に恥じない圧倒的な存在感を、アイは意識せずに放っていた。
(同じ女神。姉妹であるのにこうも違うなんて。やっぱりボクの運は悪いらしい)
リキは眩しすぎるアイの笑顔に顔を顰めた。
姉妹であるため容姿は似ている。
リキの顔も十分に整っており、人間とは比べることすらおこがましいだろう。
だが、表情に色が無かった。
嬉しさも、悲しさも、何も感じない。まるで無。純白に輝く髪も、リキの真っ白で他の何も寄せ付けない心を表しているようだった。
「退屈なんだよ。だって何も無いだろう。見なよこの人間たち。今日も呑気に笑っているだけだ」
リキが足元を指差す。
虹色に輝く透き通った湖。そこには数人の人間が、楽しそうに酒を飲みかわしている姿が映し出されていた。
「良い事でしょう? みんなが楽しく笑っている。幸せでいっぱい! 最高だよ!」
「何が楽しいのか。そもそも楽しいって何?」
リキの問いに、アイは押し黙った。
重たい沈黙が流れ、リキは自身の発言を後悔した。
「⋯⋯悪かったよ。またこんな質問して。気を付けてはいるつもりなんだ」
「こっちこそごめん。リキにどうやって教えればいいのかまだ考えているところなの」
「無理だよ。わかっているだろう? ボクには感情が無い。無いものを教えるのは不可能だ」
淡々とリキは言った。
まるで心底どうでも良いことだと言わんばかりに、興味の無い半眼で湖に映る世界を見下ろす。
どの人間たちも笑っていた。
辛くとも手を差し伸べ、手を取り合い、最後には皆笑うのだ。
楽しいから笑う。
リキもそれぐらいはわかっている。わからないのは、楽しいという感情そのものだった。
女神として生まれ落ちた瞬間から、リキには感情が欠落していたのだ。
他の女神が嬉しそうに笑う意味がわからない。悲しそうに泣く意味がわからない。リキの目には、全ての心ある生命たちの行動が愚かに写った。
だから、リキにはこの美しいと表される世界に興味が微塵も沸かなかったのだ。
「君たち普通の女神はコレを美しいと言う。でもね。ボクにはそうは見えない。何も感じないんだよ。ボクは⋯⋯みんなとは違う」
そっ、と湖にリキは手を伸ばす。
触れた指先が濡れるが、冷たいのか暖かいのかもわからなかった。
「それは違うよリキ。君にも心はあるハズだよ」
アイが濡れたリキの手を掴んだ。真っ直ぐな瞳で真剣に向き合う。
「私にはわかるの。リキが気づいていないだけ。きっと、この胸の奥に暖かな想いが眠っているんだ」
リキの体をアイは抱きしめる。
「だってリキはこんなにも暖かいんだもん。ドクン、ドクン、ってね。心臓が力強く動いているんだもん」
「本当かい? ボクには何も感じられないけど」
自分の肌に手を触れても体温は無い。心臓の音も聞こえない。リキにはやはり何も感じられなかった。
「じゃあ私に触れてみて。私を感じてみて」
「アイを、感じる⋯⋯」
リキは試しに抱きしめるアイの体に意識して触れた。
腰を、胸を、腕を、顔を。手でペタペタとがさつに次々と触っていく。
「⋯⋯あの、リキ? もう少し、その、触り方ってものがあると思うんだけど」
「何が?」
顔を赤らめるアイの額に、リキは手を置いた。
熱い。
確かに、リキの手にはアイの熱が広がっていった。
続いて、リキはアイの胸に耳を押し当てた。柔らかい胸の感触。そして、僅かではあるが心音が聞こえた。
「本当だ。温かい。心臓が、動いてる」
「ほら感じたでしょう!?」
「でも、それはアイの体だろう? ボク自身は何も変わらないよ」
アイから離れた途端に、リキの手から熱が引いていく。耳から、心臓の音が消えていく。
「⋯⋯ボクには、何も無い」
「そんなことないよ!」
離した手を、アイが握る。
強く強く、大切な想いを届けるように——。
「私のことを感じてくれたなら、リキにだってやっぱり心があるんだよ! だって、心はいつだって相手のために動くの。誰かを感じるために、誰かに伝えるためにあるの! だから、大丈夫。大丈夫だよリキ! いつか分かる日が来る。いつか、私と一緒に笑いあえる日が来るから!」
「アイ⋯⋯」
リキには、やはりわからなかった。
自分に本当に心があるのか。この先の未来で、笑うことが出来る日が来るのか。わからない。わからないが、信じて待ってみるのも良いと感じた。
(どうせ退屈な日々が続くんだ。アイと一緒にくだらない未来を思い描くことも、少しは暇つぶしになるかもしれない)
リキは相変らず無表情にただアイを見つめ返したが、その瞳には以前までには無かった光が宿っていた。
◇◇◇◇◇◇
百年後。
欠伸が出てしまう程に平和だった世界は、突如として一変した。
ひとりの人間が魔法を生み出したのだ。
魔法とは、一部の人間にしか扱えない特別な力である。当然、女神であるリキも熟知していた。何故なら、この世界の理は全て把握しているのだから。
だが、リキには興味が無かった。
世界にも、人間にも。だから魔法という特別な力をわざわざ人間に教えることも無かったのだが、時間とは残酷なものだ。人間は自らその禁忌を見つけ出してしまった。
魔法が生み出された日から、世界は瞬く間に絶望と悲しみに溢れていった。
戦争だ。
国々が魔法を発展させ、力を蓄え、欲望を解き放った結果、世界は暴力と争いに塗れた醜いものへと変貌してしまったのだ。
女だろうとも子供だろうとも、戦争は冷酷に全ての人間を平等にする。全ての人間が傷つけあい、涙を流し、死んでいく。そこにはもう以前までの美しい平和な世界など見る影も無かった。
「醜いね。ボクとしてはまだ今までよりはいくらか退屈しのぎにはなるけども」
隣に座り、同じく世界の移り変わりを見ているアイへと、リキは視線を動かした。
笑顔と優しさに溢れていたアイの表情は、今までに見たことが無いぐらいに暗く沈んでいた。
「⋯⋯どうして、こんなことに」
「気に病むことは無いよ。これが人間だったってことさ。まぁ、ボクらも頑張った方だよ。恵みを与えて、少しでも被害を抑えようとした」
魔法が発見されてから、アイとリキは平和を保つ為に奮闘していた。
天啓を人々に与え、恵みを与え、罪と欲望を浄化させようとした。
だが、無意味だった。
人間たちの欲望には底が無かったのだ。
留まることの知らない悲しみを止める術は無く、結果的に世界はもうどうすることもできないところまで破滅への道を進んでしまった。もう、女神の力をもってしてもどうすることもできない程に。
「限界だよ。これ以上の世界への干渉は止められている。ボクたちは、できるだけのことをしたんだ。だからもう、いいんだ」
努めて、リキは優しい声で言った。
感情は無い。
それでも、アイがどれだけこの世界を大切にしていたのかは知っていた。知っていたからこそ、少しでも落ち着かせてあげたかったのだ。
「⋯⋯まだ、だよ」
「アイ?」
不穏な空気が流れる。
その意味を、リキは瞬時に理解した。
「ダメだ。それだけはダメだ!」
リキがアイの腕を掴む。
姉妹だから。ずっと一緒に居たから。リキにはアイの考えが手に取るように分かってしまった。
「ダメなんだよアイ! 女神のルールを守らないと!」
「⋯⋯私は、この世界を救いたいの。悲しみを断ち切りたいの。だから」
アイはリキの手を振りほどくと、自身の胸に両手を押し付けた。
「この心を、優しさを、みんなに思い出してもらわなきゃ。そうすれば、全て元に戻る」
「自分の心を全人類に分け与えるって言うのか!? そんなことをしたら、アイは消えてしまう! 心を手放せば、命を無くせば、終わりなんだぞ!?」
リキが懸命に説得する。
だが、アイの覚悟は揺らがなかった。
「ごめんねリキ。でも私は信じたい。人間たちの愛を。だって、リキも見たでしょう? あの世界の美しさを。もう一度、取り戻してあげたい」
「ボクはどうなる!? ボクをひとりにして、あの退屈な世界に閉じ込めるのか? ボクはひとりじゃダメなんだ。一緒に笑うまで待ってよ。まだ、心は分からないけど、ボクのことだって信じて待ってくれよ! お姉ちゃん!!」
「⋯⋯信じてる。だからね、リキにも見せてあげたいの。心を見つけたリキに、世界の美しさを知ってもらいたい。大丈夫。リキなら、大丈夫。絶対に笑える日が来るから。本当にごめんね。我儘なお姉ちゃんで」
アイは涙を流しながら微笑むと、胸に押し付けた手に力を込めた。
「やめろォッ!!」
リキの叫び声を掻き消すかのように、アイの体は粉々に砕け散った。
宝石のように美しい欠片が湖に吸い込まれていく。アイの心が、世界に流星となって降り注がれていく。
「⋯⋯何でだよ。アイ」
ひとり残されたリキは、力なく湖を見つめた。
世界は輝きを取り戻し、人々は笑顔になっていく。
アイの心は全ての悲しみを喜びで満たしたのだ。
「ただの、応急処置だろこんなの。何百年。何千年も経てば、また繰り返される。アイの命は、そんな未来に懸けたっていうのか?」
わからない。
もう何もかもがわからなかった。
何故アイは命を捨ててまで世界を、人間を救ったのか。救うだけの価値が本当にあったのか。美しさとは、心とは、愛とは一体何なのか。
リキにはわからない。
わからないからこそ、知らなくてはならない。ただ、強くそう思った。
「⋯⋯探そう。ボクのやり方で。お姉ちゃんの残そうとした何かを、あの世界で」
リキは拳を握りしめると、波打つ透明な世界へと身を投げ出した。
◇◇◇◇◇◇
地上に降り立ったリキは、人間の世界に溶け込みながら愛を探す旅を始めた。
人間と直に触れあえば、話を交えれば、何かを感じ取れるかもしれない。リキはそうやって世界を巡り、多くの人間と出会い、心を探ろうとした。
「ボクの名前はアイ。どうか君の話を聞かせて欲しいんだ」
笑顔の仮面を被り、名前を偽り、リキは人間たちに近づいた。
アイの名を騙ったのは、自身の記憶から大切な思い出を守るためだった。心を失い、熱を忘れてしまったように、アイの存在もいつしか頭から消えてしまうのではないか。恐怖したリキは、そうやって名前を己に刻むことでアイを繋ぎとめようとしたのだ。
くだらない理由だ。
きっと意味も無いのだろう。
名前を偽ったところでアイは戻っては来ない。あの退屈な日々は戻っては来ない。だが、それでもリキには重要なことだった。
決して忘れたくはない。
そう強く願う程に、リキにとってのアイは特別な存在だったのだ。
もう少しで、この特別を理解できる気がする。
リキは何十年もの旅の中で、少しずつだが確かに心へと近づいていた。
「もっとだ。もっと、愛を見たい。知りたい。もっとこの特別に触れてみたい。もっと⋯⋯!」
人間を観察してきたリキは、更なる愛を求めて女神の力を利用するようになった。
最初はひとりの人間に力を分け与えた。
身に余る強大な力に溺れ、人間は絶対的な悪へと変貌した。
魔王の誕生だ。
人間たちは協力し、魔王に立ち向かったがまるで歯が立たなかった。
そこでリキは魔王とは真逆の存在を作り上げるべく、純粋な心を持つであろう幼い少女に目を付け、力を授けた。
金色の髪に深紅の瞳をもつその少女は、圧倒的な魔力量と剣才に恵まれ、勇者として魔王を打ち倒すべく鍛錬を積み上げていった。
そして、大人になった勇者は魔王を倒したのだ。
だが、その裏にリキの求めた深い愛情が隠れていた。
魔王は幼き日の勇者と出会い、憧れを抱いてしまったのだ。そして、勇者もまた魔王の寂しさを理解し、あろうことか恋に落ちてしまった。
当然、リキの差し金であったが、この結末は彼女自身予想だにしていなかった。リキがしたことは魔王の興味を煽り、勇者と出会わせただけ。結果、勇者は魔王を不死の呪いから解き放つべく、本来では手にすることもできないような力を得たのだ。
これが愛の力。
与えた才能よりも、この愛による力が魔王を打ち倒すに至ったのか。
リキはまた少しだけ心を理解した。
◇◇◇◇◇◇
五百年後。
再びリキは魔王を生み出した。当然、勇者の血を引く者にも力を与えた。
勇者は男だった。
彼は優しい青年であったが、ある時猛毒を噴き出す女性と出会い恋に落ちた。毒は有害であり、魔王討伐に貢献こそしたが、人類にとっては脅威であることに違いは無かった。
さて、どうなるのか。
リキは人間の真似事をしながら、結末を見守った。
処刑されるのか。
はたまた見捨てられるのか。憎しみを抱き次の魔王となるのか。
いくつかの予想を立てたリキであったが、答えはやはり想像を超えていた。
勇者は魔王を倒した功績を全て捨て、猛毒使いと結ばれる未来を選んだのだ。それだけではない。恋心を抱いている勇者ならまだしも、他の人間たちすらも彼女に協力をしたのだ。
誰も猛毒使いを嫌うことも無く、差別することも無く、優しく手を差し伸べた。全員が救われる幸せの道を歩んだのだ。
愛は男女だけのものじゃない。
全ての人間が愛を持っている。誰かに渡すことができるのか。
リキはまた少しだけ心を理解した。
◇◇◇◇◇◇
もうすぐだ。
あと、もう少しで何かが分かる気がする。
リキは己の変化を確かに実感していた。
勇者と魔王。
この二つの奇妙な関係性が、リキに変化を与えたのだ。
リキは興味を持った。
勇者の物語に。その愛する者との運命に。魔王を生み出さずとも、リキは勇者の血を引く人間たちを観察し、様々な試練を与えていった。
いつしか勇者は短命、愛した者も呪われる。などという噂が付くようにはなったが、リキにはどうでもよいことだった。
そうして再び五百年の時間が経過した時、ついにリキは三度目の魔王を生み出した。
勇者は小さな村で暮らす少年だ。
だが、リキは勇者ではなく幼馴染の少女に目を付けた。
彼女をどうにか利用できないものか。
考えたリキはとある魔道具を作り上げた。
魂を切り離し過去へ送る。
つまりは時間を巻き戻すための特殊な魔道具だ。
リキはそれを少女が買うように仕向けた。
魔道具屋の店主と偽り、陰から女神の力を使って少女の思考を操ったのだ。
後は魔王に勇者を殺させれば今回の物語は始まる。リキは魔王をも操り、無理やり勇者と相打ちになるように仕組んだ。そうでなくては勇者が魔王を倒してしまうからだ。
リキの思惑通りに勇者は死に、少女は助けるために時間を巻き戻した。
だが、物語は簡単には終わらない。
少女が愛する勇者を助けるには、己の愛を捨てなくてはならなかった。そして、その命さえも。
流石に今回ばかりは愛も折れるだろう。
リキは端から愛の強さの限界を知るためだけに、少女に時間を巻き戻す呪いを押し付けたのだ。
心への興味に取りつかれ、リキはもう後戻りができないところまで進んでいたが、それを自覚したのは呪われた少女と再び出会った時だった。
「私はエオ君が生きていればそれでいい。それが全て。だから、残念だけどアイの期待には応えられない。私にとってはこんなこと試練でも何でもない。私が失うもの何てひとつもないんだから」
呪われた少女はリキにそう言い放ったのだ。
自分の愛を捨てようが、自分の命を捨てようが、勇者を救いたいのだと。それが、彼女にとっての愛なのだと。
有り得るのだろうか。
この苦痛を受けて諦めずに、愛を貫き通せるとでもいうのだろうか。
リキは驚愕した。
何よりも、驚いている自分自身に驚愕したのだ。
(ただの人間の愛に何を驚いているんだボクは。そもそも驚くなんてこと自体始めてだ。それに何だこの胸の痛みは。苦しい。まさかこれが感情なのか?)
リキがようやく手にしたその感情は、悲しみであった。
呪われた少女への後悔が膨れ上がっていた。自分の身勝手な探求心でここまで儚い少女の愛を奪ったのだ。この時、リキは呪われた少女の愛情が美しいのだと感じた。確かに強くそう思ったのだ。
(ようやくわかった。人間の心が。愛が。ここまでして彼を救いたいんだね。それが、君の答えなんだね)
リキは姿を消してしまった少女を想い、すぐ様に行動に移した。
呪いから解放された勇者の元に赴き、全ての真実を教えたのだ。
全ての責任を、罪を、背負う覚悟だった。殺されようとも文句を言うつもりも無かった。だが、勇者が
口にしたのはひとつの真っすぐな願いだった。
「メーロンが死ぬ前の時間に戻りたい。もし可能なら、お願いだ。協力して欲しい」
元凶であるリキに、勇者は時間を再び戻すように頼んだのだ。
以前のリキならば理解できないことであったが、今は違う。リキには勇者の想いが伝わっていた。
(これも愛なのだろう。誰かを助けようと強く願う。そこに間違いなど無い。全ては美しい愛情なんだ。そうなんだろう? アイ)
リキは静かに頷いて勇者の願いを聞き入れた。
戻される時間。
勇者の体を蝕む毒と疲れをリキは女神の力で取り除いた。これで、後は彼ら次第だ。どちらかが死ぬにせよ、きっとそれも愛の形なのだ。
「⋯⋯⋯⋯」
リキは自身の胸に手を置いた。
ドクン、ドクン、と。
心臓の鼓動を感じる。熱を、感じることができた。
「今なら、アイがどうして人間たちに心を分け与えたのか分かる気がするよ」
リキは悲し気にひとり微笑むと、胸に置いた手に力を込めた。
パキパキと音を立てて、ガラスにヒビが入っていくように亀裂が体を走り抜ける。
「魂の数を合わせるなら、ボクのを使いな。せめてもの罪滅ぼしだ」
それがリキの選択だった。
勇者と少女を救うべく、己の命を差し出したのだ。
女神であろうとも命はひとつ。
繰り返される呪いを完全に解くには、これ以外に方法は無かった。
(全ての心を理解したとは思わない。まだまだボクは不完全なんだろう。この選択が正しいのかだってわからない。でもね、アイ。ただひとつ、ボクでも理解できることがあるんだ)
崩れていく体。
宝石のように虹色に輝く肉体を見つめた後で、リキは空を見上げた。
(この世界は優しくって、美しかった。全ての人間に心があった。誰かを思いやり、誰かのために動いて、誰かのために泣いていたんだ。ずっと空の上で見てきたはずなのに、今はそれが凄く美しく思えるんだ。だからね。ありがとうお姉ちゃん。ボクにこの景色を見せてくれて。ボクを女神にしてくれて)
果てしなく続く青空にリキは優しく微笑みかけた。
首から下までが消滅し、もはや全ての命が消えようとしていた時、最後にリキは願った。
もしも生まれ変わることができたのならば、今度こそアイと笑いたい。一緒にもう一度過ごしたい。そのための心を手放さずにいたい。
そんなリキの願いは、砕け散った体と共に天高くに舞い上がっていった。
◇◇◇◇◇◇
少女は起き上がった。
重たい瞼を擦り、辺りを見渡す。
薄暗い木造の部屋。ベッドの上。隣にはもうひとり少女が眠っている。
いつもと変わりない風景に、少女は安心して息を吐きだした。
何か怖い夢を見ていた気がする。
少女は考えてみるが思い出せない。思い出そうとすると、何故だか悲しい気持ちが込み上げてくるのだ。
「⋯⋯どうしたのベリィちゃん」
隣で眠っていたもうひとりの少女が起き上がる。
「⋯⋯何でもないよお姉ちゃん。怖い夢をみたの」
「そっかぁ⋯⋯じゃあ」
桃色の髪をしたその少女は、ベリィを優しく抱きしめた。
「大丈夫大丈夫。もう怖くないからね」
「⋯⋯!」
気が付くと、ベリィの目からは涙が零れだしていた。
「えっ、どうしたの!?」
「⋯⋯何でもない。何でもないんだよお姉ちゃん」
ベリィは涙を服の袖で拭うと、少女を安心させるように笑った。
「⋯⋯ありがとうお姉ちゃん。ボク、お姉ちゃんの事大好き」
「えへへ、どういたしまして! 私もベリィちゃん大好きぃ!」
お互いに笑いあいながら抱き合う二人。
ベリィの中に沈んでいた悲しみは、いつの間にか消えてしまっていた。
すっかり安心したベリィがもう一度夢の中に戻ろうとした時、部屋の扉が静かに開いた。
「やっぱり起きていたのか二人とも。もう夜中だぞ⋯⋯って、どうして抱き合ってるんだい?」
現れたのは金色の髪と深紅の瞳を持つ男だった。
「ベリィちゃんとギューしてるの! 大好きなの私たち!」
「⋯⋯ごめんなさいパパ。怖い夢見ちゃって」
「なるほどね」
男は納得したように笑うと、少女たちの抱き合うベッドの上に腰を下ろした。
「マーガレットは優しいお姉ちゃんだな」
「ふへへ、でしょでしょ!」
「でも声は静かにね。ママが起きちゃうから」
男は口に人差し指を立てシィー、とマーガレットに優しく注意した。
「そっかぁ。ごめんね」
「⋯⋯ボクもごめんなさい」
「いいんだよ二人とも。それじゃあパパが眠れるように絵本を読んであげるよ」
男はベッドの脇に置いてある二冊の本に手を伸ばす。
「どっちのお話がいい? やっぱり勇者のお話かな?」
「⋯⋯今はもうひとつの方がいい」
「私も!」
ベリィに続きマーガレットが手を上げた。
二人の反応を見て、男は置かれていた二冊の絵本からひとつを選び取ると、最初のページをゆっくりと捲り上げた。
「昔々あるところに仲の良い二人の女神様がいました——」
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
この短編で堂々完結となります。
『葬送のフリーレン』と『誰が勇者を殺したか』に感銘を受け、「勇者物書きたい!」と書き始めたのが今作となっております。
かなり自分の中では挑戦的な内容になったなと考えており、正直力不足だったと認めざるを得ません。ですが、最終的には書いて良かったと思います。何よりも楽しく書き切ることができてとても満足しています。
エピローグの後書きにも書きましたが、是非とも評価ポイントとブックマークをよろしくお願い致します。少しでも面白いと感じていただけましたら、形として私も一緒に共有できればなと思っておりますので、正直な評価をお待ちしております。




