24 旅の終わり
辺り一面何もかもが黒い色に覆われた城の中に、不気味な静寂が木霊していた。
何も聞こえないはずなのに。
僕の耳にはずっと、無音が鳴り響いている。
続けて聞えてきたのは心臓の音。
ドクン、ドクン、と。僕の心臓が激しく音を刻んでいく。
次に聞えたのは呼吸の音。
ゼェ、ゼェ、と。僕の荒い息を吸って吐き出す音が空気を震わせる。
次第に視界も色を取り戻していく。
涙と汗に濡れた瞳に映ったのは巨大な黒い鎧。
鎧は地面に横たわっている。
力なく倒れ、小さな黒い粒子となって端から消えていた。
塵が舞っているようだった。
黒色の塵がどこからか吹いた風に乗って、外に飛んでいく。
魔王城の頂上。
そこは激しい戦いの跡が深く刻まれていた。
穴だらけの壁。斬り裂かれるような跡。そして半分に砕け散った地面。
僕らの立つ空間は、もはやいつ崩れてもおかしくは無いぐらいに破壊尽くされていた。
部屋の半分が消滅し、外と繋がってしまっている。
屋根も消え、壁も消え、地面も無い。もはやここを城と呼ぶことはできないだろう。それほどまでに、戦いによって形が変わってしまっていた。
僕は辺りを見渡し、状況を理解して、再び鎧を見た。魔王であったはずの残骸を見た。
そこにはもう、先ほどまであったはずの鎧は跡形も無く消滅してしまっていた。
「や、やった⋯⋯勝ったんだ」
僕は声を振り絞り、一緒に戦った彼女たちに伝えた。
「勝ったんだよ。みんな⋯⋯! 魔王を倒した!」
そうだ。
僕たちは魔王を倒した。ついに、ついに倒したんだ。
僕の歓喜の声に、傍らで座り込むニオが笑った。
嬉しそうに、心の底から嬉しそうに笑っている。
ニオは声を出すだけの体力も無いようで、汗を滝のように流しながら力なく倒れこんだ。
僕の全身も余すことなく疲れ切っていた。
一歩でも足を動かせばそのまま倒れてしまうだろう。
「っ、しゃあ⋯⋯!」
目の前で、ティタが渾身の雄叫びを上げた。
体力に自信のある彼女も既に仰向けに倒れており、腕を天高くに突き出している。
「お、終わったんだっ⋯⋯これで」
そう感じた瞬間、僕の全身に違和感が走った。
体がマヒしたように痙攣し、身動きの自由を奪われて地面に倒れてしまう。
疲れすぎたのかな。
酸素の足りない頭でそんなことを一瞬考えたが、すぐに違うとわかった。
疲れや怪我のせいじゃない。
全く体が動かないんだ。指一本、瞼さえも。
「ぅ、ぅ」
僕のすぐ隣でそんな声が聞こえた気がした。どうやら僕だけじゃない。ニオやティタも同じようにして体が麻痺して動けないようだった。
何が起きているんだ?
懸命に回らない頭で考えるがやはりわからない。
間違いなく魔王は倒したはずだ。死体だって跡形も無く塵となって消えたはずだ。
「うん終わったんだよ。ようやく。長い長いこの旅が」
奥の方からそんな声がした。
倒れるティタのさらに奥。
そこには確かメーロンが居るはずだった。
でも、今のは聞いたことのない声だ。
まさか魔王以外に魔物が潜んでいたのか?
僕は危惧し、残りの力を振り絞って目を動かす。
そこにはひとりの女性が立っていた。
黒くて美しい髪を靡かせる可愛らしい女性。
やはり、その姿は見たことが無かった。無い。そのはずだった。
でも、彼女を見た瞬間、僕の心臓はさらに加速した。嫌な汗が噴き出す。どうして。絶対に見たことがないなずなのに、僕は彼女を知っている⋯⋯?
謎の違和感に襲われる僕へと、彼女は手に持った何かを見せつけた。
それは白色の仮面。
間違いない。あれはメーロンがいつも身に着けていた物だ。
「魔王を倒したら話があるって言ったよね? だからネタバラシ。私はメーロン。あの頭の可笑しいメーロンだよ。ごめんね騙してて。顔こんなに可愛いんだ。それに声も結構自慢なんだ。だって、君が褒めてくれたから」
照れ臭そうにメーロンは笑う。
違う。
僕はそんなことを言ったことは一度も無い。だって、メーロンの顔は今初めて見たんだ。初めて声を耳で聞いたんだ。
違う!
どうして!
僕の心が叫び出すが、口が動かない。汚い涎を出すことしかできない。
「無理だよ。昨日呑んだでしょ? 邪魔できないように調合したんだ。ほらね、時間ぴったし。いつも通りだ」
メーロンは腕にびっしりと着けられた腕時計と、首に掛けられていた懐中時計を交互に見つめた。
「時計は大事だ。誤差が許されるのはたったの一分だけ。本当に鬼畜過ぎて笑っちゃうよね。でも今回はうまくいったみたい」
時計を見つめたまま、メーロンは続ける。
「今回が正真正銘最後の旅。やっと終われるの。この呪いから解放される。私は自由になる。そして君も」
一度時計から目を離したメーロンは、僕に向かって微笑んだ。
その顔が余りにも優しくって、悲しそうで、僕の胸は強く強く締め付けられた。
何かが、変だ。
何か⋯⋯何か大事なことを見落としてしまっている気がする。
忘れてはいけない。
そんな何かを思い出さなくてはいけない気がする。
「もっとお話ししたいんだけどね。これ以上は最低な我儘だ。これ以上、君に呪われてほしくは無いから。だからね⋯⋯」
再び時計を見つめたメーロンは一度深く目を閉じると、涙を溜めた目を見開き満面の笑みを僕へと向けた。
「じゃあねエオ君。幸せに」
そう言うと彼女は背中から倒れるようにして、身を投げ出した。
背後は魔王との戦いによって崩壊しており、先の見えない程の崖になっている。
ダメだ!
メーロン!!
僕は全身に力を込めるがやはり動いてくれない。何もできない。
そんな僕を嘲笑うかのようにして、メーロンの姿は深い闇へと消えていった。




