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プロローグ

二作目。

勇者が魔王を倒す普通の物語。でも何かが普通じゃない、そんな物語。


「ハァハァハァ⋯⋯!」


 ——完全に見誤った。


 男は息を切らし、全速力で森を駆け抜けながら強く後悔した。


 草木を掻き分け、小石が散らばる不安定な大地を踏みしめて、ただひたすらに走り続ける。


 まるで人間が通るような道ではない。

 少なくとも、全速力で走り抜けるには、この森の自然は余りにも凶器的すぎた。


 行く手を阻むように広がる鋭利な枝先が男の肌を刺す。

 露出した腕からは血が流れるが、男は痛みを感じる暇も無く無理やりに前へと進もうとした。


 余程慌てていたのだろう。

 男は自身を突き刺す枝を無視してまで無我夢中に走っていたが、勢いだけが先行し、追いつけなくなった足が絡まり躓いてしまったのだ。


 前のめりに倒れた男は、摩擦によって抉れた肉の痛みに一瞬顔を歪ませたが、思い出したかのように表情は見る見ると青ざめていった。


 反射的に男が後ろを振り向くと、そこには巨大な黒い塊が立っていた。


 熊だ。

 それも、ただの熊ではない。全長は優に四メートルを超える巨体で、黒い毛並みは一本一本が鋼のように硬く、鈍い光沢を放っていた。


 動物の域を超え、獣という言葉が可愛く思えてしまう程、より凶暴で凶悪な存在。男は目の前に確かに存在するそれの正体を知っていた。


 魔物。人間よりも遥かに強靭な肉体を持ち、明確な闇を宿した絶対的な悪であり、世界を脅かす存在だ。


 ——どうしてあんなことをしてしまったのだろう。


 魔物を目前にし、男は恐怖に身体を支配されながらも、今更ながらに強く後悔した。


 ひと月ほど前からか。

 この森では巨大な魔物が出没すると噂になっていた。

 何人も目撃したというので間違いはない。

 怖い話だ。

 誰も森には近づかなくなった。

 そんな時、村の酒場で誰かが言った。

 あの魔物を倒せたならば、そいつは勇者だと。

 酒に酔っていたこともあり、本気にした男はひとりで森に行き、罠を仕掛け、魔物が掛かるのを待った。

 小さな森だ。

 魔物は一時間もしない内に現れ、まんまと罠に掛かった。

 男は興奮してすぐ様に持っていた斧を振り下ろしたが、刃は魔物の肉に到達することもなく折れてしまった。

 仕掛けた罠も容易く破られた。

 後は悲惨だ。

 魔物に目を付けられた男は、森の中で逃げ惑うことしかできなかった。


 ——馬鹿げたことをしてしまった。


 思い返せば、当たり前のことが当たり前に起きただけだった。


 ただの大人が魔物に勝てるわけなど無い。

 冷静になれば理解できたことだったが、酔っていた自分はそれすらも分からない間抜けだったらしい。


 涙を浮かべて絶叫する男へと、魔物は巨大な前足を振り上げた。


 男が次の瞬間には訪れるであろう確かな死を感じ取った時、魔物の振り上げた前足が切断された。


 ボトっ、と重い音を立てて切断された前足が地面に転がる。


 魔物は痛みを掻き消すように咆哮を上げた。

 斬られた前足からは滝のように血が流れ出ている。


 何が起きたのだろうか。

 訳もわからず硬直する男の前に、ひとりの少年が降り立った。


 少年は右手に剣を握りしめ、男を守るようにして魔物へと構える。


 小さな背中だ。

 だが、守れらている男は、何故だか安心してしまっている自分がいることに気が付いた。


「大丈夫? ランサさん」


 少年は心配するように男へと振り向いた。


 美形で整った顔立ち。

 柔らかく温かい雰囲気を纏う表情と、深紅の瞳に魅入られて、男は数秒の間何も言い返せなかった。


「⋯⋯あ、あぁ。大丈夫だ」


「良かった。それじゃあ後は任せて」


 少年が当たり前のように言う。


 何を任せるというのか。

 違和感に気が付いたランサは、そこで一気に冷静さを取り戻した。


「い、いやダメだ! エリオン、あれは化け物だ!」


 魔物の異質さを身を持って知ったランサは、エリオンを説得するように叫んだ。


 虫の良い話だが、ランサは若いエリオンが自分と同じように一時の興奮にかられ、冷静に物事を判断できていないのだと思っていた。


 しかしエリオンは、


「わかってる無理はしないよ。やれることをやるだけだから」


 そう微笑んだ。


 そのいつもと変わらないエリオンの笑みに、もうランサは何も言うことができなかった。


「ふぅ⋯⋯」


 エリオンは小さく息を吐いた。緊張を解くように、要らぬ力を抜くように。


 そうして剣を改めて構えたエリオンは、魔物目掛けて跳躍した。


 狙いは首元。

 穏やかな雰囲気を一変させ、鋭い殺気を剣に乗せたエリオンだったが、その攻撃を魔物は素早く屈んで回避する。


 さらには空中で動きを制限されたエリオンに向かって、残った前足を勢いよく振るったのだ。


 一連の素早い動きに驚くエリオンだったが、目で追うことは十分にできている。

 すぐ様に振り終わった剣を返すようにして、魔物の前足を斬りつけた。


 ギイィン、というまるで金属同士がぶつかり合ったような甲高い音が森に響く。


 エリオンは衝撃を受けきることができずに吹き飛ばされ、真後ろの木に全身を強く打ってしまう。一方の魔物は前足から少量の血を流すのみで、未だ殺意は衰えてはいなかった。


 全身を襲う痛みを我慢しエリオンは立ち上がると、魔物を見据えて思考する。


 魔物を倒す手段。

 前足を斬り落とした剣。

 剣を全力で振るうだけの隙。

 隙を作り出すための方法。


 瞬時に浮かぶ情報を整理し終えたエリオンは、空いた左手を広げた。


「〈初級(イアン)()火属性攻撃魔法(フローガ)〉」


 魔法の詠唱が終わると同時に、エリオンの周りには十個の火球が出現した。


 炎を圧縮して球状に留めた高威力の魔法だ。

 エリオンは生み出した火球のひとつを魔物に向かって勢いよく放った。


 空気が爆発したかのような熱と共にボンっ、という音が辺りに広がるが、魔法が直撃したはずの魔物には大したダメージが見受けられなかった。


 だが、エリオンは動じない。

 驚く素振りも見せずに、浮かばせていた火球を一気に魔物へと放った。


 次々に襲い掛かる魔法によって、魔物の全身は黒い煙で覆われていく。


 魔物は鬱陶しいとばかりに前足で煙を払うが、晴れた視界に飛び込んできたのは白く輝く球体だった。


 火球よりも遅いその光は魔物の目の前で停止したかと思うと、次の瞬間には眩い程の輝きで目を貫いた。


 視界を完全に奪われ、苦しそうにのたうち回る魔物の頭上から、エリオンの剣戟が振り降ろされる。


 硬質な毛、分厚い肉。

 その全てを斬り裂く刃は止まることなく、すんなりと魔物の首を斬り落とした。


 転がる黒い頭と倒れる体。

 それを見たランサはただただ驚くことしかできなかった。


「嘘だろ⋯⋯」


 呆然と座り尽くすランサに対して、エリオンは近くの木に預けていた藁で編んだ籠を背負うと、笑顔で手を振って歩み寄った。


「なんとか倒せたよランサさん! 見てよこの魔物! すっごく大きいよ!」


「⋯⋯知ってるよ」


「何を食べたらこんな大きくなるんだろ。肉だよね多分、きっと!」


 笑いながらはしゃぐエリオンを見て、もうランサは全てがどうでもよく感じた。


 ランサは立ち上がるとエリオンの頭を撫でる。


「本当にお前は凄い奴だよ。助けられたな、ありがとう」


「どういたしましてランサさん! でも頭は撫でないでよ。僕が子供みたいじゃないか」


 十分に子供だろう。

 喉から出かかったその言葉をランサは飲み込む。エリオンが嫌がるだろう、という優しさと、子供に助けられてしまった不甲斐なさを認めたくない、という身勝手な理由からだった。


「そういえば、どうしてこんなところにいたんだ? お前もコイツを倒しに来たのか?」


「ううん。最近森に入るなって村長が決めたからね。そのせいで皆が薬草を切らして困ってるんだ。だから、その⋯⋯こっそり採りに来たんだよ」


 ばつが悪そうに答えるエリオンだったが、ランサは一瞬でも自分と同じ最低な理由で森に来たのではないかと期待したことに嫌気が差した。


「⋯⋯そうか。相変らずだなエリオンは」


「ランサさんはどうしてこの森に? お前もってことは、魔物を倒しに来たってこと?」


 エリオンから向けられた純粋すぎる疑問に、もはやランサには言い逃れる道などありはしなかった。


「うぐっ⋯⋯ま、まぁな。結果は惨敗だったが。昼間から酒を飲んでた罰かね。⋯⋯大人しく村長には謝るさ」


「そうだね。僕もランサさんの事言えないよ。⋯⋯やっぱり怒られるよね」


「俺よかマシさ。でも結果的に魔物を倒したんだ。今夜は宴になるぜ。皆お前を称賛するだろうな」


 ランサは悪いことは深く考えず、良い未来を想像して笑ったが、エリオンはどこか恥ずかしそうだった。


「いいよ僕はそういうの。倒したのもやっとだったし、皆がまた森に安心して来れるようになるだけで十分だよ」


 白い歯を見せて満面に笑うエリオンは、薬草の入った籠を背負う体に力を込めた。


「それじゃあ僕は行くよ。皆に薬草を配らないと。ランサさん、この魔物の報告はお願いしてもいい?」


「そ、そりゃあ勿論いいけどよ」


「ありがとう! 今度お礼に何か持って遊びに行くよ! それじゃあねランサさん」


 機嫌良く元気に手を振るうエリオンの姿は、気が付くとあっという間に見えなくなっていた。


「⋯⋯お礼を言い足りねェのは俺の方なのによ。最低だな俺は。もう絶対に酒は辞めよう」


 項垂れるように下を向いたランサは、エリオンの笑顔と酒場での出来事を思い出していた。


 もしもこの世に勇者が居るのならば、きっとアイツのような男のことを言うのだろう。


 ランサは強くそう思った。


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