08 微笑みの仲間 3(ぼく達の羅針盤)
その日の放課後、北野先生は、職員室で花村先生に褒められた。
「今日は、本当によく子ども達を見ていたわね。
私、自己紹介できないんじゃないかとドキドキしたわよ。よく、アレ、思いついたわね。
前から計画していたの?」
「いいえ、実は何も考えてなかったんです。
ただ、心に残る出会いにしたいなあとは、思っていたんですけど、自己紹介ぐらいしか思いつかなくて」
「それにしても、みんないい笑顔していたわよね」
「あら、それ、私も見たいな」
と、横で聞いていた早央里先生が、嬉しそうに言った。
「そうだ、鎌田先生はもう学級目標作ったのよね」
早央里先生が、尋ねた。
「はい、僕はいつも、始業式の日には完成させますので。
この1年間の学級経営の基本ですから、どんな時でも子ども達の気持ちのよりどころになるようなものを考えています」
「じゃあ、北野先生もその写真で学級目標考えてみたら?
絶対、子ども達、喜ぶわよ!」
「え?……(早央里先生、何を言っているんですか?写真って?学級目標ですよ。
また、難しい宿題を出されたような気がする。鎌田先生のように簡単に作れるわけじゃないし、こりゃ今夜は眠れないかも……)」
その日、北野先生は、家に帰ってからが、またひと仕事だった。学級通信作りだ。
今は、パソコンで作るとはいえ、なかなか難しい。
コピー用紙たった1枚の通信を作るのに、もがき苦しむときもある。
大抵1週間に1回だから、1週間分の子どもの様子、学級の様子、学校の様子を頭で思い出す。
よく、メモをとっておけばいいと言われるが、新米の北野先生にとっては、その時のことで精いっぱいな事が多くて、まだまだメモをとる余裕がない。
大きな行事やクラスの出来事があると書きやすいと思われがちだが、逆に筆が進まない。
保護者にうまく伝えるためにどうしたらいいか考えてしまう。
基本、学級通信は、保護者あてだからその分気を使う。
大人向けの文章だ。
今日は、学級開きだし、自分の自己紹介も書きたい。
でも一番書きたいのは、子ども達のあの写真に写った笑顔だ。花村先生からカメラのデータをもらった。
今は便利だ。
すぐに写真を見ることができる。
本当にみんないい笑顔だと、北野先生は思った。
今日の学級通信は、保護者宛てというより、子ども達宛てに送りたい気持ちが、沸々と沸いてくる。
なんか今まで自分が書いてきた学級通信とは、違ったものになりそうな気がしてきた。
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次の日の朝、出来上がった学級通信をすぐに学年主任である早央里先生に見せ、確認する。
教員はは、日常公文書をよく作る。
保護者宛だったり、他の学校の先生宛だったり、社会教育やいろいろな見学先への依頼文書だったり、多種多様なものを作る。
よく学校の常識は世間の非常識と言われるが、そうならないように、大抵は係ごとに確認もするが、最終的に管理職が目を通し確認をし、職印が押されて発送になる。
ところが、毎週発行される学級通信は、慣れてしまうと誰も確認しないまま発行してしまいがちになる。
後日、些細なミスが見つかることはよくあるが、保護者からのクレームに発展するようなものは避けたい気持ちは誰もがもっている。
気の利いた学年主任は、事前に学級通信や時間割など、多種多様なちょっとした学級担任が作成する文章にも気を配り、管理職が確認するまでもないようなものにも、目を通す。
早央里先生は、初任者講師の頃から、ずっとそうやって若い先生の指導にあたっていた。だから、北野先生は、今でも学級通信ができたら、必ず読んでもらっている。
「いいわね、この学級通信。
大きな写真に子ども達の笑顔と黒板に書かれた子ども達のメッセージが、とてもよく学級の雰囲気を表しているわ」
「ありがとうございます。」
早央里先生は、もう一度学級通信の写真をしみじみと見ながら、
「それに、4月最初の出会いだというメッセージもあるし、かといって余計な説明をくどくど書いているわけでもない。本当に簡潔明瞭なのね」
「昨夜、ぼくはいつものように保護者向けに学級通信を書こうとしたんです。
でも、この写真は、保護者に見せるというよりは、どうしても子ども達に見せたくなってしまったんです。
……いや見せるというより、とっておいてほしくなったんです。
だから、この学級通信は、保護者宛てじゃなくて、子ども達宛てになってしまいました」
「そっか、だからなんだわ。うん!本当にこの写真は、みんなにとっての『とっておきの1枚』になったのね。
そして、それは、あなたが子どもと真剣に向き合った結果で、あなたの努力の証だと思うの。
自信をもって、これからもがんばってね」
早央里先生は、嬉しそうにぼくの学級通信を返してくれた。なんだかぼくも嬉しかった。みんなの笑顔が写っている学級通信をもう一度眺めた。
「よし!」
北野先生は、自分の机に戻り、パソコンに向かった。
もう一度USBから学級通信のデータを呼び出した。
学校の共有プリンターは、レーザーだから画質もいいし、速度も速い。
学級の人数と職員回覧分と管理職への提出分の枚数を入れ、印刷ボタンを押した。
修正が無かったので、今日はものの数分で完成した。
先生達への回覧や教頭先生への提出を済ませ、後は児童への配布分だけを持って教室へ急いだ。
「(今日は、決めるぞ)……」
北野先生は、心の中で、そう呟いて、教室へ向かった。
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「さあ、学級通信を配るよ………」
「わああ、先生!写真、もうできたんだね」
「ああ、きれいに撮れているだろう。
実は、昨日この学級通信を作っているときに、この写真を見ていたら、とっても嬉しくて、楽しくて、もったいなくて、なんて言ったらいいかな……、
自慢したくなって、こんなに大きな写真にしちゃったんだ」
「さすが、北野先生、やる―」
「大きいから、見やすい!」
「このまま、部屋の壁に貼れる」
「そっかー。貼ってくれるかー。ますます、うれしくなるなー」
「先生、そんなにうれしいの?」
「ああ、嬉しいよー」
「じゃあさ、もっとうれしくしてやるよー」
「え?どんなことするんだい?」
「みんなで、これからもっともっと、楽しいことをいっぱいすればいいんだよ」
「どうしてだい?」
「そうすれば、みんながニコニコの顔になるだろう」
「先生は、みんなのニコニコの顔を見たら嬉しいでしょ?」
「ああ、そうだ!そうだな。
よし!決まったな。
この5年3組の学級の目標は、『あの笑顔をもっと増やそう!』にしよう。
そしたら、先生も嬉しいけど、きっとみんなも嬉しくなるはずだ!賛成してくれるかな?」
「「「「 いいよ!! 」」」」
「じゃあ、この一年あの笑顔をたくさん見ることができるように、何をすればいいか、みんなでよく考えながらがんばっていこう!」
「「「…………「「「…おーーーー!…」」」…………」」」
子ども達の元気な声が、教室に響き渡ると同時に、ぼく達の学級の羅針盤が、進む方向を示し始めた瞬間だった。
〔つづく〕
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