70 恋の案内人 4(あの日から)
ぼく達は、図書館先生と一緒に目的の講座に着いた。
先週、ぼく達が参加した講座の部屋に比べると、狭い感じがした。でも、参加者は図書館先生とぼくと母さんだけだった。
後は、講師の阿部好男教授だ。
背は、図書館先生より少し高いくらいで、中肉で頭髪もきちんと整えれていて清潔感のある人だった。スーツこそ着ていなかったが、ワイシャツにズボン、セーターを着て、笑顔で温かみのある表情を浮かべ、予期しないぼく達も快く招き入れてくれた。
講話は、先週の続きだということをまず断ってくれた。
初めて参加するぼく達に気を使って、簡単な概略を最初に話してくれたが、なかなか難しく、特に小学生のぼくには、ちんぷんかんぷんだった。
まわりを見ると、母さんはともかく、図書館先生は、話の内容というより、阿部教授に見とれていることがぼくにもわかった。
ところが、当の講師の阿部教授はと言えば、にこやかに笑顔で話しはしているものの、まったく話の内容を崩すことなく、いたってまじめに講座を務めていることが分かった。
きっと、これは半年間の講座の間、変わることのない様子だったと思った。
講座が終わりに近づいた時、母さんがゆっくり手を挙げた。
「はい、どうしました?美代乃先生!」
「あ、やっぱり、覚えていてくれたのね、好男君……」
「みょんちゃん、どういうこと?」
ぼくは、講師の阿部教授が、母さんの名前を呼んだことも驚いたが、母さんの反応にもびっくりした。
「あーちゃんは、覚えているんでしょ?好男君よ」
「ええ……覚えて……います……」
図書館先生は、目に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうだった。
「でも、あの頃のことは聞けてなかったんでしょ?
好男君は、知ってるからこそ、この講座を続けていた。
他にだれも来なくても、あーちゃんが来てるから、続けた………そうでしょ!」
「はい、その通りです。
僕だって、あの虹ヶ丘小学校は忘れてません。
でも、あーちゃんは、小学校を卒業した後、遠くの町の学校へ行ってしまいました。
きっと僕なんかのことは……」
「忘れるもんですか!……どこへ行ったって、私は、虹ヶ丘のために頑張ってきたの……」
「僕も、この虹ヶ丘に、上の学校ができた時、あーちゃんのように勉強したくて、入学したんです。
そして、あーちゃんがあれだけ好きだった“本”について研究することにしました。
本や図書館の歴史について論文を書いて認められて、今はこの大学で先生をやっています。
全部あーちゃんのお陰なんです」
「何言ってんの、私だって、あの頃、みんなで頑張ったから、他へ行ってもやり抜くことができたのよ。
だから、今、こうやって、あなたのお話を聞きに来てるんじゃない。
あなたのお話が楽しくて仕方ないのよ……」
楽しいと言いながら、もう図書館先生は、涙をこぼしていた。
そこへ入ってきた北野校長先生は、図書館先生にハンカチを渡し、静かに話し出した。
「彩子と好男は、ぼくの教え子だ。
虹ヶ丘小学校の卒業式は、今でも忘れない。
最初の6年間があったからこそ、今の虹ヶ丘学園があるんだ。
今回、この講座を彩子が選んでくれて、好男が続けてくれたことが、ぼくにとっての同窓会だと感じたんだ。
同時に、虹ヶ丘のみんながいつでも大学生になって学びたい時に学べるようになればいいなあと思ったんだ。
きっと彩子だって、そう思ったんだろう?」
母さんは、北野先生の肩を二度ほど軽くたたき、
「そうね、……北野先生……だったらこうしましょう。
……虹ヶ丘大学は、入学と卒業の縛りはなしにしましょう。
好きな時に入学し、好きな時に学び、好きな時に卒業する。
いや、死ぬまで卒業しなくていいことにします。死ぬまで、好きな時に学びに来ていいことにします。どうですか?
大学って、本来、そういうものでしょう。自分の学びたいことを身に付ければ、それでいいのです。
別に肩書なんかはどうでもいい、卒業証書があっても、何の役にも立たない。
ほしいのは実力だけ。
そんな大学にしましょう。
これでいいわね、北野先生!」
「わかりました!美代乃先生、いや、みょんちゃん先生」
なぜか、北野校長先生は、そのまま走って出て行ってしまった。
「でもね……あーちゃん。
あーちゃんは、別に大学なんてどうでもいいわよね。
……本当に大切なのは……ねえ」
「……………」
「好男君!」
「はい!」
母さんは、阿部教授を真っすぐに見つめて名前を呼んだ。
「あなたも、私の学校に通っていたのよね!」
「はい!」
「だったら、わかるでしょ!……今日はこれで帰るわね。
ダイちゃん、あーちゃん、行きましょう」
帰り道、あの母さんが無口になった。
図書館先生は、ずっと下を向いたまま時々北野校長先生にもらったハンカチで涙を拭いていた。
ぼくは、図書館先生がなぜ泣いているかもわからなかったし、どうしたらいいのかもわからなかった。
もうすぐ図書館先生の家に着くという時、本当に小さな声だったけど、真剣な言葉が聞こえた。
「…………来週で……講座が…………終わってしまうんです。
…………講座が無いと…会えない………」
ぼくは、何をしたらいいかわからなかったけど、何とかしてあげたいという気持ちだけは、湧き上げってきた。
そして、母さんの方を見た。
「うん、うん、大丈夫よ………今度も一緒に行っていいわよね」
優しく母さんは、図書館先生の背中を摩った。
図書館先生は、涙をハンカチで押さえながら、黙って何度もうなずいていた。
〔つづく〕
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