55 未来のために 8(新たなる虹の向こうへ)
すぐに飛び込んできたのは、建造だった。
「みよー、みよー、しっかりー!」
現場から走って来たのか、汗だくだった。9月の末とはいえ、晴れていて暖かったせいもあり、建造には酷だったようだ。
「だ、だい、じょう、ぶよ……」
力なく美代乃は返事をしたが、手だけはしっかり握り返していた。
その手の力で少し安心したのか建造は、たれ落ちる自分の汗に気づき、慌てて片手を離して袖で額をぬぐった。
次に、北野が、学校から担架をもってやってきた。多田野や数人の職員もつれてきた。
「静かに、この担架に乗せて運ぶぞ!」
「まて北野、ここからだと少し遠くないか?」
建造が、心配そうに尋ねた。
「大丈夫、今、万ちゃん達がこちらに向かっているから………とにかく準備をしよう」
美代乃を担架に乗せ、毛布で包み固定した。すぐに、表に馬車が来たのが分かった。
「馬車か。でも、馬車は揺れるぞ、この状態で、馬車の揺れは、危険じゃないか?」
そこへ、上杉と一太が現れた。
「建造先輩、心配ご無用!この馬車は、万ちゃんご用達の揺れ防止の専用馬車でございま~す」
「なーに、ただのバネが特製なだけさ、さあ、早く乗って乗って」
馬車のタイヤが、特製のバネの上に乗っているのに加えて、4輪になっているのである。
また、そのタイヤは、自転車と同じようにゴム製で、中にチューブが入っている。空気で膨らむようになっているので、なおさら道のデコボコを吸収する。
担架に乗せられた美代乃は、4人の男たちに運ばれ、静かに馬車に乗せられた。上杉と一太が前に乗り、上杉が馬を操り、建造と北野が美代乃を担架ごと抑えた。
馬車が走り出した。
「おお!全然、揺れないな!さすがだね。万ちゃん!」
北野は、改めて上杉を褒めた。
「こんなのは、大したことはないよ。ところで、建造さん、あそこは完成したのかい?」
「ああ、お望みの機械も組み込んでおいたよ、後は……」
「大丈夫さ…間に合うよ…」
馬車は、商店街の外れにある真新しい建物の前で止まった。
小さくはないが、個人の住宅にしては、少し大きい感じがする。
玄関横の壁に何か看板らしきものが縦にかかっている。しかし、そこには何も書かれていなく、真っ白い地の色だけがやけに目立っていた。
「さあ、静かにおろすぞ。ゆっくりとな……」
「女の人のお手伝いは、お願いしてあるのか?」
「ああ、うちの母ちゃん、それに彩ちゃんと図書館の人にも声を掛けてきた」
「まあ、身のまわりのことだけだから、大丈夫だろう」
建物に入ると、玄関の横は、広い部屋になっていた。
クリーム色の壁にクリーム色の床材は、清潔感のある感じだった。
奥は、小部屋がいくつかあるようだった。その一つに担架を運び入れた。ベッドが一つ用意されていた。
ベッドは、比較的床からの高さがあり、布団などはなく、どちらかといえば病院の診察台のような感じだった。
部屋の中央には、明るい大きな電灯が設置されていた。
部屋の壁ごとには、薬品や見たこともない機械の類がたくさん並べられていた。
「建造さんが、ここ作ったのかい?」
「ああ、ここの設計だけは、芯さんがやったんだけどね」
「機械類は、すべて万ちゃんにお願いしたんだ。専門の機械は、僕じゃちっともわからない。東京から送ってもらったものもあるんだけど、万ちゃんに作ってもらったものもあるんだ」
「やっぱり、すごいな万ちゃんは……」
「ふん!褒めても何も出ないよう、後は、待つだけさ……」
そうこうしているうちに、一太の奥さんが虹ヶ丘にいる産婆さんを連れてきた。歳をとったおばさんだが、何人も赤ちゃんを取り上げている。
「さあ、赤ちゃんが生まれそうだよ、みんな準備をするよ……」
と、言って、いろいろな準備を指示した。合わせて、美代乃の様子を見ながら、
「さあ、頑張って、もう少しだからね…」
と、元気づける言葉をかけ始めた。
「男の人達は、ここから出てね」
男たちは、部屋から出されたが、落ち着くわけもなく、あちこち歩きまわるだけだった。
そして、時々聞こえる美代乃のうめき声に、誰もが心臓の高鳴りを感じずにはいられなかった。
そんな時間がしばらく過ぎ、太陽も沈みかけた頃、美代乃の声が聞こえてこなくなった。
耳を澄ませても、気配すら感じない気がしてきた。
すると産婆さんが、部屋から飛び出して来て泣きそうになりながら建造に訴えた。
「ケンさん、大変だ!このままだと奥さん、大変だよ」
「どうしたんですか?」
「耐えられないんだ……心臓が…出産に、もたないよう……何とかしないと、わしじゃだめだ、…何とか…」
産婆さんの力ではどうにもできないというのである。
かといって、ここには医者はいない。
美代乃が通っている病院は、遠い町の病院だ。
建造達には、それだけではないこともわかっていた。美代乃の心臓が病を抱えていることで、この出産がとても危険なことを。
だから、みんなで、考えたのだ。できるだけの方法を考えた。…………
その時、扉が開いた。
「待たせました。」
「芯也さん、間に合いましたか!」
今にも崩れそうなみんなの前に、岡崎芯也は、一人の女性を伴って、帰って来た。
目ざとく一太が訪ねた。
「そちらの方は?」
「私は、芯さんの家内です。今回は、手術のお手伝いについてきちゃいました。どうぞ、みな様、よろしくお願いいたします」
この緊迫した場面で、なんとニッコリと優しく微笑む笑顔が可愛いこと。みんなの緊張も、いっきに緩み、目標を再確認することができた。
「さあ、手術の準備をします。
幸子、手術の用意をお願いします。
産婆のお富さん、赤ちゃんを取り出すので、受け取りの準備をお願いします。
万ちゃん機械の操作をお願いします。
トウちゃん、これ輸血用の血液なんだ、教えた通り取り付けてほしい。
他の人は、この部屋から出てください。
そして、作業前にみんな手の消毒をお願いします。それでは、はじめます!」
テキパキとした岡崎の指示で、そこにいる人達は、みんな自分のやるべきことを見出し、焦ることなく動き出した。
これは、まぎれもなく岡崎の有能さがさせたことなのだが、何より幸子が、場の雰囲気を和ませ、みんなの心の緊張を取り除いたおかげであることを岡崎はよく知っていた。
「幸子、ありがとうな」
「何言ってんの、これからよ、頑張ってね」
「(本当に、また、助けられたな……)」
岡崎は、美代乃の心臓の負担を少なくするために、通常の出産を避け、帝王切開にすることを選んだ。
無事、男の子が生まれた。
すぐに産婆のお富さんに渡され、元気な産声を上げた。
その後、岡崎は、すぐに美代乃の心臓手術に取り掛かった。
そのままでも良かったが、子どもを育てるには、また心臓に負担がかかることはわかっていた。
岡崎は、美代乃が通っている病院の先生とも連絡をとって、心臓の様子を細かく調べていた。
美代乃は、特殊な心臓弁膜症だった。岡崎は、東京の大学病院で、最後の課題として心臓弁膜症の手術について学んでいたのであった。
美代乃の特殊な病気は、なかなか調べてもわからなかったが、上杉の機械と岡崎の出術が合わさって、心臓に新しい弁を作成することに成功したのだった。
手術は、何時間にも及んだが、無事に終わった。
3日目の朝になると、美代乃は、もう赤ん坊に自分のお乳を飲ませられるようになった。
入院は、まだ続くようだが、この岡崎医院も開業するということで、第1番目の患者としてしばらく面倒をみてもらうこととなった。
「本当にいい病院よね。それに、いいお嫁さんもらったのね。岡崎くんったら」
「はあ、まあ、ありがとうございます。調子は、どうですか?」
「あ、そうそう、今回は、治療していただいて、ありがとうございました」
「本当に、先生はいつも、そうなんだ。自分のことより、まわりの人優先だもんな。ね、言った通りだろう」
「はい、あなたが、尊敬するのは無理ないわ。私だって、大好きよ!」
「あら、それで、岡崎君は、幸子さんが好きになったの?」
「え?美代乃さん、どういうことですか?」
「いいの、いいの。みょんちゃんで、いいのよ、みょんちゃんで」
「はい、わかりました。早く元気になって、この辺案内してくださいね、みょんちゃん」
「はい、楽しみね、うれしいわ」
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「北野、よかったな、これで虹ヶ丘学園も安泰だな」
「う、うん。それが、美代乃校長は、これで引退だってさ」
「そうか、これで、校長先生から、お母さんになるんだな。でも、またいろいろ頑張るんだろうな。じゃあ、北野校長誕生じゃないか」
「まあね、がんばりまーーす!」
「それより、芯也。お前、この虹ヶ丘で病院開くって、本当なのか?」
「ああ、万ちゃんの電器屋と同じだよ」
「何でよ、東京の大学で先生やってたんだろう?」
「ここの町に、病院が必要だからに決まってんだろう」
「そっか、そうだな。俺たちは、そうやって、決めてきたんだもんな」
〔つづく〕
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