51 未来のために 4(引き継がれる信頼)
「美代乃校長先生、しばらくここでお休みしましょう…」
北野先生は、午後の授業を終えた時、校長室前で壁に手をついて立ち止まっている校長を見つけたので、校長室の中へ誘導した。
「……大丈夫よ。
ちょっと、子ども達と話をした後、教室から戻る途中に息が切れただけよ……
すぐに元に戻るからね…」
「それでも、気をつけてくださいね。しばらく、ここに居ますから」
7月も半ば、お腹の大きさもだいぶ目立つようになっている。
しかも、北の国とはいえ、夏も本番で、最近は気温も高くなり、ちょっと動いただけで、汗もかくようになってきた。
飾りっ気の無い校長室は、事務机が1つと、大きな円卓、それに7つの木製の丸椅子が置かれているだけである。
自分のことには、まったく贅沢をしない美代乃校長らしい校長室だと、訪れた人は口をそろえて必ず感想を漏らす。
それでも、隅に置かれている使い古されたギターから時折流れる様々なメロディーは、この学校で学んだ多くの子ども達だけでなく、職員の励みにもなっていたのだった。
ひじ掛けのある事務机の椅子に校長を座らせて、北野先生は円卓の斜向かいに座った。校長は、片腕をひじ掛けに乗せ、背もたれに寄りかかって少し上向きに座って軽く目を閉じて休んだ。
「(心臓のこともあるのだろう。本当は、学校をお休みした方がいいのだろうが……)」
口には出さなかったが、北野先生は、いつも心配していた。
もうすぐ夏休みに入り、2学期になったら、校長は産休に入る予定だ。
「(この学校から、美代乃校長先生がいなくなったら、どうなるのだろう?本当は、僕が、後を守って、校長先生に安心してもらい、休んでもらった方がいいのはわかっているんだけど……)」
北野先生は、いろいろ考えすぎて、自分の方が具合悪くなりそうだった。
「北野君?……大丈夫?」
何か察したのか、美代乃校長が北野先生をじっと見て、優しく声を掛けた。もう、息も落ち着いていた。
「ああ、ええ、僕は、大丈夫ですよ……」
少し、焦って早口で答えた。
「ええ?……本当は、何か、心配してるんでしょ?」
いたずらっぽく、校長は笑顔で聞いてきたので、つい気が緩み、本音が漏れてしまった。
「校長先生がお休みしたら、どうなるかなって、心配なんですよ」
「あら、まあ?どうして?」
また、あっけらかんと切り返してくるので、北野先生もつい話してしまう。
「だって、ここは虹ヶ丘小学校で、お国の公立小学校です。
開拓当初、学校ができたばかりならまだ知らず、あれから10年以上も経ちました。
もう、好き勝手にはできないでしょう。
美代乃校長先生が、産休・育休に入ったら、誰か違う校長先生が来るはずなんです。
そうなったらどうなるか心配なんです」
「ふーん、そーか。北野君は、そんなことを心配していたんですか……」
美代乃校長は、落ち着いた顔をして、また、いたずらっぽく質問してきた。
「でも、北野君は、もう、自分の考えをもっているんでしょ?」
そう言われて、北野先生は、すべてを知られているような気がした。だから、少し安心して、話し出した。
「……今の虹ヶ丘には、やっと学校が7つできました。
小学校が4つ、中学校2つ、高校が1つです。
美代乃校長先生が求めた学校での学びが、ようやく広がりつつあります。
みんなが、この虹ヶ丘小学校を手本にしてくれています。
学ぶ事を学校が決めるのではなく、学びたい事を助けるのが学校だという基本理念。
だから、一生懸命学んで、うまくいかなくても、それは失敗ではない、きっと次の学びに生かせるんだと考えて認めています。
そんな学校だから、美代乃校長先生は、何かをやりたいという子どもの考えを必ず笑顔で認めてくれる。
そして、自分の事のように喜んでくれる。
うまくいっても、失敗しても喜んでくれる。
それは、結果を見ているんじゃなくて、頑張っていることをちゃんと見ているとわかっているからなんだと思うんです」
「いいわよ、やってごらんなさい。思った通りおやりなさい。………北野君」
「え?でも、まだ、何も……」
「わかってるわ、北野君は、私のためじゃなくて、この虹ヶ丘のために頑張るんでしょ、それでいいのよ。
好きなように、やってごらんなさい」
僕の目からは、涙が止まらなかった。
まだ何も説明していないのに、この人には気持ちが通じていることがわかる。
どんな励ましより、どんな言葉より、やる気が出る。
大変な仕事だし、また困難さだって感じるけど、突き進む勇気だって湧いてくる。
涙は、不思議だ。
悲しい時でなくても出てくるんだ。
その時、静かに校長室の扉が開き、多田野先生の顔が覗いた。
「ごめん、ちょっと聞こえてね。大丈夫かー」
僕は、涙が止まらぬまま、笑顔を向けた。
「おや?北野先生、何泣いてるの?みょんちゃんにいじめられたかな?」
いつものとぼけた調子で、多田野先生が校長室の中に入ってきた。
「……トウちゃん、…こ、この、この前の、あの話、……美代乃校長にお願いしようとしたら、中身を説明する前に……“好きにしなさい”って、言われちゃったよ……」
「やっぱりね、そんなふうになるとは思ったけどね……」
多田野先生には、いやあの仲間達にも、以前から相談して知恵をたくさん貸してもらっていた。後は、いつ美代乃校長に切り出すかだけだった。
まさか、こんなにすぐに受け入れられるとは思ってもいなかった北野先生だった。
このまま自分の考えを説明しないわけにはいかないので、多田野先生にも加わってもらい今後の虹ヶ丘小学校のことを話した。
北野先生は、美代乃校長の今後のことを考えて、虹ヶ丘小学校を私立学校にするということを考えた。
小学校だけでなく、中学校、高等学校、大学を含めた“虹ヶ丘学園構想”にして、私立学園にするのである。そうすれば、美代乃は、学園長として将来にわたり理想の学校をつなげていけると考えた。
ただし、特別なことをするつもりはなく、虹ヶ丘の各学校が、起動にのるまで美代乃がこの学校に関われるというのが条件である。
その後は、通常の公立学校に戻すもよし、私立学校のまま誰かが引き継ぐもよし、その時に考えればいいと北野先生は思っていた。
財源も確保してある。
実は、開拓当時のジャガイモの新品種の特許や上杉が取得した数多くの特許を多くの会社に売却した。
もちろん、まだ日本ではそんなに株取引が盛んでなかったので、ほとんどは外国だった。
外国の会社の株式を中心に岡崎が投資を行い、ひと財産を築き、財団法人を作りあげた。それが学校法人虹ヶ丘学園としての登録をすることになったのである。
もちろん、医者としては一流の腕になった岡崎だったが、弁護士も顔負けの公文書作成能力も身に付け、あっという間に私立虹ヶ丘学園の申請も完了し、桜山達の手際で、夏休み明けまでに、中学校、高校、大学とすべての校舎が完成したのだった。
あと、半年かけて、職員と生徒を募集することになるのであるが、それはまた別のお話で……。
美代乃校長は、北野先生と多田野先生の考えを特に驚いた様子もなく、いつもの笑顔で聞いていた。
北野先生達は、また涙があふれそうになってくるのを感じた。
〔つづく〕
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