表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浮世呪いばなし  作者: 蔵亜 謙
第二話 月下美人
6/10

キャラクター

塩路礼人しおじれいと

 この春から高校生。

 写真家の叔母を頼り、上京してきた。絵を描くことが趣味。

 しばらく前から自分の絵に行き詰まりを感じている、悩める男子。


真瀬まなせ先輩

 れいとが上京して最初に知り合った、高校の先輩。

 迷子になっていたところを助けてもらった。

 顔が見えない「呪い」を持つ。

 上京して早々、恥ずかしながら街で迷子になっていたところを助けてくれたのは、同じ学校に通う先輩だった。

 入学してから再会したその人――顔が見えない呪いを持つ、まなせひかり先輩と知り合ってから、早二カ月ほどが経って。もう六月に入っていた。


 それ以降もまなせ先輩には、何かとお世話になっていて。この辺に長く住んでいるということで、街の案内をしてもらったり。

 そのお礼として、彼女の園芸部での作業を手伝ったりなどしている。

 最初の方こそ、呪いのせいで顔が常に真っ暗であることに、すごく戸惑いはしたものの。最近では表情が見えなくても、先輩の豊かな感情がなんだか、不思議と伝わってくることに気がついていた。


 それから先輩と一緒にいるとよく、まなせ先輩のお友だちである宇賀田 摩穂(うがた まほ)先輩も一緒になるのだけれど……。

 どうやらあまりよくは思われていないみたいな気がして、ふとしたときに鋭い視線を向けられていることがけっこうあった。


 そもそも初めて会ったときも。

 廊下を移動中に、まなせ先輩を見かけてあいさつをしたら…………。

「あ、先輩! 昨日はありがとうございました」

 再会できた後日、学校の敷地案内なんかをしてもらったお礼の言葉で声をかける。

「あれ、れいとくん。やっほ」

 まなせ先輩が片手を上げて、ゆるい返事をくれる。

 と、先輩の隣にいた女性が突然。

「キミはいったい、どちら様かな?」

 と、冷たい視線と声音を向けられた。

(な、なんでかすごく歓迎されていない気配……)

 都会の垢ぬけた先輩から、いきなり警戒心をむき出しにされてしまい萎縮しつつも名乗る。

「い、一年の塩路礼人(しおじれいと)です」

「ふ~ん……」

 いぶかしげに見つめられ。

 そこでまなせ先輩が助け船を出してくれる。

「ほら、この子が例の後輩君。それでこちらは宇賀田まほちゃん、私の数少ない友だちだよ」

「ああなるほど、高校生迷子の」

 今なんだかとっても不名誉なあだ名が、聞こえた気がする。

 ともあれ、うがたさんはとりあえずの合点がいったようで、こちらへの姿勢が幾分丸くなったようには感じられたものの。

 ジロリ。

 やっぱりこっちを、品定めするかのように見られる。

(うぅ……もしかしてシティガールは田舎の小僧が気に食わない、とか?)

「男の子だったんだ……」

 ポツリと呟く声が聞こえた。

 ……まなせ先輩、いったいどんな伝え方をしていたんですか?


 と、色々と散々な具合だったのだけれど。

 うがた先輩はともかく、また問題もあって。入学式から一月も経つ頃になると、同じ学年の間でもまなせ先輩のことが色々と、話題に上るようになっていて。

 前にクラスの女子たちが、先輩の話をしているのが聞こえてきたことがある。


「前を歩いていた、髪のとても長い女子生徒が。落とし物をしたの。だからそこで私、落ちたハンカチを拾って声をかけたわけ。すみません、これ落としましたよ、って。するとゆっくりと振り返ったその人は、なんとね――」

「顔が見えなかった?」

「あーんちょっと、なんでオチ言っちゃうの~!」

「なら私も。移動教室の授業中で、人気のない三階の女子トイレで手を洗ってて、ふと鏡を見たら……すぐ後ろを、なが~い髪をした顔の見えない先輩が、すうっと横切って行くのが見えた、っていうことあったよ」

 きゃー、やだ~。


 と、彼女たちはそんな風に盛り上がっていた。

 こういった感じに先輩は、ホラーや笑い話の対象になることもざらで。もっと直接的に、心無いことを言ったり噂したりする人たちもいた。

 そういうのを耳にするたび、イヤな気持ちが胸に広がって。でもそれらに対して何もできない自分が、情けなくって、余計に沈んだ気持ちになる……なんてことも一度や二度じゃない。



 とはいえここで一度、先輩のことは抜きにして。絵の方もやっぱり、まだまだ順調とは言いづらかった。

 確かに東京に出てきて、目新しいものに囲まれて放課後や休日など、スケッチブック片手に色々と出かけて描いてみてはいるけれど。

 自分が今描いているものは、本当に描きたいものなのか。そんなことを考えて結局は、どれも完成まで行くことなく手が止まってしまうのを、繰り返していた。


――


 数日ぶりに晴れた日の昼休み、まなせ先輩が世話している花壇を一人描いて過ごしていると。

「絵、ほんとにうまいよね。でもたしか美術部には、入ってないんだよね?」

 そう、後ろから先輩の声がかかった。

 ジャージじゃなくて制服姿なのは、あくまで花壇の様子を見に来ただけということなのかな。

 これまでも時々、作業をしている先輩の近くで絵を描かせてもらったりもしていた。

「ありがとうございます……そうですね。今は部活には入ってないです」

 一応は小島くんや、工藤さんに佐々木さんからそれぞれの部活に、誘われたりもしたけれど。

 今は絵以外のことをする気にはなれず、断っていた。

「あれかな。オレはどこにも属さない~、的な?」

「ぜんぜんそんなことはないです! 中学では美術部に入っていましたし」

 そうなんだ、と相槌を打ちつつ彼女も隣にしゃがみこんで。

 それで描いていた手を止めた。

「とはいっても田舎の学校で、生徒も少なくて。一年生のとき以外、部員は一人きりだったんですけど」

 そう言って苦笑い。

「……」

「ずっと、昔っから絵を描くのが好きだったんです。何かを見ては、そのまんま描いて。それを大人たちがうまいって褒めてくれる」

 先輩は静かに、こちらの話に耳を傾けてくれていた。

「子どもの頃とか、もくもくと描いてて、一日中描いていることもあったみたいです。でもそんなだったし、気づいたら周りの子たちから、絵ばっか描いててつまんない。そんな退屈な絵ばっかり描いてて面白いのか、とか言われるようになって」

 スケッチブックのページをめくり。

 上京前の最後に描いた、生まれてから見飽きるほどに見てきた故郷の海を眺める。

「結局、中学時代にコンクールとかでも一度も入選したことなくって……そのうち段々と。何を描けばいいのか、分からなくなっちゃって」

 そこではっとして、自分ばかりが喋っていたことに気づく。

 慌てて先輩の方へと、向き直って頭を下げる。

「ごめんなさい、こんな面白くもない話をしちゃって! やっぱりこんなだから――」

 頬杖をついて、ずっとこちらに顔を向けていた彼女は、ふとその手を差し出し。

「見せてもらっても、いい?」

 そう尋ねてられて。ちょっとためらいがちに、スケッチブックを手渡した。

 パラ、パラと。無言でページがめくられていく。その表情は見えないので、今どんなことを思って見つめているのだろうか。

(やっぱり、つまらない絵って思われているのかな)

 心の中で自嘲する。

「こんなにうまいのに、ダメなんだ」

 まなせ先輩は、優しい言葉を投げかけてくれた。

 でもそれを、素直に受け取ることができなくて。

「そんなこと、ないです。入賞する人たちは画力ももちろんですけど。それだけじゃなくって、構図やモチーフ、発想力なんかがまったく及ばなくって」

 ああ、自分で言っていてまた、大きな影に飲み込まれるような、もう何度目かわからない例の感覚におそわれる。

「落選ばっか続けてたらなんだかその内、お前の絵はつまらない。って言われているような、そんな気がしてきちゃって……」

 ふと、先輩はページをめくっていた手を止めた。

「私は好きだな、れいとくんの絵。変に飾ってなくて素直な感じが、なんだかすごく安心するから」

 しみじみと、さとすかのように。

 渡した時に開いていた、上京前に町の高台から描いた絵を見て。

「すてきな海。れいとくんのふるさと?」

 聞きながら先輩は、絵の上部を占めている海の辺りをそっと指で撫でた。

「そうです。けど、そんな……海と山ばかりで何もないところですよ」

 ふと故郷の空気、潮風、におい、景色、波の音なんかがよぎる。

 ――こちらを向く先輩と目が合って、ほほ笑まれたような、見えないのに不思議とそんな気がした。

 それから彼女はまたスケッチブックの方に戻って、さらに何枚かページをめくっていく。

「ところで……」

 まなせ先輩は唐突に、スケッチブックを顔の前に掲げて見せる。そのページは――

「もしかしてこれって、私だったりするのかな?」

「へっ、あ!?」

 以前、想像で勝手に描いた先輩の顔のラフ。最終的には眼を閉じた、当たりさわりのない顔に落ち着いてしまっていた。

 まさかの本人に見られてしまい、気恥ずかしさと申し訳なさがこみ上げてくる。

「う、その、えっと。それは――」

「今度見せてあげよっか?」

「え! ええっ!?」

 衝撃の発言に驚がくしていると、先輩は肩を揺らしながら口元に手を当てて、けらけらと笑っている。

 な、なんだ……どうやら、からかわれただけみたい。

「それよりさ、気になってたことを聞いてもいい? いつも首に着けてるソレ」

 まなせ先輩は自らの首元をとんとん、と指し示し、小首をかしげながらたずねてくる。

「はい、これですか? これは上京するとき、妹からもらったお守りです」

 地元の神社で買った、変哲もないシンプルなお守り。「心願成就」の四文字が書かれている。

 前にゆみおばさんにダサいと言われ、シャツの内側にしまっていたのを引っ張り出して見せた。

「へー、れいとくん妹がいたんだ?」

「はい。すっごく頭のいいやつなんですけど、昔から何かと心配症であれこれ、気を回してくるんですよ」

「そっか。お兄ちゃん想いの妹さんなんだねぇ。でもちょっと気持ち、わかっちゃうかも」

 それはつまり、僕が頼りないってことですか? そうなんですか? と、そう目で訴えかける。

 先輩に慌てて目をそらされた……ような気がした。

「うん、いや~。れいとくんがお兄ちゃんなの意外だったなぁ」

 やっぱりそうは見えないんだろうか……。

 ひそかにショックを受ける。

「あとはまあ、兄も一人」

「あ、弟くんって感じはすごく分かるかも!」

 もう何も考えないことにした方がいいかもしれない。

 とそこで、まなせ先輩は少し深めに息を吸って、できた間の後で話し始めた。

「……私もね、弟いるんだけど」

「そう、だったんですか? 初耳でした」

 少し重たい空気を感じて、慎重に相づちを打つ。

「うん。れい、って言ってね。名前はれいとくんとそっくりなんだけど、ほら私がこんなだからさ? 昔からあんまりでね、最近はもうずっと話したりもしてないんだ」

 表情以外の全てから、先輩がとてもさみしそうなのが伝わってきた。

「先輩……」

 かける言葉を、失ってしまう。

 するとすぐに彼女は、ぱちんと一つ手を叩くとまたいつもの調子に戻り。

「やめやめ。せっかくだしもう一つも聞いちゃうけど、髪を後ろで結んでるのも特別なこだわりがあったり?」

「あっ、はいこれはですね。昔から、って今もまさになんですけど、よくお世話になっている叔母のことをリスペクトしていまして……」

「なるほどねぇ、憧れなんだ」

「は、はい」

 ちょっと照れくさかったけれど、でもそのかいあってもとの空気には戻った。

「あ、もうそろそろ時間だ」

 スマホを確認した先輩がそう言ったところで、ちょうど予鈴が鳴り響いた。

「はいこれ」

 と、続いてスケッチブックを返される。

 立ち上がって、まなせ先輩はスカートをぱんぱんとはたき、裾についた土埃を払い落とす。

「はーそれにしても。美術部が一人きり、ってのはすごいね」

 んー、と両手を前に押し出すように伸びをしながらの先輩が、さぞやビックリした様子で驚きの声を漏らす。

 もしかしたらさっきまでの会話で、ずっと気になっていたのかもしれない。

「え? あーっと、やっぱり少ないですよね。学年にクラスも一つだったので、僕もここに来てクラスの多さにおどろきました」

「一つだけ! なるほど~、そういう風に感じるものかぁ」

 うんうんと、彼女はなっとくした様子で頷く。

 それから片手を上げて。

「じゃあ、お先に失礼するね」

 こちらがスケッチブックや筆記具をまとめている間に、まなせ先輩は先に戻って行ってしまった。

 ……たぶんこれって、気を使われてのことなんだと思う。


 前にこう聞かれたことがある。

「なんかいつも一人な気がするけど、いじめられたりとかしてない?」

「そんな、話す友だちくらいいますよー!」

(小島くんたち以外のクラスメイトとはちょっと、ぎこちない気がするけど!)

 その時は、先輩の心配がどこにあるのかということに、気づいてはいなかった。


 それから少し後になって、借りていたものを返しに先輩のクラスへ会いに行ったときのことだった。

 先輩のクラスから出てくる女生徒たちが、話している内容が聞こえてきた。

「うがたさんってさ、絶対。()()()さんと一緒にいることで、自分を可愛く見せようとしてるよね~」

「ホントそれねー、()()()さんかわいそ」

 誰の話かなんて、考えるまでもなくわかった。

 心の底から、すごく、腹が立った。けど自分のすぐ後ろで――

「まほちゃんは、そんな子じゃないよ……」

 ボソッと呟く声。

 飛び上がりそうなくらいビクッとしつつ振り返ると、いつの間にか真後ろにまなせ先輩が立っていた。呪いで顔が真っ暗なせいで、妙な凄味が放たれている。

 驚きのあまり口をパクパクさせて彼女を見上げていると、先輩はおかしそうに笑って尋ねた。

「ふふっ。こんなところでどうしたのかな、れいとくんは」

「えっと、傘っ、を返しに来ました――」

 そう答えつつ持ってきた折り畳み傘を慌てて、両手で捧げ持つようにして差し出す。

「わざわざありがとう。たしかに受け取りました」

 軽い調子で言いつつ、先輩は傘を受け取った。

 あの日借りた傘を、ちゃんと返すことがかなってよかった。

 しかしさっきの陰口のせいで、なんとなく気まずさを感じて無言になってしまう。

 と、そこにさっき噂をされていたご本人が登場する。

「ひかりちゃん……って、でたな後輩。おうおう、上級生の教室にいったい何の用だよー」

「ほらほら、オラつかないで。れいとくんももう、戻った方がいいよ」

「あ、はいそれじゃあ……」


 とそんな感じだった。

 実際、小島くん、工藤さん、佐々木さんの三人以外からは、なんというか。一歩引かれているような感じがしちゃわないでもない。

(いやきっと先輩は関係なくって、僕自身に問題があるだけ……!)

 まあ、それはそれでへこむけれど。

「はぁ……」

 花壇から教室へと戻りながら、つい溜息をこぼす。

 なにか、先輩の力になれたらと思うのに。思うばかりで何もできない自分を、まったくもどかしく感じるばかり。


――


 花壇での作業を手伝っているとき、期末テストも近づいてきて勉強に不安を抱えている、ということをまなせ先輩に話したところ。

「一緒に勉強しよっか? 去年やったから教えてあげられるよ」

 それはまさしく、渡りに船な申し出だった。

「いいんですか!? ぜひ! ほんとうに助かります!」

 ということで。テストまでの期間、先輩の空いている日の放課後に自習室で、勉強を教えてもらえる運びとなった。


 さっそくその日、まなせ先輩と自習室を訪れた。

 まずは授業の復習、それから予習をするなかで分からないところについて教えてもらっていたら。

「はあ~、れいとくんは本当に真面目ないい子だねぇ」

 しみじみとそんなことを言われる。

「ゆみおばさん……叔母や家族みんなのおかげでここにいられるんですから、このくらいは当然です!」

「うんうん、すごく立派だと思うなそういうの」

 まなせ先輩はうるさくしないよう小さく拍手をしながら、しきりに頷いている。

 なんだか照れくさくなってしまい、根本の原因も伝えておくことに。

「それにその……情けない話なんですけど、半分くらい運で入れたと思うんです。だからちょっと、授業についていくのも大変で」

「じゃあついていけるよう、一緒にがんばろっか」

「はいっ!」


 先輩と自習室での試験勉強を続けて、何日かが過ぎた。

 単純に勉強で分からないところを教えてもらう以外にも、質問に行きやすい先生の情報であったり。過去問や出題傾向なんかも、知っている範囲で教えてもらえて。

 二日目からはうがた先輩も一緒だった。


 そしてある日の休み時間のこと。

 クラスメイトの男子二人から話しかけられた。

「なあ塩路ってさ、自習室で女の先輩と二人きりで勉強教えてもらってるのマジ?」

 二人きりと言っても、ここのところはうがた先輩もほとんど一緒なんだけど。

「えーでもさあ、あれだろ。顔なしの人だろ?」

 もう一人の男子が笑顔でそんなことを言って――

「おいやめろって、そういう言い方」

 僕が口を開くよりも先に、横で聞いていた小島くんがそう注意をしてくれる。

 そう言われて相手も、若干バツが悪そうになった。

(すぅ、ふ~~……)

 ゆっくり息をすって、そっと深呼吸をする。

 正直、ちょっとむっとしたけれど。でもここで、まなせ先輩の印象を少しでも正すとしたら、その気持ちを表に出すんじゃなくって……。

「うん、優しくて本当にいい人だよまなせ先輩。実はこっちに来たばかりで道に迷ったときも、メッチャ親切にしてくれて。傘まで貸してくれたんだ」

「へえ、見かけによらないんだな!」

 先ほどの顔なし発言の男子を、今度は最初に話しかけてきた彼の友人がヒジで小突いた。

 それを受けて、「あ、すまん……」とすぐに謝ってくれる。

 チャイムが鳴って二人が離れていったあと、小島君は片手で後ろ頭をかきつつ。

「あいつらもさ、悪気があるわけじゃないんだろうけどな」

「……うん」

 まなせ先輩と関わるようになって。

 最近では少しずつだけど、先輩の置かれている状況なんかも見えてきたように思う。

(なにか、力になりたいんだけどな……)

 東京にきてから、お世話になりっぱなしなのに。

 あんなにもいい人なのに、すごくすごくもどかしかった。



 テストを翌週にまで控えた、六月の終わり。

 その日、うがた先輩は用事があるとかで先に帰り――かなり恨めしそうにしながらだった――まなせ先輩と二人きりで試験勉強をしていた。

 一週間後にはもう期末試験があるということで、気合を入れて勉強をしていると。学校を出るころには、すでに夕方になっていた。

「ありがとうございました、こんな時間まで」

 昇降口を出たところで、「んん~~っ」と大きく伸びをしていた先輩に改めて、頭を下げつつお礼を伝える。

「いいよいいよ。私も誰かと一緒の方が、まじめに勉強できるし」

 先輩は片手を左右に振って、気にしないでと。

 それから彼女はふと、空を見上げて。

「満月は明後日だけど……今日はいいお天気だし、面白いものが見られそうかな」

「それって、流れ星とかですか?」

 聞き返すと、先輩はぽりぽりと人差し指で頬をかく仕草。

「あー、っと。流れ星には負けちゃうかも? たぶんだけど」

 その声音はなんというか少し、照れくさそうな?

「?」

「ね、この後って時間大丈夫? よかったら少しだけ付き合ってくれるかな。ちょっぴり珍しいもの、見せてあげよう」

「はい。よろこんでお供します!」

 お世話になってるまなせ先輩から誘われて、断るわけがないよね。


 前を歩く先輩に連れられ、歩くこと十数分。ついたのは、学校近くにあるこの辺では一番大きな公園。

 休日には時々絵を描きに来ることもあるけれど、色んな人がよく利用している。今は夕暮れ時ということもあって、人はまばらな感じ。

 なんだか特別な雰囲気を感じて、ここまではお互いに口を開かないまま歩いてきた。

「よし、もういいかな」

 園内の、開けた芝生の上で立ち止まった先輩が、空を見上げながら言う。

 こちらもその少し後ろで止まって。つられるようにそちらを見上げると、東の空は深みのある紫色に染まっていて、円状の月が顔を覗かせていた。

 開けた場所で空を気にするということは、やっぱり星なのだろうか? でも、月が明るいと見えづらいんじゃ……?

「私から目をそらさないでね……」

 突然、彼女はそんなことを言って。

 長くきらめくような黒い髪を、ドレスの裾のようにふわりと舞わせ――

「あの先輩? なに、を――」

 その先の言葉は続かなかった。思わず両手で、左右のメガネのつるをつまんでいた。


 なぜならば。

 優美な動作でこちらへと振り返った先輩と、()()()()()()()から。


「じゃ~ん。今ならにらめっこもできるよ?」

 そんな軽口を言ったまなせ先輩の、顔を常に隠していた真っ暗な呪いが。嘘のように、消え去っていた……。

 両腕を前方に少し広げるように伸ばし、手のひらをこちらへと見せ、イリュージョンを成功させた手品師の決めポーズのようにして。

 したり顔の、初めて見たまなせ先輩。いつもの朗らかな声音の印象とは少し違って、全体的に凛とした大人っぽい顔立ち。

「おぉい、れいとくん? できればそのなにか、言って欲しいかな~、なんて……」

 まるで石になってしまったかのように、ただ彼女の顔にくぎ付けになる。

 そんな僕を見て困った様子で笑っている先輩は、顔の横で片手を振って反対の手の人差し指を頬に当てていた。

「……ひかり」

「はひぇっ!?」

 ぽつり、思わず無意識にその言葉をこぼす。

 そしてまなせ先輩はなぜか素っ頓狂な声を上げて、シャキッと背筋を伸ばしている。

(ようやく、見つけた…………っ!)

 そう思った次の瞬間には、先輩の方へと詰め寄っていた。

「先輩にお願いがあります!」

「え? えぇっ? どうしたのかな……?」

 よくわかっておらず気圧され気味の彼女へと、お構いなしにぐいぐいと攻める。

「先輩のことを、僕に、描かせてもらえませんかっ!!」


 それはまるで、ずっと心を覆ってきた暗雲を切りさいて光が差したかのように。

 僕はこの日、それまでの停滞感に別れを告げて。一生を照らしつづけてくれるような、強い輝きを見つけた。



「月明かりでしか顔が見えない呪い」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ