結
倉宮浩太(高校一年生)の呪いと、恋の話。
瑞恵のことを避けるようになって、もう三日目となる金曜日の昼休み。
今のところは、会わずに済んでいた。今日さえ終われば週末。とてつもなく長い、一週間だった。
こんな日々をいつまで、続けていくのか。
相変わらず授業の始まるギリギリに、教室へと戻る。
席に着いたところで教室のドアが開き、教師が入ってきたと思いそちらを見る。しかし、それは雲出さんだった。
(……?)
一瞬目が合ったような、気がしたけれど。
チャイムが鳴り、彼女はそのまま自分の席へと戻っていく。すぐに教師が入ってきて、授業が始まった。
「ちょっといい?」
五限が終わったその休み時間に、机の側にやってきていた雲出さんから声をかけられた。
突然のことだったので、反応できずにいると。
「これ、赤野さんから」
そんな言葉と共に手渡されたのは、折りたたまれたシンプルなメモ用紙。さっき目が合ったのは、たぶん気のせいではなかったようだ。
(手紙……?)
「事情は知らないけど。赤野さん、ツラそうだった」
少しぶっきらぼうにも感じられるが、瑞恵を心配していることが伝わってくる。
「……わかった、ごめん」
「じゃ。確かに渡したから」
雲出さんはそれだけ言うと、窓際の方へと去っていった。
ふと、振り返って畑中の方を見る。スマホを弄っていたが、こちらの視線に気づいて顔を上げた。片手をパッとあげて、またすぐにスマホの続きへと戻る。
聞こえてはいたが、あえて立ち入らないということか。その気づかいには、救われる。
ついでに佐藤の方も、見てみれば。近くの席の人と喋っている最中で、こちらを気にしている様子はなかった。
改めて、閉じられたままのメモに視線を落とす。なんて書いてあるのか、それを考えると気が重かった。
それでも意を決して、開く。
「お話がしたいので、放課後に公園で待っています」
とても丁寧な字で、書かれていた。
……六限目の開始を告げるチャイムが鳴り響き、科目担当の教師が教室に入ってきた。
「授業を始めまーす、席についてください。それじゃあ号令を――」
そっと、手紙を閉じてポケットにしまいつつ、礼をする。机の上の教材が、前の時間の科目のものであることに気が付いたのは、授業時間が半分も過ぎてからだった。
気が付くと授業は終わって、ホームルームまでもが終わり。佐藤と畑中はそれぞれ部活へと赴き。掃除の人の邪魔にならないようにしつつ、教室から出て行くクラスメイトたちを見送る。
やがて掃除の時間も終わって。教室内にいる人の数は次第にまばらになり、何か作業をしている人や、スマホを弄っている人、談笑している人たちなどの、一部生徒だけが残っている。
(そろそろ、行かないと……)
いつまでもここでこうしていては、待っている彼女に余計に顔向けができなくなるだけだ。
頭では理解していても、足取りは重かった。
一昨日の朝も通りかかったこの公園は、二人で多くの時間を過ごした場所。近所で同じくらいの歳の子は少なくて、二人きりのこともよくあった。
今は閑散としているそこの、奥のベンチ。スマホを確認して、脇に伏せて置き、溜息をついている瑞恵の姿があった。
正直に言って、彼女と話をする勇気なんてあるはずがなかった。それでも一つ、大きく息を吸って……吐いて。
ベンチの方へと歩いていく。途中でこちらに気づき、じっと見つめる彼女の前に立った。
「待たせて、ごめん」
「ううん。大丈夫だよ」
隣に座るようジェスチャーをされ、瑞恵との間にカバンを置いて腰を下ろす。下ろしはしたものの、何を話せばいいのかが分からず、ただ俯く。
彼女の方を窺い見ればちょうど、正面を向いたままで口を開くところだった。
「……私のこと、避けてるよね」
元気のない、落ち込んだ声音。
「それはっ、……」
言葉が続かず、そのまま閉じてまた顔を背けるだけ。
何も答えられずにいると、彼女はこちらへと向き直り。真っすぐに見据えて続ける。
「私、浩太くんに何かしちゃったのかなっ? もしそうなら謝る。だから、ちゃんと言って欲しい!」
その瞳から、表情から、声色から。彼女の不安が伝わってきて、ズキリとまた心が痛んだ。
「違う、違くて……瑞恵は悪くない、から……」
これだけは訂正しておかないと、ダメだった。
それを聞いた彼女は小さく息を漏らし、そっと、ささやき気味に尋ねる。
「っ……じゃあ、どうして?」
これ以上はもう、誤魔化すことはできないだろう。
ちゃんと、言わなきゃ。
「……告白されてたところを、見たんだ」
彼女の方は、見れなかった。
咄嗟に何かを言いかけた瑞恵を、手で制して続ける。
「それでさ、おれは……俺は気づいたんだ。瑞恵のことを好きだったんだって……!」
何度も、何度も否定しようとした。そんなはずはないんだって、思いたかった。
だってこの恋は始まることさえなく、終わるっ。この恋は、呪われているから!
「後で話しているのも、聞いた。好きな人がいるんだってな? でもっ……呪いがあるから、それは俺じゃない! この気持ちは絶対に報われないんだよっ!」
最後の方は、泣きそうになるのをこらえて、それでも叫ぶ。
立ち上がって。驚きに目を見開いたまま固まっている、彼女の方を見て。震える声で、最後の言葉を告げる。
「ごめん、こんなこと突然言われてもだよな……でも整理する時間が欲しいんだっ」
そこまでを口早に言い切り、走り出す。
きっと涙は零れていたんだろう。
「こうちゃん!」
こんなにも視界が、にじんでいるのだから。
(瑞恵は、どんな表情をしていたかな……)
心のどこかに、そんなことを考えている自分がいた。
脇目も振らず、ただ一目散に家へと駆け抜けた。靴を脱ぎ散らかして、そのまま二階の自室に逃げ込む。
電気が消えたままの部屋で、ドアにもたれかかり、ズルズルとへたり込んだ。
「はあはあぁ、っはあげほ、えほっ……」
呼吸は乱れ、心臓は破裂しそうなくらいに激しく脈打つ。全身からは汗があふれていた。
しばらくそうしていれば、次第に落ち着いてきて。背を曲げ、膝を抱える。
「んぐぅ、っ、ふっ、ううぅ……」
情けなくて、悔しくて。必死に声を押し殺す。
自分があまりにもみじめで、今すぐにでも消え去ってしまいたかった。
(最悪だ。ほんと最悪だ。もう嫌だ。さんざんだ。何が呪いだよふざけんなっ!)
頭の中はもうめちゃくちゃで、ただ自らの境遇を強く強く強く……呪った。
力の限りに、かかえた膝をぎゅっと引き寄せた。
「…………」
いつしか、全身の力は抜け。怨嗟の嵐が止んだ後には、すさんだ心だけが残った。
真っ暗な部屋に一人。それでよかった。もう、どうでもよかった。
このままここにいれば、闇に溶けて消えられるような、そんな気がしていた……。
――ピンポーン。
鳴り響いたインターホンの音も、どこか遠くのできごとに思えて。どのくらいの時間、こうしていたのか。とても長かった気もするし、そうでなかった気もする。
階段を上ってくる足音。それは、扉のすぐ向こうで止まった。
コンコン。
「浩太くん?」
ノックが背中から、直に響いた。
今は、誰とも会いたくなんてないけれど。そんな中でも、もっとも会いたくない人。もう、会いたくない人。
返事はしなかった。
「開けてもいい? ……開けるね」
控えめに、軽く扉が押される。それに対して全力で、背中で押し返す。
「そこに……いるの?」
少し心配そうな、こちらの様子を気遣うような口調。
このまま黙りつづけていれば、帰ってはくれないだろうか。そんな最低なことを、考える。
「バッグ届けに来たよ」
また心が痛む。彼女の声が、言葉が、優しさが。傷に染みてひどく痛かった。
放っておいて欲しい。もう傷つきたくない。これ以上は、耐えられない。
「やっぱりもう、会いたくない? 話すのも、いや……?」
ただ一言、
「帰ってくれ!」
と……そんなことは、言えずに。
彼女のとても寂しそうな、沈んだその声音に、ただもう耳を塞いで目を閉じてしまいたかった。
「ねえ、返事。聞いてくれないの」
それまでとは調子が一変し、気合のこもったような、真っすぐに芯の通ったような。
返事? そんなのは聞くまでもない。わかり切っている。これはそういう呪いだ。決して報われは、しないのだ。
「お願い、聞いて! 私はこれからもこうちゃんと会いたいし、話したいし、ずっと一緒にいたいって思うよっ!」
瑞恵は必死に訴えてくる。こんな最低な自分を、見限らずにいてくれる。それでも……もう。
続けて彼女は言う。
「私のことが好きだって言ってくれて、本当に嬉しかったんだよ? だって……」
大きく息を吸う音が、扉越しにも聞こえ。
パタンッ。突然ドアを叩かれた振動に、反射的にビクッとしてしまう。
瑞恵は何を伝えようと――
「だって私の、大好きな人だから! 私もあなたのことが、ずっと好きです……ずっと」
「えっ……?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
(いま何を……俺のことを、好き?)
「そんなはずないっ! だって、瑞恵も知ってるだろ? この呪いは――」
あまりの事態に混乱して、咄嗟に否定の言葉が口をついて出る。
「うん、知ってる。でもこうちゃんは、なにか勘違いしてるよ」
穏やかで落ち着いた、そんな優しい口調だった。
(勘違い? 瑞恵は、何か知っているのか? どういう、ことなんだ……)
考えても、わからず。疑問をそのまま口にした。
「かん、違い……?」
「そう、勘違い。だって私はね、こうちゃんのことを。いまさら好きになんて、なったりしないよ」
「…………っ!」
息を呑んだ。
だって、まさか……そんなことが本当にっ?
「昔から今まで、変わらずにちゃんと。男の子として、好きなままだから。信じられないのなら、出てきて確認してみて?」
諭すように、試すように。
でもずっと一緒にいたからこそ、わかる。彼女がいっぱいいっぱいである、ということが。精一杯に想いを、届けようとしてくれていることが。
呪いなんてものよりも。いちばん大切な人の言葉を、信じられないはずがなかった。
また、泣きそうになる。
ドアを開ける。
廊下の明かりが、眩しくて。ゆっくりと目を開ける。
「ね?」
そこにいた彼女は、うっすら目に涙を浮かべて笑っていた。
久し振りに、真っすぐ見られた瑞恵の顔は。とても、とても愛おしくて。
今ここで、伝えたいこと。
「瑞恵。俺のことを好きになっていてくれて、ありがとう。……好きだ」
少しだけ、震える声。
「こうちゃんこそ。私を好きになってくれて、ありがとう。大好き」
呪われた俺の恋は、そんな言葉で結ばれた。
二人は口づけを交わす。
倉宮浩太は、呪いから解放された――
―――
翌週の月曜日、朝の登校風景。
スマホで時間を確認して焦る彼と。その隣、寝ぼけ眼でふらふらと歩く彼女。
「急がないと遅刻するぞ!」
「んぅ、こうちゃんおぶってぇ~」
「ああもう、バカなこと言ってないで。ほら行くぞ!」
「ふあっ……」
その日、二人の様子はこれまでと変わらぬ様でいて。ほんの少しだけ、変わったところが。
走り出す二人の手は、しっかりと繋がれていた。
―――
ずっと苦しんできた、呪いの終わった日。
子どものころの夢を見た。
「こうちゃん、どうして泣いてるの?」
「みずえ、ちゃん……うぅぐす、ひっく」
公園のベンチで一人、泣いていると。
いつの間にかとなりに立っていたみずえちゃんから、心配そうに声をかけられた。
「あのね、ぼっ、くね……のろいがかかっ、てるんだってお母さんが……」
「のろい?」
「ぅん……ぼくがね、好きになった子が、ぼくをっ。好きにならないんだよ、って……」
そこまでを言うと、またナミダがあふれだした。
「どうしようぼく、ぼく一生……結こんっ、できないのかなぁ?」
……そっと。
やさしく頭をなでられ。
「だいじょうぶ!」
「えっ?」
思えば、この時からだったのだろう。彼女が俺にとって、「特別」になったのは。
「私がずっと、こうちゃんといっしょにいてあげるよ! だって私は――」
そして彼女はこの時、確かに言っていたのだ。
「こうちゃんのこと、大好きだもん」
はにかんで笑った顔が、とても印象的で。
「……本当?」
「本当だよ、だから元気出して。ね?」
「うん。あのね……みずえちゃん、ありがと!」
涙はもう、止まっていた。
それから二人、公園で遊んで。いっぱい笑って、夕方になってお家の前でバイバイした。
この日は彼女に、凄く救われた。あの時は気づかなかったけれど、今にしてみれば、この時点で……こちらに恋心が芽生えるより先、あちらはとっくに好きになってくれていたのだろう。
「俺が恋をした人」であるよりも、前に。
次話からは、別の子たちの話となります。