転
倉宮浩太(高校一年生)の呪いと、恋の話。
翌朝、窓から差し込む光で目が覚める。まだ日が昇ってきたばかりの、かなり早い時間に目が覚めたようだった。
スマホで時間を確認しようとすると、瑞恵からの通知があり、「わかった」とだけ来ていた。もう、十二時間以上も前のこと。
とりあえず喉を潤そうと、階段を下りてリビングへ。食卓の上には、晩御飯がラップをかけておいてあった。
昨日は寝不足も手伝って、気づいたら朝まで眠りこけてしまっていた。まずは制服を脱ぎ、シャワーを浴びて目を覚ます。朝食に昨夜の残りを食べて、食器を洗う。何をしていても、頭の中では同じことを延々と考えていた。
どうしてこうなったのか。これから、どうすればいいのか。
学校はまだ開いていないし。このまま登校時間まで、家で過ごす気にもなれず。気晴らしに、外へと出てみることに。
玄関を開ければ、早朝特有の空気感。行く当てもなく、ただなんとなく足の向く方へと歩き出した。
近所の公園の脇を、通り過ぎる。昔からよく瑞恵と二人で遊んだ、ベンチと、いくつかの遊具があるだけの小さな公園。当時は広大に感じられていたはずの、場所。
それから、いつも買い出しに来るスーパー。どちらかがお使いを頼まれては、二人で一緒に来ていたりもした。
ふと気がつくと、神社の前に来ていた。この町内では一番大きく、子どもたちの遊び場の一つでもある。昔から子どもの姿がよくあって、たしか、縁結びを謳っているところだ。
そういえば。自らの呪いを知って以降は、足を運ぶ気にもなれず、久しく来ることもなかった。
幼いころは時々、同級生たちとここで集まる約束なんかもしたものだった。夏休とかには、虫を取りに来たこともあったか。
(……帰ろう)
どこへ行っても、瑞恵との思い出がちらついた。
それだけ、自分にとって大きな存在であったということが、いやでも理解できる。だから、こそ……だったのに。
その後もゆっくりと歩き。家につくころには、随分と明るくなってきていて、通勤や通学ですれ違う人たちも増えた。
「ただいま」
「えっ、おかえり……? どこ行ってたの」
リビングで、弁当作りの為に早起きてしてくれていた母に、尋ねられる。そういえば昨日は、弁当箱を出し忘れていたが。部屋の鞄から、取り出してくれたのだろうか。
なんとなくだが、昨日誰かが部屋に入ってきたような、そんなおぼろげな記憶がある気も……しないでもないような。
「早く目が覚めたから、ちょっとぶらついてた」
「そう……お弁当できたから、遅れないように行くのよ」
「わかってる」
いつもより少し早いが、今日はもうこのまま出てしまおう。
手早く着替えを済ませて、弁当箱をカバンに入れて玄関へ。
「行ってきます」
「今日はなんだか、早いのね?」
疑問に思った母から、聞かれてしまう。
「なんとなく……」
「まあ、行ってらっしゃい。気をつけてね」
瑞恵にはメッセージを送って、先に行こう……と。
――ガチャリ。
そう、思っていたのに。
「あ、ちょうど。おはよう」
今まさに向かいの玄関から出てきた瑞恵が、軽く挨拶をしてくる。
「っ! ああ、おはよう」
普段はもっとギリギリなのに、よりにもよって、なんで今日は……! そんな、言葉が浮かんだ。
「今日、早いな」
「なんかね、めがさめたんだ」
「そっ……か」
彼女の方をちゃんと見れない。
自分のツイてなさを、恨めしく思った。
「……」
「……」
沈黙がこんなにも重たく感じるのは、やましいところがあるからか。
昨日のこと、謝らないと。
「あのさ、ごめん……昨日は」
なんとか、それだけを口にする。
彼女は軽く首を横に振った。
「ううん。きゅうだったし、なにかようじあった?」
「ああ、まあ」
罪悪感が、胸を刺した。
信号に止まって並んだところで、彼女はこちらの様子を窺い。
「こうたくん、げんきない?」
「いや、別に……」
「そっか……」
それ以降、学校につくまでの間。黙って二人歩いた。
「あっれ、こうた今日はえーじゃん」
教室につくと、畑中の席で話していた佐藤がそう声をかけてくる。
「たしかに。ああ、おはよう倉宮」
「おはよ。ま、たまには……」
「「?」」
席に着きつつ、いつも通りな感じに返事したつもりだったけど。怪訝そうな二人を見るに、失敗したことがわかる。
「こうた、なんか疲れてるか?」
そう聞かれてしまい、正直に白状することにした。
「実は、ちょっと。ホームルームまで休むわ」
「授業始まるときには起こしてやるから、安心していいぞ」
「さんきゅ」
そう言って、二人はおそらく佐藤の席の方へと離れてくれる。
(ほんと、何してんだ俺……)
二人にまで気を使わせて、最悪だ。
当然眠ることもなく、しばらくすると今日は副担任の先生がやってきて、ホームルームが始まった。
授業にも集中できないまま、休み時間の度にトイレへ行くか、机で突っ伏しているかを繰り返し。気がつけば、お昼になった。
「こうた、具合悪いのかよ?」
「保健室とか行かなくて大丈夫なのか?」
二人に体調の心配をさせてしまって、心苦しく思う。
「いや、体調は……問題ないんだけど。考えることがあって」
ぼかしつつも、誤解を訂正しておく。
「そか……うるさくしない方がいいか?」
佐藤が申し訳なさそうに聞いてくる。
「いやむしろっ、二人と話してた方が気が晴れるから! ほんと、気を使わせてごめん」
すると二人は、笑って返してくれる。
「いいってことよ」
「気にしなさんな」
「……ありがとう」
二人の優しい気づかいが、心の底からありがたかった。
他愛もない話をしていれば、弁当も食べ終わり。
「ごめん、ちょっと行くとこあるから」
頃合いを見て、席を立ちながらそう切り出す。
「お? いってらー」
二人に見送られ、教室を出る。
まさか瑞恵を避けるため、教室を離れたいとは言えず。仕方がないので、図書室で時間をつぶすことにした。
図書室に来るも、集中して本を読める状態でもなく。結局は自習スペースでスマホを弄ったり、突っ伏したりを繰り返していた。
「お、戻ってきたか」
昼休みの終わり際に教室へ帰ってくると、畑中から声をかけられる。
「さっき赤野さんが来て、探してたみたいだぞ」
「あ……わかった、ありがとう。後で連絡しとく」
五限目の開始を告げるチャイムが鳴り、昼休みのことはそれ以上、言及されずに済んだのだった。
最後の休み時間には、瑞恵は来ないまま放課後となる。
今日は週一での文芸部の活動日……基本的には自主参加で集まって本を読んだり、事前にテーマとして出された作品について話し合ったり。あるいは、創作をしたりすることも。(先生も来たり、来なかったりだ)
瑞恵も同じく文芸部所属であり、今日はとても参加できる気持ちになどあらず。休む旨を彼女に、メッセージで送る。
「今日は部活休む」
すぐに既読が付いた。
十秒くらいして、返信がある。
『わかった』
『伝えておくね』
それだけだった。
家に帰ると、母は出かけているようだった。弁当箱を洗って、課題を片付けるため机に向かう。
しかしすぐに、その手は止まる。考えないようにしても……むしろ、考えないようにすればするほど、強烈に瑞恵のことばかりが浮かんでくる。
(しんどい。関われないことも、避けることも……)
また勉強机に突っ伏しては、もはや何も手につかなくなる。
どのくらいそうしていたか、スマホが通知を告げて震える。
のそりとスマホを掴み、画面をつける。瑞恵からだ。二件来ていて、開いてみる。
『ここのところ』
『忙しい?』
返信。なにか返信、しないと。
(ああ、もう。本当にどうしようも……)
夕ご飯の声がかかって、ふと目を覚ますのだった。
―――
木曜日の朝、スマホのアラームで起きた。
アラームを止め、その腕でだらりと両目を覆い隠し、カーテンの隙間から差し込む日光を遮断する。
昨日よりは遅いが、いつもよりは三十分ほど早い時間。
(起きたくね……)
そんな、しようもないことを考える。考えて、それでも仕方なしに体を起こす。
洗面所へ顔を洗いに行って、ふと鏡に映る自分に気づく……ヒドイ顔をしていた。
だらだらと、登校の準備を進めていると。切り忘れていた、いつもの時間のアラームが鳴った。それをオフにして。
支度を終え、昨日よりもさらに早くに家を出る。
「いってきます」
「今日も早いのね?」
不思議そうな母。
「うん……しばらく、この時間で行くかも」
「ふーん? 行ってらっしゃい、気をつけてね」
今日は、さすがに瑞恵と会わずに済んだ。
先に行く旨をメッセージで送り、つまらない通学路を行くのだった。
教室につくと、さすがに一番ということはないものの、まだ人はかなり少ない。
扉を開けると、何人かがちらりとこちらを見る。畑中も佐藤もまだ来ていなかった。
思えば入学してからこちら、ほとんどが瑞恵とギリギリの時間に来ていたので、ここまで早いのは初めてだった。(というより、生まれて初めてかもしれない……)
席について、見るともなしにスマホを眺めて過ごす。
「げぇっ、俺より早い!?」
「まあ、なんかね」
その内、教室に入ってきて朝からブレないテンションの佐藤に、声をかけられる。いつもだいぶ早くに来ていたらしいことを、今日初めて知った。
「よ、二人とも。倉宮は今日も、一段と早いな」
「はよ」
「聞いてくれよ、こうた俺より早かったんだぜ?」
佐藤と話していれば、しばらくして畑中もやってくる。クラスの中も、半分くらいは埋まっただろうか。
「ほーお? って、お前が来ている時間を知らねーよ」
「いっつも俺より遅いもんな!」
「そういうことだ」
始業時間が近づいてくると、続々と生徒がやってきて。やがてホームルームの前に、担任の斎藤先生も入ってくる。
始業のチャイムがなって、ふとすぐ横の廊下側の窓に目をやり――
「あ……」
思わず、声が漏れる。
鞄を持って、自分の教室へと駆けていく瑞恵を見た。
「今日もぉ、遅刻欠席はなしだね。それじゃぁ、ホームルームは終わるよ」
担任と入れ違いに、科目担当の教師が入ってきて、一限目が始まる。
相変わらず、昨日と同じようにして休み時間を過ごしていた。
「次、移動だぞ?」
「行こうぜ~」
「ああ」
二人と共に、教材と筆記具を持って教室を出る。
「あっ……」
「っ!」
「お、みずえっちゃん」
移動の途中で、運悪く。反対側から教室へ戻る途中の瑞恵と、鉢合わせてしまった。
「浩太くんたちも次、移動なんだ……」
「ああ、まあ……じゃ」
顔をそらしつつ、なんとか、それだけは返す。
「……うん」
逃げるように、ろくに平静を装うことも出来ずその場を後にした。
「ああっと、またね」
「そんじゃあ、俺たちも」
「あ、うん。バイバイ」
すぐに二人も追いついてくる。
「……」
「……」
重たい沈黙が、背中越しにもわかる。こちらから何かを、言うべきなのに……。
「ごめん」
「お、おうっ……」
言えたのは、そんな一言だけで。目的の教室に入り、それぞれの席へと別れた。
座席について、机に額を押しあてる。本気で最悪の気分だった。
「ねえ、だいじょうぶ?」
やってきた隣の席の女子――顔を上げると、雲出さんだ――にそう尋ねられた。この教室は席の並びが名前順なので、倉宮の一つ前である彼女が隣となっている。
「……平気だから、気にしないで。ごめん」
「なら別にいいけど」
それで、こちらからは視線を外す。真顔で抑揚も乏しいので、前は若干怒っているのかとも思っていたが。その実、わざわざ声をかけてくるあたり、ちゃんと心配をしてくれているのだろう。
また、周りの人に気を使わせてしまった。みんなに迷惑をかけて、本当に……申し訳なさすぎる。
「なあ畑中って、今日部活休みだったよな?」
昼ご飯を食べながら、そう聞いてみる。
「ん? どっか行くか?」
「お、じゃあカラオケ行かね?」
そう提案してくる、佐藤だけど。
「佐藤は今日、美術部じゃないの?」
「別に出なくても何も言われねーし、俺抜きで遊びに行くとか許さねーって」
「んじゃあ、カラオケ寄ってくか」
放課後に遊びに行く約束を済ませ、弁当も食べ終えたので立ち上がる。
「それじゃ、ちょっと……」
今日もまた、図書室に向かおうと思い。
「お、また行くんか。昨日といい、どこ行ってんの?」
佐藤が聞いてくる。
「んーと、人の少ないとこ……?」
「疑問形なのな」
あいまいな答えに、畑中からは苦笑される。
「いってら~」
佐藤に手を振られながら、教室を後にする。
その後も、瑞恵と会うことはないままで放課後になり。
友だちと遊びに行くことを、メッセージで送っておく。
「今日は二人と帰る」
すぐに「了解!」というスタンプが返ってきた。
「行こうぜ!」
佐藤の声で、教室を出て。駅の近くにある、カラオケ店へと向かった。
三人で二時間ほどを歌って、ここのところの沈んだ気持ちも少し晴れた。
「なあこうた、みずえっちゃんとケンカしたん?」
店を出たところで、佐藤からそう切り出されてしまう。
やっぱり、二人にも伝わってしまっていた。
「……してない。ケンカなんて、してないんだよ」
ケンカの方が、ずっとマシだったのに。
二人は顔を見合わせ……
「まあ、また遊ぼうぜ!」
「困ったときは力になるぞ」
やばい。ちょっと泣きそうになってしまう。
「……二人とも、マジでありがとう」
久し振りに、心から笑えた気がする。
それを見て二人も、笑い返してくれた。
「ただいま」
家に入ると、甘い匂いが広がっていた。
母がお菓子を作っているのだと、わかる。
「あ、ちょうどよかった」
リビングへ行くと、どうやら作り終わったらしい母がエプロンを脱ぎながら、ラッピングされた小袋を渡してきて。
「これ、みずえちゃんの所に持って行ってくれない? おすそ分け」
「えっ、いや……」
「お母さんタイムセールで行かなきゃだから、お願いね」
そう言うとすぐ、マイバッグを持ってリビングから出ていく。
断るタイミングを、逃してしまった。
小袋を持って、道路の反対側へ。
いつまでもこうして、人の家の前で立っているわけにはいかない。どうか瑞恵が出ないでくれ、そう祈って。
ピーン、ポーン。
『はーい、こうたくん?』
よかった。出たのは瑞恵のお母さんだ。
「あの、母からおすそ分けを頼まれたので……」
『そう! わかったわ、今出るから』
すぐに、夕飯を作っていたところらしきエプロン姿の恭子さんが、玄関から出てくる。
「これ、今日母が作ってたので」
「あらいい匂い。嬉しい、きっとあの子も喜ぶわね」
「それは、よかったです。母にも伝えておきます」
「いつも悪いわ、今度お返ししなきゃ」
無事になんとかなって、ほっとする。
長居はしたくなくて、もう帰ろうと思った矢先。
「そうだ。せっかくだから、上がって会っていったらどう? 直接お礼も言えるし。何なら一緒に……って、お夕飯前かしら?」
その提案に、ドキッとする。普段なら、別段断る理由もなかった。でも今は絶対にダメだ。
小さく息を吸って、できるだけ平然を装いながら。
「今日は、やることあるので……」
「そうなの? じゃあ呼んで――」
「あの! 俺もう行きますね」
咄嗟に声を上げてしまい。慌てて会釈だけ残して背を向ける。
玄関にまで入ったところで、扉に背中を預け。天井を仰ぎ、後頭部が扉に当たって、それから大きく溜息をついた。
(もうこんな生活……)
早く、早くなんとかしないと。
でもいったい、どうすればいい?
しばらくして、瑞恵からスタンプが送られて来たので、チャットを開く。
『ありがとう!』
お辞儀をする、かわいいキャラのスタンプ。
昨日は返信をし忘れていたことに、今更気づいたが。
「伝えとく」
それだけを返すと、スマホの画面を落とした。




