起
倉宮浩太(高校一年生)の呪いと、恋の話。
六年くらい前の、ある日のこと。
「ただいま…………」
我が子の帰宅を、母親が出迎える。
「おかえり、こうた。あらどうしたの、そんな顔してっ?」
玄関で俯いたまま立ち尽くす息子に、彼女は両膝をつき、目線を合わせた。
「……」
黙って涙をこらえている彼の頭を、母親はそっと撫でる。
「イヤなことあった?」
少年は、こくりと頷く。お母さんは優しく彼を抱きしめ、宥めた。
やがてその子は、固く引き結んでいた口を開き。彼女はじっと、息子の言葉に耳を傾ける。
「今日、ね、うぅっ……クラスの子にこく白したら、ひっく」
話し始めたその目には、涙がにじみ。だんだんと嗚咽がまじりだす。
「ぼくのっ、ことなンて……好きにな、らないって……!」
そこまでを言うと、こらえていたものが決壊したように、泣き出してしまう。
「よしよし、つらかったよね……」
頭と背を撫でてやりながら、優しく声をかける。次第に母親の、我が子を抱く腕にぎゅっと力が込められていく。
「ごめんね。ごめん、ね……!」
「?」
その子は、突然どうして謝られたのかが分からず、その涙目を向けた。
「おかあ、さん?」
「……お母さんね、あなたに伝えなきゃいけないことがあるの」
彼の両肩に手を置き、少し身を離して真正面から向き合い…………
その時の、困ったような。泣きそうな母の顔が、忘れられなかった。
―――
俺には一つ、呪いがかかっている。
『あなたが恋をした相手が、あなたのことを好きにならない』
のだそう。初めての失恋を経験した日、母からそう聞かされた。
こっぴどくフラれて帰ってきたその直後に、急にそんなことを親から告げられたショックで、家を飛び出していったのを覚えている。
「じゃあ、行ってきます」
「はい。気をつけて」
玄関まで見送りに来てくれた母へ声をかけ、扉を開ける。今日は月曜日で、週の始まり。一日中晴れの予報だ。
呪いを知った、あの日以来。
基本的に恋愛事からは、距離を置くようになった。自分には関係ないと、恋愛ものの作品も避けて過ごしている日々だ。
必然的に友人との恋愛話なんかも、苦手である。とは言うものの、こちらに気を遣っているわけでもないと思うのだが、ほとんどその手の話題にはならなかったりするけれど。
ともあれ、中学生のころまでは異性との関わりだって、多少なりとはあった。しかし高校に入学して、もう半年近く。今ではどうしても必要なとき以外は、できるだけ避けるようになっていた。
ただし、一人を除いて。
ピーン、ポーン。
いざ学校へと出発する前に。同行者を迎えるため、お向かいさんの家のインターホンを鳴らす。
すぐによく知った女性の声で、応答があった。
『こうたくん、ごめんなさいねすぐ行かせるから! ほーら、こうたくん来たわよ!』
『ふぁ~いっ』
インターホン越しに、注意する母親の声と、気の抜けた返事という、いつものやり取りが聞こえてくる。
その一人というのが、ここ赤野家の一人娘で、同い年の瑞恵だ。両家は昔から家族ぐるみの付き合いであり、物心がつくより以前から一緒の、家族みたいに育った幼馴染。
そして両親以外で唯一、俺の呪いのことを知っている人物だったりもする。
ほどなくして、「いてきまふ」という貧弱な挨拶と共に、玄関から制服姿の彼女が出てきた。その後ろで、瑞恵のお母さん――恭子さんが、小さく頭を下げてくれる。
「うう、こうちゃんごめんね」
「いつものことだろ。けどのんびりしてると、遅刻しちゃうぞ」
「やぁだ~~」
瑞恵は朝にとても弱いので、昔っから毎朝だいたいこんな調子。もうあまりにも、慣れ親しんだものだ。
ふらゆらと歩くこの寝坊助を、本日も無事に学校まで先導するのが、最初のお仕事である。
とはいえ、特に何事もなく。いつも通り、校舎内までたどり着くことに成功。
「ほらもう、ホームルーム始まるぞ。また後でな」
「わかったぁ……」
残念ながら高校生活一年目は、別々のクラスとなってしまっていた。そんなわけで、まだ半覚醒くらいの瑞恵とお別れをして、各々のクラスへと入っていった。
廊下側の前から二番目、自らの席につけば、友人たちに声をかけられる。
「おっすこうた! 相変わらずギリギリだな」
「おはようさん、倉宮」
元気で平均身長くらいの佐藤と、落ち着いてて平均身長以上も背丈のある畑中のコンビだ。
「ああ、おはよう」
挨拶を返し、三人で軽く話していると。始業のチャイムが鳴り、担任教師による朝のホームルームが始まった。
彼は一限目の国語科も担当しているので、そのまま授業へと突入する。
「今日はぁ、欠席なしだね。それじゃぁ、授業やっていくよ」
――そもそも、呪いとは何なのか。
この世界にはわずかな割合で、呪いを持って生まれてくる人たちがいる。それらは現代の科学では説明できない、不可思議な力でもってして、呪われている人に多種多様な形で作用する。呪いの内容はそれぞれに固有で、内容によっては外から一目見てわかるようなものも、ある……らしい。
病気などとの明確な違いは、遺伝子情報などに関わりなく、無作為に発生するとされていること。また人から人へと移ることも、その生涯で解けることも決してないと言われている。
このような超常に対して現段階では、いかなる解決策も見つかっていない。
現状で行われている、唯一ともいえる対応措置として、わが国においては生まれてきた子どもへの、検査が義務付けられている。大抵、大きめの医療施設にて無償で検査が受けられる。これにより呪いの有無、またその内容を知ることができるのだ。
検査をするのは、国から特別な資格を与えられた者で、採血されたものを特別な機械にかけていると前に聞いた。そして呪いがあると判明した際には、支援制度もある。
本人及びその家族のカウンセリングであったり、その他に経済的な支援もあるという話だ。こちらは、呪いの内容次第で、必要と認められた場合に限られているが。
そんな呪いのことが、世界的に広く認められるようになったのは、近代以降のこと。現在は、国内外の学者たちの手で多方面からの研究がなされている最中でもある。最近の調査では、歴史上にもチラホラとそれを思わせる資料が散見されていて、研究が進められていたりするのだとか。
ただ実際のところ呪いは、いつから存在していて、これまでにどんな呪いが、どのくらいあったのか……といったあたりのことは、絶賛研究中なのだそう。
と、ここまでがおおよその教科書的な説明となる。学校教育でも一部が取り上げられ、また教師についても、最低限の知識が求められるようになった。
そうは言ったところで結局、今はまだ呪いの根本的な部分はまるで解明できていない、というのが実情。テレビや雑誌などでも時々取り上げられることがあり、ネット上でも記事や掲示板、動画配信等によって呪いのことに触れられる機会はある。
しかし、明らかになっている情報の足りなさ、あやふやさから、世間では様々な風説が蔓延してもいる。特にネットではそれが顕著で、神罰だとか、前世の罪、大地の怒りを謳う新興宗教、古の魔女がどうのこうのという人、都市伝説的なものから果ては陰謀論まで。はっきり言って、なんでもありな始末だ。
などとは言っても、基本はマイナー扱い。単純に呪いを扱っている情報自体が少なくて、普通に生活する中ではそうそうお目にかかることもないのだけれど。
―――
「授業終わるぞー、号令」
四限目が終了し、昼休みとなった。教室中に、だらけたムードが広がる。
「うし、飯食おうぜー」
弁当箱と椅子を持って、後ろからやってきた佐藤。
「おっけ」
筆箱などの教材をまとめて、机の中にしまう。
「よっこら、そっち寄せてもらっていいか?」
同じように、すぐ左斜め後ろの席から畑中も来る。
夏休み明けの席替えで、佐藤一人だけ教室後方の離れた席となっていた。
それについては、「なんで俺だけ!」と嘆く佐藤に。「前の方を選択しなかったからだろ?」と、畑中が冷静に返し。いわく、「前の方じゃ、寝れないじゃん!」とのこと。前方希望者と、それ以外とに分かれてのくじ引きという形式だったので、こうなるのもやむなしだ。
それはそれとして、机一つに三人分の弁当を広げるとなれば、さすがに手狭という他なかった。
食事が終わった後も、その流れで雑談タイムに突入する。
「……くっつかないけどな」
「あっれー、おかしーな?」
机の上に、一枚の千円札を広げて、あーでもないこーでもないと三人で突っついていると。
「お前、ガセネタかー?」
「んなわけねーって、昨日のテレビで――」
「なにしてるの?」
すぐ後ろから、女子の不思議そうな声がかかった。
「あれ、瑞恵?」
そう聞きながら振り返れば、いつの間にかこちらの教室へとやって来て、すぐ側で立っていた。
「ちわっす、みずえっちゃん!」
「こんにちはー。それで、みんなは何してたの?」
佐藤に挨拶を返し、小首をかしげる。
机の上には、一枚の千円札。それを取り囲む、三人の男子高校生。そして各人の手には、黒板から拝借したカラフルな丸っこい磁石、ときている。
「あ、もしかしてお札が磁石に反応するってやつ?」
なんでわかった?
「おー、みずえっちゃんも昨日のやつ見たんだ」
「そうそう。びっくりしちゃった」
ということらしい。
「でも別に、くっつかないんだよな……」
そう、特に反応している様子が見られない。
紙が磁石に反応するなんて、一体どういうことなのか。
「冷静に考えると。札が磁石にいちいちくっついてたら、不便じゃないか?」
畑中の鋭い指摘。佐藤も、はっとして。
「たっ、たしかに! もっと強力なのじゃないと、だめなのかなぁ……」
するとそれらのやり取りを横で聞いていた瑞恵は突然、芝居っ気たっぷりに。右手を口元に添え、声を低めて喋りだす。
「ふっふっふー。私から諸君らに、知恵を授けよう!」
「なっ、まさかっ! 何か秘密があるとでも言うんですか!」
なぜか佐藤も、ごく自然に応じている。
「なんだよそのノリ。てか瑞恵は、何のキャラの真似だ」
「前に読んだ推理小説の、探偵かな?」
「そこ、疑問形かよ」
ついつっこんでいると、畑中が話を先へ進めてくれる。
「で、結局コレはどうすればいいんだ?」
「それはね。お札の真ん中の折れ目を、立てた指の爪の先にのっけて。インクの濃い部分に、そっと磁石を近づけるの」
「ほうほう、なるほどっと」
早速佐藤が、言われた通りにやってみる……と。
「う、うごいっ……た?」
「息じゃね?」
「みんな、息止めてくれ!」
全員で息を止め、リトライ。
すると……ゆっっくり、磁石の方へとお札が動く。
「……! んむ、んっ!!」
「いや、普通に喋ってくれや」
興奮した様子の佐藤に、畑中の冷静なツッコミ。
「いま動いた動いた!」
「マジか? 超地味だったな」
「ちゃんと動かすには、色々とあるみたいなんだけどね」
畑中氏の率直な意見に、瑞恵がフォローを入れる。
「んー。こっちからだと、イマイチ指からの振動と区別できないのよな」
「こうたもやってみろって!」
お札を渡され、立てた左手の小指にのっけて。数字と肖像のあたりに右手の磁石を近づけると、たしかにそっちの方へ引き寄せられているような感じ。
「お、マジだ! 動い、ってる――」
「ふぅー」
ここで赤野瑞恵さん、突然の暴挙。
「ちょ、おまっ!?」
ひらひらりと、野口大先生が舞い落ちる。
慌ててキャッチしようとした動作に吹き飛び、机のお外へと旅立ってしまう。
「俺の千円札ぅ!」
佐藤が情けない声を発して、急いで拾いに行く。
「ご、ごめんね! ちょっとしたイタズラのつもりだったんだけど!」
「いや、イタズラするなって!」
ごめんっ、と両手を合わせて謝る瑞恵。
「いやぁ、ダイジョブダイジョブ! おっけー!」
即座に拾って戻ってきた佐藤が、朗らかに許す。
帰ってきた佐藤に、畑中が片手を差し出し。
「ちょっと俺にも、千円貸してくれよ」
「カツアゲっ!?」
そんな二人の繰り広げるコントを尻目に。
一段落ついたところなので、彼女には気になっていたことを聞いておく。
「ところで、なにか用事だったのか?」
「あ、そうだよ! りさちゃんに用があるんだった!」
リサちゃん、というのは。このクラスの一人である、雲出 理冴のこと。瑞恵の友だちで、中学が一緒だった。小学校の時に瑞恵が通っていた、水泳教室が一緒だったそうで、二人は小学生のころから交流があったのだとか。
中学の時にも一度、同じクラスになったことがあるのだが。「雲出」と「倉宮」、名前順で並ぶと近い位置同士だったという縁があったりはする。とは言っても、特に接点が多かったわけではなく。
オシャレ女子のグループに属していて、派手だったり、遊んでいたりするような噂は聞かないものの。その一方で、男子相手だと少し冷めているというか……あまり笑っているのを見た覚えはない。なんにせよ、その程度にしか彼女のことを知りはしないのだ。
「じゃあ私行くね」
「ああ、またな」
「みずえっちゃんありがとね!」
「どういたしまして」
軽く手を振って、窓際にいる女子たちの方へと歩いて行った。佐藤は、未だに悪戦苦闘中の畑中の方を向くと。
「ほらな! やっぱガチネタだったろ!」
「ほざけ。ほぼ赤野のおかげだろ」
ドヤる佐藤に容赦ない畑中。そんなことをしていれば、もう昼休みも終わり間近で。
畑中も満足したあたりで、とりあえず磁石を元の場所に戻すことに。
「で、なんで磁石に反応するんだ?」
「え? なんでだろ」
「……調べるよ」
ネットによれば、使われているインクに少量の鉄が含まれているのだそう。
帰りのホームルームが終わって。
特に放課後の予定もないので、瑞恵と合流して帰ろうと思っていたところ。本人からメッセージが飛んで来た。
『今日活動日だった!』
どうやら瑞恵は、美化委員の活動日らしい。「お仕事です!」という、なにかのアニメキャラ? のスタンプも続けて送られて来た。
「了解」
こちらもスタンプで返す。こういう、どちらかに予定が入っている日は、別々に帰るというのが常だ。
借りていた本を読み終えていたのを、ふと思い出したので、返しがてら図書室へと寄ってから帰ることに。ついでに何か、面白そうな本でもあれば借りていこうか。
カウンターで返却手続きを済ませたあとで、ふと新刊入荷の棚が目に入った。
聞いたことがある作家の本。ちょっと手に取る。
……
…………
「そろそろ閉めまーす」
閉室を促す合図に、はっとする。時刻はもう夕暮れ時に差し掛かっていて、遠く西の空がオレンジに染まっていた。
ほんの少し眺めてみるだけのつもりが、ついつい読みふけってしまった。
(瑞恵も、好きそうなやつだったな)
などと考えながら、図書室を出る。
急いで帰ろうとしたのもつかの間。唐突に思い出したことがあり、バッグの中を探ってみれば……教室に、課題を置き忘れてきたことが発覚する。それでとりあえずは教室にまで来てみたものの、淡い期待に反して、当たり前に鍵がかかっていた。
仕方がないので職員室へ行って、鍵を借りてこようと、歩き出し、通りかかった、隣のクラス前。
瑞恵の教室だと思って目を向け、廊下側の窓から見えたそこには、まだ生徒が残っていた。
(あれ、こんな時間まで……?)
オレンジ色の背景に、二人の男女。女子の方は一目でわかった、瑞恵だ。ここからだと、表情までは見えないが。
もう一人はクラスメイトの男子だろうか、誰かは分からなかった。
何をしているんだ?
そう、思う一方で。なにか特別な雰囲気を、感じてもいた。
夕日が照らす教室、向かい合って立つ二人。その様はまるで、なにかの作品のワンシーンみたいで。
だからだろうか。この胸がうるさく鳴るのは。
声は聞こえなかった。
それでも彼女が深く、お辞儀したのを見て。
理解した。
顔をそらす。
それ以上は、見るべきではないと感じていたから。いけないことだと思うし、それに……見ていれば、取り返しがつかなくなってしまいそうな。何故だかそんな感覚があった。
足早に立ち去る。
(胸の辺りに広がる違和感。これは、ざわつくこの感じは……なんなんだ)
――いったい、なにをそんなに動揺することがあるのか。
それを深く考えるのは、やめにした。
結局その日の帰り道は、覗きの罪悪感で心がもやもやとしっぱなしだった。