【短編】バッドスタートを回避したヒロイン3のその後のその後
「運命の経路が途切れた今。……貴女はこの先、どのような行き方を考えているのですか?」
そう声をかけてきたのは、《聖歌教会》の教えでは絶対悪の魔人だった。 黒のシルクハット、黒の燕尾服に、蝶ネクタイをつけた美しい青年で、名前はリュビ様。商業ギルドのオーナーだ。整った顔立ち、銀髪の緋色の瞳は黒い服装によく似合っていた。
私の運命が大きく変わったその日に言われた言葉。
私は生まれた時から、孤児院の前に捨てられていたらしい。だから両親の顔も覚えてなければ、記憶にもない。
この世界は理不尽で、不平等で、それでもちょっとした幸せは残していると思えたのは、私が一人ではなかったからだろう。
もし、私の大事な修道院が奪われたら、きっと私は世界を、全てを憎んで、恨んだ。
これは、そんなバッドスタートを回避したその後のお話だ。
***
運命の出会いというのがあるとしたら、間違いなくエステル様との出会いだろう。あの日から、修道院の暮らしは大きく変わった。
冬にひもじい思いをすることもなくなったし、古着を何度も縫い直すこともない。
新しい修道服は冬服用で着ているだけで温かいし、一人何着もある。ブーツもサイズにぴったりで、灰色のコートがふかふかで着心地がいい。
壁の修理や内装、調度品など生活環境も大きく変わった。ベッドも藁じゃなくて、ちゃんとしたもので、シーツや毛布まである。でも、一番嬉しかったのは食事だ。
エステル様が考案した安くて、栄養価が高い料理レシピ方法をリュビ様に売ったらしく、その金額で私たちの修道院の食費に充ててくださったのだ。
今年の冬は誰も死なないで済む。それが奇跡のようなことだというのに、エステル様は毎回会うたびに私たちを大事にして、泣かせに来るのだ。
エステル様は今日も目映いほどに輝いている。見たことのない焼き菓子を並べる姿を見るだけで胸が熱くなった。
「気持ちは分かるけれど、貴女も手伝いなさいよ」と、窘めるのはエステル様の婚約者であられる魔人だ。
「はい!」
「今日は希望のアフタヌーンティーです! ケーキスタンドをギルに作って貰って一人三段まで食べるのです。下段はハムとチーズと、ベーコンとシャキシャキレタスのサンドイッチ、中段はスコーンに、マカロン、イチゴのムースと、レアチーズケーキ、そして上段はイチゴの生クリームケーキに、プチシューとフルーツ盛り合わせです!」
「流石です女神様!」
「違いますよ?」
「そうよ。私のエステルなのだから、女神なんかじゃないわ」
このギルフォード様は、女口調だがれっきとした男だ。人間では到達できない美の最高峰と言っても、過言ではないだろう。もっとも私の目には黒い捻れた二本の角も、尖った耳も見える。魔人だとしっかり認識している。
普段は認識阻害の魔導具を駆使して、人間に溶け込んでいるとか。女神信仰では、魔族は完全悪と教わってきたが、実際に対面した魔族はある意味、人間よりも紳士的で階級などで差別することはない。
そしてこの上級魔人は、エステル様の婚約者なのだ。悪感情など抱くはずもない。何より修道院の環境改善に尽力してくれて、莫大な援助もしてくれた。
貴族でも、国でもない。魔人が、だ。
(経典に書かれた魔人とは違って、品格も理性もある。そして紳士的だ……)
「今年ももうすぐ終わりか」
「そうね。来年のエステルの目標は?」
何とはなしに、来年の話になった。
目標。エステル様はどんなことを考えるのだろう。興味があって、耳をそばだてる。
「来年はギルとお家ライフを満喫して、ときどき旅行でしょう。それと美味しい日本食を含めた色んな料理をいっぱい作って、ギルと一緒に味わうかな」
「エステル。ええ、私も賛成よ」
それは普通の女の子が夢見る、可愛らしい願いだった。
地位や名誉や、賞賛、莫大な富なんかじゃなくて、けれど、かけがえのないものだと、この方は知っているのだ。だからこそ自身の手が届く範囲のものはなんとかしようと、一生懸命に動いてくれる。
(そんな方だから、ここに集まる魔人や精霊王は居心地が良いのだろう。……呼んでもいないのにふらっと現れているのに、まったく動じてないのは流石だけれど)
菓子をじっくり味わって食べる精霊王に、観察しつつ分厚い手帳に書き殴る魔人。
そして――。
「んん。エステル、このサンドイッチすっごく美味しいわ。このマスタード、すっごく美味しいわ。こっちのハムとチーズも最高よ」
「えへへへっ、アフタヌーンティーだから張り切っちゃった!」
仲睦まじいお二人。ずっと見ていられる。そんな幸せを体現しているエステル様は、ふと私に視線を向けてくれた。
「アリスは?」
「え?」
「どんな来年にしたい?」
そう問われたことで、未来が明るいものだと自分が許された気持ちになる。
息を吐く暇もなく幸せになった人間は、その環境に戸惑い、幸福と言う温かなものに潰れそうになる。
温かくて、優しくて、心地よい。
ずっと続いて欲しいと切望する一方で、長続きしない儚い幻想あるいは夢だと、幸福を受け取れずに拒絶しようとする心が動く。
「(でも……エステル様に望まれるのなら、未来を良いものとして……考えてみたい)……お恥ずかしい話、今までは生きていくことしか考えていませんでした。だから、その……まだ漠然とした感じなのです。将来どうしたいかも……わからない時、エステル様ならどうされますか?」
思わず聞いてしまったが、変じゃなかっただろうか。冷や冷やしたが、エステル様はちょっとだけ考えて自分の意見を口にする。その仕草も何だか一生懸命だが滲み出て、胸が熱くなる。
「そうですね。私も社会的に一度死んで、ただの私になった時、いきなりたくさんの選択肢が増えて、安堵と漠然とした不安で、うまく考えや行動が出てきませんでした。……でも、幸いなことにギルがいてくれたので、一緒に何がしたいか一つずつ付き合ってくれたんです。最初は冒険者なんてのもカッコいいかなって思ったのだけれど……私に戦闘スキルはゼロでした」
悲しそうに眉を下げて俯く姿は、不謹慎かもしれないがとても可愛い。
「エステル、どうしても迷宮に行ってみたいのなら、私と一緒なら連れて行ってもいいわよ?」
「ギル……。ハッ、ギルのカッコいいところが見られるなら、行ってみたいかも!」
目を輝かせて笑顔になるエステル様はやはりさすがで、ギルフォード様は一瞬で心臓を撃ち抜かれたようだった。
「あーーーー、もう可愛いっ、可愛すぎるっ!」
(社会的に死ぬ……やっぱり、エステル様にはエステル様の苦労があったのですね)
それでも他人を思いやれる心は、素晴らしいと思った。
「冒険者……」
「いいんじゃない? あなたの場合はもともと戦闘センスありそうだもの」
「え」
「そうなの、ギル?」
「ええ。……と言うか普通に少女一人で一人旅ができている段階で、そこらの野盗よりも強いわよ」
「でも冒険者だと危険もあるから、一人で登録させないほうがいいんじゃない?」
「(まあ、ヒロイン3の戦闘力なら問題ないけれど、何らかの運命の経路が残っているのもアレだし、こちら側の監視を付けておいたほうがいいかもしれないわ)んー、まあ、そうね。エステルがそう言うのなら、リュビ」
分厚い手帳を閉じると、リュビ様は「そうですね」と紅茶を口にしつつ思案する。悪魔のような何処か愉悦に浸った顔を見る度に、この人は人間ではない別の種族なのだと思った。
だからどうだとかはないけれど。
「それなら荷物運搬用の護衛強化を考えていましたので、一時的にアリス様を護衛者育成要員として我がギルドから冒険者登録するのは、いかがでしょうか。その際に彼女のパートナー兼保護者として従者見習いを付けます」
「え、でも、あの」
「じゃあ、それで!」
私が口を挟む前にエステル様は即断即決してしまう。なんて豪胆かつ頭の回転が速い方なのだろう。
「それでは見積もりについてですが」
「エステル、私が払っておくわ」
「いいえ、ギル。私が頼んだのですから支払いは私が。……季節限定クレープ三種類のレシピ交換、それと実食会でどうでしょう(顔見知りの実食会は結構楽しいんだよね)」
「報酬としては充分かと。……ギルフォード様」
「そうね。アフタヌーンティーの準備でここ最近は忙しかったから、実食は年が明けてからの予定にして(年明けは二人でイチャイチャするんだから、絶対に予定なんて入れさせないわ)」
「承知しました」
あっという間に話が進んでしまい、取り残された私にエステル様は少しだけ困った顔で微笑んだ。
「出しゃばってごめんなさい。でも何かを始めるときに、一人じゃないほうが良いんじゃないかなって思ったの(ヒロインだけれど何かったら大変だし)」
「エステル様……も、そうだったから、ですか?」
「うん。私にはギルという信頼できる人がいたから、心の支えになったの。アリスは器用だし、強いから一人でも大丈夫かもしれないけれど、一人だと無理をしちゃうかもしれないでしょう」
「それは……そうかもですね」
「だからちゃんと頼れるための練習をしてください。私も一人で何でもしようとして、いっぱい空回ってしまったので、参考になればよいのですが」
「いいえ。……いいえっ、私に素晴らしい選択肢を用意してくださって嬉しいです」
いつかエステル様に恩返しができるように、私の得意分野を伸ばしていこう。
それから自分でも新しい試みを幾つか試してみた。料理などは真っ黒な何かを生み出し、エステル様が「え、ダークマターの再来?」と青ざめてギルフォード様を見ており、彼は「いや彼女は単に下手なだけであって、私のような副作用じゃないわよ?」と心を抉るお言葉を賜った。
リュビ様からも「できるだけ調理は控えてください」と三回も言われてしまって、凹んだ。掃除や裁縫は普通。やはり剣を振るうことや攻撃系魔法を駆使するのが得意なようだ。
***
「本来であれば、冒険者であるエドモンドに案内を頼もうとしたのですが……また勝手に旅に出たらしく……もし見つけたら、無理矢理捕縛してでもこちらに返送してください」
「は、はい」
リュビ様は滅多に怒らないのだが、今日に限って言えば目が笑っていなかった。剣呑な雰囲気を纏ったリュビ様を見て、この人は絶対に怒らせてはいけないと心の中で誓った。
「さて、貴女のパートナーとして顔見知りのほうが気楽かと思いまして」
「あ」
「お久しぶりです。アリス嬢」
「アクトさん」
彼はエステル様の手紙や菓子を届けてくれるリュビ様の部下の一人だった。いつも黒のロングコートを羽織って、マフラーや手袋などかなり厚着しているイメージが強い。
赤銅色の前髪は左だけ長く、片目を隠していて、本来の姿では片角が額にあるのが見える。エステル様風に言えばソウショクダンシらしい。背丈は私よりも少し高いが、童顔なので子供っぽく見えるとか配達の時にぼやいていた気がする。
「彼は前衛、後方支援から何でもできるオールラウンダです。それなりに場数も踏んでいるので、何かあったら真っ先に盾にしてくださいね」
「盾……」
「ええ、アリス嬢の盾ぐらいお安いご用です!」
あまりにも爽やかに言うので、私は反応に困ってしまった。そんな訳にはいかないと真面目に考えてしまうのは、やはり頭が硬いのだろうか。
そんな自分に少しだけウンザリしつつも、新しい試みに期待している自分もいるのだった。
***
冒険者登録はアッサリ終わった。元々リュビ様が色々手を回してくれていたので、手続きもサインと実力テストだけで済んだ。
「B+かぁ。Aぐらい取れると思ったのに……」
「アリス嬢は攻撃にムラがあるのと、いざという時に突貫というゴリ押しなところが荒いのかと」
アクトはA+判定を叩き出していたが、よくよく考えれば魔人なので端からレベルが違うのだと実感する。しかし彼は実力を鼻にかけることもなく、私の至らない点を丁寧にアドバイスしてくれた。彼も彼でいい人なのだ。
一つの選択をするたびに、新しい選択がやってくる。冒険者のクエストなんて、一瞬一瞬の判断で状況が目まぐるしく変わっていく。私は割と柔軟に反応できているみたいで、戦う度に何となくの感覚が確信に変わるのが早かった。
「リュビ様が推察していたとおり、アリス嬢はぐんぐん成長していくので戦闘時はなかなか楽しいですね」
そう言いながら汗一つかかずに私のサポートに専念してくれた。アクトと旅をして、ただの景色が思い出になった。
一人だったらそこまで印象に残らなかった雪山や、旅の途中で見た全てが、こうも色鮮やかにはならなかっただろう。
何より野宿でも見張りが交代でできることや、一緒に食事を摂ることの温かさに凍っていた心が潤っていくのを感じられた。
「んんっ、このシチュー。すごく美味しい!」
「アリス嬢が一角兎を仕留めてくれましたからね。コイツは調理次第で肉が柔らかくなるんです」
「アリスでいいわよ」
「では、アリスと呼びましょう」
「……ちなみに、その料理ってエステル様から教わった?」
「まさか! そんな恐れ多いこと何てできませんよ。リュビ様が時々、料理を作るので器用な者は時々駆り出されるのです。私自身、料理は好きですし、何より美味しいものは空腹だけではなく、心を満たしてくれますからね」
「わかる! 美味しいものを食べたときって、幸せで、こう何でもできそうな、不思議な力が湧き上がってくるの。エステル様の料理や菓子はいつも、心躍る素晴らしいものだわ」
「ええ。あの方は、どのような方であれ同じ目線で話をしてくれて、気遣ってくださる。この間も、雪の中で配達が大変だとキャラメゥルプォップコーンとやらを持たせてくれたんです」
彼もエステル様を崇拝しているようで、彼女の素晴らしさを分かち合う同士のような存在に心から喜んだ。いかにエステル様が素晴らしいのかを語り合ったら、あっという間に時間は過ぎていった。
(好きな人のことを語り合うって、何て素敵なのかしら!)
「エステル様が我が君――ギルフォード様と出会ったからこそ、私のような半端者も人間社会で生きていく居場所ができたのです」
「そうなの? アクトやリュビ様たちって、基本的に魔界が実家的なところだと思っていたのだけれど」
アクトは苦笑しつつ、頭を振った。その時に、彼の空色の瞳とは別に、前髪に隠れた紫色の瞳が見えた気がした。
「私は魔人と人間のハーフですから、魔界出身ではないのですよ。……生い立ちも少々特殊でして、貴族の家に生まれてから軟禁に近い状態だったのですが、それをギルフォード様経由でリュビ様が解決してくださったのです。私は……その、アリス嬢、いやアリスと似て運命の経路に関わる存在だとか」
「え、アクトも?」
「はい。私の場合は、シリィーヴゥズ2のラスゥヴォスらしく、あのまま貴族の屋敷にいたら、周囲に漏れていた瘴気で悪変して、危なかったそうです」
「シリィーヴゥズ2? あ、私はエステル様からシリィーズゥ3のヒィロウィンだって言われたことがあるわ!」
時折、エステル様とギルフォード様は、不思議なワードを交えているが、きっと私のような一般人には分からない崇高な話なのだろう。
「だから私はギルフォード様とエステル様に、いつか恩を返したいと思っています」
「私も! エステル様が私の世界を変えてくださったの。誰も助けてくれない、見て見ぬ振りをしていた中で、あの方だけは自分の服が汚れるのも構わずに助けてくれた」
あの日のことを私は生涯忘れない。
祭の賑やかな声、青い空、私に駆け寄った、美しくて神様よりも神様のような人を。
「わかります。これからもギルフォード様やエステル様のために、自分を磨いて行きましょう」
「ええ!」
その日からアクトとの距離がグッと近くなった。同じ人たちを思う同士ができるというのはとても嬉しくて、胸が温かくなる。
***
そうやって私とアクトは、冒険者ギルドからの依頼をこなしていった――そんなある日。
ジャジャガイモと言う特産物の収穫があるという北の領地の依頼を受けることになった。
冬に畑を荒らす大暴食ウサギが出現して、ジャジャガイモを根こそぎ奪っているとか。領主を含めた屈強な農夫たちも戦ったのだが、俊敏さにやられてしまい足を怪我してしまったそうだ。
「このたびは辺境の地までお越し頂きありがとうございます。私はこの領地を治めるグリフィンと申します」
そう言って松葉杖を片手にしながら、優雅に一礼したのは、貴族風な雰囲気の男だった。ただ毎日泥だらけになりながら畑仕事をしているらしく、領民からは慕われているようで、ここに来る途中、お見舞いに訪れる者たちとすれ違った。
(貴族だけれど、領民に慕われているなんて、良い人なのかも?)
「冒険者ギルドから依頼されたアクトとアリスです。早速なのですが、大暴食ウサギは夜行性だとか。今日の夜にでもある程度数を減らしたいのですが……」
「それは心強い。罠なども仕掛けてみたのだが、思いのほか勘が鋭いようで……」
話を聞き、早めの夕食を摂って夜の襲撃に備えることになった。グリフィン様は豪快かつ明るい方で、貴族の食事だけれどマナーには煩くないらしい。
(ジャジャガイモを使った料理……どんなのだろう?)
エステル様と出会ってから、食事が単なる魔力や栄養補給ではないことを知り、美味しいものを食べる機会もあったから、普通の人よりも舌が肥えている自信はある。
現に冒険者として旅をしている途中に立ち寄った、食事処では栄養価は高いが、苦い、酸っぱい、固い、まずい。
その結果、私とアクトは野宿を増やして、アクトの料理を食べるのが楽しみになっていた。素朴だけれど、スープや肉料理はとても美味しい。
シタゴシラエという工程を踏むと更に美味しくなるという。エステル様はその工程を幾つも踏んで作り上げているというのだから、あの素晴らしい味になるのは納得だった。
「さあ、精を付けるためにも、しっかりと食べてくれ!」
ジャジャガイモのガレットっぽい何か、ジャジャガイモのドロドロのスープ、蒸かしただけのジャジャガイモの塊。
(あ、これ見ただけで分かる。シタゴシラエとかしてない!)
「本当は、フレンチフライと言う素晴らしい料理があるのだが、まだ実現できていなくてな。だが、それ以外にも食べ方を工夫しているところなのだ! 冒険者の君たちの口に合えばよいのだが」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
恐る恐る食べてみると、悪くはなかった。
ただそれは、今まで食事処で出された料理に比べれば、だ。
(エステル様の作った料理が食べたい……。なんだろう。モサモサして水分ばかり奪われる……)
「(エステル様、いえ贅沢は言わないので、リュビ様のまかないが食べたい!)……何というか、独特な味ですね」
「そうだろう! しかしフレンチフライの再現は難しく、……もし冒険者で変わった料理法などがあったら、教えてくれないか?」
リュビ様ならきっと喜んで食材を買いそうな気がしたのだが、アクトは少しだけ思案した後、口を開いた。
「……それでしたら、知り合いに商人がおりますので相談してみます」
「おお! それは頼もしい!」
(リュビ様を紹介する気はないみたい? まあ、よくわからないけれど)
不思議に思ったが、今はとにもかくにもエステル様の料理が恋しくてしょうが無い。この依頼が終わったら、会いに行く口実を考えようと心に誓ったのだった。
大暴食ウサギの討伐は、思いの外アッサリと片がついた。と言うのも、瘴気による暴走で人里に降りて来ていたようで、親玉を倒したのち、アクトが交渉していた。何でも魔獣の一種だが、意思疎通ができるとのことで、難なく任務完了となる。
(思い返してみると、アクトってかなり有能なような……。料理も作れるし、戦闘もそつなくこなす。話していて、爽やかだし、好感も持てる)
完璧すぎる気がしなくもないが、それはそれで良いのかもしれない。なんて思っていた日の夜。
いつもの見張り交換の時間に、起きてしまった。二度寝をしようとしたのだが、ふと足音が近づいてくるのに気づき、音を立てずにドアの傍に歩み寄った。
靴音は二つ。女の物のヒールの音と、男物のブーツだろうか。
(襲撃……? 一応音を拾う魔導具を使用……っと)
足音は私の隣の部屋で止まった。私の隣の部屋はアクトだ。
『旦那様の──は順調です。しかしアリス様には前もってお話しされなかったのですか?』
『彼女は嘘が苦手だからな……。それに魔人でもある自分がこんな風に画策するのも、あまりいい気分にはならないだろう。──様からも、──については、できるだけ泳がせて、危険要素があるなら、事故に見せかけてもいいと言われている』
低く義務的な声で、こともなげに言う。だからこそそんなアクトが初めて人間じゃないのだと、わかった。分かっていたつもりだったが、人外らしい口調で、いる彼が別人のように思えてしまった。
(……まさか、私に危険要素があるなんて考えてもみなかった。でも、運命の経路を持つのなら、警戒するのは当然……よね)
何だか自分でもうまく気持ちを飲み込めず、その日はそのまま二度寝しようとしたけれど、寝付けなかった。
***
翌朝、寝不足で酷い顔をしていたと思う。あるいは私にピリピリした空気に、何か思うところがあったのか、アクトは「冒険者ギルド本部に戻る前に、雪宝石の祭りがある街に寄らないか」と声をかけてきた。
「あ。うん……」
昨日までは楽しみにしていたのに、何だか世界が色褪せてしまった気がした。けれどそれは、贅沢なことなのだ。
今までが甘すぎる夢だったのだ、と自分を叱咤する。
しかし、思っていた以上にショックだったのか道中では二十五回も転んで、雪の上に倒れ込んでしまう。
「おい、大丈夫か?」
「あはははっ、へーき、へーき」
「今朝からなんか変だけれど、昨日の晩何かあったのか?」
ギクリと、して彼の手を掴めずに自分だけで立ち上がった。確かにアクトの言う通り、私は嘘が苦手だ。ゲームをする時は、ゲームに集中するのでいいのだが、そうでないと顔に出てしまう。
しんしんと雪が降り落ちる。
周囲に人はいない。歩道は雪に埋もれて、雪景色がどこまでも広がっている。
僅かな沈黙ののち、私は疑問を投げかけた。
「……私も、危険分子だったら……消すの?」
「え」
彼の瞳が大きく見開き、酷く動揺しているようだった。その単語から頭の良い彼は私が何を知ってしまったのか察しが付いたのだろう。
「あーー、もしかして昨日の夜に、俺たちの会話を聞いていたのか?」
頭を掻きむしりながら、途端に口調が変わるアクトに私は身構えたのだが――。
「ああーーーーーー、マジか。頑張って良い人キャラで貫き通していたのに、やっぱ同僚と話すとボロが出るか」
「良い人キャラ……?」
「そうだよ! 俺は元来、口調が荒いから気を抜くと粗野な感じになるんだ。リュビが心証も悪いからって」
そう言って喋る彼が、初めて素を見せたのだと気付く。
粗野というが少し砕けた口調で、ワイルド程度だ。粗暴な感じはない。むしろ前髪を掻き上げて、素を出しているほうが何だかしっくりくる。
「私は素のアクトも悪くないと思うよ?」
「はあ? お前はリュビみたいなのが、好きなんだろう!?」
眉をつり上げて、グッと近づいたアクトのむき出しの感情にドキリとしてしまう。しかし彼は異なる解釈したようだ。
「クソッ、やっぱりな」
「ふふっ」
「なんだよ?」
「何だか、これが素のアクトなんだって思ったら、嬉しくなって」
「なんでだよ? 女は紳士的に振る舞われるのが好きだろう?」
「そりゃあ、そうかもしれないけれど私は貴族令嬢でもないから、アクトが無理しないで普通に話してくれるほうが気楽でいいかも」
「…………本当かよ?」
「うん」
喰い気味で頷いた。口端を釣り上げて笑ってみたが、上手くできていただろうか。
すると今度はアクトが固まっているではないか。やはり私ではエステル様のような微笑みは難しいようだ。
「お前、……それはわざとか?」
「……と言うと?」
「あーーー、もういい」
「?」
両手で顔を覆って天を仰いでいた。あれは時々、ギルフォード様がするポーズだ。魔族特有の何かなのだろうか。こういうとき他種族だと、考え方だけではなく色んなことが異なるのだと知る。
「アクトとこれからも一緒に冒険者を続けていったら、もっとわかり合えるかな?」
「おまっ……」
「あ、話が逸れたけれど私の質問に対しての答えは? 私が邪魔者になるのなら消すの? まあ、簡単にはやられないけれど!」
「なんでお前を消す必要があるんだよ? 俺は……お前のことを……」
「え。じゃあ、昨日の話は?」
「さてはお前、部分的なワードしか聞こえてなかったんだな」
アクトは何だか大きな溜息を吐いて、昨日のことを改めて話してくれた。
そこで驚いたのは、あのグリフィン様はエステル様の元婚約者で、さらにエステル様に一方的な婚約破棄を言い渡し、国外追放をさせて社会的に抹殺した元凶だったのだ。
それを聞いた瞬間、私はその場に立ち止まった。
「アクト」
「なんだ」
「私、ちょっと戻って、あの領主をボコボコにしてくるわ」
「やめろ。あー、だから、お前には黙っていたんだ!」
アクトは私を肩に抱き上げると、雪宝石の祭に向かって前進する。両足をばたつかせて抵抗するが、アクトは転移魔法でサクッと街に移動してしまった。
城門を抜けると、すぐに大きな広場に出た。煉瓦通りは除雪されているが、広場全体は雪が積もったままだ。
絵本などに出てきそうな愛らしいオレンジ色の屋根と白い家々が立ち並んでおり、お店も一軒一軒が可愛らしい。何となくエステル様が好きそうだと思った。
「――って、見蕩れている場合じゃない。なんで止めるのですか。エステル様に酷いことをしたというのに!」
「分かっている。だけれど、それは俺たちが出しゃばるべきじゃない」
「……どういうこと?」
「エステル様のことを心から愛しているギルフォード様が、そんな人物を野放しにしていると思うか?」
「「…………」」
沈黙。
「そうでした」
すっかり忘れていたが、ギルフォード様はエステル様を溺愛している。それなら彼女を苦しめた諸悪の根源に対して何もしていないはずがない。
「すでにあの男は監視対象で、余計な真似をすれば事故死に見せかけて殺す手はずを整えている。けれど、ギルフォード様は運命の経路の更なる悪変を恐れて、ふさわしい罰を与える形で溜飲を下げているそうだ」
「……あの男は楽しそうだったけれど?」
「いいや。言っていただろう、あの男はフレンチフライが食べたくてしょうが無い、と」
「あ」
「そう。あの男がフレンチフライを食べるには、かなりの年月をかけさせる予定だ。そうすることでフレンチフライ以外のことなどどうでも良いようにするため、材料の調達見込みやら予算などもしっかり組まれている」
自分が食べたい物が食べられず日々を過ごす。それがギルフォード様の考えた罰なのだとか。元々は王太子として国を治めるはずだった男は、北の辺境地の領主で、食べたい物も本来なら手に入るのに届かない。
(そうやっていくつもの罠を張り巡らせて、エステル様を守っているのか。元凶を潰すだけじゃない……やり方もある)
「……エステル様や俺は運命の経路によって、自身が損なわれる可能性があったらしい。だからこそギルフォード様はエステル様のために安全な箱庭を作った。あまり外出させたくないというのも、運命の経路に触れさせないためだとか」
「そうだったの。……私、エステル様のために役に立ちたいと思っていたのに、何も知らなかったのね」
「全部知る必要はないだろう。それにお前に知らせたら力業で全部解決しそうだしな」
「そうね。……エステル様やギルフォード様、リュビ様に、アクトが酷い目に遭うなんて聞かされたら――たぶん私は我慢しないわ」
まさか自分が入っているとは思わなかったのか、私を抱えていたのを忘れて雪の下に落とした。
「ぶっ!?」
「あ、悪い」
「もう……」
石畳の上に落とされなくて良かったと思っていると、「おい、大丈夫か!?」と背後から声が掛かる。
振り返ると、貴族風の身なりのいい青年が私たちに声をかけてきた。
「え、あ、……はい?」
貴族風の装いに、金青色のロングコートを着こなした青年は、立ち上がろうとしていた私に手を差し伸べてくれた。
「女性を乱暴に扱うものではない」
「これは、サイラス様。いつも当店をご利用頂きありがとうございます」
アクトは先ほどまでの素を隠して、笑顔を貼り付ける。その様子を見る限り、リュビ様と取引のある上客だろうか。
(今思ったけれど、アクトの表面上の対応ってリュビ様を真似していたのね)
「……ん、ああ。君はリュビ殿の店にいた」
「はい。……もしかして、女性を拐かした犯人に見えましたでしょうか?」
「ん、あ、いや……私の早合点だったようだ」
罰が悪そうな顔をしていたが、素直に謝っているので貴族様としては珍しい。そして何故か一瞬だけ、手を差し伸べてくれた姿がエステル様と被った。
髪の色も、瞳も雰囲気も全く違うのに、何故か不思議なほど似ていると思ってしまったのだ。
「ここ最近、この街で転移門の誤作動が見受けられており、行方不明者が増えているのだ。それで、人攫いのように担いでいる君たちを見て……つい、声をかけてしまった。すまない」
「いえ。分かって頂ければいいのです。実は野生の魔物と遭遇して慌てて転移魔導具を使ってしまいまして、彼女もそれでパニック状態で暴れていたのです」
「そうだったのか」
アクトの真っ赤な嘘に、真面目なサイラスという貴族は深々と頷いていた。またしても貴族らしからぬ貴族様に不思議な感じがした。
それからアクトと少し話をしたのち、別れた。やはり何度見返してもサイラス様という方はエステル様に似ていなかった。
(シチュエーションが似ていたからかも……。うん、きっとそうね)
「お前はリュビ様ではなく、ああいう貴族が好きなのか?」
「え? 全然」
何故か不機嫌そうな顔をしているではないか。先ほどのリュビ様似の笑顔は何処に。
サクサクと石畳を歩きながら、アクトの後を追いかける。
「じゃあ、なんでずっと凝視していたんだ? 人間の女は好きでもない男を、ジッと見ていたりはしないのだろう?」
「いや、何となく手を貸してくれたときにエステル様と重なって見えたので、不思議に思っていたの」
「ん。ああ、あの方はエステル様の義兄だからな」
「は」
私はその場に佇み、踵を返そうなところで再び抱き留められた。
「だ・か・ら! どうしてこう、直接潰そうとする。そして思い切りが良すぎるだろう」
「あの男も、エステル様を不幸にした要因なら排除すべきでしょう」
「お前、魔人よりも短慮すぎないか!?」
「人間は時として早期解決を目指したい生き物なのです」
そうジタバタしたのだが、その後の記憶は朧気だ。
と言うのも、昨日は寝不足だったのと、半日ほどの雪道を歩き、休憩無しだったのが堪えたようで――興奮が収まった瞬間に、熱が出てしまったらしい。
朦朧とした意識の中、慌てふためくアクトの姿が少しだけ嬉しかったのは内緒だ。
***
次にエステル様に会ったのは、熱が引いて大分経った後だ。
ちょうどその頃、私たちが滞在していた雪宝石の祭りが行われていた街で十数人の行方不明者が出た。あの貴族様が言っていたように、転移門の誤作動が各地で起こっているとか。その関係でエステル様に何かあっては不味いと、外出が制限されていたらしい。
「そんな訳でアリスに久し振りに会えて嬉しいわ」
「エステル様っ、……もし何かあったら遠慮なく私を呼んでくださいね」
「ん? うん。ありがとう」
不思議そうに小首を傾げていたが、微笑むエステル様は今日も可愛らしい。
今日は延びに延びたクレープ実食の日で、私も手伝えないか一緒に参加している。エステル様と同じエプロンをしているだけでも、今日まで生きてきて良かったと心から思った。
「そういえばアリスは、アクトさんと仲良くなったのでしょう?」
「え? あ、はい。冒険者としてとても頼りになるんですよ」
「冒険者……として?」
「はい? 仲間としてすごく信用しています」
「…………そっか、アクトは大変だろうけれど頑張って欲しいかも」
「?」
よくわからないという顔をしていたら、エステル様は「ふふっ、進展したら教えてね。あと相談でもいいから!」と嬉しそうに微笑んだので、力一杯頷いておいた。
エステル様とお話する機会が増えるのは、素晴らしいことだ。
「え、エドモンが行方不明?」
「そうなの。何処を探しても見つからないらしくて……。一緒に組んでいる冒険者の人も同じく見かけていないとか」
エステル様は、クレープの生地を丁寧に伸ばして綺麗に焼いていく。天才、いやさすがは女神様だ。お話ししながらでも、そんなことができてしまうのだから。
「転移門の誤作動による行方不明っぽいから、アリスも気をつけてね」
「はい。まあ、私の場合は冒険者ギルドから調査の依頼が入りそうですけれど」
「あ。そっか」
「でも大丈夫です。私にはアクトがいますから」
「ふふっ。ええ、そうね!」
嬉しそうに微笑むエステル様に癒されながら、今日も賑やかなスイーツタイムを堪能した。以前と少しだけ違うとすれば、アクトが店にいるときもよく声をかけてくるようになったことだろうか。
これは元ヒロイン3と、元ラスボス2のその後のその後。
この後、自分で言ったように、冒険者ギルドから転移門の動作確認の調査依頼が入る。もしできることなら、その依頼が始まる前にエステル様から素晴らしいお菓子を貰っておけばよかったと後悔することになるのだが、それはまた別のお話。
END
【完結/電子書籍9/7】バッドエンド確定なので死亡偽装&亡命したら攻略キャラが壊れたそうです~悪役令嬢はオネエ系魔王と悠々自適を満喫します~
㊗️電子書籍配信㊗️
※書き下ろしあり
9月7日エンジェライト文庫より、配信されました!
タイトル変更
『バッドエンド確定したけど悪役令嬢はオネエ系魔王に愛されながら悠々自適を満喫します』
https://ncode.syosetu.com/n3397hv/
こちらが本編となります( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
完結済みです。