aaaaaaaaaaaaaあああああああああ
ふと、鏡に映った自分に違和感を覚える。こいつは誰で、何のために生きていて、何を得るために生きているのか。この問答が何か意味のあることであってほしいと思いつつ、目の裏側が鈍い痛みを訴える。外に出て、現実から少しだけ離れる。暗闇に身体を沈めるほどに、自分の舌が勝手に動く。更に問答を繰り返し、今度は迷路に迷い込む。暗闇の中、迷路を進むなんて、何も得られるわけがない。けど暗闇の中、進む迷路なんて、平凡な人生を歩む俺にとっては丁度いい非現実なのだ。非現実に身体を委ねることで、普段見えない自分が見えてくる、なんてことはない。こんなくだらないことに時間を使って、結局何も得られない自分に呆れるだけだ。その点、物語の人間は羨ましい。あいつらは作者という神様によって、何かしらの目的があって生かされている。物語の世界を構築するうえで大事なピース。けど現実に神様なんていない、はずだ。俺は俺の意志で生きている。何か使命を与えられているわけでも、今生きて、こうやって気持ちの悪い文章を書く必要だってない。今だって何のために文章を書いているのか分からない。この行為が世界に何かしらの干渉を与えるのか? そんなわけがない。俺が今呼吸をしてもしなくても、世の中は変わらない。その点、物語の奴らは羨ましい。あいつらは作者が敷くレールの上をただ生きるだけ。何らかの役割を果たして死んでいくか、作者のご厚意で最後まで生かされる。しかし両者ともに、物語に色を付けて最期を迎える。しかし、俺はどうだろうか。長い歴史の中、数えきれない人間が生まれて死んでいった。なぜ、耐えられるのだろうか。彼らは全員が生きる意味を見つけたのだろうか。そんなことはない。死に際の瞬間、自分が生きてきた意味を見つけている人間の方が少ない。ではなぜ人は生き続けるのだろうか。こうやって考えていくうちにおじいちゃんになってしまうのだろうか。最後まで自分を見つけることが出来ずに死んでいく?その過程に意味があるんだよ、過程を楽しもうよ。そんなことを吐く人間もいるだろう。すでにやっている。過程は存分に楽しんでいる。それでも心は満たされない。ゴールのないマラソンなど地獄でしかない。では死ぬことをゴールにするか?それこそ地獄だ。何故なら死ぬのは怖いからだ。死んだらどうなるのか誰も分からない。何故なら死者の声を聞いたことがないから。図書館に行っても死者の体験談を目にすることは出来ない。つまり死とは終わりを意味するのだ。死は未知ではない。全ての終着点だ。過程を楽しもうと宣う奴は、この世の歯車になることを受け入れ、自分へ問答することをやめてしまった人間だ。だがそんな人間が羨ましい。さぞかし生きやすいだろう。この世の流れに逆らわず、あるがままを受け入れて生きていくのは。しかし私は軽蔑する。いや、軽蔑しなければならない。何故なら常に世界と自分を疑い続け、苦しみながら生きている俺があまりにも惨めになってしまうからだ。俺はお前たちより上位の存在だと、少し離れたところから睨み上げなければならない。決して俺は迎合なんてしない。いや出来ない。したくてもできない。これだけ書いても、結局自分が何をしたいのか分からない。考えれば考えるほど、自分の存在が遠くへ離れていってしまうような気がする。
勇気を出して俺はこの先を書く。またクソみたいな現実世界に戻るために、キーボードを叩かなければならない。これが終わったら、俺はスマホでYouTubeを観るんだと思う。何も考えなくていいから。自分が分からないなら、何も考えずに時間が過ぎるのを待っていればいい。自分を探せば探すほど、中身が空っぽなことに気付いてしまう。せっかく嘘の自分で塗りたくってたのに、お前のせいで台無しだ。こんなことを書かせるお前なんて死んでしまえ。くそったれ。また明日から将来のことを考えるふりをします。やりたいことなんてないし、あったとしても俺にそんな勇気はない。今日はこの辺で。YouTube観てきます。




