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九 夫婦

 水から出ると、宵は用意されていた着物に着替えようとした。着替えようとしても変わらず水鏡がこちらを見ているので躊躇っていると、

「どうした。気に入らないか」

 と言うので、

「あの、着替えは見ないでいただけると……」

 と、なんとか言った。こんなにみすぼらしい自分にも娘らしく肌を見られたくない、という意識があることが宵には恥ずかしかった。水鏡は、

「そういうものか。ではあちらを向いていよう」

 と、あっさり言うとくるりと背を向けた。待たせてはならぬと宵は着物を広げたが、気に入る気に入らない以前に、着方がまるでわからない。さらさらとしているのに光沢のある白い生地はかたちも環の花嫁衣裳に多少似ている気もするが、宵が触ると汚れるからと着付けは手伝わなかった。それらしく取り繕うこともできない。困っていると、ふわりと布が浮いた。

「え」

 水鏡かと思ったが、彼は変わらず背を向けていた。魚影のような何かぼんやりとした影が、そこにあった。輪郭がつかめない影が、着物を持ち、そして、するすると段取りよく着つけていく。

 着付けが終わると、宵のごつごつと細い手足は美しい布に覆われた。布は多いがとても軽く、動きやすそうだ。

「もうよいか」

「はい」

 水鏡が振り返り、宵を見て、相好を崩した。

「いいな。似合うぞ」

「そう……でしょうか」

「うん。なかなか愛らしい」

 宵は顔が熱くなった。鼻の奥が痛くなるほどだったが、水鏡は楽しげに笑っている。この言葉もこの方にとっては大したことではないのだと考えて、何とか持ち直す。

「だが少し色が寂しいな。うん。これをやろう」

 水鏡は両耳のうえに差していた髪飾りのうちのひとつを取ると、宵の髪に飾った。宵の顔の横で、青色の小さな珠が房のようになったものが、しゃらしゃらと微かな音を立てた。

「似合うな」

「いえ……いえ、そんな、いただけないです。着物だけでももったいないのに」

「気にするな。私たちは夫婦だろう」

「え……」

「違うのか? お前は私の花嫁だろう」

 起きたときにも言われていた気がしたが、ただの名目上のものに過ぎないと思っていた。水鏡は本気なのだろうか。

「私は振られてしまったかな」

 くすりといたずらに笑う。そこに微かに寂しげな気配を感じて、慌てて宵は首を振った。

「違います! そんな……水鏡様は、素晴らしい方です……お優しくて」

「では、夫にしてくれるかい?」

「でも……でも……違います、私が……」

「うん? どうした」

 水鏡は素直に宵の言葉に耳を傾けている。

「私が……醜いので……」

 それを口にするのが、苦しくてならなかった。自分が醜いことなど知り尽くしていて、誰に言われてももう心も動かなくなっていたが、この美しく優しい人に、そんな言葉を聞かせることは宵でさえまだ知らない苦しみだった。

「醜い? お前が?」

 水鏡はそっと宵の小さな顔を両手で包んで顔を上げさせた。水の色の瞳が、宵を見つめていた。陰気だと疎まれた顔、醜いと罵られた痣も。

「ちっとも醜くない。お前は可愛いよ」

「でも……痣が……」

「これか?」

 水鏡は親指でそっと痣に触れた。

「面白い柄だと思ったが、お前は気に入らないのか?」

「柄……」

 猫の柄と同じように思っているのだろうか。手足の痣のことも、模様と言っていた。

「青があると涼やかでいい」

 宵は思わず笑った。この人にとって、自分の痣、それにまつわる苦しみは、なんの意味もないものなのだ。ただ猫の柄と同じなのだ。

「そうですか……」

「気に入らないのなら、消してやろうか?」

「……出来るのですか?」

「出来る」

 なんでもないふうに言われ、宵はぽかんと口を開いた。

「消すか?」

 重ねて問われて、慌てて首を振った。なぜそうしたのかもわからないまま。自分が首を振ったことが、宵にも意外だった。なぜ喜んで消してもらわないのだろう。

「そうか」

 水鏡は嬉しそうに言うと、宵の痣をもう一度、そうっと撫でた。それは髪飾りに触れるときよりもよほど大切そうな仕草だった。

「私はこれが好きだ」

「……そうですか」

 それなら、構わないのかもしれない。醜いとかみっともないとか、それは村の、人間の考えで、みなそこの神には関係のない話なのかもしれない。

「夫にしてくれるかい?」

 水鏡は気軽な様子でそう尋ねる。誰を妻とするのかも、ここではたいしたことではないのかもしれない。水鏡がつけてくれた髪飾りが、しゃらしゃらと鳴る。

「……水鏡様が、よいのであれば」

 宵は答えた。

「うん、では、私たちは夫婦だな」

 それでも水鏡に嬉しそうに言われると、なんだかことの大きさに目眩がしてきた。


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