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二十五 繋がる

 環。環。環。何故私を呼んだの。助けを呼んだのだろうか。きっと違う。環は宵に助けを求めたりしない。

 姉さん。

「忘れなさい。ほら。おいで。楽しいものを見よう」

 水鏡は優しく宵を誘う。宵は首を振った。楽しいものを見て、大切なこの人と一緒にいて、二人で鈴を愛おしんで。まどろむような優しい時を過ごせば、それこそ三百年ぐらいすぐに経ってしまうのだろう。村にいたときの苦しみも湖に落とされたときの悲しみもすべては流れ去り、みなそこには幸せだけが残る。

 そうできたらいい。水鏡はそれを望んでいる。宵を救ってくれた人だ。命と心。宵の在り方全てを認め、今も宵のために心を砕いてくれる。この方のためにはなんでもできると宵は思う。自分の全てをこの方に捧げたい。

 でも、村を見なかったことにはできない。村が恋しいわけではない。

 姉さん。

 環は呼んでいた。あれは助けを求めていたわけではない。水面がどれだけ歪んでいても、そのことがわかる。双子だから。環のことはよく知っている。だから、わかってしまう。

 姉さん。

 環は宵を、助けようとしているのだ。

 宵は顔を上げた。鏡に手を触れた。

「お前……」

 水鏡の声にも振り向かない。

 宵は自分に何ができるのか、わかった。自分の中にはみなそこの力がある。水鏡の力。神の力。妻として認められた自分は、水鏡と同じ力を分け与えられた。その力を、水鏡が望まぬことに使おうとしている。これは裏切りかもしれない。

 それでも。

 姉さん。

 環。

 環の代わりにここに来ることで、宵は幸福になった。ここに来なければ決して幸福にはなれなかった。生きていることは、宵には苦痛の連続で、未来もぼんやりとした痛みと恐れのなかにしかなかった。環は違う。環はただ、生きることを望んでいた。どこにいても、どんなふうでも、生きていたいと願っていた。未来に光を見ていた。環は望んだものを手に入れて、それでも、まだ、宵の名を呼んでくれている。

 宵という人間には、幸福や安寧よりも大切なものがあった。

 何と呼べばいいのか、宵にはわからない。それは重たく、見るのも苦しく、そしらぬ顔で捨ててしまったほうが楽になれるのはわかっている。でも、できない。そんなことはしたくない。自分を惨めな境遇に追いやった原因である顔の痣を水鏡に消してもらうのを断ったように、幸福につながらなくとも、捨てられないものがある。

 宵は使い方もその強さもろくに知らぬ力を無理に使い、地上とみなそこへの道を作った。普段鏡で地上を見るのと仕組みは同じだ。細いつながりを、太くする。見るだけではなく、そこに自分を運べるほどのつながりを作る。鈴を膝から降ろして、立ち上がる。

「宵。やめろ」

 水鏡の呼びかけに、宵は振り向かなかった。みなそこへ来る前のように俯くこともなく、痣のある顔をしっかりと上げていた。

「ごめんなさい」

 それだけ呟いて、宵は鏡に吸い込まれるように地上へと向かった。みなそこには、水鏡と鈴が残される。

 にに、と、戸惑うように鈴が鳴いた。

「宵……」

 呆然とした水鏡の声に応える妻はいない。鏡にはまだ地上への道が残っていた。理屈の上ではできるはずことだが、容易くはない。みなそこに来てからほとんど力を使うこともなかった宵にこんなことが出来るとは水鏡も思っていなかった。

「何故行く? 行ってどうする? あんな村など、どうなってもいいだろう」

 水鏡は混乱していた。白い髪を振り、ため息を吐く。気を落ち着かせようと、柔らかな鈴の体に手を伸ばす。その手を、するりとしなやかな動作で鈴は交わした。

「こらこら」

 水鏡は愛する小猫に微笑んで、抱き上げようと立ち上がる。その隙に、常と違う様子の鏡をじっと見つめていた鈴は、愛しいもう一人の家族が消えたそこへと、小さな体で飛び込んだ。

「鈴!?」

 手を伸ばすも、もう届かなかった。

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