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二十一 帰還

 環は馬上にいた。王軍の管理する貴人のための白馬は気性が大人しく、揺れも少なくその割に速い。村では遊び程度でしか馬に乗ったことのない環でも簡単に乗りこなせる。

 あれは逃げないようにされていたのね。

 そのことに思い至り、環は苦く微笑んだ。知らなかったことが多すぎる。思い至らなかったこと。見ようとしなかったこと。馬の上の景色は視点が高く、都から村に続く平原は遠くまで見通せる。

 見ておこう。すべてを。

 環は顎を上げた。周囲には護衛の軍人たちがおり、その後ろには学者が一人いる。まだ若い男で、神のことに詳しい。宰相が調査のためにと一人派遣することになったのだが、神の村を見る機会などそうそうないと熱心に手を上げたそうだ。環の話を聞きたがったが、一言も漏らすまいとする細く光る鋭い目がいたたまれなく、まともな話もできていない。

「疲れてはいませんか。あのあたりについたら一度休憩しましょう」

「私は大丈夫です!」

 護衛の男からの声に、環は応じた。快適な馬とは言え慣れない揺れに疲れていたが、気が急いていた。

「馬も疲れているので、一度休みましょう。いい馬ですが、長く走るのには慣れていません」

 そう言われて、慌てて馬を見た。足並みは乱れていないが、疲れていないはずもない。どうも自分には身勝手なところがある。環は村を出てからそう感じることが増えた。村にいて、神の花嫁として遇されていたころにはすべて自分を基準にまわりも動いていた。その癖が、旅をしていても、王城にいても、なかなか抜けない。贅沢を好んでいるわけではないが、自分のやりたいことに相手を付き合わせようとしてしまう。向こうには向こうの計画があると言われて、いつも初めて気づく。

 姉さんも困っていたかしら。

 用意された食事を食べたくないとか、今日は家で物音を立てないでほしいとか、そういう希望が叶えられるのは当然だと感じていた。そのたび姉に負担をかけていたこと、姉の生活を自分に合わせていたことを思うと、胸がきりきりとした。謝りたい。自分が姉を慕うほどは、姉にとって自分はよい存在ではなかったのかもしれない。結局自分はあの夜花嫁として捧げられることなく、義務を果たさなかった。姉も呆れ、だから出て行ったのかもしれない。

 姉さんは元気かしら。

 そのことを考えると、不安になる。元気に違いない、と思いたくとも、どうしても不安を振り払えない。村の外だって、いい人はたくさんいる。姉さんはきっと、元気にしてる。そう、思いたい。けれど。けれど。

 旅は続く。娘の足では急いでもなかなかつかなかったが、たびたび休憩をとっても、馬を使えばあっという間に村の傍にやってきた。村に向かう森に入るために、一度皆で馬を下りた。

「ありがとう」

 鼻先を撫でて礼を言うと、白馬はわかっているようにすり寄った。手綱を引いて歩き出す。慣れた森の様子にほっとする。同時に、終わってしまった、とも思う。環の旅は、これで終わる。

「こちらです」

 環が先導して歩く。慣れた森だ。深いが、歩きやすい。木漏れ日が柔らかい地面に模様をつくる。珍しい馬や刀を穿いた物々しい男たちに警戒してか、鳥や動物たちはいやに静かだ。環は顔を上げて、しっかりと村への道を歩く。

 あの村で、神の定めた頃に生まれ、ともに生まれた姉には顔に痣があった。だから、みなは環を神に捧げると決めた。十六になったら死ぬために育てられた。自分で決めたことではない。どう生きるのかも、どう死ぬのかも、神と、その恩恵を受ける人々に決められた。何一つ自分で決めたことではなかった。環の我儘も所詮、定められたなかでのことだった。

 今この森を、この馬を引いて、都からの人たちと、村に向かっている。それはすべて環が都に行かなければ起きなかったことだ。そのことが、環には誇らしかった。こんなことが自分に出来るとは思っていなかった。

 自分が決めたことだから、もう泣かない。

 環は黙って歩き、男たちもそれに続いた。森は静かだった。もう少し行けば、村にたどり着く。

「……何?」

 環は足を止め、小さな鼻をひくつかせた。嗅ぎなれない匂い。なんだろう。これは。

 焦げ臭い。

 その言葉を思いつき、環の背をつめたい汗が滑り落ちた。兵士たちが騒ぎ出すなか、環は手綱を離し、駆けだした。

「お待ちください!」

 兵士たちの声も耳に入らなかった。ただ村に向かった。森は視界が悪く、村の姿はまだ見えない。ただ、匂いが強くなっていった。何かが焼ける匂い。

 息を切らし、足をもつれさせ、環は村にたどり着いた。

 村は、燃えていた。


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