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二十 琴  

 それは琴だった。みなそこにある他のものと同じように白い。水鏡が用意した。白い指で弦を弾き、高く澄んだ音が鳴る。それが旋律となるのを宵は期待したが、水鏡は宵を見て笑い、手を止めた。

「これしかできない」

 弾けないのですか、と、一流の奏者のような佇まいの水鏡に問いたくなる。

「琴の音は美しいものなのだがな」

「そうなのですね」

 宵は琴の現物は見たことがなかった。村では簡単な笛を吹くものもいたが、琴はなかった。野良仕事をする人間たちはこんなに繊細な楽器を好まない。

 宵は書庫で教本を見つけ、水鏡は鏡で琴の奏者を映した。読んで、見て、二人でどうにか弾いてみようとする。琴の部位の名称や曲の名前や演奏すべき場面や逸話などには詳しくなった。宵は昔、琴の名手と讃えられた王妃が演奏すると、音のひとつひとつが宝石となったという話がたいそう気に入った。水鏡にもらった石の髪飾りは、ときどき涼やかな音を立てる。美しい演奏はこんな音だろうか。

 しかし、見るだけでも教本を読んでも、やはり琴の弾き方はよくわからない。二人でたどたどしく、琴の弦を弾いている。たまに、うまく音が繋がり、曲のかけらのようなものが現れる。宵は知らずに微笑んでいた。

「楽しそうだな」

 水鏡に言われ、宵はぱちりと瞬いた。羞恥に頬を赤らめ、つい否定したくなったが、堪える。

「楽しい……です」

 それから付け加えた。

「ありがとうございます」

「うん。私も楽しい」

 宵の顔が笑みに崩れた。その変化に宵は自分で驚いた。楽しむことに慣れてきている。

「もしかしたら、こうか?」

 遊びのようにつま弾くなかで、ふと水鏡が何かに気づいて、手を動かす。ゆっくりと、音が繋がり曲になる。宵はじっと水鏡のうつくしい爪がひらめき、張り詰めた弦から高い音が滴のように零れるのを見つめていた。

「おっと」

 水鏡の手が止まる。

「あ……」

 白い指先から、血が出ていた。弦で小さな傷がついている。

「ふん。怪我とはこんなものだったか。忘れていたな」

「大丈夫ですか?」

 白い水鏡に、血のほんの小さな雫は不安なほど赤い。おののく宵に水鏡は微笑んだ。

「小さな傷だ。これも一興だよ」

 宵は水鏡の手を取る。なぜか不意に、できる、と思った。この方から痛みを取り去りたい。傷を見つめ、癒える姿を思い描く。

 すると、その通りになった。

「ほお」

 水鏡は笑い、指先に自分で触れて確かめる。

「うまく出来ている。ありがとう」

「……よかった」

 礼を言われるのは、とても嬉しい。宵は微笑む。ふと気づいて、琴を見る。

「もしかして」

「うん?」

「これも、その……力で弾かせることが出来るのでは」

「できる」

 あっさりと水鏡は頷き、宵は首を傾げた。なぜそうしないのか理解できない様子の妻を見て、水鏡は言う。

「お前には、私自身が弾いた音を聴いてほしかったんだ」

 宵は首を傾げた。

「下手なりに工夫するのも、お前となら悪くない。お前と二人で何かをするのが、私は好きだ」

「……はい」

「うん」

「私も、好きです」

「そうか」

 水鏡は治ったばかりの指で、弦をいくつか弾いた。不揃いの、いささか不格好な音が鳴る。自分のための音だ。宵は思う。

 この音を、石に出来たらいいのに。どんな石ころでも、ずっと、ずっと、大切にする。

 口をつぐんで真剣に琴を見つめる妻に、水鏡は張り切って、不器用に琴を弾いた。

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