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十七 ともに

「こうか?」

 と尋ねる水鏡の手は、ひどく不安定なかたちで包丁を握っている。そのまま芋の皮を剥けば、手を切るだろう。宵は微笑んで、

「こうで

 と手本を示した。水鏡は難しい顔で宵の手と自分の手を見比べる。宵は包丁と芋を置いて、水鏡の手に自分の手を添えて、正しいかたちに直した。水鏡の手は温かくもつめたくもない。優しい水の温度だ。

「難しいな」

 水鏡は笑う。

「すぐにできるようになりますよ」

「期待しよう」

 必要ないと知ってから他の家事はしていないが、料理だけはしている。水鏡が望んだからだ。そして、調理のあいだ、自分が宵の傍にいることも望んだ。そのうちに、自分もやりたいと言うようになり、今は宵が少しずつ調理を教えている。水鏡は真面目な生徒だが、なにぶん慣れないのと、どうやらあまり器用な性質ではないようだった。宵にはそれが面白く、愛おしいように思えるのだった。

「宵はすごいな」

「そんなことはないです。慣れているだけで」

「そう難しく考えることか? 私はすごいと思った。理由は今はいい」

 宵の手が止まった。

「ありがとうございます」

 そう言ってみた。何か図々しいことを口にしたようで、顔が赤くなった。

「初めて言ったな」

「え?」

「お前は謝るばかりで、礼を聞いたのは初めてだ」

 宵は青ざめた。あまりの無作法に、慌てて土下座をしようとすると、水鏡が芋を持ったままの手でやめるよう促した。

「いい。それがお前のやりかただったのだろう。私はただ、今、お前に礼を言われて嬉しかったというだけだ」

「水鏡様……」

「気が向いたらまた言ってくれ。そうすると、私が喜ぶ」

 水鏡が楽し気に微笑んだ。宵はどうしていいか迷い、それから微笑み、夫婦二人で笑い合った。


 二人で食事を作り、鈴を交えたみなで食べる。他の仕事はしなくなると、時間ができた。その時間も、水鏡とともに過ごしている。

「いろいろなものを見た方がいいだろう」

 と、水鏡は鏡に、前よりもさらに様々なものを映すようになった。はじめはよく見る都の光景かと思ったが、人々の服装が見慣れない。似てはいるが少し違う建物。隣国の都だと言う。見入る宵に水鏡が尋ねる。

「気に入ったか?」

「気に入ったというか……物珍しくて」

 隣国の通りが映っている。視界の端で、男と男が何か言い合い、殴り合いを始めた。そのまま大きな騒ぎに発展する。宵は驚いた。この国の都を見ていても、いさかいが起きればすぐに警邏のものが来てとめられるし、村では人前でのいさかいはすぐにいさめられた。そもそもみな見知った顔なのでいさかい自体あまり起こらない。小さな不満はおおむね宵のせいにされていたからというのもあるが、本人は気づいていない。宵が見慣れぬことに驚いているうちに、元の争いがなんなのかもわからぬほど騒ぎは大きくなる。屋台がいくつか潰れ、犬が逃げる。

「あちらは少し血の気が多いのでね」

「そういうもの……ですか?」

「あちらの神は少し荒い。まあ、悪いやつではないのだが」

 水鏡は顎に手を当て、思い悩むような顔をした。珍しい。神だからなのか、超然としているのが常なのだが。

 屋台で乾かして吊り下げた薬草を売っていた娘が、押しつぶされて逃げられず泣いているのが見える。重たげな背負子の老婆が転んでいる。ふっと、鏡の映像が途切れ、いつもの水面が現れた。

「見たくないだろう」

 水鏡が悲し気に言う。宵は首を傾げた。なんと答えていいのかわからなかった。見ていたいわけでは、もちろんなかった。誰かが誰かを傷つけるのも、どこか自分に似た弱いものが苦しむのも、見たくはない。つらい。

「ほら、ごらん。美しいな」

 水鏡はどこかの山を映してくれた。樹々が赤く色づいている。美しい光景だ。

「鹿がいる。愛らしい」

 樹々の間から鹿が顔をのぞかせる。小鹿もいる。宵が顔を緩ませると、水鏡も笑う。水鏡が笑うと、宵は安堵する。

 だが、宵の頭には先ほどの光景がまだ残っていた。

 見なかったからと言って、なかったことにならない。

 宵はよく知っていた。

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