聖女の祈りを聴きたもうれ
水流が岩肌を削り、ごうごうと水音を唸らせる。
清廉な水流の滝壺を覗くと、厳しい冬の河川を乗り越え、母川へと帰還した鮭が泳いでいた。
私はそんな朗らかな光景を見て、来たるべき啓蟄の余韻を感じつつ、人の腿ほどもある石の柱が支えた茅葺屋根の下で腰を下ろした。
――山路を登って早数時間。
疲労の覆った顔を河水で洗いつつ、辺りをぐるりと見まわすと、一際古びた建物が見えた。
自然あふれる大瀑布の川下に、私が彷徨い求めていた”聖女の社”はある。
※
「失礼します」
私は一礼し、社の暖簾をくぐった。
人の気配はしなかったが、目の前には確かに布越しに人影の姿がある。
この人がきっと噂に名を聞く、
「あなたが……聖女様ですか?」
思想する前に先に声が漏れ出る。
「はい、いかにも。私が聖女です」
女性の声だった。
透き通っていて、川のせせらぎのように綺麗で優しい声音だ。
「貴女は何者ですか?私の前に現れるということはきっと何か御大層な悩みがあるのでしょう?」
「……はい」
再度一礼し、人影の写る布の前に座りこみ、事情を話すことにした。
「私はここから数千里ほど先にある村からやってきた商人です。
名前は……そうですね……商人としての名前だと”アレン”とでも名乗っておきます」
「アレンさん、ですか。それで、どんな御用件で?」
少し間を置いてから、話を切り出す。
「私は今、村を悩ませる疫病の薬を探しにこの社までたどり着きました」
「疫病の薬……ですか」
聖女様は少し驚いたように言った後、こう続けた。
「私はその”耳”であらゆる物事を聞き、達弁な”口”で悩める者たちに助言する者。
病魔を払う薬は持ち合わせてはございません」
聖女様の言葉は私は落胆したが、聖女は続けてこう言った。
「では……聖女様のお力で疫病の薬の材料が分かったりはしませんか……?」
「……少し考えさせてください」
聖女はそう答えると、黙り込んでしまった。
人影は相変わらず同じ形を保ち続けている。
そして、少し経ってから再び声が聞こえてきた。
「……分かりました。この社のすぐ近くの洞窟に”富竹石”と呼ばれる鉱物があるのですが、その石が疫病の薬の材料として非常に適しています」
「富竹石……ですか」
聖女様は続ける。
「その鉱石は異様な形状をした岩盤の中にあり、採掘は困難を極めるでしょう。しかし、その岩盤を砕き、中から鉱石を採取することが出来さえすれば、疫病の薬を作ることが出来るはずです」
その言葉を聞いて、私は安堵した。
「ありがとうございます!……これで、村が救われる」
男は感無量に涙を目に浮かべ、聖女に何度もお辞儀をする。
「さっそく村の炭鉱夫を向かわせます!本当にありがとうございました!」
「それは良かった。富竹石はすぐそこの洞窟の中にありますから、是非持って行ってください」
私は喜び勇み、飛び上がって喜ぶ。
ふと目にボロボロになった壁が映った。
よく見れば蜘蛛の巣も多数張っており、生活感の全くない空間だ。
「聖女様はもうここにずっと……おられるのでしょうか」
「ええ、それが聖女の役目ですから」
私は少し考えた後、どうにか聖女様にお礼がしたいと思って、ある事を問うた。
「毎年この時期になると村で祭りがあるのです。……まあ疫病中なので雑飯が振る舞われる程度ですが。
聖女様もよろしければ……」
そう言いかけた時、聖女は遮るよう答える。
「私はこの社にて悠久の時を紡ぐ者。残念ながらお誘いには乗れませぬ」
私の残念がる顔が見えたのか、聖女は続けて声を発する。
「良いのです、私は人々の苦悩を和らげることを使命としておりますので。
それ以外の役割は持ち合わせていません」
私は入った瞬間から感じていた違和感に気づき、それが確信に変わった。
「聖女様……そちらに行っても?」
「貴方が望むなら、”私には”どうすることも出来ません」
私は好奇心で聖女様が鎮座しているであろう前の布切れをはぎ取ろうとしたが、やはりそれは躊躇われた。
「いえ……やっぱり遠慮しておきます。私ごときには……過ぎた行いでした。申し訳ございません」
「良いのです」
聖女は少し間を置いてから続ける。
「私は、この社に祀られる”神”の代弁者です」
「神……ですか?」
私は少し驚いたが、すぐに納得した。
聖女様はきっと神の声を聞き、その御心を伝える者なのだ。
だからこの社の周囲には人っ子一人いない環境に身を置いているのだろうと。
そんな私の考えを他所に、聖女は続ける。
「私は神にこの身を捧げ、神の声を伝える巫女です。
そして人々の願いを聞き続け、”鎖”が消えた日には、人々のお祭りに参加できるかもしれませんね」
「聖女様……」
「それがあなたの本当に叶えたい願いなら、きっと叶うでしょう」
「……それは本当に私に向けて言っていますか?」
そういうと聖女様は黙ってしまった。
こんな台詞が出たのは聖女様自身の願いなのではと私は思ったからだ。
私は聖女様のその御心の強さにひどく感銘を受けた。
聖女様のような立派な人は報われるべきだと道徳的に考えるのは当然のことだろう。
そして、そんな方から薬の助言を頂けたことに感謝し、再度深くお辞儀をした。
「……では、私はこれで失礼します。今日あった事、私は絶対に忘れません。
きっと私は、いえ私達は貴方を一人の人間として、迎え入れる準備をします」
「お気持ちだけで十分です」
「待っててください、何年かかるかは分かりませんが……きっと、村を再建した暁には必ず」
アレンの真剣な態度に聖女の声色が少し震えたような気がした。
気がしただけかもしれないが、
「ありがとう」
聖女様の綺麗な声が社に響き渡った。
※
アレンは社を後にし、村へ帰ってきた。
そして開口一番、村人に向かって叫ぶ。
「聖女の祈りを聴きたもうれ!」
※
満月が照らす聖女の社。
社の奥には人一人が入れるような間取りは本来、無い。
三方と呼ばれる供え物の器に備えられた”耳”と”口”が、ただ静かに悠久の時を過ごしていた。
聖女はきっと自分が願いを叶える側でなく、叶えられる側になることを祈り、その日が来るのを楽しみにしていることだろう。




