5.死神
三角屋根の待合所に戻ると、下から新しい魂が昇ってきた。おそらく三十三番だろう。野球チームのユニフォームと帽子をかぶっていた。魂はちょうど野球ボールぐらいの大きさで、ところどころ泥が染みついているような色合いだ。三十代に見えるが、どこか少年のような目をしていた。
続いて三十四番が昇ってきた。二十代のキャバ嬢風の女だ。病院の手術着のようなものを羽織っていた。黒目がちな瞳でイチゴ模様のネイルを見ながら昇ってきた。小柄な体型にあどけなさの残る顔がのっている。小ぶりの魂には、薄いシミのような模様がついていた。
待合室の死者たちは、呼び出しがあると天国ロードへ入ってく。メンバーが徐々に新しく昇って来る魂と入れ替わり、ちょうど真ん中ぐらいになった頃だった。黒いローブに身を包んだ不気味な男がフラフラと寄ってきた。
「旦那はんや……」
地の底から這い出てきたようなしわがれ声だ。
「何だ、お前は!」
黒ローブを頭から被り、顔の表情がわからない。
「死神ですよ……」
ローブの隙間から顔が微かに見えた。灰褐色の骸骨のような薄い皮膚。真っ黒な目は底なしの空洞のように窪み、黒いローブに対して真っ白な歯が、余計に不気味さを増していた。
――こいつが例の死神か、気味悪い野郎だ……。
「旦那はんの魂は年の割にえらいきれいですなぁ。現世じゃあ、まっとうに生きてこられたのでしょう。あっしなんか、悪さしすぎて魂が重くなり、天国ロードの途中で地獄の底に真っ逆さまですわ。閻魔さまも呆れ果て、あっしをこんな姿にしてしまったのです」
死神がゆっくりとローブを閉じ、顔を近づけた。
「ところで旦那、そのきれいな魂を、あっしに売ってはくれまへんか?」
「断る!」
レクチャー通りの問いかけに、きっぱりと断った。
「天国なんかへ行ったって、どこもここも真っ白けっけのつまらん世界でっせ」
聞こえないふりをしていたが、死神は遠慮なしに話を続けていく。
「地獄の方が真っ赤っかのエキサイティングで刺激的な世界でっせ。パワハラ課長でならした旦那には、地獄の方がお似合いに思えますがなぁ……」
「余計なお世話だ!」
パワハラのことまで知っているのにドキリとした。死神はフラフラと漂いながら話を続けていく。
「ところで旦那。あんたの部下、三十一番の。奴の魂に突き刺さったあの矢はちょっと厄介でっせ。あのまんまじゃ、入口の扉に引っかかって地獄落ちじゃろうなぁ」
「そんなことはない! 背筋を伸ばして昇って行けば大丈夫だと説明を受けている」
「おーっと、それはずいぶん楽観的な考えでっせ。丸岡商事の課長さんにしちゃぁ、もうちょっとリスク管理を勉強なさったほうが良いでっせ」
「貴様にリスク管理ができるんか! リスク管理が出来たら、死神なんかになっていないだろうが」
この男、何でオレのことを色々知っているんだろう。それにしても、こんな男に仕事上のケチを付けられ無性に腹が立ってきた。
「まあまあ、そんなにピリピリせんで聞いてほしいんじゃが、旦那と三十一番が天国ロードを昇るのは、一週間後じゃが、天気予報、ちゃんと聞いてまっか?」
そう言えば昨日白装束の女から、天国ロードに入る日程が一週間後だと連絡を受けていた。
「そんなもん聞くか! テレビもラジオもないんだぞ」
「それは、それは。秘密の情報網がご自慢の課長さんらしくもない。一週間後は大型台風直撃でっせ」
確かにいつ台風が来てもおかしくない季節であることにハッとした。
「台風が重なったときの地獄落下率を知ってまっか? あーんな長い矢が刺さってちゃあ、ちょとバランス崩しただけで、確実に天国の扉に引っかかってしまいますでぇ」
死神が腕を組み、いかにも心配だという素ぶりで言う。
「さっきから、適当なことをほざくな!」
「適当とは失礼な……。死神歴百三十八年のあっしが言うんだから間違いないでっせ。あれじゃぁ、きりもみみたいになって、確実に入口の扉に引っかかってしまいますなぁ」
「そんなもん、天国ロードに入る日を変更すれば済む話だろ」
「天国ロードに入るのに、天候など一切関係ない。地球の自転と同じで、寸分の狂いなく順番が回ってくるのじゃ!」
死神がぴしゃりと否定した。
「じゃあどうすればいいんだよ」
「簡単ですよ。あっしのこの大鎌で奴の矢をぶった切ればいいのよ」
「そんなことできるのか? あの矢は、切り落としたり、抜いたりできないはずだ」
吉田の説明を思い出す。
「ひっひっひ。ところがどっこい、この死神様の大鎌で切れないものはないんじゃよ」
そう言って郷原の目の前で左右に大鎌を振り回す。
「だったら、今すぐ切ってくれ」
「嫌なこった。ここで百万回土下座されたってお断りでっせ。吉田とかいうクソガキなど、あっしにとっちゃあどうでもええ話や。でも旦那。一つだけ、取っておきの方法がありまっせ」
悪代官にすり寄る越後屋のようなセリフで近づいた。
「どんな方法だ……」
「簡単ですよ。旦那が死神になって、この大鎌で奴の矢をぶった切ればよいのですよ」
白装束の言葉を思い出した。
――これは罠だ。奴の誘いにのっちゃいけない。
「まあ、即答できる話でもないですな。もしその気になったら、いつでもお声を掛けて下さいな。パワハラ課長さんよ……」
それだけ言い残し、死神はどこかに消えていった。