明治期の中学校の道徳についての考察
あらすじにある『中学校』とは、明治期の高等小学校のことです。くわしいことは本文で!
1890年から1945年、つまり明治23年から昭和20年の間までは道徳は『修身』と呼ばれていた。
しかし、1945年の第二次世界大戦終戦とともにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって修身は軍事主義教育と見なされて授業は停止された。それから五年後、1950年には修身は道徳として復活した。
私の手元には、以前市場で購入した明治25年(1892年)に出版された高等小学校の修身の教科書がある。
当時は尋常科とか高等科が小中学校にあった。尋常小学校は六年で卒業し、高等小学校に入学する(尋常小学校は義務教育だったが、高等小学校は義務教育には含まれていなかった。高等小学校は二年間勉強をする)。つまり、高等小学校は現在で言うところの中学一年生や中学二年生が学ぶところだ。
高等小学校の修身訓には、当たり前でいて重要な道徳の基本が書かれている。
『人の幸福は、父母の健康・無事なるを第一とすべし。』とある。訳すと、他人の幸せを考えるならば両親の健康と無事を第一に考えろ、ということだろう。
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さて。明治期の誠実(誠實)な人のラインを調べてみた。第四章『誠實』には、誠実な人は不正に得た金を求めることはなく、自分の誠をつくす、などとある。
また、誠実ではない人は人を苦しめて自分の利益を優先するとあり、強盗と同じだと書かれている。強盗と不誠実な人が同じ、というのは言い過ぎではないか。現代では自分の利益しか見ていない者は大勢いるはずだ。まあ、不誠実がいけないことだと教えるには言い過ぎな方がいいが......。
誠実かつ公平な人はひたすら国の利益を考えて、自分の利益は思わないとあった。そんな人はいるのか、と思いつつページをめくる。
誠実かつ仁慈な人は他人の貧乏を哀れに思って恩を売るらしい。明治期の誠実な人は本当に優しい人として描かれていた。そして、そういう誠実な人は国の宝と例えられている。
まとめると、明治期の誠実な人は『人に優しく義理堅い』。インターネットで『誠実』と調べると、私利私欲がなく真心......等々出てくる。今と明治期の『誠実』の意味はあまり変わらない。
第十三章『国民の務め』では、国家の万一に報いるのが国民の務めとのこと。戦争が起こった際の徴兵、ということだろうか。戦前の教科書だし、書かれていて当然だ。
他にも憲法を重んじたり、ともに国を保守して人民を安泰にさせる......etc。
税金を納める、とかは書かれていないなぁと思ったら当時は年間で300円儲ける人だけが所得税を納めていたことを思い出した。一応、税は明治期に導入された。明治期の300円は現在の110万円くらい(?)だったと思う。
今日の道徳の教科書と違う点は多々ある。
挿絵がないところが現代と違うって? 挿絵は何枚かあった。
では、カラーじゃないところが現代と違うって? 確かに白黒だったが、それも違う。
手書きのところが現代と違うって? 明治期には印刷技術があったから、今回参考にした高等小学校の修身訓は手書きではない。
今ある道徳の教科書は、物語が書かれている。物語を読んでその物語から自分の考えを派生させて学ぶ。しかし、明治期の修身訓(道徳の教科書)は箇条書きに似ていた。
現代は物語を読みながら楽しく学べるが、明治期にはおそらく他教科と同じで苦痛な授業だったに違いない。修身訓からは、当時の教育のやり方が現代と異なることもわかった。